第十六話 狩人たち 一
白い髪の人形、その首に噛み付く、吸血鬼。そんなラストカットを経て、人形達がその動きを止めた。ミレアスさんの語り口も無くなり、地下室は静寂に包まれる。
鑑賞を終えた人形劇に、色々と言いたいことはあった。だが俺以上、隣にいる彼のほうが、黙ってはいられないみたいだった。
「ごめん、ノーラちゃん! まさかこの話だとは思わなかったんだ!」
椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、何度も頭を下げてくるハンス。俺はその謝罪を、苦笑いを持って受け止めた。
彼は劇の途中もずっとそわそわしていて、こちらの顔色を伺っていたし、その行動も無理はない。友達を劇に連れて来て、それがとんでもなく胸糞が悪い話だったともなれば、気が気ではないはずだ。
「ちょっと、ミレアスさん! 僕、楽しい話をお願いって言ったよね? 他にもたくさんあるのに、なんでよりによって吸血鬼なのさ!」
矛先が劇の立役者へと向かう。だが当のミレアスさんは肩を竦め、何を言ってるんだといった具合に眉を上げた。
「さあ、覚えていない。それに気に食わない話なら、途中で止めれば良かったはずだ」
「劇の途中でうるさくすると怒り狂うのはどこの誰だっけ?」
腕を組んで睨むハンス。だがそんな少年を尻目に、ミレアスさんは人形達を抱えて舞台袖に引っ込んでいく。やっぱり見かけ通り、変わり者だ。
俺は苦笑いを貼り付けたまま、傷心の少年へと向き直る。
「まあ、その、つまらなくはなかったんじゃない、かな?」
「いいよ、気を遣わなくても。女の子はもっとこう、恋愛ものとかが好きなんでしょ? 父ちゃんが言ってた」
「あー、うん、そう、かもね」
女の子扱いは適当に流して、伸びをする。 振り返ってみれば結局、大した実りは無かった。まあ最初の肩慣らし、ただの人形劇なのだからそれは当然。やっぱり次からはもう少し、元に戻る手がかりがありそうなところへと自分から動かなくては。
座りっぱなしで固まった腰を押さえながら立ち上がり、後は別行動、そう少年に伝えようと口を開く。しかし、声は上階からの大きな音に遮られた。
「なんだろう?」
ハンスが顔を上げて、階段のほうを見る。聞こえてくるのは扉を叩くノックの音と、何やらこもった複数の男性の声。しかし、ここからでは何を喋っているのかまではわからない。
来客だろうか。もしかすると、俺たちみたいに劇を見に来た人かもしれない。そう思ったが、扉を叩く音が少し乱暴に聞こえる。
「……すまないが来客だ。君達は裏口から出てもらえるかな」
舞台袖から再び現れたミレアスさんが言って、俺とハンスの背中を階段のほうへと押す。
「えー」
「あー、じゃあ、その、今日はありがとうございました」
不服そうなハンスを尻目に礼を言う。そしてそのまま埃くさい上階へと押しやられ、俺達は入ってきたのとは逆、廊下の突き当たりへと歩く。
そこまで大事な客なのだろうか。少しばかり頭をひねりながらも、裏口の扉へと向かう。ハンスと共に外へ出ようとする。
「待ってくれ」
だが、呼び止められた。怪物の物語を語り終えた声色。振り返れば薄暗い廊下の向こう、ミレアスさんの瞳が真っ直ぐにこちらへと向いていた。しっかりとぶつかる視線は、親しいハンスではなく俺を見ている。
一体なんだ? 鳴り続けるノックの中、玄関に立つミレアスさんを見る。だが、彼は続きの言葉を一向に紡がない。
「どうしたの? ミレアスさん」
「……いや」
疑問に思ったハンスの問い。歯切れの悪い返事をして、ミレアスさんは踵を返す。それで、終わり。
何故呼び止めた? 何を言いかけた? わからなかった。
「どうしたんだろう? ……まあいいや。行こう、ノーラちゃん」
腑に落ちないまま手を引かれ、裏口から外に出る。昼下がりの光に目を細めれば、視界が少しだけ白む。背後で扉が閉まった。
意味深な言葉を残したミレアスさんは、何だか気持ちが悪い。頭の後ろを掻きながら、少しだけ顔を歪める。だがまあ来客がいる以上、今更戻って聞くわけにもいかない。それならばここでの用は終わりだ。
ため息を一つ吐き、私はこれで。さっき遮られた言葉をハンスに向かって言う。
「あれ、お客さん?」
だがそれは、またしても遮られた。呆れたような笑ってしまうような、そんな感情を込めて言葉を塗りつぶしたハンスを見る。すると彼の視線は俺の後ろを向いていた。
だからそれを追っていく。後ろを振り向く。そうしたら唐突に、視界が黒になった。
「あのーえっと、ミレアスさんにご用、ですか?」
その黒を見上げ、ハンスが言う。俺も視線を上げる。そこには一人の人物がいた。
黒い外套に全身を包みながらも、対照的な長い白髪をした人物。華奢な身体つきから察するに、女性だろうか。鼻、そして口元にはまるで強盗のようにバンダナを巻きつけていて、年齢は読み取れない。だから表情を伺おうとするならば、瞳へと目を向けるしかない。濁った視線がかち合う。
「あの、ミレアスさんに用なら出直したほうがいいですよ。今は他のお客さんが来てるみたいですから」
黙りこくる女性に向かい、ハンスが言う。意外としっかりしている。少年の対応に妙に感心してから、もう一度女性を見た。
ただ佇み、静寂。だがようやく、か細い声が漏れる。
「……ミレアス?」
掠れてはいるものの、それは確かに若い女性の声だった。
「え? ああ、ここの家の人ですよ。ほら、えっと、髭もじゃの」
「ミレアスって言うんだ、あの人」
ハンスの説明が腑に落ちたようで、女性は顎に手を当てた。そしてどこか遠い目で宙を見る。また、静寂。
マイペースというかなんというか、ちょっと変な人だ。類は友を呼ぶというやつか。
「あの、じゃあ僕達はこれで。行こう、ノーラちゃん」
ハンスもそんな空気を感じ取ったのか、苦笑いで会話を打ち切る。だがそれを、女性は許さなかった。
外套の下から伸びた手が、黒い影となってハンスの肩を掴む。そして「お前はどいていろ」、そんな台詞が聞こえてくるかのように、少年を乱暴に道の脇へと押しやる。ハンスはよろけて壁にもたれ込んだ。
突然の出来事だった。なんだこいつは。滲む汗を感じながら女を見る。視線はまたもかち合った。
「あなた、ノーラっていうの?」
掠れた声が降ってくる。一メートルもない距離。どうする?
「い、いや、違います」
咄嗟に出た台詞はそれだった。
「でもあなた、今そう呼ばれたでしょ」
「聞き間違いじゃないですか? ほら、えっと、ロ、ローラですよ私の名前は」
苦しい言い訳だと思った。だが俺の名前に反応を示したこいつは怪しい。そんな奴に対して、首を縦に振るのは危険だと思った。何があるかわからないから。
頼むから黙っていてくれよ。ハンスに目配せをしながら、反応を待つ。するとゆっくりと、女の手がこちらに伸びてくる。イルネアと小指のフラッシュバック。触れられるようなら、逃げる。
やがて女の指が俺の耳に近付く。触れるか触れないか、そんな距離までやってきて、女は手を引っ込める。それだけ、だった。
「……確かに、ちょっと違う」
女は言って、あっさりと踵を返した。ブーツの足音を鳴らして、狭い道を歩き去って行く。詰まる息が漏れ始める。背中が見えなくなって、俺はやっと息を吐き出した。
「なんなんだ? あの人」
ふらつきながら歩き、壁に背中を預けて考える。
今の女性、口振りから察するにノーラという名前の人物を探している。だとしたら、そのノーラは俺のことか? 違うのならば構わない。ただ変な人に勘違いをされただけで済む。だがもし……。
「えっと、あのさ」
唸っていると、隣のハンスが声をかけてきた。ああ、そういえばこの少年も被害者だ。
「大丈夫? その、肩とか」
尋ねれば、ハンスは勢い良く頷いた。
「だ、大丈夫! それよりさ」
少年は申し訳なさそうに目を伏せる。
「僕も聞き間違えてたよ。ごめんね、ローラちゃん」
自分でも目を見開いているのがわかった。そして口から、小さな笑い声が漏れるのも。張り詰めていた神経が緩む。
しかし、もしものことが無いとも言えない。申し訳ないが、ハンスには少し騙されていてもらおう。
「いいよ、別に。……今日はありがとう。じゃあ、私はこれで」
「あ、ちょっとローラちゃん!」
そして、俺はすぐにでも退散したほうがいい。今更ではあるが、やっぱりハンスを巻き込む訳にはいかない。
有無を言わせず駆け出して、路地を曲がる。前方、人は居ない。上、人は居ない。背後、ハンスは居ない。だから目を閉じる。行き先はリネーアさんの家の中だ。
次の瞬間、目を開けば誰も居ない部屋に辿り着く。本棚とテーブル、長椅子。確認するように辺りを見渡して、胸を撫で下ろした。
とりあえず、コニーさんを待とう。長椅子に腰を下ろし、差し込む陽を受けながら大きく伸びをする。そして息を吐いて背もたれに寄りかかり、何気なくポケットに手を突っ込んだ。そうしたら。
「何だこれ」
指先に触れた固い感覚を引きずり出し、物体を見る。横へ斜めへ、指先と共に捻ってみると、鈍い反射光が返ってくる。
「金、か?」
それはどうやら金貨のようだった。歪な円を描く平たい面には、何やら文字のようなものも刻印されている。が、俺には読むことができない。いつの間に紛れ込んだのだろうか。頭を捻って思い返しても、心当たりは見つからない。ラッキーと言えなくもないが、怪しい。
これも報告事項か。もう一度息を吐き出して立ち上がり、テーブルの上に金貨を置く。踵を返しつつその隣を見れば、ファンヌさんに貰った髪飾りが目についた。そういえば貰ったあの日以来つけていなかった。まあ、申し訳ないが趣味でもないし。
長椅子に座り直して、テーブルに並んだ二つをぼーっと眺める。今日のことを思い返しながらそれらを見つめていれば、右手が自然と動き出した。行き先は自らの右耳、その上。
「……もしかして」
電気のような気付きを経て、ある考えが頭の中に浮かぶ。金貨のほうは検討もつかない、だけど。
俺は部屋を歩き回り、落ち着きなくコニーさんの帰りを待った。
部屋に差す明かりが朱色へと変わり、夕刻の訪れを告げる。伝えるべき事柄が大方まとまった頃、玄関の鍵が開く音がした。
「大人しく待ってたのか? それとも今しがた帰ったのか?」
部屋に入るなり、コニーさんは冗談めかした言葉を投げかけてくる。今しがたではないが、正解は後者。しかしそれはどうでもいい。
「コニーさん、お話ししたいことがあります」
できるだけ真剣な面持ちで言えば、コニーさんは黙ってテーブルの前の椅子に座る。俺はその向かい側へ腰を落ち着ける。そしてもう一度口を開き、今日あったことを伝え始めた。
ミレアスさんという人のところへ行ったこと。そこで妙な女に声を掛けられたこと。そいつがノーラという人物を探しているであろうこと。俺が偽名を使って場を切り抜けたこと。顛末を話す。しかし、重要なのはその後だ。
「その女性、私のこめかみの辺りを確かめて言ったんです。『ちょっと違う』って」
「違う?」
「はい。それで考えてみたんですが、これじゃないかと」
机の上の髪飾りを手に取って見せる。するとコニーさんは腕を組み、少し唸る。
「つまり、お前が今日会った女に、あの二人組が関わっているかもしれないってことか?」
「はい。女性が探しているのが本当に私なら、ですけど」
二人組、アーシュとファンヌ。記憶に新しい彼らによって、俺は髪飾りを手に入れた。そしてその後王都に着くまでに目立った出来事はない。
「単に女に尋ねられて教えただけか。それともはなから何らかの目印としてお前に髪飾りを渡したのか」
コニーさんが組んでいた腕を解き、今度は机に肘を付く。
「前者ならあいつらに悪意はなしとも取れる。だが後者なら、確実に何らかの意図があるな」
確かにそう。悪意の有る無し、だ。
背もたれに背中を預け、俺たちとあの二人組の間で起きたことを思い出す。結果として脅されはしたものの、あの時はバートを貸して終わりだった。危害を加えられたわけでもなければ何かを奪われたわけでもない。
もし二人が俺になにかをしたいのであれば、その時でも良かったはずだ。それともあの女と俺を会わせることが重要なのか? というかそもそも、今回の出来事はここまで警戒するべきことか? いや、でもあの女には何と言うか妙な怪しさがあったし、道化師やイルネア、今までのことを考えればやっぱり。
「……わけがわからん」
無い頭がパンクしそうになって、小さくそう呟いた。聞こえないように零した言葉。返事を期待したものではない。しかし。
「いやいや、そこまで考えられれば上出来だ」
そう声が返ってきた。コニーさんのものではない。もちろん自分自身の言葉に返事をした、間抜けな俺の声でもない。なら誰だ?
聞こえた方向、向かい合うコニーさんと俺の間、テーブルの横を見る。そこには誰もいない、いるはずがない。しかし、音は再び飛んでくる。今度は指を鳴らすような音。
するとそれに呼応するかのように、玄関の扉を誰かがノックする。
「誰だ!」
コニーさんが声を上げ、玄関のほう、左へと向く。俺も反射的に右を向き、そちらを見た。ノックは止む。静寂。
「あー、やっぱり疲れるな。こりゃあ」
それを切り裂いた声。玄関とは反対側、テーブルの横を見る。先ほど声が聞こえてきた場所、そこにはあの男が立っていた。
最近洗ったのはいつだろうと思わせる、ぼさぼさの黒髪。胸元がはだけた茶色のシャツと、そこに下がった趣味の悪いネックレス。顔や腕に見える痣が痛々しい、アーシュさんだ。
その怪我はどうした、どうやってそこに。俺も、そしてきっとコニーさんも、そう口にしようとする。だが、アーシュさんの動きに言葉が詰まった。黒いズボンのベルト、下げられたナイフの柄。彼の手はそこに向かう。攻撃? いや、違う。
「おっと、ものを頼むんならこういうのは置いとかないとな」
指先で抜いたナイフを机に寝かせ、アーシュさんは笑う。そして無精髭を撫でながら、俺のほうを見た。
「いやしかし、お嬢ちゃん。あんた歳の割りに頭が回るな。将来いい女になるぜ」
少し顔を引きつらせる。いい女、そんな単語に自分を当てはめての自己嫌悪だ。まあ、それはどうでもいい。そんなことよりも。
「おい、どうやって家に入った?」
俺をよそにコニーさんが声を上げた。そう、それだ。
文字通り突然に現れたのだから、どう考えても何かの魔法を使ったに違いない。天井に張り付いていた可能性もあるが、笑い話だ。
「まあ、いいじゃねぇか。それよりその女のこと知りたいんだろ? だったら答え合わせといこうじゃないか」
アーシュさんはにたにたとしながら話を逸らし、答えをはぐらかす。そして椅子を手繰り寄せて前後逆に腰を下ろすと、背もたれの上で腕を組んだ。他人の家で随分と偉そうな態度だ。
「まず先に、『銀の血』で起きたことを話そう」
何やら長くなりそうな、そんな切り出し。
俺はもちろんだが、きっとコニーさんもアーシュさんへと冷ややかな目を向けている。しかし、当の本人はそんなことをまったく気にかけることもなく、話をする気らしい。
ならば仕方ない、とりあえず質問は後。俺は背もたれに身体を預け、話を聞く姿勢を整える。ちらりと横を見れば、コニーさんも同じようにしていた。
息を吐き出して、受け取った言葉を頭の中で噛み砕く。銀の血、それは確か宿屋の名前で、アーシュさん達の目的地であった場所。
「俺達はあんたらの助けで宿まで辿り着いたわけだが、その夜に出会ったんだよ。……何にだと思う?」
「おい、色々と押し込めて話を聞いてやってるんだ。勿体ぶらずに早くしてくれ」
「けっ、つまんねぇ奴だな。聞いて驚くなよ?」
勿体ぶるなと言われたにも関わらず、アーシュさんは沈黙を挟む。そして、言い放った。
「吸血鬼、恐らくはお嬢ちゃんが会ったっていう女にだ」
俺は、はっとした。そこまでの話を聞かれていたということと、ついさっきに人形として見た存在に、だ。あの後味の悪い話に登場した、怪物。
「……まあ、俺だって最近は色んなもんを見てきた。全くもって信じないわけじゃない。だがこんな真昼間にか?」
コニーさんが腕を組む。やはり吸血鬼はここでも一般的な存在ではないらしい。そういえば劇の中でも、少女がそんなようなことを言っていた。そして、俺の認識と変わらない日光という弱点。謎の女に出会ったのはついさっきで、日が出ていたのは確実だった。
アーシュさんは小さく笑い、身を乗り出す。
「いいか、その最もな疑問はこれから解決してやる。だがその前に、そろそろうちの相棒を中に入れて貰っても?」
アーシュさんは話を一旦打ち切って、親指で玄関を指差した。コニーさんがため息を吐きながら立ち上がる。
「今は俺の家じゃないんだがな」
扉が開かれると、そこには一礼をするファンヌさんの姿があった。彼女もまた、痛々しい怪我を俺達に晒す。三角巾に吊るされた左腕、アーシュさんよりも重傷のようだ。
「失礼します」
大怪我を感じさせない凛とした声で言うと、彼女はテーブルの空いている席へと座る。戻ってきたコニーさんは、俺の隣に座り直す。二対二、向かい合う形で話は始まった。
「じゃあ、ファンヌ。後の説明を頼む。宿屋に着いて、そっからだ」
アーシュさんが欠伸まじりに言う。結局は話すのが面倒だっただけみたいだ。まあ、ことの流れを説明するのなら、淡々としたファンヌさんのほうが適任かもしれない。
「私達が吸血鬼に出会ったのは、あなた方の助けを頂いたその夜です。宿の周りをアーシュ様と巡回していたところ、闇に紛れて襲撃を受けました」
村人を蹂躙する吸血鬼の姿が浮かぶ。あれは劇だったが、あのような攻撃を受けたとしたらひとたまりもないだろう。
しかし、アーシュさんもファンヌさんも、一応は生きてここにいる。
「交戦の末にこのような怪我を負いましたが、私達はなんとか吸血鬼を捕らえました。容姿は二十代半ば、黒髪で長身の女性です」
またも人形劇がフラッシュバックする。黒髪、長身、二十代半ば。デフォルメされた人形では分かりずらかったが、ミレアスさんの語りにそのような特徴が述べられていた。
身体が妙に強張る。
「私達は彼女を鍵のかかった納屋に閉じ込め、次の日には王都、つまりはここへ連れてくるつもりでした。ですが翌朝に納屋を見てみれば……」
「吸血鬼は外傷も無く死んでいた」
結局自分も喋るらしい。言葉を遮り、アーシュさんが大事なところを持っていく。
翌朝、そして吸血鬼の弱点を考慮すれば、昇る朝日によって命を絶たれたのかと考えられる。だがそれも、外傷が無いというところで引っかかる。ファンヌさんに問いかけてみれば、納屋には木漏れ日すら差し込まぬよう、前日に黒い布を貼ったという。
それならば何故? 話の続きを待つ。
「吸血鬼の死亡を確認して納屋を出ると、そこには一人の人物がいました。一目見れば誰もが悲鳴を上げるような容姿の、です」
「素っ裸の……えっと多分、女だな。あ、裸つっても服だけじゃないぞ? 皮膚もだ」
アーシュさんが気色悪そうに顔を歪め、舌を出す。皮膚が無く筋肉が剥き出し、想像の中ではまるで人体模型だ。
「そいつは俺達に二つのことを言った。まずは一つ目。髪飾りをつけたノーラという少女、つまりはお嬢ちゃんのことだが、王都のどこにいるのかと聞いてきた。血走った目で、血を垂らしながらだ。俺達からは何も口にしていないのにな。で、もちろん知らないと答えた」
アーシュさんに指を指され、告げられた事実。俺は少し身構える。さっき出会った黒づくめの女が脳裏に蘇り、正した姿勢が強張っていく。
「つまり、お前達がノーラのことを教えたわけでもなければ、女をけしかけたわけでもない。そういうことか?」
コニーさんの問いに、二人は頷いた。
それが、答え合わせ。アーシュさん達から話を聞いたわけでもないのに、女は俺のことを知っていた。情報の出処、思い当たる可能性に腰を浮かせ、椅子に座り直す。
「そして二つ目です。女は納屋に転がる吸血鬼の死体を指してこう言いました。『あたしの身体を返せ』と。そして素早く死体を奪い取って布に包むと、私達を制してどこかへ去って行きました」
今度はファンヌさんが、女の言葉を代弁する。その言葉もまた気味が悪いものだった。死に絶えた吸血鬼の身体が、自分の身体。意味がわからない。
しかし、アーシュさんは痣に囲まれた目を細め、にやりと笑った。
「つまり俺が考えるには、魂が移動したってことだ。吸血鬼の身体から、別の身体へ」
部屋がしんと静まり返る。きっとそれは一般的ではない結論。だけど魔法や怪物、そして俺自身の現状を目にしていれば、嘘と言い切れるほどの突飛ではない。ともすれば、俺にとっては手がかりともなるもの。
アーシュさんは机の上の髪飾りを手に取り、続ける。
「それが吸血鬼の能力なのか何なのかは知らん。だがあいつは、いまや日の光を浴びて立ち、お嬢ちゃんを狙っている。一度取り逃がした理由を考えるに、あんまり頭は良くないらしいが、しかし、だ。奴はきっとまたやってくる。そうしたら……」
伸びた手が耳元にやってきて、髪飾りを置いていく。
「今度こそ、吸血鬼狩りだ」
決意に満ちた言葉。真っ直ぐな視線がこちらを向いていた。