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空白の魔法  作者: 片岡 武路
一章
14/31

第十三話 女神の魔法と銀の血

 気が付けば少し、息が苦しかった。鼻を刺すような血の匂いも感じた。

 不快感で顔を下げると、自らの手の中にナイフが見える。その刀身が血に染まっていたから、目を逸らすように顔を上げる。するとそこには、六つの瞳から血を流すイルネアがいた。

 違う、俺は彼女を刺してはいない。首を振ってそう念じれば、目の前の人物は姿を変える。八本の脚が羽になり、全身に黒い毛が生えていく。そう、ウインダルだ。

 瞬間的に、舞い戻る。自ら握る手の中に、肉を貫く感触が帰ってくる。やめてくれ。今度は念じても止まることはない。息が上がって手が震え、頭が痛む。

 まるで痙攣のように身体が震えると、重いまぶたがゆっくりと持ち上がった。


「……大丈夫か?」


 飛び込んだ薄い光に視界が白んだまま、起き上がる。既に燃え尽きた焚き木の前に、コニーさんが座っていた。


「いえ、まあ、はい、大丈夫です」


 これが現実、あれが夢。瞬時に理解して、しどろもどろに言葉を返す。乾いた喉に咳を一つすれば、気の利くコニーさんが水袋を手渡してくれる。ぬるい水を勢い良く飲んで、一息をつく。そして恐る恐る聞いた。


「……昼、ですか?」

「いや、珍しいことに朝だ」


 そうか、なら良かった。

 嫌な夢だった。俺は苦笑いで立ち上がって、コニーさんの向かいに腰を下ろす。イルネアの件から一夜明けた朝、身支度を整えてから、俺達は静かに朝食を取り始めた。

 既に用意されていたのだろう、ロースト肉が乗ったパンを受け取ると、コニーさんが呟く。


「うなされていたな」

「やっぱり、そうでしたか」


 両手に持つパンの向こう、昨晩コニーさんによって縫い合わされた右足の靴を見つめる。お世辞にも上手とは言えない外見で、不恰好。

 俺はもう一度、苦笑いを返す。


「魔法を使えばいつだってダグのところに戻れるんだ。気が変わったのならいつでも……」

「いえ、大丈夫です」


 昨晩から繰り返した会話を更に反復してから、俺はパンをかじった。

 大丈夫、それは大丈夫。俺は元に戻るために旅をするのだ。再び決意をして、辺りの景色へと目をやった。

 道を逸れた先にある緑の森と、そのまた向こうにそびえ立ち、曇り空に伸びる大きな山。この世界にやって来てからは少しだけ見慣れてしまった雄大な自然。それを眺めていたら、ふと思った。

 俺は決意を固めて何だか勝手にいい気になっているが、何度もメラン村に戻ることを提案するコニーさんは、もしかしたら俺を鬱陶しく感じているのではないか。そしてそれは随分と現実味のある考えに思えた。油とともに肉を飲み込めば、何だか急に不安になる。


「あの、えっと……迷惑をかけているのは分かっています。昨日の件だって私が勝手な行動をして、結局は助けられてしまったわけですから。でもその、あの村にいてもやっぱりどうにもならないというか、その、つまり」


 恐る恐ると口にして、最終的には自己中心的な答えしかでないことに気付く。それに正体を隠している時点で俺は、既にこの人を利用しているのだ。

 だがこちらの気持ちとは裏腹に、コニーさんは咀嚼していたパンを飲み込んで小さく笑った。


「そこに寝転がってみろ」

「え?」

「いいから」


 一体この人は何を言ってるんだ。素直にそう思った。が、きっと何かの意図があるのだろう。俺は食べかけをコニーさんに手渡して、渋々と芝の地面へ仰向けに横たわる。


「違う違う、そうじゃない。背を丸めて横向き、左半身が下、腕は顔の横に」


 すると飛んでくるのは、わけのわからないダメ出し。仕方なく言う通りにしてみれば、やっと納得したらしいコニーさんがうんうんと頷く。


「よし、今のお前はアプシス様だ」

「……は?」


 そしてまた、わけのわからないことを言う。頭でも打ち付けたのか。俺はたまらず起き上がって、コニーさんに詰め寄ろうとする。が、彼の口にした言葉の中にどこか聞き覚えのある単語が存在していることに気付く。

 一体なんだ? 考える時間は短かった。その言葉は文の中、異彩を放っていたから。


「それって昨日、イルネアさんが口にしていた……。あ、あと確かあの道化師も」


 アプシス。頭の中で反復して顔を上げて見れば、コニーさんが両手を振るい、慌てたような顔で釘を刺す。


「おっと、その二人から聞いたってだけで危ない言葉だなんて思うなよ? ここで生きる奴らなら誰だって知ってる女神様の名だ」

「……女神様?」

「そう、女神様だ」


 その言葉も聞き覚えがあった。元の世界では日常に馴染まない単語でも、この世界に来てすぐ、アイナさんの口からこぼれたものだったから。『それじゃあ女神様の名前は? 祈らなくても、名前くらいは聞いたことがあるんじゃない?』そんな問いの正解を、今になって知る。

 少しばかりすっきりとした頭でコニーさんを見れば、彼は更に妙なことを言う。

 

「アプシス様はお前の足元にいるぞ」


 指された指に従って、顔を下に向ける。見えるのは草、土、小さな石ころ達だけ。一体この人は何を言ってるんだその二である。

 はてなと共に顔を上げれば、得意気なコニーさん。


「……女神様は石ころなんですか?」

「おいおい、相手が俺だから良いものの、それはちょっと危ない発言だぞ」


 冗談を飛ばすと、コニーさんが苦笑いで空を見る。一瞬だけ頭を捻るが、女神様という単語を思い出して俺も苦笑いを返した。

 元の暮らしの中であまり意識することはなかったが、神といえば信仰の対象。それに熱心な人がいてもおかしくはないのだ。


「まあいい、元を辿ればあながち間違いでもないかもしれん」


 いやでもしかし、コニーさん曰くはそうらしい。今度は下手を踏まぬよう、黙って次の言葉を待つ。やがてやって来た内容は、驚きをもたらすもの。


「女神様はこの大地だ。俺とお前が今も踏んづけてるな」

「……大地?」

「つまり今いるここは、さっきお前が寝転んだみたいな形の大陸ってわけだ。顔が向く方向が北、背中のほうが南、現在地はホフト地方、腰の辺りだな」


 どうやらさっきまでの一連の流れは、地理の授業であったらしい。


「大陸が女神様のような形をしてるんですか?」

「ああ。だが期待するなよ? はっきり言って微妙だ。まあこんなことを言ったら熱心な奴らには怒られるがな」

「……へぇ、そうですか。なるほど」


 イタリアが長靴の形に見えるようなものなのだろうか。俺はあごに手を当て、初めて知るこの世界の全貌に感心する。

 そう、確かに感心はした。しかし、一体全体なぜこのような話になったのか。


「で、なぜそんな話を?」


 俺は近くに腰掛け、食べかけの朝食を受け取りながら聞いた。コニーさんは自分のパンを千切ってから、口角を上げる。


「お前の気持ちはわかったってことだ。メラン村に残れとしつこく勧めたところで、お前はもう動きそうにないしな」


 かけらを口の中へと放り込んで、咀嚼。飲み込んでからこちらに向けるコニーさんの視線は、少しだけ真剣に見える。


「……非力ではあるが、目的があるんなら俺が手伝おうじゃないか。お前は覚えていないくせに、今まであまり基本的な質問をしてこなかった。例えば、この世界について。遠慮していたのかなんなのかは知らんが、これからは気にするな。俺が教えてやる」

「そう、でしたか?」

「ああ、そういうのは随分と貴重な手掛かりだろう? だから……早く記憶を戻すんだ」


 言葉の終わりに少しだけ、感情がこもっているように思えた。けれどそれが一体どんなものであるのか、今の俺にはわからない。

 記憶喪失への同情なのか、はたまた全く別のものなのか。何にしろ、すごくありがたいことなのは確かだろう。


「ありがとうございます」


 都合が良いのはわかっている。でも素直に礼を言って、不安や申し訳なさを無理矢理に押し込めた。そして何か聞いておいたほうがいいことはないか、頭の中を探る。

 まず見つかるのは、この世界のことやルールの中で今現在の俺に身近であること。


「……魔法って、何なんですか?」


 コニーさんはパンにかぶりつこうとしていた動きを止め、あごに手を当てて少しだけ悩む。


「んー、まあ、アプシス様が起こす通常では起きえない現象のことだな。そしてその力を少しだけ借り受けるのが、俺達の使う魔法ってわけだ」


 コニーさんが右手をこちらにかざせば、小さなそよ風が俺の髪を揺らす。

 魔法、元に暮らしていた世界には恐らく実在しなかったものだが、説明を受けてしまえば、理解はできずとも酷く大雑把な把握はできた。全ての根源はアプシス様、そのように解釈すればいい。だが実際に使うとなれば、それはまた別の話だ。


「例えばコニーさんの風の魔法なら、どういう風にして使うというか……その、発動しているんですか?」

「お前の魔法はどうやって使う? 大体はそれと同じだ。風が吹く様を思い浮かべてアプシス様に伝えれば、力を貸してくれる」

「なるほど、でも才能や努力も必要なんですよね?」

「まあな、頭に浮かべる光景が女神様のお眼鏡にかなわなくちゃならない」


 いわばアプシス様の承認制といった具合なのだろう。俺は腕を組んでとりあえずの納得をする。そして一つ、良いことを思いついた。

 思い立ったが実践。俺は急いでパンを食べ終えると、すぐに目を閉じて両手を前にかざす。狙うは火の消えた焚き木。頭にイメージするのは、小気味よく跳ねる炎。全神経を集中させた果てに、小さく唸る。


「何してるんだ?」

「魔法ですよ、魔法」


 目を閉じたまま返事をして、期待を込めてまぶたを上げる。そこには暖かく燃える焚き火が……。


「……やっぱり急には無理みたいです」


 なかった。目の前に見えたのは何の変化もない光景。少しの落胆と同時に、まあそりゃそうだろうと思う。努力もせずに強力な力が使えるわけもない。

 しかし、またふと思った。俺は努力もせずに瞬間移動の魔法を使えるようになったのでは、と。その旨を問えば、朝食を終えたコニーさんは一言、「向き不向きがある」と答えた。そんなものか。


「それじゃあ他にも色々と試して……」


 前向きに言おうとすると突然、目の前の焚き木に火がついた。


「火の魔法はこう。あなたが今までに経験した火を想像するの」


 そして聞こえる女性の声。人によっては冷酷さをも感じるような、抑揚の少ない澄んだ声。持ち主は俺の正面、コニーさんの背後にいた。知らずのうちに、気づかれることなく、近付いていた。

 俺と同じく、彼女の存在に気付いてはいなかったのだろう、コニーさんが素早く立ち上がり振り返る。


「……誰だ」


 威圧感を持った低い声、手を掛ける腰の柄。しかし、女性は冷静に言い放つ。


「ごめんなさい。怪しいものではないんです」


 数歩後ずさると、女性はポンチョのような衣服の内側から、次々に何かを落としていく。草に落ちた物は、どれも武器だった。ベルトに納められた三振りの短剣と、何やら複雑な形をした弓のようなもの。そして最後に腰の矢筒を下ろして、女性は両手を上げる。

 コニーさんの肩ほどの高さにあるその顔は、これ以上ないくらいに真剣だ。


「武器を下ろしたところで、魔法は使えるんじゃないのか?」


 コニーさんが呆れたようにため息を吐くと、女性は明るい茶色の髪に目を伏せて、「確かに」と小さく呟いた。しかし、表情はそのまま。


「えっと、じゃあどうすればいいでしょうか。私があなた達にとって無害だと証明するには……」


 恐らく少しは焦っているのだろう。だが、女性の淡々とした口調に変わりはない。

 コニーさんは剣から手を離してもう一度ため息を吐くと、どさりと腰を下ろす。


「いや、もういい、悪かった。近頃いろいろとあったんでな、警戒するのも許してくれ」

「……いえ、それは当然のことです。ですが、私は信用して頂けたのでしょうか?」

「ま、俺達に危害を加える気なら、最初から焚き木に火をつけたりはしないだろ」


 「確かに」誰にも聞こえないよう、今度は俺が呟く。そして、安心したように息を吐き、装備を拾う女性を見た。

 年齢は二十を少し過ぎたあたりだろうか。耳の下で切り揃えられた艶のある真っ直ぐな髪は、太陽の光に綺麗に照らされている。すらりと伸びた四肢と鋭い琥珀色の視線、そして隠し持っていた多数の武器からは、どうにも近寄りがたい雰囲気が漂う。だが言葉を聞く限り、それは見かけだけの印象なのかもしれない。


「俺はコニーだ。で、あんた名前は?」

「ファンヌ・アーネルと申します」


 右手を胸に当て、小さく一礼をするファンヌさん。日本人の性だろうか、俺もつられて礼をする。そうすれば彼女は、今度はこちらに視線を寄越してくる。顔を向ければ、コニーさんもだ。


「私はノーラです」


 だから軽く自己紹介をする。本当は軽いなんてもんじゃなく、緊張しているのは内緒だ。


「お二人共、よろしくお願いします。そして早速、無礼な願いで申し訳ないのですが……いや、少し時間を食い過ぎたみたいですね」


 ファンヌさんは丁寧な語り口を途中で打ち切り、ちらりと横を見た。一体なんだ? 視線の先へと向けば、そこにはまた新たな人物。


「おいおいファンヌ、お前らしくもないぞ。一体いつまで掛かってるんだ。あいつが煩くてかなわん」


 鬱陶し気に顔を歪める男性は、無精髭を撫でながらこちらへと歩み寄る。歳は壮年、三十代ほど、コニーさんと近しいくらいか。ぼさぼさに首元まで伸びた黒い髪。纏ったシャツの胸元がはだけ、裾はだらしなくズボンに垂れている。


「すみません、アーシュ様。ですがあなたもこちらに来ては、あの方が……」

「そこらの獣に襲われるんなら、それはそれだろ。残ったもんを頂きゃいい」


 男、アーシュさんは、何かを心配するファンヌさんを宥める。


「何だか随分と物騒な話だな」


 それに噛み付いたのはコニーさんだった。確かに俺も思った、二人の会話の端々には、あまり印象のよろしくない言葉が含まれていると。

 万が一、もしかしたらこの人達も正体のわからない敵なのか? 俺はとりあえず立ち上がり、再び警戒の態勢を取る。するとアーシュさんの黒い瞳がゆっくりとこちらを向く。そして。


「おーおー、あんたらが手伝ってくれるのか。そいつはありがたい。さ、こっちだこっち」


 そんな台詞と共に、彼の目が半月に下を向いた。つまりは笑顔、これ以上はないくらいの笑み。だがどこか営業スマイルで胡散臭い。

 だからだろう、コニーさんも馴れ馴れしく肩に置かれた手を振り払う。


「おいおい、何に巻き込む気だ? 面倒事はごめんだぞ」

「……巻き込む? おい、ファンヌ、事情は説明したんだよな?」

「すみません、アーシュ様。まだです」

「ったく。じゃああんた、手短に説明するからよく聞けよ」


 アーシュさんは眉を顰めてから、拳を当てて喉を鳴らす。そして芝居がかった口調と手振りで説明を始めた。


「俺とファンヌはある村で仕事を引き受けた。物を運ぶ簡単な仕事だ。ところがどうだ? 目的地の近く……まあつまりはこの辺りでなんだが、なんと馬車を引いていた馬が逃げ出しちまった」

「なるほど、笑えるな」


 コニーさんの相槌に一瞬いやな顔をしながらも、アーシュさんは言葉を続ける。まあ、もう全貌は見えてきたようなものだ。


「だからあんた達の馬を貸してもらいたい。もちろんそれなりの金は払う」


 小さく燃える焚き火の向こう、馬車に繋がれたバートをアーシュさんは指差す。それは予想通りの要求だった。理屈も通る。だがコニーさんの返答もまた、予想に容易い。ちらりと見れば案の定、彼はすぐに首を横に振った。


「断る」

「……どうしてもか?」

「ああ、俺達も急ぐ用があるんだ」


 急ぐ用、そんな文句を聞いて、コニーさんがいま持っている目的について改めて疑問を持つ。質問を許容されたとはいえ、何故か少しだけ聞きにくい内容。だけど後で折を見て投げかけてみよう。

 僅かにそんな思考に潜り込んでから、辺りに広がった沈黙へと顔を上げる。アーシュさんも、ファンヌさんも、続く言葉を紡ぐことはない。だが彼らはその代わり、返答を行動で返した。


「なら、こうするしかないな」


 アーシュさんは突如として距離を縮め、俺の眼前にナイフを突きつけて言った。

 目にも止まらぬ速さとはこのことかと思った。もう少し現実的に述べたとしても、視界の中を何かが動いたということしかわからなかった。詳細な動きは、何一つ理解できなかった。

 何だよ、結局はこの人達も悪人ではないか。軽々しく心で悪態をつきながらも、跳ねた心臓と共に身体を硬直させる。この男がやる気なら、下手すりゃ今ので死んでいた。だがまあ、とりあえずは生きている。

 落ち着くように深呼吸を一つ。切っ先を見つめながらコニーさんに視線を送る。逃げたほうが良いか? そんな質問を込めて。だが彼もまた、動けぬ状況だった。


「まったく、最近妙に物騒だな。俺の周りは」


 コニーさんはファンヌさんに武器を向けられていた。物質的な獲物ではない、魔法という術をもたらす彼女の手だ。それが冷ややかな表情と共に彼を襲う。

 だがコニーさんは、アーシュさん達の動きにかろうじて反応はしていた。その証拠が手にした抜きかけの剣。だがそれもすぐ、悲しげな音を上げて鞘へと戻る。


「……しょうがない、引き受けよう」


 そしてあっさりと、コニーさんは降伏した。言葉を聞けば、アーシュさん達もすぐに武器を納める。


「なら、さっさと来てくれ。こっちだ」


 まるで何事もなかったかのように言って、彼らはこちらに背を向けて歩き出す。俺はほっと息を吐き出して、コニーさんに駆け寄った。


「引き受けていいんですか?」


 何の気なしに流されたが、俺達は奴らに武器を向けられたのだ。頼みを聞く義理などない。だが、コニーさんは苦笑いで俺を見下ろす。


「今なら逃げられるかもって言いたいんだろ? 残念だがそんなことをしたら馬車ごと丸焼きだな」

「ファンヌさんに、ですか?」

「ああ。それに正直、俺じゃあいつらには歯が立ちそうもない。消去法だ。頼みを聞けば素直に解放してくれる、そう願おう」


 個人的にはどうにも素直にはいかないと思うが、まあだからこそ言う通り祈るしかないのだろう。イルネアを制した人物がそう言うほどの相手なのだから。

 コニーさんは手をかざして焚き火を消すと、荷物をまとめて御者席に座る。俺がその隣に腰を下ろせば、馬車はアーシュさん達を追って進み出す。草原から街道に戻り、しばらく。二人の徒歩に合わせた速度だったが、立ち往生した馬車はすぐに見えてきた。その傍らには辺りをきょろきょろと見回す一人の男が立っている。


「おい、遅いじゃないか!」


 男はアーシュさんを見つけるとすぐに駆け寄り、怒鳴り声を上げた。そして髪の毛が後退した額に血管を浮かべながら、胸に下げたペンダントを握る。身に纏う衣服は全身をすっぽりと覆う茶色の外套で、全体的な雰囲気から察するに、どこか裕福な人物に思える。

 そんな男はアーシュさんに宥められると、こちらにちらりと視線を送る。だがしかし、何も言うことはなく馬車の荷台へと乗り込んでしまった。なんともいやな感じだ。


「さあ、馬を繋いでくれ。運転は俺がする。あんた達はここで待ってろ」


 アーシュさんが酷く偉そうに、こちらへと指図してくる。当のコニーさんも、嫌な顔を隠すつもりはない。


「それはいいが、盗もうなんて考えるなよ。俺の馬、バートはお前が思ってるよりも賢い」

「ああ、もちろん」


 渋々と繋げ変えられたバートを見ると、アーシュさんとファンヌさんは御者席へと座った。


「で、目的地はどこなんだ?」

「『銀の血』っつう宿屋だ。ま、あんたの馬に引いてもらうのはその手前までだがな」

「また物騒な名前だな」


 俺達が苦笑いを向けると、バートが走り出す。馬のいない馬車の荷台に寄り掛かって、コニーさんと共にそれを見送った。やがて車輪の音が遠ざかり、姿が道の向こうに消えて行く。

 バートならば大丈夫だろう。一つため息を吐いてそんなことを考える。俺は嫌われているが、先の戦いでも彼の賢さは証明済みだ。もし盗まれそうになったとしても、アーシュさん達を踏み散らしてここに帰ってくるような気がしてしまう。まあそれは大袈裟だけれど。

 思考から脱出して、空を見上げる。再び時間ができたのだ、聞きたいことを聞くチャンスだろう。


「あの、コニーさん。コニーさんの今の目的を聞いてもいいですか? その……どこに行くのかとか、何しに行くのかとか」


 ちらりと横を見て、何の気なしに投げかけてみる。そうすればあっさりと答えは返ってきた。


「俺も突然に村を追い出されたわけだからな、とりあえずは知り合いのところに行く。リネーアのところだ」

「リネーアって……メラン村に住んでいたっていう人ですよね?」

「ああ、今は王都に越したらしい。俺の義理の妹だ」


 コニーさんはさらりと言った。それってつまりは……。更に聞いて良いのか口篭れば、彼のほうから答えを寄越してくる。


「死んだ妻の妹だ」


 それは特に感情を感じない声だった。

 俺は思い出す。ダグさんはコニーさんと再会した時、再婚という言葉を口にしていた。だからまあ、薄々と予想はついていた。だけどそれでも、何とも反応が用意できなかった。結論として選んだのは、ただの相槌。下手に口を出すことじゃないと思ったから。


「……そうですか」


 それを最後に、しばらくは両者が共に沈黙を続けた。あまり気まずいという感じでもなかったが、妙に長い時間。一時間と少しくらい経ったのだろうか。足元をうろちょろと動くネズミを足で追い払っていると、前方から影がやってきた。

 背中にファンヌさんを乗せたバートが、俺達の前に停まる。


「どうもありがとうございました。バートさんは確かにお返しします」


 丁寧な口調と共に地面に降りると、ファンヌさんはバートをこちらに引き渡す。そして自らの衣服のポケットから、小さな袋を取り出してこちらに差し出した。


「アーシュ様から預かってきました。こちらが私達からのお礼です」


 彼女の手の中でじゃらりとなる金属音、考えるまでもなくお金だろう。この人達は乱暴なことはしても、相手に相応の報酬はしっかりと支払うらしい。

 まあ、お金はあって困るわけでもない。俺の物になるのではないが、ありがたく受け取っておこう。そう思っていると予想外、コニーさんはそれを突き返した。


「悪いが、それは主人に返してくれ」

「……何故です?」

「俺は、怪しい金は受け取らない主義でね」


 何度かの問答の後に、ファンヌさんは仕方なく小袋を仕舞う。俺はそれを少しだけ物欲しそうな目で見ていた。コニーさんの理屈もわかるが、ちょっと勿体無い気もする。

 すると、ファンヌさんもまたこちらを見ていた。俺は卑しい心を見透かされた気がして、びくりと身体を震わせる。だが別に、そういうわけではないらしい。


「じゃあ、ノーラちゃん。あなたにお礼とお詫びをさせて」


 ファンヌさんはそう言ってしゃがみ込み、俺の頭の右上、こめかみ辺りに赤い花の髪飾りをさす。


「あ、えっと、ありがとうございます」


 怪しい髪飾りは受け取らない主義でね、そう返事をしようかとも思ったが、条件反射で普通にお礼をしてしまう。コニーさんも何も言わない以上、まあ貰うしかない。そうしたら軽く頭を下げて、ファンヌさんは元来た道を引き返していった。

 歩いて行くのだろうか。随分と大変そうだ。


「まったく、妙な奴らに巻き込まれたな」


 そんな姿を見送って、コニーさんが深いため息を一つ。


「比較的穏便に済んで良かったじゃないですか」

「まあ、お前は礼も貰えたみたいだしな」


 コニーさんはバートの背を撫でながら、笑う。確かにそうなんだが何というか、男として嬉しいお礼の品であったかというと怪しい。正直お金のほうが嬉しかったかもしれない。それに。


「あの、受け取っておいてあれなんですが、こういうのを着けるのはその、ちょっと恥ずかしいというか……」

「そうか? 見たところ怪しいもんでもないし、王都も近いんだ。多少着飾るのも悪くはないだろ。それに、人の好意は無駄にするもんじゃないぞ」


 コニーさんは意地悪く笑って、俺の頭をぽんと叩く。自分はその好意を受け取らなかったくせに。

 ……仕方ない。使わないのは申し訳ないのも確かだ。俺は息を吐いて、一足先に馬車へと乗り込む。髪飾りのことは気にしないよう、頭ではこれから向かう王都のことを考えていた。

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