第三十話 これまでとこれから
二人きりになった部屋の中、コニーさんは腕を組んでいた。椅子の背もたれに寄りかかり、伏し目がちに机を見ている。垂れ落ちる白髪混じりの短い前髪に、無精髭。無駄な観察で少しの時間を潰した。
決して話を切り出しにくい雰囲気というわけではない。だけど気持ちを整理したかったのだ。もしかしたらこの後、色々と打ち明けることになるかもしれないから。
どうにも進展しない現状と、今回の出来事での精神の疲弊。それらが俺に秘密を打ち明けるべきだと囁いている気がした。しっかりと事情を話し、それでも共に進んでくれる協力者が欲しいというわがままな気持ち。すがりつきたいと言っていいかもしれない。
まあでも、とりあえずは先に聞きたいことを聞いてしまおう。そう思ったところで、向かいのコニーさんが顔を上げた。
「あいつも随分と調子の良い奴だな」
僅かにかすれた声へ咳払いを一つ、コニーさんは口角を上げる。
「ブレンダさんですか?」
「いや、あっちのおじさんのほうだ」
「アーシュさんですか。まあでも……悪い人じゃないですよね」
妙にぎこちない会話だった。少しばかり背中が痒くなるような、そんな雰囲気だ。しかしそれでも、コニーさんはぽつぽつと言葉を続ける。
「……洞窟でのことだが、お前には俺があいつを守っているように見えたかもしれない。でもお前と吸血鬼が来るまではあいつが俺を守っていたんだ。怪物相手に魔法を使ってな」
「怪物、ですか?」
「ああ、また気味の悪い奴に会った。まあ今までの奴らに比べれば、まだ見た目に可愛げはあったかもな。……猫みたいな女だった」
鳥人間に蜘蛛女ときて、今度は猫女。もしかしたら小さな男の脇にいた二人のうちのどちらかなのだろうか。考えを巡らせるけれど、意味のないこと。逆に現時点での無駄な恐怖を煽るだけだ。俺を狙う奴らの中にそういう奴がいる、それだけは覚えておいたほうが良いだろうけれど。
考えの整理をつけて、もう一度コニーさんを見る。そうしたら彼はこちらが聞いてもいないのに、更なる情報の提供を続ける。
「向こうは魔法こそ使ってこなかったが、正直勝てそうになかった。だから俺が、あいつらが欲しがっているものを渡したんだ。それで何とか見逃してもらえた。まあ、すぐに犬に襲われたわけだけどな」
やってきた言葉の内容はまさに俺が聞きたかったことだった。小さな男が言っていた「貰うものももらった」という台詞、そこから生まれた疑問への答えだ。
そうか、そういう流れか。一段階落ちたつっかえを抱え、今度は次の疑問を問う。
「……何を渡したんですか?」
声色と視線の両方に疑いの感情を込める。それは当然の投げかけだ。
コニーさんはまっすぐにこちらを見た。
「首飾りだ。死んだ妻の形見のな。あいつらはなぜかそいつを欲しがった。見せてもいないのに言われたよ、『そいつを寄越せ』って」
俺は少し汗ばんだ背を椅子へと預ける。そしてこんがらがり始めた頭を解くことに尽力した。
理屈は通っているだろう。コニーさんがあいつらの欲しがるものを渡し、一時の間の命を保証してもらったということだ。けれどそうなってくると、また新たな疑問が生まれる。
「何で奴らはそんなものを? ……ああ、いや、そんなものっていうのはそういう意味じゃなくて――」
「わかってる、気にするな。理由は俺にもわからない。金にでもなるんじゃないか? あまりそうは思えないが」
「本当に奴らは理由を言っていなかったんですか? 思い当たる節も?」
「ああ。言っていなかったし、思い当たる節もない」
俺のしつこい問いにも声色を変えず、コニーさんは寂しげに笑った。そりゃそうだ。亡き妻の形見を見ず知らずの奴らに渡すことになったのだから。
視線を少しの同情に変え、俺は息を吐いた。そして熱い額に手を当てる。まったく、謎ばかりが増えていくではないか。奴らが首飾りを欲した理由と、俺を狙う理由。何もかもがわからない。目的の尻尾すら掴めない。そんな苛立ちからか、俺は迂闊にも口を滑らせる。
「何か隠していませんか?」
「いま言ったことは全部本当だ。首飾りのこともわからないし、奴らがお前を狙う理由もわからなかった」
嫌な顔一つせず、コニーさんは真面目な顔で答えた。俺はそんな反応を受け、心の中で自分を笑う。隠し事をしているのはどこのどいつだ? またも自己嫌悪に陥る。けれどそんな気持ちの解決策は嫌というほどわかっている。そして今の俺は、その解決策を試すことができそうな心持ちだ。
妙な引っかかりを無視できるほどに心は揺れる。ミレアスさん。あなたの忠告は無視させてもらいます。口にすることなく呟き、意を決して姿勢を整える。
「コニーさん、私じつは――」
違う世界から来た男子高校生なんです。
言葉は紡げたはずだった。だけどどうしようもない違和感が心を支配する。頭で作られた言葉は指令通りに口を動かした。……途中までは。
「あ、えっと、実は私、その……」
「ノーラ、どうした?」
声が出ない。何度やっても続きが紡げない。まるで自分の身体を誰かに支配されているような、そんな奇妙で気味の悪い感覚だ。一体何が起こっている? 焦る脳内から何かが聞こえた。
『これを聞いてるってことは、どうやらあいつはさぼらずに働いてくれているみたいだ』
唾を飲み込めば口の中が急速に乾いていく。くぐもったその声は頭の中へと直接的に響いてくる。歳はおろか男女の区別すらつかない謎の声。机の向こうのコニーさんを見るに、俺だけにしか聞こえていない。
『お前は自分の正体を誰かに伝えることはできない。わかるか? そう簡単に共有させるわけにはいかないんだよ』
辺りの環境音をかき消して、謎の声はそう告げた。今の状況に即していて、俺の身に起きた出来事も知っているような口ぶりだった。
息を呑んで考える。このわけのわからない人物のせいで、俺はいま自分の口さえまともに動かせなくなっている。そして絶対に、こいつは俺が少女になったことへ深く関わっている。もしかしたらあの悪魔か? 心なしか口調も……。
『あと頭の悪いお前が試しているかはわからないけど、瞬間移動の魔法で元の世界に帰ることはできないぞ。そっちの世界をたっぷり楽しめ。……じゃあな』
次に聞こえた内容もまた、こちらを見透かしたような内容だった。そして希望を打ち砕き、自分の頭の悪さを呪いたくなるものでもあった。なぜ今まで試さなかったのだろうかと目を閉じる。頭の中に元の世界を描いても、何も起こらない。裏付けは取れた。
次の声は何だ? 怯えつつ待つ。けれどそんな恐怖を断ち切って、コニーさんの声が聞こえた。頭の声は黙りこみ、もう聞こえない。
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「あ、えっと、すみません! 大丈夫です」
言葉はしっかりと声になった。だけどまた真実を告げようと試してみれば、やはり口は動かない。そしてその無駄な努力を何度続けたところで、あの声はもう聞こえなかった。
一体いまのは何だったんだ? 焦燥感と苛立ちが頭を支配する。膝の上の手はこぶしを作り、むかむかとした胸の内を代弁している。せっかく一歩踏み出そうとしたのに、なんだって邪魔をするんだ。
「そ、そうか。で、何を言おうとしたんだ?」
沸騰しかけの頭を上げて、俺はコニーさんを見る。
「いや、その……私じつはお腹が空いちゃって。えっと、すみません。こんな時に」
くだらないこと誤魔化ししか言えない自分が情けなくなった。
俺はあの声が聞こえた時と同じく、コニーさんと向かい合って椅子に腰を下ろしていた。さっきと違うところといえば、机の上に空になった料理皿が並んでいるということ。苦し紛れに発した一言を経て、コニーさんと夕食を囲んだのだった。
頭の混乱は続いている。だけどさっきよりは少しだけ落ち着いた。というか無理矢理に落ち着けた。だから茶をすすりながら息を吐き、何の気なしにそういえばと思ったことを口にする。
「リネーアさんはまだお仕事ですか?」
コニーさんは頬杖をつきながら皿をまとめつつ言う。
「ああ、俺とは違ってあいつは忙しいんだ。今日は遅くなるらしい。何か用か?」
「いえ、まだちゃんとお礼を言っていなかったので」
「妖精使いのことか。まあ明日の朝にでも伝えるといい」
そう言って立ち上がり、コニーさんは皿を片付けに奥の部屋へと消えていく。
一人になった俺はできる限りあの声のことを考えないようにしていた。答えのわからない疑問は苛立ちを加速させるだけだ。考えられるだけの材料を手に入れたら改めて向き合えばいい。だから別のことを考える。
例えば天井のシミを見つめて、そういえばブレンダはどうしたのだろう、とか。あんまり別れらしくない別れであったけれど、彼女はあれでもう去ってしまったのだろうか。まあ仮にそうだとしても、らしいといえばらしいのだけど。
「よしそれならノーラ、朝に起きられるようにそろそろ休まないとな。あいつは明日も仕事だ。それを逃せばまた礼が先延ばしになるぞ?」
戻ってきたコニーさんがコップと布を差し出す。俺はそれを受け取り口内を綺麗にして立ち上がる。
「そうですね。じゃあ、その、お休みなさい」
「ああ、お休み」
そんな会話をして俺は居間を離れた。姿見のあるあの部屋へと引っ込んで、後手に扉を閉める。コニーさんがつけてくれたのだろうか、机の上の燭台には蝋燭が数本燃えていた。暖かいその明かりのおかげで正面には戸板の閉まった窓が見える。
俺はゆっくりとそこに近付き、開け放つ。そうしたら月明かりが部屋に入ってきて、蝋燭の炎とせめぎ合う。
「疲れた」
窓のへりに寄りかかり、見上げた星空へ独り言を漏らす。我ながら随分と弱気な発言だ。精神的にも肉体的にも、最近はどうにも不安定な気がする。まあこんな状況に置かれれば当然なのかもしれないけれど。
「……寝よう」
これ以上弱気になる前に、俺は窓を閉じてベッドへと潜り込む。そして蝋燭の炎を吹き消して眠りへと逃げ込んだ。
毛布に包まれた身体で丸くなり、静まり返る空気の音を聞く。もう寝てしまいたいし、眠気だってある。だけどいざベッドに入れば頭は元気に活動を始めてしまう。今日は散々な一日だったとか、やっぱりまだお腹が痛むなだとかそう言ったことを考えてしまう。そして眠りを妨げる思考たちの大ボスは、やっぱりあいつなのだ。
俺は人を殺してしまった。まるで自分が人間でなくなってしまったかのような感覚を連れ、そいつが幾度となく現れる。身体がどうにもむず痒くて、じっとしていられなくなる。やがて静寂に耐えかねて、俺はベッドを抜け出した。
記憶を頼りに薄闇を歩き、部屋を出て居間へと向かう。なにをどうしたいだとか、そういった目的の無い無意識の行動だ。またも後手に扉を閉めて、居間の中央を見る。机にはコニーさんが一人座っていた。
「どうした? ノーラ」
こちらに気づいて優しい声が飛んでくる。夜の静けさも相まって、どうにも胸が締め付けられるような感じがした。
心臓が早鐘を打ち、右手が無意識に頭を掻く。
「その、眠れないんです」
自分の予想とは違う声色だった。泣きそうで弱々しい少女の声だった。それが張り裂けそうな胸を掻き立てて、動悸にも似た不快感を生む。
まるで身体に鉛がくくりつけられているようだ。全身が重くなって、意識がここでは無い何処かに飛んでいく。もはや思考が行動を押さえつけられない。
「あの、ほら、あれです。私、今日……人を殺してしまいましたから」
それに、頭に響く声がこちらを責め立てるように話しかけてきたのだ。
なぜ、なぜ俺はこんな目にあう? 言えない言葉を飲み込めば、俯けた視界の中で床板がぼやけていく。俺は尻餅をついてへたり込んだ。消せない出来事に押し潰されてしまった。
最後の砦が嗚咽をせき止める。洞窟でもあんな醜態を晒したくせに、俺は何回同じことを繰り返すんだ。自分への苛立ちが高まって、情けなさに頭が痛くなる。だからせめて取り繕おうと顔を上げた。立ち上がるために。だけど。
「ノーラ、悪かった」
すぐ近くにコニーさんの顔が見えた。俺と同じく床に座り込み、同じ目線で声をかけてきたのだ。内容は謝罪だった。一体なぜあんたが謝るんだ? そう言おうとしたけれど、喋れない。
「気にするな。お前がやったことは間違いじゃない――」
俺は勢いよく目を開いた。だけどコニーさんは休むことなく言葉を続ける。
「そんな風に言ったって意味がないのはわかってる」
見透かされたような言葉が飛んできた。
目尻に溜まった涙が溢れ、握った拳を濡らす。
「だから友人としてこれだけは言わせてほしい。俺はお前を、お前がしたことを誇りに思う。ノーラは優しい人間だ。そんな奴が苦しむ必要はない」
知らずのうちに声が漏れていた。聞いたこともない自分の泣き声がコニーさんの声と混ざり合う。そうしたら少しだけ、身体の芯のあたりが温かさを取り戻したような気がした。
俺は泣き声を押さえつけ、小さく笑う。けれどそれは無理矢理に取り繕った行動ではない。胸にあるのは悲しみと後悔と嬉しさが同居した奇妙な感情だった。
顔を上げてコニーさんを見る。
「……ありがとうございます」
本心でそう言えば、コニーさんは笑う。そしてハンカチを取り出して俺の顔を優しく拭った。
「ならもう一度抱きしめるか? 鼻水は拭いたし、問題はない」
コニーさんは冗談めかして両手を広げた。真面目な雰囲気はどこかに転がっていって、濡れた拳だけがその余韻を残している。ぶち壊しとも言えるのかもしれないけれど、俺にとってはそれが心地良かった。
だからお返しのように、冗談っぽく笑う。
「遠慮しておきます」
そうしたらコニーさんはもう一度笑い、俺の頭を撫でる。やっぱり気恥ずかしさはあった。こんな子供みたいな扱いを受けるのは不本意だという思いもあった。だけどどうにも心地良かったから、感情に逆らうことなく受け入れる。
「……一緒にハムスタッドに行こう。記憶を取り戻す手がかりになるかはわからないが、お前が使える空白の魔法は珍しいものだ。調べればきっと何かにつながる」
「ありがとうございます。それならやっぱり、早く休まないといけませんね」
「ああ、ゆっくり休め。旅に備えてな」
真実が告げられぬ旅、先が明るいとは言えない。暗い過去の出来事だって出来てしまった。だけど今は少しだけ、眠りにつけそうな気がした。
夢はなにも見なかった。深い眠りの底で、ただただ意識が寝転がるようだった。あんなことがあった後にも関わらず、中々に気分の良い睡眠。だからこそだろう、ベッドの上でまぶたを上げた瞬間、感覚で寝過ごしたことを確信する。
はだけたシャツから覗く腹に手を当て、寝ぼけた瞳で天井を見た。まったく、せめて目覚ましでもあればいいのだけれど。そう考えて上体を起こせば、恐らく昼下がりであろう日差しが室内を照らしていた。
欠伸をこぼして靴を履き立ち上がる。顔を上げればふいに、姿見に映る自分と目があった。
おはよう、ヒーロー。おこがましくも思える言葉を胸に浮かべ、寝起きの自分へと近づく。寝癖のついた髪の下、少しだけ腫れている目の理由は明白だ。思い返すと恥ずかしい。だからあの出来事をとりあえずは仕舞い込み、雑に着衣を整えて扉へと向かう。
ノブに手をかければ、コニーさんの声が聞こえた。
「あんたには感謝してるし、もう敵じゃないのもわかってる。だがそれとこれとは話が別だ」
扉を開ける手を止めた。向こうから聞こえるのは誰かとの会話で、そこに出て行くのは少しだけ気まずい。
腕を組んでもう一度欠伸。そうしたら別の声が聞こえた。
「こっちだって何回も言ってるじゃん。あたしはおじさんじゃなくてノーラちゃんに着いてくの!」
寝起きには厳しい高い声、ブレンダだ。
彼女はよくわからない内容を吐き捨てている。いつの間にここへと戻ってきたのだろうか。そう思う一方で、一体なんの話をしているんだと覚醒前の頭をひねった。しかしその最中で目の前の扉が開く。
「あ、ノーラちゃんやっと起きた!」
「……えっと、おはようございます」
見下ろす笑顔にかすれた声で返事をした。ブレンダは満足げに頷いて身体をずらす。その誘いに従って、俺は居間へと足を踏み出した。
そして椅子に座るコニーさんにも挨拶をする。
「コニーさんも、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「それで……お二人は何の話を?」
ブレンダが扉を閉めるのを見守りつつ、抱えた疑問を素直に口にした。欠伸をこらえて伸びをすれば、返事は彼女のほうからやってくる。
「ノーラちゃんさ、記憶喪失なんでしょ? で、それを取り戻すためにこの人と旅をしてる。合ってる?」
コニーさんを指差しつつ、嬉々とした表情。しかしまあ、投げかけた質問とは随分と不釣り合い。
俺は出かかる言葉を一瞬だけ飲み込んで、頭をひねった。そして半ばやけくそ気味に「いや、違う。俺は記憶喪失でも何でもなくて、違う世界から来た男子高校生だ」と伝えようとする。ブレンダ相手にならば喋れるかもしれないと少しの期待を持った行動だ。でもやっぱり、口は動かなかった。
ならば仕方あるまい。
「……はい。それで合ってますよ」
もはや貫くしかない。少しばかりの暗い気持ちが生まれるけれど、できる限りの努力で無視をした。そうしたらブレンダはこちらの気など知らずに、さらなる笑顔で俺を見下ろす。
「そっかそっか。じゃあその旅、今日からあたしも参加するからね」
こちらの肩に手を置いて満面の笑み。寝ぼけた頭といえど内容を咀嚼する必要はなかった。言葉通りの意味はすぐに理解できる。けれどそうなってくれば当然疑問が生まれる。
だから少しの困惑を込めてコニーさんを見た。
「さっき突然に戻ってきて、それからずっとこの調子だ」
半ば呆れ気味にため息をつき、コニーさんは腕を組む。そして視線をまっすぐに俺へと向けた。
「どうやらお前のことをよほど気に入っているらしい。……正直言うと反対だが、まあお前が決めてくれ。もう俺はそれで文句はない」
丸投げ、というわけでもないんだろう。むしろ俺が選択しなければどうにもならないといった感じだ。個人的にはブレンダの信頼をそこまで勝ち取れているとは思えないのだけれど。
顔を上げ、思考の読めない吸血鬼を見る。
「その……どうしてそういった考えに?」
ブレンダは一瞬だけ首をかしげる。細く白い指を顎に当て、悩むような仕草を見せる。けれどその後すぐに、赤い瞳をまっすぐに下ろして俺を見た。
「面白そうだからだよ。それにほら、今おじさんも言ったし、昨日私からも言ったでしょ? あたしノーラちゃんのこと気に入ってるって」
理由になっているのかいないのか。よくはわからんが恐らく、彼女にとっては本心なんだろう。ならばもう一つ。
「洞窟で聞きました。私を狙ってる人達に、元の身体を人質に取られてるって」
もはや裏切りの後、手遅れなのかもしれない。でも聞かないわけにはいかない。そうしたらやっぱり、ブレンダは顔色一つ変えずに視線を向けてくる。
「言ったでしょ? 別にどうでもいいんだ」
彼女は何の未練もないといった態度だった。そうなればもう、こちらがとやかく言うことはできない。
俺はもう一度コニーさんを見る。
「私が断ってもブレンダさんは着いてくると思いますよ」
「……だろうな」
「うん。もちろん」
小気味の良い会話が続けば、コニーさんと俺の意見が一致したような気がした。まあ諦めなのかもしれないけれど。
「ならブレンダさん。これからよろしくお願いします」
「そうこなくっちゃね!」
見上げて言えば、彼女は満面の笑みで抱きついてくる。しゃがみ込んで細い腕を俺の背中に回し、結構な乱暴さで抱きしめる。
吸血鬼としての強さを思い返せば、今ここでこのまま俺の胴体を真っ二つにすることもできそうだ。考えればなかなかに恐ろしいけれど、そのおかげか気恥ずかしさはあまりなかった。
「わかったよ。ならあんたにもこれからのことを説明しないとな。……その前にまあ、昼飯だ」
コニーさんが椅子から立ち上がった。そうしたらブレンダもまたようやく立ち上がる。一方の俺は掛けられた言葉の内容から現在の時刻を察し、あることを思い出した。
「コニーさん。その、リネーアさんは?」
「何時だと思ってる? 礼はまたの機会だな」
笑いながら言われた。だから苦笑いをこぼして、横に立つブレンダを見る。これからは三人……いや、三人と一頭で旅をするのか。少しばかりの感慨深さを抱いて息を吐く。そうしたら不意に、昨日の出来事を思い返した。
彼女がおかしな犬達に襲われながら、俺に向かって投げかけた質問。あの時は冗談だと言われてそこで終わったけれど、一緒に旅をするのならちゃんと答えを伝えておかなければならない気がする。それに、彼女の過去に触れたということも。
「ブレンダさん。私ミレアスさんからあなたの過去を聞いたんです。えっと、だからっていうわけでもないですけど、その……私はあなたが死んでも、嫌な気持ちになりますよ」
少しばかり恥ずかしい台詞かもしれない。けれどまごう事なき本心だ。
ブレンダはきょとんとした顔の後、またしても顎に指を当てて首をかしげる。
「うーん、そっか。あたしはどうだろうなあ。ノーラちゃんが死んだら嫌な気持ちになるのかな」
できればなってくれると嬉しいけれど。彼女の言葉に心で返し、照れくささから下を向く。そうしたら大きな笑い声と共に勢い良く背中を叩かれた。
「でも心配しないでね。あたしはそう簡単に死なないから!」
まあそうだろう。小さく笑って、俺はこれからの旅に思いを馳せる。これまでとは違って随分と賑やかになるに違いない。その明るさと勢いのまま、色んな問題が解決してくれるといいのだけれど。
すがるような願いを抱いて、俺は椅子へと向かった。