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空白の魔法  作者: 片岡 武路
一章
24/31

第二十三話 再捕縛へ発つ

 扉に手を付いて、無理矢理に体を起こした。

 鐘を打つように痛む頭の中には呆れと情けなさ、そして怒りが渦を巻く。


「だ、だから、知らないって言ってるじゃないですか」


 念を押したところで、男はこちらに足を踏み出してくる。表情は変わらないし、返事を寄越してくれるような気配もない。もはや俺の言葉は右から左へ、聞く耳なんて持っちゃいないらしい。

 そういう態度が癪に障る。俺にはこんな痛みを味あわされる筋合いは無い。そう、いわば完全な被害者なんだ。何かを求めて行動しているわけじゃなく、元に戻るために動いているのに、なんでこんな目に遭わなくちゃならない?

 そんな風に愚痴は次々と溢れ出す。ミレアスさんの魔法によって元の世界を垣間見たせいだろうか。だけどまあ、悲しいことに今はこの状況が現実なのだ。

 ゆっくりと息を吐き出して、頭を落ち着かせる。痛みが引くことはないが、集中しろ。


「僕の友達を! どこに! やった!」


 一瞬だけ目を閉じた。魔法は……使えそうにない。だから後退る。走って逃げるか? しかし大人と子供だ、結果は目に見えている。

 前方にはナイフを持ったままこちらへと駆け出してくる男。窮地を逃れるにも、リネーアさんを巻き込まぬためにも、逃げなきゃならないだろう。もしくはヒーローの如き助けが現れるのを待つか、だ。

 ちらりと視線を扉に向ける。そう、情けないが期待をしてしまう。イルネアの時のようにコニーさんが現れて、このピンチを打開してくれることを。だけどそんなに都合良くはいかないものだろう。だから踵を返そうと心を決める。しかしそうしたら、扉はゆっくりと開いた。


「ノーラ、ちゃん?」


 恐れていたことが起きた。そう現れたのはコニーさんではなく、リネーアさんだった。きっと寝起きなのだろう。白いワンピースのパジャマを身に纏い、扉の隙間から顔を覗かせてこちらを見ている。

 まずい。これはまずい。頭と共に心臓が早鐘を打ち始める。

 上がる息と歪む表情、そんな俺の異変を察知して、彼女は扉を完全に開いて外に出てくる。まずい。まずい。来るな、こっちに来るな。口を開いて警告をしようとする。けれど多分、もう遅い。


「リネーアさん! 後ろ!」


 道の向こうから男が迫り来る。鬼気迫る表情、きっと彼女にも手を上げるだろう。腰元で構えられたナイフが、真っ直ぐに向かう。刺さる。

 俺は思わず目を閉じた。

 だけど叫び声も、ましてや刺突の音も、通りには響かなかった。


「あなた、どちら様ですか?」


 代わりに聞こえるリネーアさんの声。恐る恐る目を開けば、そこには驚きの光景があった。


「な、なんだあんたは! 僕の邪魔をするな!」


 仰向けに地面に転がる男と、その手にあるナイフを踏みつけるリネーアさん、そんな光景。どこをどうみても場を制しているのは彼女のほうだった。

 何だ、何が起きた? 状況を理解するために視線を巡らせる。そうすれば横たわる男の下、石畳の地面がきらりと光っていることに気付く。氷、俺の目にはそう見えた。


「くそっ、くらえ!」


 事の顛末を理解しかけた瞬間、男が唾を飛ばして叫ぶ。そうだ、こいつにはまだ妖精という攻撃手段がある。ピンチは終わっていない。

 再び警告をしようとする。だけどリネーアさんは全く動じることもなく、落ち着き払って男を見下ろしていた。


「あなた、妖精使いですか? でももう、糸は切りました」


 リネーアさんの言葉と共に、頭の痛みがすーっと消えていく。……終わった、解決だ。

 安堵感に胸を撫で下ろしてへたり込む。そうしたら、久し振りにあの感覚が襲ってきた。妖精は消えたのに、何でだ? もしかしたら後を引く疲労のせいかもしれない。

 しかしまあ、何とも情けないものだ。俺は一体何度助けられれば気が済むんだろう。糞みたいな役立たずじゃないか。自嘲の笑みに口角を上げる。ふらりと倒れこんで、俺の意識は途切れた。






 次に暗闇を抜けた時、真っ先に感じたのは全身を包み込むほかほかと暖かい感覚だった。心地良く漂う空気に思わず鼻をすする。瞬きを繰り返せば、ぼやけた視界がはっきりとしてくる。

 そうして見えたのは、天井だった。何の変哲もない木の天井だ。


「気分はどうだ?」


 聞こえた声に横を向く。それはどこか懐かしくも感じるコニーさんの声だった。どうしてという疑問が浮かぶけれど、それよりも先に妙な安心感を覚えているのに気が付く。

 視線の端には、枕もとを流れる栗色の髪。俺はベッドに横になっている。ここはリネーアさんの家だ。


「……悪くはないです」

「そうか、なら良かった」


 包まれる毛布の下で足を擦り合わせながら、ゆっくりと口を開く。

 束の間の休息。そんな惚けた考えを浮かべてしまうけれど、聞きたいことは山ほどあるし、第一に吸血鬼の出した条件とアーシュさんの定めた制限時間のこと、そしてリネーアさんが気にかかる。

 ……まあ、吸血鬼のほうはもはや無理だろうな。目覚める前ですら夜明けが近かったのだし、更に呑気に眠りこけていたともなれば、今の時刻なんて察しがつく。しかし、そんな苦笑いをこぼしながら起き上がれば、ベッドの傍ら、椅子に座るコニーさんの向こうに予想外の人物がいるのに気付いた。


「起きるのが遅すぎるぜ。こっちが寝ちまうかと思ったよ」

「無事で良かった。ノーラちゃん」


 部屋の入り口から顔を出したのは、アーシュさんと、ファンヌさんだ。

 どうしてだ? もはや二人は目的を果たしていて、俺に用などないはずなのに。疑問を浮かべながら、窓の陽に照らされた両手に視線を落とす。だがそんな思考の時間を奪うように、アーシュさんがベッドの側まで来て身を乗り出した。


「んじゃ早速答えてもらうぞ。いいか、嘘はつかずに正直に――」

「待て、そっちの話は長引く。後でもいいだろ」


 前のめりの問いかけをコニーさんが制す。そうしたら渋々といった感じでアーシュさんは引き下がり、壁に背を預けて腕を組んだ。ファンヌさんは少し眉を下げたまま、その隣でこちらを見守っている。

 この二人が俺に聞きたいこととは何だろう。思考はそちらに向かおうとするが、今はそれよりもコニーさんの言葉を待つほうがいい。


「まず、お前が妖精使いに襲われたというのはリネーアから聞いた。つまり、あいつは無事だ。今は仕事に出てるがな」

「……そうですか、良かったです」


 ほっと胸を撫で下ろす。彼女は俺が気を失う直前ですら敵を圧倒していたのだから、当然といえば当然。それでも実際に言葉で聞くと安心できるというものだ。

 だけど、まあ。あんなことがあった後でも日常を崩さないとは、リネーアさんも中々にすごい人だ。どうやら魔法使いでもあるようだし。


「それと、お前の頭の妖精はもういない。男は捕らえてある。話も色々と聞き出すことができた」


 コニーさんが続ける。

 今度の言葉もまた、俺にとっては喜ばしいことだった。危険が未だ近くにあるという怖さはあるが、手掛かりとなりそうな情報を得られるのは大きい。それにいざということがあったとしても、この三人ならばどうにかしてくれそうな気がする。他人任せの嫌な考え方ではあるが。


「どんなことがわかったんですか?」

「まずはお前を襲った理由、それにどうやってお前のところに辿り着いたか」


 どちらもやはり重要な情報。是非聞きたいと促せば、そのままコニーさんが言葉を続ける。


「簡単に言うと、あの男は金のためにお前を襲った」


 何ともまあ悪党らしい理由だ。少しの肩透かし感を覚えながらも、よくよくと考えてみると浮かぶ疑問。というか当然思うこと。

 それは俺を襲うことによって、どこから金が転がり込んでくるのかということ。


「お前を連れて来れば金を払うという奴がいるらしい」


 答えはすぐにやってきた。しかし、それもまた疑問を誘発する内容だった。俺はどこかの金持ちの子供でもないのに、何故そんなことを言う奴がいるのか。

 もちろん、心当たりが全く無いというわけではない。少し振り返ってみれば、空白の魔法や最初の村の出来事など、何かそういった危険に足を踏み入れそうな要素が散見できる。けれどそれにしたってどういうことかはわからない。


「……どこの誰ですか?」


 怠さの残る身体を正し、毛布の上で拳を握る。

 コニーさんは少しだけ眉をひそめた。


「それは、わからない。どうやらあの妖精使いの男も直接に会ったことはないみたいだ」


 典型的な悪の親玉という奴か? 自分は表に姿を現さず、下っ端に指示を出して目的を遂行するという。

 顎に手を当てて、考え込む。いわば自らに懸賞金がかけられているような状況なわけだから、そりゃあ気が気でなくなるというものだ。しかし現時点では敵の正体を暴く方法がわからない。

 目を閉じていれば、コニーさんが更に続ける。


「だが、奴は組んでいたらしい。この二人が捕まえた吸血鬼、あとはあのでかい鳥人間と」


 コニーさんは自らの後ろ、壁際をちらりと見る。

 隠れ家で起きた諸々の出来事は、既に知っているようだ。二人から聞いたのだろうから、まあ不思議はない。問題なのは今の言葉の内容だ。

 吸血鬼と鳥人間はおろか、あの妖精使いまでもが手を組んでいたというのは、頭が痛くなるような宣告だ。そしてその向こうにちらつくのはもちろんあの道化師で、そうしたら今度はイルネアにまで繋がって……。

 最初の村から全てが続いているということなのか?

 絡まり始めた脳をほぐすように、眉間を揉む。吸血鬼が地下室で口にしかけた言葉、あれが親玉を指すものだとすれば、奴は男とは違って情報を持っているということだ。

 吸血鬼もその誰かから得られる金が目当てなのだろうか。考えなしに問うが、コニーさんから返ってくるのは「わからない」という言葉だけ。まあ、そりゃあそうか。ならばもう一つのわかったこととやらに話を移そう。妖精使いの男が俺へと辿り着いた理由、今度はそれを聞く。

 すると痺れを切らしたように膝を叩いたアーシュさんが、コニーさんの代わりに口を開いた。


「吸血鬼が襲撃してきた時、奴の妖精も着いてきていたんだとさ。そん時に嬢ちゃんの頭の中に入り込んでたんだ」


 とんと自らのこめかみを叩き、ベッドの傍らに再び歩み寄る。

 俺はそんなアーシュさんを横目に自らの耳元に手をやった。吸血鬼襲撃時、ここに違和感はなかった。虫が這い上がるような不快感も、爆発のような轟音もなかった。路地裏で対峙した時にもそうだったが、気付かれることもなく潜入してくる場合があるのか?

 恐ろしさに身を震わせる。だがまあ、何にしろあの男はその妖精を辿って俺のところにやって来たということなのだろう。タイミングに少しの引っ掛かりはあるが、魔法の不調もそのせいなのかもしれない。


「気が付かなくてごめんなさい、ノーラちゃん」


 遅れて歩み寄ってきたファンヌさんが頭を下げる。

 いや、まあ、何とかしてくれれば良かったのにと思った事は否定しないが、謝られるようなことではないだろう。


「いやいや、ファンヌさん達はちゃんと吸血鬼を捕まえてくれたわけですし、だからその――」

「ま、逃げられたんだがな」

「……は?」


 割り込んできた言葉によって固まる頭と、それによって凍る辺りの空気。

 今、アーシュさんは何と言った? いや、聞き返すまでもなくはっきりと聞こえた。


「あ、えっと、逃げたんです、か?」

「ああ。で、聞きたい。嬢ちゃん、あんたが逃したのか?」


 混乱する頭から言葉が溢れる。わかったことは一つだけだった。俺を狙う輩が一人解き放たれてしまったということだ。しかし、逃亡の策をこちらに託すほどだった彼女が、一体全体どうやって逃げ出したというのか。

 もちろん、俺が逃しただなんて事は絶対にありえない。

 訝しげなアーシュさんの視線をかいくぐって頭を捻る。だが、そんな思考時間を否定と受け取った彼もまた、腕を組んで唸り声を上げた。


「ま、嬢ちゃんには無理か。前にも言った通り、あいつに掛けたのは簡単に解ける魔法じゃない」


 頭を掻きながら、苛々とした態度を隠さないアーシュさん。羊皮紙に血で記した魔法、あれにそこまでの自信があったのならば、この反応も頷ける。

 そしてそう納得したら、ふと思った。あの魔法は一体全体どういうものなのかと。思えば詳しく聞いていなかった。もしかしたら何かの手掛かりになるかもしれない。


「その魔法って具体的にはどういうものなんですか?」

「あ? ああ、それならファンヌに聞いたほうが良い。あの魔法を使ったのは当然、俺じゃないからな」

「当然?」


 妙に引っ掛かりを覚える言葉だった。むしろあの状況を見て、俺はアーシュさんが魔法を使ったのだと思ったのだけれど。

 ちらりと横を見れば、コニーさんもまたアーシュさんへと視線を向けていた。


「ん、そういえば言ってなかったか? 空白の魔法を使える奴は、他の魔法は使えない。な?」

「……いや、俺に言われても知らん」


 アーシュさんはコニーさんの肩に手を置き、結構な驚きの事実を告げた。つまり少し前に俺がしていた魔法の練習とやらは、全くの無意味だったということになる。そしてそれは、自衛手段の習得の不可を意味するのだ。

 僅かに視線を落とし、ベッドに座る身体を見下ろす。麻のシャツ越しに見えるのは薄い胸で、そこから伸びる腕は細く、先に付いた手も白く頼りない。こんな身体だからこそ、更なる魔法を武器にできれば良かったのだけれど。

 だがまあ、嘆いても仕方ない。こぼれそうになるため息を飲み込んで、更なる情報を引き出すことに注力しようじゃないか。


「じゃあ、ファンヌさん。あの魔法について教えてもらえますか?」


 ファンヌさんは頷いて、一歩こちらに踏み出した。


「あれは、文字を記すのに使った血が流れる身体、その動きを封じる魔法。羊皮紙の文はアプシス様がお使いになる言葉で書かれていて、そこに魔法の詳しい内容が記されているの。私には読めないけれどね」


 聞きながら説明を咀嚼する。普通の文字も理解できない俺には判別がつかなかったが、あれはこの世界の人間からしても特異な言語であるらしい。

 しかしファンヌさんでも読むことができないとなると……。ちらりとアーシュさんを見る。


「言っとくが、俺も読めないぞ。魔法の効力はあれを売ってくれた奴から聞いたし、血で書いた部分だけは普通に俺たちが使ってる文字だ」

「……なるほど」

「じゃ、ファンヌ続きよろしく」


 手短な説明を受け取って、もう一度ファンヌさんを見る。


「ノーラちゃんも魔法を使う時は頭の中で色々と想像するでしょう? それはつまり、女神様に使いたい魔法の詳細を伝えているってこと。あの紙の文章には、その連絡を手助けしてくれる言葉が書かれているの」


 より正確に起こしたい事象を伝える。そのために女神の言葉が使われているということか。

 なるほどと心の中で納得をしていれば、今度はアーシュさんが口を開く。


「さ、お嬢さんの好奇心が満たされたところで、今度はこっちに教えてくれ。地下室で吸血鬼と話したこと、後はどこに行っていたのか」


 魔法の話はここでお終い。演技がかった口調とは裏腹、細めた視線の奥から鋭い眼光が覗く。

 だから俺は正直に、吸血鬼から出された交換条件とシストリア王城での出来事をかいつまんで話す。ミレアスさんの魔法の正体については一応伏せて、ただ単に場所を聞いたことにしておいた。まあ、アーシュさんは既にあの老人が空白の魔法使いではないかと考えているが、その正体を俺が勝手に教える必要もない。後は吸血鬼に関する情報、彼女が人を殺せないということも伝えておく。

 話し終えると、アーシュさんは小さく笑った。案の定突っ込んで聞いてくる様子もない。彼らにとって重要なのはやはり、吸血鬼の居場所だけのようだ。


「あの城に忍び込んできたとは、現実味がなさすぎて逆に本当に思えるな」

「しかしアーシュ様、ノーラちゃんには魔法があります。恐らく真実かと」


 軽口を言いながら再び疑いだした風のアーシュさんに、ファンヌさんが擁護の助け舟を出してくれる。だがそれを受けても、アーシュさんは腕を組んだまま悩んでいる。

 何だ? 少しばかり身構えるが、飛んできたのは言葉だった。


「そうだ。お前の魔法についても、詳しくは聞いていなかったな。瞬間移動の魔法だろう? 拘束魔法は解けないとしても、吸血鬼を一緒に移動させられても不思議じゃないよな?」


 片方の眉を持ち上げて、こちらに詰め寄ってくる。

 ぶり返した疑問。しかし当然、答えは否。道化師とウインダルに相対した時、それができないことは実証済みだ。


「それはできません」


 きっぱりとそう言った。ミレアスさんは空白の魔法について隠せと言っていたが、もう知られているこの状況では関係がない。それにそもそも、相手もまた空白の魔法を使えるのだ。

 アーシュさんは黙りこくる。しかしやがて、にやりと笑った。


「わかった。言うことを信じようじゃないか。しかしなあ、あの吸血鬼が逃げちまったってことは嬢ちゃんはまた危険になったっていうことだ。可哀想になあ」


 わざとらしい演技がかった口調で、アーシュさんはご高説を垂れ始める。それは先が見え見えの内容。


「ミレアスの爺さんから教わった別の吸血鬼の場所、そこに案内してくれりゃあ、もう一度俺たちが護衛をしてやるんだがなあ」


 交渉になっているのかいないのか、よく分からない提案だ。


「そんな言い方をしなくても、こちらからお願いしたいくらいですよ」


 そこでそう言い返した。吸血鬼はきっと情報を持っているし、俺の魔法を考えればそこらの兵士達に頼ることもできない。それにもし国に助けを求めようとすれば、アーシュさんは全力で止めにくるだろう。この人は自らの手に吸血鬼を収めたいのだ。

 数秒の沈黙を経てから、アーシュさんは手を差し出した。


「……そりゃあ、ありがたい。というか、そうこなくっちゃ困る。この件は街で嬢ちゃん達を探した時とは違うからな」


 二度捕獲に失敗している吸血鬼をこの人達が捕まえられるか。更に言えば別の吸血鬼はともかく、あの吸血鬼が再び俺の元に現れてくれるのか。幾つか不安要素はあるが、この協力には意味がある。

 胸を撫で下ろして一息をつく。そうしたところで、彼の言葉に気になる部分を見つけた。そういえばこの二人、広い王都でどうやって俺とコニーさんを見つけたのだろうか。

 手を取って握手を返しながら問えば、アーシュさんは懐から一枚の紙を取り出す。


「俺はこの街で顔が広い。表じゃなく、そこらの路上で寝てるような奴らにな。そんでもってファンヌは――」


 眼前で開く羊皮紙には、俺とコニーさんの似顔絵が描かれていた。


「絵が上手い。納得したか?」


 黒いインク一つで描かれたそれは恐ろしくリアルだった。この人はこれで食べていけるんじゃないかと思う程に。


「す、すごいですね、これ」


 羊皮紙を手に取ってまじまじと眺めた後、尊敬の念を込めてファンヌさんを見る。そうしたら彼女は少し照れたように笑った。


「ありがとう。……えっと、それじゃあ私も」


 差し出される手。素直に握手を返した。これでまた、協力関係の成立だ。

 二人の状態を見ればやっぱり、そうそう明るい考えは浮かばない。だけど彼らが二度も吸血鬼を捕らえかけたことは事実。そして吸血鬼捕縛に対する執念も目の当たりにしている。


「よし、ならあれを使うぞファンヌ。あの吸血鬼はきっとまた嬢ちゃんを狙ってくるし、後ろには別の奴もつっかえてる」


 それに、どうやら策はあるらしい。だから。


「同時進行で吸血鬼狩――」

「待った。今度は俺も行く」


 沈黙を決め込んでいたコニーさんが立ち上がり、唐突に口を開く。アーシュさんはそれを見て露骨に嫌そうな顔をすると、曲がった口で悪態をついた。


「あんたも乗り込むってか?」

「ああ」

「いやいや、止めとけ。足手まといになるだけだ」

「吸血鬼を捕まえる邪魔はしないさ。助けを借りる気もない。ただ俺も用は済んだし、多少気になることができた。同行させてもらう」


 用が済んだというのは、本の件に決着がついたということだろう。それは良かった。だけど、気になること? 言葉を受けて頭を回せば、一つ思い当たる。恐らくは鳥人間、ウインダルのことだろう。あいつは元はと言えば道化師と組んでいて、その道化師は最初の村の村長と繋がりがあった。そして今回の吸血鬼とも関連がありそうだとなれば、気にもなるというものだ。

 そう一人納得しかけるが、いや待てと考え直す。今から向かうのはウインダルと組んでいたあの吸血鬼のところではなく、また別の吸血鬼のところじゃないか。となればさっきの推論は成り立たないか? いやでも吸血鬼なんてもんはそう多くはない、もう一人の吸血鬼から色々と情報を探ろうという考えなのか?

 聞いてみようとも思うが、彼自身が直接的に明言しない以上、俺も下手に口にしないほうがいいのかもしれない。ならば後で、タイミングを見て聞くとしよう。


「……はあ。ま、考えてみりゃ俺に止める権利は無いか」


 部屋に響くため息と、力の抜けたアーシュさんの声。彼は間を置かずに踵を返し、ファンヌさんの肩に手を置く。


「じゃあ、お前は隠れ家に待機だ」


 変わらぬ軽い調子で掛けられる言葉。その内容には俺も賛同だった。昨夜は怪我を押して戦ってはいたが、もう一度吸血鬼と戦うのは流石に無理があるだろう。

 しかしどうやら、アーシュさんの真意は俺とは違うらしい。


「嬢ちゃんは道案内だからな。俺達が目的の場所に着いたら魔法で街に帰ってきてもらう。その後は頼んだぞ、ファンヌ。そっちの吸血鬼は人を殺せないみたいだが、警戒は怠るなよ」

「……わかりました。お気を付けて」


 要は昨夜の吸血鬼、または妖精使いのような別の襲撃者への対策だろう。確かにもう一人の吸血鬼の住処で俺を連れ歩くよりは良い考えなのかもしれない。けれどつまりは、ファンヌさんにまだ戦えということだ。


「あの――」

「何だ?」


 俺なら一人でも逃げられる。だからファンヌさんに休養を。そう言おうとした。だけど昨夜の体たらく、そして目の前の二人の目的を考えれば、酷く馬鹿みたいな言葉だ。


「いや、えっと、何でもないです」

「んじゃ、行くぞ」


 言葉を飲み込んで、俺はベッドを抜け出す。

 役目は案内役、それだけかもしれないが、今から向かうのは、新たな吸血鬼がいるであろう場所なのだ。行こう。縮こまる気持ちを震わせて、俺は靴を履いた。

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