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空白の魔法  作者: 片岡 武路
一章
18/31

第十七話 狩人たち 二

 俺が出会った女性と、この二人が戦った吸血鬼、両者が同一人物なのかは定かではない。だが仮に同じ人物で、魂の移動などという仮説も事実ならば、それは俺にとって元に戻る手掛かりに他ならない。

 熱くなった頭を抑え、少し目を閉じる。しかしその間も、会話は続いていく。


「……一つの発言からそこまで考えるとは、想像力のたくましい奴だな」


 コニーさんは苦笑いでそんな言葉を漏らした。この世界のことには疎いのでわからないが、やはりアーシュさんの考えは突飛なものらしい。魂の移動。魔法に詳しくない俺に取ってみればありそうにも思えるけれど、言葉一つでそんな説を立てるのには多少の違和感もある。

 アーシュさん自身もそれはわかっているらしく、机に片肘をついて口を開いた。


「なにも吸血鬼の言葉だけでそう考えたわけじゃない。心当たりがあるんだよ、魂を移す魔法に。もしかしたらだが、お嬢ちゃんも知ってるんじゃないか?」


 そして言葉の最後、彼は俺に向かってそう言った。予想外の流れに姿勢を正し、机の向こうのアーシュさんを見る。知ってるんじゃないかと言われても、知るわけがない。


「えっと……ちょっとわからない、ですかね」


 沈黙が苦しくてそう言えば、アーシュさんは更に何か言葉を紡ごうとする。だがそれをコニーさんが遮った。


「お前が何を根拠に言っているのかはわからんが、こいつには記憶が無い。魔法どころか女神のことだって俺が教えるまで知らなかったんだ」

「……ふーん、記憶喪失ってわけねぇ」


 コニーさんのテンポの良い説明に、アーシュさんは首を捻る。一方の俺はというと、事実となっている嘘を久しぶりに突きつけられ、気を取られる。


「つまりはこいつに心当たりなんか……」


 続くコニーさんの言葉に意識を向け直せば、今度はそれをアーシュさんが遮った。


「じゃあお嬢ちゃん。あんたが使う魔法の正体についても、もう教えてもらったのか?」


 無精髭に囲まれた彼の口元には僅かな笑みが浮かぶ。その表情がどういった類のものか、俺にはわからなかった。そしてその言葉の意味も。

 魔法の正体? 真に理解はしていないものの、魔法というものの全体像はコニーさんに教えてもらった。俺の使う魔法はそれとは違うのか? 様々な考えが頭のなかに湧き上がるが、すぐにそれよりも大きな疑問に気付く。なぜアーシュさんは俺が魔法を使えることを知っている?

 問いかけをそのまま口にしようとして、飲み込む。コニーさんは魔法を使えることをあまり公にするなと言っていた。あの村長達のように魔法を嫌う人もいる、と。ならば迂闊に口には……。いや、待て。俺は久しぶりにコニーさんの言葉を噛み締めて、違和感を持った。だから視線をファンヌさんに向けて、彼女が使った火の魔法を思い出す。この人は魔法を使っていた。それも出会ってすぐの俺達の前で、何の気なしに。


「ああ、そうか。その沈黙の理由はわかるぞ。なんで知ってるのか、そう聞きたいんだろう?」


 見かねたアーシュさんが笑いながら言う。そして椅子から腰を浮かせてこちらに身を乗り出し、右手の人差指を立てた。何が始まる? 眼前の指を見つめて身構えれば、視界の端でファンヌさんが慌てたように表情を変える。


「アーシュ様、それは――」

「大丈夫だ。心配するな」


 相棒の言葉を遮って、アーシュさんはゆっくりと目を閉じる。深呼吸を一度して、彼は指を鳴らした。乾いた音が夕暮れの部屋に響く。間を置かずに、俺とコニーさん、二人の驚きの声が溢れる。視界は可笑しなほどにクリアだった。見つめる正面、部屋の端まで見渡せる。さっきまで確かに存在していたアーシュさんは、跡形もなく消え去っていた。

 なぜだ? どうした? 一瞬、頭の中がそれだけになる。だがすぐに息を吸って思い出した。ここはこういう世界なのだと。


「どうだ?」


 何もない空間から声が聞こえた。それは確かにアーシュさんのもので、発信源も目の前だ。姿は見えないが、彼は確かにここにいる。


「これが俺の魔法だ。そして俺はこいつを使って、少し前からこの家にいた。だから嬢ちゃんが突然に現れた瞬間も、この目でばっちりと見ていたってわけだ」


 衝撃の告白と共にアーシュさんが舞い戻った。それじゃああれか? 俺が意味もなく寝転がっていた時も、魔法で家を飛び出したあの時も、この人は近くに居たということか? いや、言葉から察するにこの人がここに隠れていたのはそれよりも後、本当に少し前からか? 何はともあれ、寒気のする事実だ。何か恥ずかしいことでもしていなかったかと一応思い返すが、まあ目を覆いたくなるほどのことはなかった、はず。

 少しばかりの軽蔑を込めて、消える前と同じ体勢、そのままのアーシュさんに目を向ける。彼は俺のリアクションなど何のその、不敵に笑いながら顎鬚を撫で、勢い良く椅子に腰を下ろした。目線はコニーさんに向いている。


「……趣味が良いとは言えないな」

「まあまあ、目的は吸血鬼だったんだ他意は無い。それに正直に告白してるだろ? 多少は大目に見てくれよ」


 まだ詫びるべき人がいるのではないかと非難の視線を送るが、覗きの犯人にそんな気は微塵もないらしい。まあ、それならそれでしょうがない。聞こえないように小さくため息を吐いてから、話を前に進めようと口を開く。


「まあその、是非はともかくとして私の魔法をご存知の理由はわかりました。えっとそれじゃあ、さっき仰っていた正体というのは……」


 気になっていた言葉を掘り返せば、横に座るコニーさんが身を捩った。椅子に座りなおして、机の上で手を組み合わせている。俺もそれに習い、心の姿勢を整えて答えを待った。しかしアーシュさんが最初に寄越してきたのは言葉ではなく、再びの魔法だった。


「いいか? 透明になる俺の魔法、そして瞬間的に移動するあんたの魔法。こいつらは、そんじょそこらの魔法じゃない。使えるのはそれぞれ一人づつ、俺と、嬢ちゃんだけだ」


 消えた身体から声だけが届く。その色はどこか明るくて、弾んでいるようにも思える。理由はなんだろう。頭が一瞬だけ囚われる。だがそれも、アーシュさんが鳴らす指の音で霧散した。気付けばはだけた胸元と趣味の悪いネックレスが目に入る。魔法は解けていた。だが今度は入れ替わるように、ファンヌさんが差し出した手の平に橙色の炎が踊る。


「それじゃあ、この炎の魔法も特別か? いや、違う」


 やはりこの状況を楽しんでいるような、妙に芝居がかった口調だ。アーシュさんは口を閉じて一呼吸おき、こちらを向く。炎は霧散して消えた。


「こっちは他にも使える魔術師がいる。沢山な。つまりは誰もに使える可能性がある魔法と、絶対に特定の一人しか使うことができない魔法があるってことだ。そして後者が俺や嬢ちゃんの魔法の正体、こいつらを――」


 真剣に耳を傾けていれば、不意に言葉が止まる。なんとも歯切れが悪い。続く言葉があるはずだ。しかしアーシュさんは目を閉じて腕を組み、眉間にしわを寄せて唸るだけ。だからだろうか、代わりにファンヌさんがため息混じりに口を開いた。


「空白の魔法と呼びます」


 凛とした声で紡がれた言葉は、聞き覚えのない単語。だがそれがいつの間にか身についていた能力を形容する言葉なのだとしたら、しっかりと記憶しておかねばならない。そしてできれば、更なる詳細を聞いておかなくては。


「……空白、というのはどういうことですか?」


 どうにも掴めない単語の意味を聞けば、ファンヌさんは申し訳無さそうに少しだけ目を伏せる。


「ごめんなさい。私も人から聞いたことだから詳しいことは分からないの。でも今まで誰も使えなかった魔法を、一人しか使えない魔法をその人はそう呼んでいた」

「ま、俺達にわかるのはそれだけだ」


 空白、その意味はわからない、か。俺は少しだけ気を落としつつも、横を向いた。今まで話しが出ていないのだから望み薄ではあるが、この人にも聞いて見る価値はある。


「コニーさんは、何か知っていますか」

「いや、初耳だ。俺が使えるのは大して珍しくもないこいつだけだからな」


 コニーさんがゆっくりと手を伸ばせば、机の向こうで二人の髪が揺れる。やっぱりこの人も何も知らないようだ。


「……んじゃあ、脱線した話を元に戻すぞ」


 乱れた髪を鬱陶しげにかき上げて、アーシュさんが話を前に進める。


「俺は……あーえっと、魂を移動させる空白の魔法、そいつの噂を聞いたことがある。つまりさっき話したのは吸血鬼の言葉一つで作り上げた仮説ってわけじゃない」

「なるほどな。突飛なことに変わりはないが、まあそれはいい。だが、結局のところあんたらはこれからどうしたいんだ? いや、どうするつもりなんだ? 俺にとってはそいつが本題なんだが」

「ん? ああ、そうだな。なら率直に行こうか。俺たちはもう一度吸血鬼を捕まえるために嬢ちゃんを囮に使いたい。以上だ」


 さらりと述べられた今後の予定を聞いて、俺はゆっくりと腕を組む。アーシュさんの言葉は響きとしては物騒で、あまり協力したくないような内容だ。けれど、それに引っ張られてはいけない。結局のところ俺は狙われていて、そしてその相手からは元に戻るための手がかりを得られるかもしれないのだ。ならば推定だとしても、現時点で断る理由はない。だけど、聞いておきたいことはある。


「……お二人の目的は吸血鬼を生きて捕らえること、それで良いんですよね?」


 三人が続ける沈黙に分け入り、口を開く。まずはこの人達の目的をもう一度確認する。吸血鬼を即座に殺されてしまえば話を聞くことはできないが、捕らえるのであれば無理矢理にでもタイミングは作れるはず。そう思ってのこと。


「ああ」


 アーシュさんは頷いた。それならばいい。後は。


「分かりました。それじゃあ、あの、失礼な言い方になりますけど、その……そんな怪我でお二人は吸血鬼を捕まえられるんですか?」


 これは聞きにくい質問だけれど、聞いておかなくてはならないことだ。吸血鬼が俺を狙う理由は分からないとはいえ、もしもの時のために戦力の増強は嬉しい。が、そもそも歯が立たないとなっては意味が無い。何しろこの二人は一度吸血鬼にしてやられているのだ。

 視線をやればその意図を汲み取ったらしく、アーシュさんが僅かに身を乗り出す。そして口角を釣り上げると、目を細めた。


「んー、なかなか厳しいことを言うな。だが安心しな、嬢ちゃん。……俺は同じ奴に二度負けたことはないんだ」


 にやりと笑って得意げなその言葉。どこまで本気かわからないその態度では、とても安心できるものではない。彼の横にいるファンヌさんも、一つため息を吐いて目を伏せる。だが恐らく呆れ混じりであろうそれが霧散した頃、彼女もまた視線をこちらに向けた。


「あの吸血鬼を捕まえることは、私達の一番の目的なの。ノーラちゃんには絶対に危害を加えさせない。約束する」


 相棒とは打って変わった真剣な眼差しと声色は、多少の説得力を持っている。が、安心はできない。でも、俺の心は変わらなかった。乗るしか無い。手がかりが待っているかもしれないのだから。


「……わかりました。それなら私は大丈夫です。あの人が吸血鬼で、もう一度現れてくれるといいんですけど」


 髪飾りを触りながら答える。アーシュさんは相変わらずの薄ら笑い、ファンヌさんは安堵したように胸に手を当てている。まあこの二人の目的も叶うわけだし、その点では良かったのかもしれない。そんなことを考えながら、俺は横を向いた。この人の意見も聞かなくてはならない、と。だが声をかけようと口を開きかければ、先にコニーさんが声を漏らした。


「なら、しばらくノーラを頼む。悪いが、俺にもやらなきゃならないことがあるんだ」


 あまり覇気のない声色で、まっすぐに机の向こうの二人を見つめている。

 淀みなく紡がれた言葉の内容に、俺は違和感と驚きを感じた。急に視界が広くなって、鮮やかなオレンジの陽に包まれた部屋が見えてくる。静かな部屋、影が濃くなる長椅子に本棚。そんな切ない景色のせいなのか、心がどよめく。

 コニーさんがそんなことを言うとは予想していなかった。それが素直な感想だった。図々しさを露わにして言えば、ここで見捨てるかと、そう思った。端的に言えば、彼らしくないと思った。もちろん俺にそんなことを言う権利が無いのはわかっているが。


「……ふーん、なるほどね。まあ、俺達は構わないけどな」


 少しの沈黙の後に、アーシュさんが言う。

 コニーさんの言うやらなければならないこととは、恐らく未だ見つからない亡き奥さんの本を探すことだろう。ならば俺を預けるということにも頷ける、のか? しかし、そういう風に考えてみると、俺の心には何とも言えない感情が蠢き始めるらしい。

 コニーさんが約束してくれたのは記憶を戻す手伝いで、今のこの事態とは無関係。というかそもそも、記憶を戻すなんてことは俺には必要が無いわけで、つまりは彼との間に約束なんて何にも……。こんがらがった頭に広がるのは、面倒臭い女々しいもやもや。続く会話を耳にしながら、自らの情けない手を見た。


「しっかし、あんた。俺達をまるっきり信用しちゃいないくせに、よく大事な娘を預けようと思うな」

「この子は娘じゃない。それにあんたらを信用してないって? そんなことはないさ。きっと俺といるよりも安全、そう考えてる」


 妙に饒舌な言葉だ。怪我を負った二人組と、自分。二つを天秤に掛けた末の、少し寂しいコニーさんの答え。


「……そうかい。まあ、俺達には関係ない。そんならそれでもいいさ。んじゃ、行くとするか」


 机の向こうの二人が立ち上がる。

 突然に訪れたコニーさんとの別行動。そしてその先で俺は、怪我を負った二人と吸血鬼に立ち向かうのだ。言葉にしてみれば可笑しくて、心の中で苦笑いをこぼす。だが、ふとこう思い直した。コニーさんから離れて情報を集め、吸血鬼の危機が去った後に合流するというのは、俺にとっても多少は動きやすいのではないかと。怪しい動きを直接コニーさんに見せなければ、後の生命線の確保にも繋がると、そう打算的に考えたのだ。

 しかし、そもそも戻れるのか? コニーさんは今、俺を突き放すような発言をしたのだ。


「すみません。ちょっと先に出ていてください。すぐに必ず行きますので」


 だから、確認を。俺の言葉を聞くと、アーシュさんは首を傾げながらも家を出ていく。ファンヌさんもまた、その後に続く。夕焼けの部屋に、扉の閉まる音が響く。それを合図に、俺はコニーさんへと身体を向ける。一つため息を吐いてから、彼もこちらに顔を向けた。


「傷付けたのなら、すまない」


 開口一番は優しげな言葉だった。俺は顔を伏せる。自分のなよなよとした内面を見せつけられたようだった。


「だが俺がさっき言ったことは事実だ。あいつらと一緒にいるほうが、きっとお前は安全だ」


 続く言葉と共に、こちらに伸びてきた手が頭に触れる。俺はそれを振り払おうと、無意識に身をよじった。心まで子供になったわけじゃない。これじゃあ情けなさすぎる。もっと打算的な考えがあるんだから、それを口にしろ。

 顔を上げれば、コニーさんが悲しげにこちらを見ていた。


「吸血鬼のことが終わったら、ここに戻ってきてもいいんでしょうか?」

「……した約束は忘れちゃいない。お前が、お前自身が望むんなら戻ってくるといい」


 彼のイメージ通りの言葉だった。すんなりと腑に落ちるものだった。言質を取った薄情な行動か、俺はすぐに立ち上がり、扉の前まで歩いてから振り返る。


「それじゃあ、また」


 言葉を返さずにこちらを見るコニーさん。それを視線から外し、扉を開けて外に出る。

 未だもやもやする心。一歩を踏む自らの脚を眺め、言い聞かせるように考える。あまり気にするな、と。今俺がしようとしているのは手がかりへと近付く行動で、それは少し前のだらけきっていた時よりは遥かにマシなんだ。危険が伴おうとも、新たに並び歩く二人がいるじゃないか。俺は道化師や鳥人間、蜘蛛女をやり過ごしたんだ。自分だけの力ではないとはいえ、それは事実。少しは自信を持て。だから今度も大丈夫。いや、だから今度こそ。


「んじゃあ、行くとするか」


 何故か饒舌になった心を抱いて、俺は歩き出した。

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