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空白の魔法  作者: 片岡 武路
一章
27/31

第二十六話 助っ人参上!

 少女の背中に負ぶさりながら、俺は聞き残した質問をぶつけた。彼女が裏切った組織のこと、フルマンのこと、そして空白の魔法を持つネズミのこと。だけど結果として、大した情報は返ってこなかった。

 全てにおいてよくわからないといった反応だけを寄越されたのだ。本当にそうなのか、もしくは何かを隠しているのかはわからないけれど、今はさらなる追求をするよりも大事な事がある。


「はーい、着きましたよー。ノーラちゃん」


 小馬鹿にした口調に少し眉をひそめながら、俺は吸血鬼の背中から降りた。縫い合わされた靴越しに柔らかな草を踏み、後方から来る風に従い前方を見る。

 岸壁にはぽっかりと空いた穴など無く、一見してそこに洞窟があるとは思えない。だが俺はそこに入口があることを知っている。辺りにはバートの姿も、アーシュさんが乗ってきたもう一頭の馬の姿もない。

 ……俺は戻ってきた。提示された条件を飲み、吸血鬼と共に。


「で、どうやって入り――」


 横に立つ吸血鬼へと声を掛ければ、唐突に轟音が響いた。びくりと身体を震わせ、背中を丸めて岸壁を見る。そうしたらそこにあったのは、大きく崩れ落ちた洞窟の入口だった。

 いつの間に移動したのだろう。吸血鬼はその入口の前で拳を払い、力の代償へ礼を口にする。


「あ、あのー、もう少し大人しく入ったほうが良かったんじゃ……」

「んー、じゃあ他に考えは?」

「そりゃあ、その、無いですけど」

「でしょ? ほら、行こ行こ」


 吸血鬼は臆すること無く、薄暗い洞窟の中へ歩を進める。俺も慌ててそれに続き、ひんやりとした空気の中へと向かった。

 汗ばむ手に握るのは、先程吸血鬼が鞄から取り出したナイフ。武器を手渡してくれたことはありがたいが、正直あまり役に立ちそうもない。まあ、無いよりはマシだけれど。

 そんな不安を抱きながら、岩の壁に囲まれた細い道を進む。入口からの明かりが途絶え始めたうえ、足場の悪さも増してきた頃、道の先に小さな明かりが見えた。


「こっからは、さすがに静かに行こうかな」


 明らかに誰かが設置したであろう燭台で蝋燭が燃えている。人の気配、それを吸血鬼も察知したのだろう、小さな声で呟く。さすがにそこら辺の危機感は――。


「ねえねえ、ちょっと聞きたいんだけどさー」


 持っていなかったようである。


「……いま静かにするって言いませんでしたか?」

「アーシュって言ったけ? あの男の人ってノーラちゃんの何なの?」


 どうやら聞いていないようだ。まあそれならそれで、余程の自信の表れだと思っておこう。どうせ注意したところで聞いてはくれないだろうし。そう割り切って、辺りを警戒する意識の少しを質問に注ぐ。

 アーシュさんが俺にとって何なのか。ただの知り合い、護衛、恩人。どれも当てはまるものだろう。知り合ってから日は浅いが、襲撃から俺を守ってくれた。


「わざわざ助けに行くような相手なの?」


 歩きながら岩の壁に手を付き、吸血鬼は少しだけこちらを振り返った。その目に映るのはただの好奇心に思える。だからまあ、そんなに真面目に答える必要も無いのかもしれない。だけれど俺自身も、その答えについて考えてみたい気分だった。

 なぜ俺は吸血鬼の条件を呑んでまで彼を助けに行くのか。もちろん今から向かう場に彼よりは付き合いの長いコニーさんがいるというのもあるだろう。けれどそれにしたって状況は変わらない。

 取引が含まれるとはいえ、両者ともに恩もあるし、それに報いたい気持ちだってないわけじゃない。でもきっと危険を冒すほど、俺は良い奴ではないはずだ。そもそも二人とも色々承知でここに来ているのだから、いくら案内をしたとはいえ俺が責任を感じる必要はない。

 そうなるとやっぱり、正確な理由はこれ一つだ。


「……極力嫌な気持ちになりたくないんです。少しでも自分と関わった人が死んでしまうのって、やっぱり良い気はしないじゃないですか」


 言語化したことで何かのつっかえが少しだけ和らぐ。額の汗を拭えば、前方を行く吸血鬼が足を止めた。しかしそれは別に、俺の言葉に返事をしようとしたわけじゃなかった。


「しっ! 静かに」


 人差し指を立て、こちらを手で制する。……おかしな行動じゃあないが、なんかむかつく。そう思いながらも気を張り直して、吸血鬼の背中越しに洞窟の先を見た。

 前方に積まれた木箱のその向こうには道が無い。しかし掛けられた梯子を見るに、空間はどうやら下に続いているらしい。吸血鬼と共に慎重に身を乗り出す。すると見えるのは、数メートルほど下に広がる大きな広間のような空間だ。今までと違って岩の天井も高く、何者かによって設置されたいくつかの柱によって補強されている。

 そして雑多に置かれたテーブルに、数々の本が積まれた本棚、そのどれもが散乱し、戦いの後を物語っている。誰と誰の戦いか。見ればすぐにわかった。


「あ、いたいた」


 吸血鬼が呑気に指をさす先には、アーシュさんがいた。割れた机の上でぐったりと倒れこみ、所々が裂けた衣服から赤い切り傷が覗いている。目は閉じられたままだが、微かに上下する胸が確かな生存を知らせる。

 息を飲んだ。彼が吸血鬼に対して弄していた何らかの作戦を持ってしても、敵わなかったということだ。相手がどんな者たちであるかは想像したくもない。

 目線を逸らすように、少しだけ横へとずらす。アーシュさんの前には、剣を片手に肩で息をするコニーさんがいた。見たところ外傷はない。

 とりあえずは良かった。そんな一時の安堵が生まれた瞬間、しゃがれた声が聞こえる。


「まあ、ただの不法侵入にそこまで酷いことをする気も無いんでね。そっちの君からは貰うものももらったし、こいつらをどうにかできるんなら別に帰ってもいいよ」


 声の主に目をやる。コニーさん達から数メートル離れた場所に、一人の男が立っていた。

 灰色の貫頭衣と血で汚れた白いエプロンに身を包んだ、体格の小さな初老の男。丸く突き出した腹を見るに、あまり戦いが得意な奴ではなさそうだが、この世界でその推察は意味がない。もしかすれば魔法使いであるかもしれないのだ。そしてその可能性以外にも。


「それじゃあね」


 髪の毛のない自らの頭を撫でて、男はコニーさんたちへ向けていた身体を返す。横道の細い洞窟へ消えていくその両脇には、二人の人物が立っていた。影になり姿はよく見えないけれど、こいつらがコニーさん達を痛めつけた可能性もある。

 しかし今、その思考に意識を注ぐべきではない。


「くそっ。まだ生きてるか!」

「……ああ、悪い。死んでる」


 緊張感のない返事とは裏腹に、ふざけるアーシュさんの声色は弱々しい。そしてそこに追い討ちをかけるように、大きな広間で何かが動き出す。

 備えられた蝋燭が岩肌に影を映し、その影が飛散した木片を踏みしめる音が反響する。思わず息を飲み、手にしたナイフを強く握る。ここから視認できるだけで八頭、影の正体は飢えた犬だ。しかしおよそ普通の犬とは思えぬ体格をしていて、先程出会ったあの狼達にも負けずとも劣らない。

 そしてまた、新たな声が聞こえる。


「彼は帰っても良いと言ったが、私としては君たちにはここで死んでもらいたい。どうせ役には立たないんだからな」


 理解のできない内容を並べるのは、神経質そうな声をした男だった。いつからそこにいたのだろう。岩肌近くに立てた椅子に腰をかけ、組んだ足の上に肘をついて笑う。全身を覆う黒いローブに黒いズボン、頭には丸く広がるつばの帽子をかぶっている。そしてその色もまた黒だ。


「見物させてもらう」


 謎の男の言葉に間髪入れず、舌打ちが響く。


「おい、死んでても起きたほうが良いぞ。本当に死んじまう」


 コニーさんは剣先を上げ、背後にいるアーシュさんを守るように後ずさった。そしてそれを囲むように、犬達はぐるぐると辺りをまわり始める。口元からはよだれを垂らし、獰猛な敵意を隠す気など微塵もない。黒い短毛に立った耳、濡れた鼻から漏れる息。濁った目はどこか虚ろに獲物を見る。

 今すぐ助けねば。吸血鬼に言おうと横を向くが、その必要はなかった。


「いくよ」


 小さな呟きが聞こえると、俺は抵抗する間もなく彼女の背中に担がれる。躊躇なく飛び出した吸血鬼は、ジェットコースターのような浮遊感を持って広間へと落ちていく。数メートルの落下に思わず声が漏れ、固い地面への着地の衝撃が背中から伝わってくる。ダメージはない。けど少し、気持ち悪い。


「やっほー、助けに来たよ」

「……あんた、誰だ?」


 ぐったりとしていれば聞こえる声。顔を上げれば正面には驚きの声を上げるコニーさんがいた。

 そりゃ当然だ。突然現れた謎の人物がふざけた声色で話しかけてくれば、驚くに決まっている。しかしその泳ぐ目が背中の俺にたどり着けば、彼は表情をさらなる驚きに染めた。


「ノ、ノーラ! お前こんなところで何を――」

「とにかく今は信じてください! この人が助けになるのは本当です!」

「そ、本当だよ」


 会話の最中に突っ込んできた先鋒の犬、その鼻っ柱を蹴り飛ばしながら吸血鬼が付け加える。

 俺はぐるりと回った視界に手を離し、地面へと降り立つ。そして倒れたアーシュさんの元へ駆け寄った。何ができるのかはわからない。けれどそうせざるを得なかった。


「おじさんも休んでて良いよ」

「なっ!」


 吸血鬼に額を押され、コニーさんが俺の横に倒れこむ。並んで寝転ぶ大の男が二人、そしてその前に立つのは両足を肩幅に広げた少女。やっぱり異様な光景だ。しかし俺は、ここから起こることを嫌というほど知っている。だから横を向き、コニーさんへと声を掛ける。


「コニーさん、大丈夫です。彼女に任せておけば――」


 しかし、言葉は犬の吠え声に遮られる。目をやって、疑った。おい、今までの蹂躙はどうした? 余裕しゃくしゃくの圧倒は?

 目に映るのは少女の右足、左足、左腕。そしてその白い肌に食い込む光る牙。黒いコートを汚す赤い血。群がる狂犬に引きずり倒されて、吸血鬼は地面に伏した。

 食いちぎられる皮膚から赤が覗き、引きちぎられる白い髪が辺りに散らばる。今までの嘘みたいな強さが嘘のような、そんな光景だった。


「なんで……」

「おい、まずいぞ」


 素直に口にした驚きの声。コニーさんが顔を歪めて立ち上がる。手にした剣を振るって少女を助けに向かう。だけどそれを、当の少女が許さない。


「おじさん、座っててよ」


 コニーさんは踏み出した足を止めた。恐らく俺と同じ驚愕を抱いて。

 そしてそれと同時、こちらを向いた吸血鬼の眼球に鋭い爪が突き刺さる。赤い瞳が光を失う。しかし食い散らかす影にその視線が遮られても、彼女の声は止まない。


「ねえ、ノーラちゃん。さっきの話。……あたしが死んでもさ、嫌な気持ちになるの?」


 今までにない声色だった。どこか穏やかで、何かを求めるような言葉だった。だからだろうか。急に胸が締め付けられて、乾いた喉に返事が張り付き、驚きが口に蓋をする。

 回る頭はすぐに結論を出していた。残酷な吸血鬼でも、そりゃあもちろん良い気分はしない、と。彼女は俺を助けてくれて、そして今もまだ、きっと助けてくれる。


「ごめん、冗談」


 口を開こうとした瞬間に、吸血鬼がそう言った。聞き馴染みのある明るい声色だった。そしてそこから、少女の圧倒が始まる。

 次々に紡がれる魂の名を経て、軋む体が無理矢理に立ちあがる。数頭が驚きに口を開け、落ちる。吸血鬼は食らいついた残りの犬、その一頭の首根っこを握り潰す。そしてそのまま、そいつの首にかじりついた。

 あと七匹、形成逆転だ。


「……これは驚いた」


 黒いローブの男が立ち上がり、驚きの声を漏らす。しかし手を出してくる様子はない。

 吸血鬼もそれを察知しているのかいないのか、男には目もくれず散らばった犬たちに猛攻を仕掛けていく。一頭に二頭、足蹴りでふらついた身体の血をすすり、残りはあと五頭。砕けた机の脚で二頭を串刺しにして、もう二頭の顎下に膝をたたき込む。吸血鬼は四頭の血をすすり、口の端から垂れた赤を拭った。


「さ、あと一匹だね」


 いつの間にか光を取り戻した視線が、最後の敵を射抜く。もはや犬の足は震えていた。本能的に恐怖を感じているのだろう。そしてそれ故に判断を誤る。


「終わり!」


 一直線の突進に、狙いをすませた蹴りが炸裂した。側頭部につま先が食い込んで、最後の一頭は舌を出して倒れる。

 本当に終わったのだ。あの状況から、二人を救い出すことができたのだ。俺はその勝利をもたらした人物へ真っ先に駆け寄る。


「だ、大丈夫ですか?」


 心配の声をかけながら、彼女の身体を見回す。脚、腕、流れ出た血はそのままなものの、傷は既に跡形もなく無くなっていた。


「大丈夫、大丈夫。ちょっと変な犬だったけどさ」


 言われて辺りを見回す。八頭の犬たちは地面に横たわり、もはや動くことはない。血を流して舌を出し、目を曇らせて絶命している。とても残酷な光景。だけどそれでも、必要だった光景だ。

 凄惨さから目を逸らし、吸血鬼と共にコニーさん達のほうへ向き直る。しかし身体を回したその瞬間、強烈な視線がこちらへ向けられていることに気づいた。


「……一つ確認したい。お前は何をしにここに来た?」


 アーシュさんが身体を持ち上げ、吸血鬼へと問う。血反吐の混じったような掠れた声が、痛々しさを惜しげもなく突きつけてくる。

 彼は吸血鬼を狙う人間。だから辺りを支配し始めた不穏な空気は当然のものだ。しかしそれでも、吸血鬼は笑う。


「んー、終わったんだから良いじゃん。何でそんなこと聞くの?」

「それを確かめなきゃ、礼も言えないんでな」


 緊張感を保ったまま、だけどアーシュさんはそう言った。横に立つ吸血鬼をちらりと見る。彼女はどこか満足そうに頷き、言ってやれと言わんばかりに俺の背中を叩いた。


「私が二人を助けてくれとお願いしたんです。だから、この人は味方です」

「……そうか。ありがとう、二人とも」


 ふざけた声色が鳴りを潜めた、素直な言葉だった。


「ま、あたしは頭を潰された恨み忘れてないけどねー」


 吸血鬼は頬を膨らませた。当然、あんな攻撃を受ければ恨むのも当たり前だ。でもまあ、彼女はそれを晴らそうという気もないのだろう。

 とりあえず息を吐く。そしてちらりと謎の男のほうを見た。ピンチは脱した。だけどまだ、よくわからないこいつが残っている。


「話は終わったのか?」


 こちらの視線に気づいたのだろう。男が岩壁から背を離し、組んでいた腕を解いた。

 事は平穏に終わり、相手は善人。状況を省みれば、それは希望的観測にしか思えなかった。

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