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空白の魔法  作者: 片岡 武路
一章
4/31

第三話 森に差す鉄黒

 村長に案内された場所は彼の家。素朴な木組みの三角屋根。外装は、村の中に散見された他の家と大差は無い。そして家の中も、いくつかの野菜が置かれ鍋やフライパンなどの調理器具がぶら下げられた一角と、部屋の中央にあるテーブルと椅子、そして更に奥の部屋、つまりは俺が寝ていたあの部屋へと続く扉という至って普通のものだ。前に見た時との違いは無い。

 俺はテーブルの方へと踏み出しながら、ここへ来る道中に幾度となく想起したあの光景をなぞる。


「さあ、座ってくれ」


 そうしていると村長に促され、俺達は椅子へと座る。ベントさんは道中で別れたため、この場にはいない。

 ちらりと横を見ると、コニーさんは厳しい瞳でテーブル越しの村長を見据えていた。短剣は取り上げられ、その手には無い。無理もないだろう。話し合いが始まるのだから。人の死に関する話し合いが。


「……君はこんなことをするような人間だとは思わなかったがね」


 その始まり、第一声。少し遠くに向けられた視線で、独り言のように零れた村長の言葉。単刀直入に彼の立場と心証を表すものだ。


「俺が疑われるのは当然だがな、話を聞くと言った以上は被告人の釈明を聞くべきだと思うぜ」


 そう、本人が言う通りコニーさんは疑われている。当たり前だ。ヴィダルさんを殴る場面を見ている以上、俺だってはっきりとは否定できない。ただ、あの一撃で彼が命を落としたというのは確実なことなのだろうか。何だかもやもやした疑問が残る。

 しかし当の村長は、確かな確信があるような表情で口を開く。


「話をしようとは言ったが、有罪無罪を決めようというわけじゃない。我々がこれからするのは、君の処遇をどのようにするかという話だよ」

「何だ? 俺が出て行くだけじゃあ不満なのか?」

「そういう問題ではない。掟とは別に君は罪を犯したんだ」


 コニーさんが殺人犯で、それは揺るぎの無い事実。村長が考えているのはそれだ。ろくに審議もせずにはなから決め付けた考えは、とてもじゃないが賛同できない。事態を無理矢理に収めたいと思っているのかもしれない。

 初対面の時とは違った村長の態度に、膝の上でじんわりと拳を握る。

 二人の会話の中には、状況の把握ができない言葉も多かった。それに俺の知らない事実がありそうな口振りも。だけどこの話し合い、俺にも発言できることがある。この席に着いているのだから、その権利がある。このままではいけない。疑わしきは罰せずの筈なのだから。


「……ちょ、ちょっと待ってください」


 乾いた口から出たのは僅かに掠れた声。二人の視線が同時にこちらを向く。


「私にはコニーさんがあのヴィダルさんを殺害したとは、あまり思えないんですけど……」

「どうしてだい?」

「それはその、あの人の様子が元からおかしかったというか……」

「どうおかしかったんだい?」


 息をつく暇も与えないほどの村長の問い。真っ直ぐに向けられた瞳には、有無を言わせず押さえ込もうとする気迫。

 少しだけ身体が萎縮するのを感じる。だから焦って、自分から論点を逸らしてしまう。確かな確証の無い予想よりも、自らの目で見た事実に。


「そ、そもそも先に襲いかかってきたのはあっちなんですよ? 例えコニーさんの一撃が致命傷でも、それは正当防衛じゃないですか? それにさっきから話には出ていませんけど、ヴィダルさんが運んできた袋には……」

「そうだ、あの道化師のこともあったんだったな」


 押さえ込まれて反発した言葉を遮って、コニーさんが語気を強める。

 少し落ち着け。そう言われているような視線だった。俺は上がった息を抑えて、ゆっくりと深呼吸をする。


「道化師、とは?」


 村長が首を傾げて自らの髭を撫でる。


「とぼけるなよ。どうせあいつもあんたの知り合いなんじゃないのか?」

「一体なんのことを言っているのやら」


 俺は少しだけ冷えた頭で成り行きを見守る。そしてもう一度、何かできることはないかと頭を整理する。

 ヴィダルさんの様子がどうにもおかしかったのは事実だ。最初に二階で会った時と次に一階で会った時、まるで別人のようだった。それによくよく考えてみれば、二階に袋を運んできた時も顔色が良くなかったように思える。

 俺は頭を悩ませながら、真っ直ぐに村長を見た。コニーさんが執拗に疑っている村長を。


「どうかしたかね?」

「い、いえ」


 向けた視線に気付かれて、牽制の声を掛けられる。

 今は追求できる事がない。コニーさんが言うように、村長はあの道化師と関係していて、そしてヴィダルさんの異変についても知っているのかもしれないが、今はわからない。初対面の時との印象の差を考えれば、疑念は湧くけれど。

 そんな風に予想の結論を決めあぐねている俺の膝を、誰かが小突いた。

 視線を向けるとそれは当然コニーさん。テーブルの下でばれないように合図を送り、何やらアイコンタクトを送ってきている。正直に言って意図がわからない。長い付き合いじゃあないのだから、わかる事といえば何か策があるらしいということだけ。


「……わかったよ。とりあえずあんたの主張は信じてやる。あの道化師と村長さんは全く関係がないと」

「あの道化師がどの道化師かはわからんが、まあそうだな」


 村長の茶化したような声色に、コニーさんは鼻を鳴らす。


「じゃあ、俺は掟に従って出ていくとするかな。せめてヴィダルは丁重に葬ってやってくれ。仮にもあんたは村長だろ?」

「彼を殺した張本人が、随分な物言いだな。だが村から出ることは……」


 コニーさんはゆっくりと椅子を引き、腰を浮かせる。そして既に謎の合図は止んでいる。何か策が始まるのなら、今だろう。

 視界の端に捉えていたコニーさんが、勢い良く立ち上がる。そして前方に飛来して行く茶色い何か。ある人物に受け止められた有様を見て、それが椅子だと気付く。


「あんたに期待した俺が馬鹿だったよ。悪いな、村長。流石に死ぬ訳にはいかない」


 椅子に押し倒された村長に向かって、コニーさんが言った。身体を起こして、村長が顔を上げる。しかし恨めしそうなその顔は、直ぐに俺の視界から消えた。

 手を引かれ、俺は半ば強制的に立ち上がり踵を返す。前を行くコニーさんの向こう、扉へと一直線に走る。そして扉は勢い良く開かれた。

 傾いた太陽の光が射すと、緑の大地と赤紫の空が見える。そしてそこには一つの人影。


「どこに行くんだ? おっさん」


 家の外にはベントさんが待ち構えていた。


「おっさんって俺のことか?」

「他に誰がいるんだ?」


 コニーさんが苦笑いで頭を掻く。そして後ろをちらりと見てから、「悪く思うなよ」そう言って前方に手をかざす。


「風ですか?」

「ああ、風だ」


 俺が問うと、旋風が巻き起こった。

 渦巻く風は目に見えない。だが、その風が運び寄せた砂粒達が確かに宙を舞い、ベントさんの元に向かう。


「くそっ! 何しやがる!」


 顔を腕で覆いながら怒鳴るベントさんを横目に、俺達は村長の家を離れる。住居の並ぶ開けた場所では無く、そこから少し離れた林の方へと。コニーさんの家ともまた違う方向だ。


「ど、どこに行くんですか?」


 少しだけ息を切らしながら手を引くコニーさんに問う。


「脱出には足がいるだろう?」

「脱出?」

「ああ、俺はもうこの村には居られない。そんで村長達ははなからお前を引き取る気はない。だからお前を連れて俺が村を出る。分かったか?」


 俺はゆっくりと頷いた。村長達よりはコニーさんの方が信用できたから。

 だけど本音を言えば、逃避行は勘弁願いたい。追っ手が来ないとも言い切れないのだから。果たして村長はそうやすやすと、俺達を逃がしてくれるものなのか。

 そんな現在の状況を反芻すると、疲れと恐れからなのか、走る速度が僅かに落ちた。もともと十そこらの歳の少女、成人男性と並走できるわけもない。元の身体だとしても、きっと無理だっただろう。


「……しょうがない。暴れるなよ」


 見兼ねたコニーさんはそう言って、俺の腹に手を掛ける。


「な、なにするんですか!」

「担いで走るんだよ」


 持ち上げられると視点が高くなる。見下ろすのは、上下に揺れる緑の地面。幼い頃を思い出すようでいて、そして新鮮な浮遊感。

 だけどまるで子供みたく担ぎ上げられるのは、少し屈辱的だった。






 走る度に揺れる身体と、うつ伏せになった腹を押し上げて来るコニーさんの右肩。乗り物酔いに似た気持ち悪さに段々と慣れてきた頃、楽しいアトラクションは終了を迎えた。


「つ、着きましたか?」


 ゆっくりと緑の地面に降ろされ、コニーさんの顔を見るが、ふらふらとした俺の問いに返答はやってこない。

 辺りを見回せばそこは森。今までの場所よりも深く、そして濃い緑色の森。けれど色濃く感じるのは、日が沈み始めているからなのかもしれない。太い木々の幹を見れば、何やら虫が這っていた。

 コニーさんは今だ一点を見つめている。村の方を見つめ、顎に手を当てて悩んでいる。


「追っ手、とかですか……?」


 だから俺はそう聞いた。自分がそれを懸念しているから。

 コニーさんは大きく深呼吸をして、こちらへと向き直った。


「大丈夫だ……って言ってもお前は信じないだろうな。急いだ方がいいだろう」


 やっぱり彼も、同じ懸念を抱えているらしい。踵を返したコニーさんに続き、今度は自らの足で森を進む。

 遠くで聞こえる鳥の鳴き声と、踏みしめる枝と土の音。背後で何かの音が聞こえる度に、俺は身体を強張らせる。そんな緊張を察したのかどうかは分からないが、しばらくして聞こえた質問はどうにも場違いなものだった。


「なあ、動物は好きか?」


 木々の密度が増した林へと入ろうという時、傍を行くコニーさんが言った。振り返らずに進みながらの言葉は、少し幼稚過ぎる話題だ。


「嫌い……ではないですよ」

「そうか、じゃあもっと限定しよう。馬はどうだ? 好きか?」

「えーっと、どちらかというと好き……ですかね。かっこいいとは思います」


 口にする途中で、自らの解答も幼稚な感想であることに気付き、声が小さくなる。けれど、本心であったのは事実だ。昔から速いものが好きだったから。漠然と。

 コニーさんは、俺の返答に少しだけ嬉しそうな声を返す。


「なら良かったな。あれが足だ」


 そう言って指を差す先には、開けた広場があった。木々が遠慮するように周りを取り囲み、枝葉の傘だけを差し出している。そしてその広場には木製の小屋と、それを起点に小さな円を描く柵が見えた。

 柵の近くまで歩み寄ると、中には何かが居た。何かはゆっくりとこちらにやってくる。


「すごい……」

「だろ? バートだ。こいつが俺達を運んでくれる」


 その何かの正体に、俺は小さく呟いた。

 まるで濡れたように夕焼けが波打つ毛並みと、強靭な筋肉に覆われた足。そこにいたのは一頭の黒い馬。力強く、また同時に美しい生き物。

 バートはコニーさんに撫でられ、柵越しに首を伸ばしている。とてもリラックスした表情だ。だから俺もその額を撫でようと、半分無意識に手を伸ばした。だけどその手は、柔らかな毛並みに触れることなく跳ねる。


「おっと、悪いな。知らない奴を警戒してるらしい」


 バートは瞬時に頭を振るい、首をもたげて耳を後ろに向けた。表情も心なしか強張っていて、一点にこちらを見つめている。

 俺は僅かにショックを受けて後ずさるが、同時に親近感を抱いた。初めての奴が得意ではない、俺と同じだ。馬の場合は、そういうことではないのかもしれないけれど。


「まあ、そのうち慣れてくるさ。それより手伝ってくれ。荷物を積まなきゃならない」


 初対面の黒馬との睨めっこは、そんな言葉によって終わる。

 コニーさんがバートを離れ、歩き出したのは小屋の方。俺もそれに続いて歩き、小屋の中を覗き込む。

 そこは何の変哲もない物置だった。バートの世話をする道具であろうブラシや、牧場でよく見るようなフォークが雑多に置かれている。そしてその中にある一振りの剣。しかし、コニーさんがしゃがみ込んで手を掛けるのはその中のどれでもなく、なにもない小屋の床であった。


「その、何を手伝えばいいんでしょうか?」

「ああ、これだ」


 その言葉と共に、木製の床が勢い良く叩かれる。そして床を構成する板の一枚が、不自然にずれ上がった。

 めくり取るように板を外したコニーさんが、身体をずらして指を差す。


「この本を馬車に積むんだ」


 外された板があった場所、その向こうは地面の土ではなく、深く掘られた穴だった。そしてそこにぎっしりと詰め込まれた本達。なんでこんなところに本が、そんな疑問を投げかける間もなく、本を数冊手渡される。俺は小屋を出て、脇に停めてあった四輪の幌馬車の中へと置いた。

 その後コニーさんと協力して、幾度か馬車と小屋を往復し、本を移し替えて行く。こんな物を持って行く必要があるのかという疑問は湧くが、今は急ぐしかない。

 数個の樽や袋しかなかった殺風景な幌の中は、やがてうんざりするような物量に埋まった。


「あの、終わりましたよ」


 殆どをコニーさんが運んだとはいえ、少し疲れた腕を振るいながら小屋へと戻る。

 コニーさんは小屋の壁へと寄りかかりながら、手にした何かを見つめていた。その腰には、いつのまにか剣が携えられている。


「ああ、ごくろうさん」


 大事そうに両手に包まれているのは、小さな箱だった。俺は労いの言葉を聞き流しながら、その箱を観察する。

 何かの金属で出来ているのか、薄っすらと光沢を持つ外観は暗い赤色で、そこを縁取るように走る金色の線が、少しばかりくすんだ外見にも高級感を漂わせている。高そうでおしゃれな箱、そう思った。


「よし、それじゃあそろそろ出発するか」


 俺の視線に気付いたのか、コニーさんは箱を片手で持ち上げる。そしてどこか悲しそうな瞳を称えながら、本が詰め込まれていた床の穴へと、箱を乱暴に放り投げた。

 大人一人が入れるほどの深さの穴から、乾いた金属音が跳ね返ってくる。そして穴は、元の板に塞がれた。

 少しどきりとした心臓で、暗い赤色が吸い込まれた場所を見つめる。何の気なしに俺の横を通り、コニーさんは小屋を出て行く。


「あ、あの。いいんですか? あれ」

「何がだ?」

「箱ですよ。今穴に投げた……」


 あの箱を持つ手、箱を見る眼差し。俺はそれを思い出しながら、コニーさんへと問う。


「ああ、別にそんなに大事なもんじゃない。問題なのは中身だからな。もう取り出した後さ」


 コニーさんはそう答えると、少し口角を上げた。

 俺の思い過ごし。あの手あの目が向けられていたのは、箱の中身だったのだ。とはいえあの箱の外観を思い出して、少しだけ後ろ髪を惹かれながら小屋を後にする。

 コニーさんはバートを柵から出して、馬具と馬車を繋いだ。


「バートが一人で引くんですか?」

「そうか、お前は馬も人間扱いするたちなのか」

「……こんな時に、揚げ足を取らないでくださいよ」


 コニーさんがにやりと笑うと、バートが鼻を鳴らす。嫌な息の合い方だ。


「こいつはこの通り、凄い力の持ち主だ。それくらい訳ないさ」


 コニーさんは御者席へと上がる。

 まあ、ここは魔法の存在する世界だ。俺個人の常識に当てはまる物事の方が少ないのかもしれない。そんな風に考えながら、コニーさんの隣に座ろうと足を掛ける。だけどどうやら、俺に用意された席はそこではなかったらしい。


「お前は後ろに乗れ」


 親指で後ろを指すコニーさんを見上げて、俺は一瞬固まる。


「な、何でですか?」

「その方が目立たないだろう? 怖がらせるつもりはないが、本の城壁に閉じこもってた方が安全かもしれないぞ?」

「……なるほど」


 俺は小さく頷いてから、もう一度地面に降りて馬車の後ろへと回る。そして幕を押し上げて中へと入った。

 散らばる荷物と無数の本、漂う埃。薄暗い幌の下はなんだかあそこを思い出させる。


「コニーさんの家みたいですね、ここ」

「なら、快適だな」


 ぴしゃりと手綱の音が聞こえると、馬車が前進と共にがたがたと揺れ始める。俺は積み上がった本の間で体育座りをして、自らの膝に顔を埋める。


「びびってるかと思ったら、意外に余裕じゃないか。そんな悪態がつけるなら大丈夫だろう」


 コニーさんの声が御者席から聞こえた。


「……大丈夫じゃないって」


 小さく呟く声は、きっと俺にしか聞こえない。それは見知らぬ身体を糾弾する本心だった。

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