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空白の魔法  作者: 片岡 武路
一章
10/31

第九話 しおり糸が巡る村 二

 ダグさんとの話し合いは、そのまま夕食の席へと持ち越された。振舞われた温かい料理を腹に収めはじめると、コニーさんの落胆の表情もなりをひそめる。そして肉の油に汚れた皿が片付く頃には、夜がさらに更けていた。

 各々が食事の余韻に浸る中、一息をついたダグさんが机に肩肘をついて言う。


「リネーアのところを当てにしてたのなら、今日はここに泊まっていけよ」

「……ああ、悪いな」


 コニーさんが了承の返事をすると、ダグさんは満足気に頷く。

 そういうことならば。俺は見計らい、口に手を当てて小さく唸った。そして仕上げに目をこすって、眠たさをアピールする。するとダグさんが予想通りの反応を示してくれるのだ。


「お、ノーラちゃんはもう疲れちまったみたいだな。待ってな、部屋に案内してやる」

「すみません、お願いします」


 食事もしたし、俺がこの場にいる理由はもうなかった。これからのことは後でコニーさんから聞けばいい。だからいま思うのは、二人にはきっと積もる話があるだろうということだ。そしてそれは、子供抜きのほうが弾むもののはず。

 と、格好のいい理由を付けてはみたものの、目的は別のところにもあった。それはコニーさんの目から離れて、一人でイルネアのところへ行くというものだ。

 席を立ったダグさんが部屋の扉を開けて、その向こうから誰かを呼ぶ。やがてこの場にやってきたのは一人の少年だ。


「ダグ、この子は?」

「ああ、うちで少し仕事を手伝ってもらってるんだ」

「なるほど」


 コニーさんが納得したように見やるのは、馬車を停めてくれたあの少年だった。こちらに近付いて、帽子を被ったまま俺を見下ろす。


「泊まるんならこっちの部屋だよ」

「えっと、はい」


 ぶっきらぼうな声に返事をしてみても、少年から返ってきたのは言葉ではなかった。伸びた手を繋がれ、それを引かれて部屋の外へと導かれる。

 後ろからはコニーさんの「おやすみ」という声が聞こえた。

 俺と少年は玄関のある部屋へと戻り、話し合いが行われた部屋への扉は閉じられる。すると少年はその扉に耳をぴったりとつけて、盗み聞きをするような体勢を取った。


「なにしてるんですか?」

「しっ」


 人差し指を口に当て、静かにしろというジェスチャー。

 やがて少年は気が済んだのか、耳を離してこちらを向く。


「こっち」

「あ、あの、手は繋がなくても大丈夫です」


 自由な奴だと思った。そのまま案内を続けようとする少年に、俺は抗議の声を上げる。子供じゃないんだから、手を繋ぐ必要はない。

 彼は俺の言葉に立ち止まると黙り込んで、そしてゆっくりと手を離した。


「ごめん。子供だから、そうしたほうがいいのかなって」

「……言うほど子供ですか? 私」

「リブと同じくらいに見えるかな」


 わかってはいるが、少年の歯に衣着せぬ物言いに口をついてしまった。

 リブとかいう子と同じ扱いをされても、中身は君より少し大きいくらいだ。そう心で呟く。


「まあ、いいです。それであなたは?」

「なにが?」

「名前ですよ、名前。私はノーラといいます」


 敬語を使うには少し違和感があったが、今更変えるのも変だ。初対面なら適切と言えなくもないだろう。それに、何しろこっちのほうが性に合っていた。

 少年は納得したような顔をして俺を見る。


「ミカル・オーグレン」


 ミカルは茶色い帽子を脱いでそう言った。抑揚のない声色と共にくすんだ金色の髪が揺れる。幼さを残した顔には表情が乏しい。だが鋭い目つきを持った少年だった。


「わかりました。それじゃあ、案内をお願いします」

「最初からそのつもりだよ」


 帽子を被り直して踵を返したミカルに続き、炉のある部屋を抜ける。また別の扉を開けば、そこは細長い廊下だった。

 僅かに持ち上げられた壁の雨戸から、柔らかい月明かりが差し込む。それをぼんやりと眺めると、先を行くミカルの足がふいに止まった。


「ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「え?」


 相も変わらず平坦な声を投げ掛けられ、俺もまた立ち止まる。

 返らぬ返事を待っていると、ミカルが背を向けたまま、ズボンの右ポケットに手を突っ込む。何かを取り出して、彼はこちらへと振り返る。


「君達の馬車の幌に付いていた。これが何なのか、詳しく教えて欲しい」


 差し出されたハンカチに包まれていたのは、べとりと張り付く蜘蛛の糸だった。

 特に理由はない、やましいところがあるわけでもない。だけど何故かはっとして、薄青色の布の上を見る。馬車についていたのならば、それはきっとイルネアのものだ。


「蜘蛛の糸、ですね」

「うん、それは俺にもわかる」


 抑揚の少ない声で言われると、棘があるのかさえわからない。

 イルネアのことを伝えようか迷っていると、ミカルが更に続ける。


「さっき、君の連れの人が言っていた。蜘蛛女が住んでいるんでしょ? この近くに」

「え、ああ、はい」


 あの盗み聞きの時だろうか。つまりはコニーさんがダグさんにイルネアの存在を伝えたということだ。


「蜘蛛女ってどんなの?」

「……足は八本、目は六つ、それ以外は人間でした」


 一対一で彼女と話したい俺としては、その存在をあまり広めたくはなかった。が、コニーさんが漏らしたのならば、隠すことにあまり意味はない。イルネアの特徴をミカルに告げる。


「糸は? そいつが糸を出すところは見た?」

「はい、見ました。遠目ですけど」

「ふーん」


 気のない返事と共に質問を止め、ミカルは踵を返す。

 結局、質問はただの好奇心であったのだろうか。蜘蛛女というのはまあ興味を惹かれる存在ではあるのだろうけれど。

 何はともあれ、ミカルは部屋への案内を再開した。進み始めた彼に続けば、廊下の突き当たりに辿り着く。


「部屋はここだよ」


 そこにあったのは一枚の扉。それを開いてから、ミカルは俺に先に入るよう促す。

 ゆっくりと足を踏み入れた場所は、やはり寝室であった。ランプの明かりに照らされて、簡素なベッドが横に二つ並んでいる。板張りの床に調度品は少ないが、十分に事足りる部屋だろう。

 ふと音がして振り返ると、ミカルが後ろ手に扉を閉めていた。案内は終わったのだが、まだ何か用があるのか。ごくりと唾を飲めば、言葉が飛んでくる。


「場所を知ってる?」

「なんの場所、ですか?」

「蜘蛛女の居場所だよ」

「……ですよね」


 ミカルはベッドに腰を下ろし、自らの膝に片肘をついた。どうやら、イルネアの話はまだ続くらしい。

 俺もまた、もう片方のベッドの縁に座る。向かい合う形で相対する。


「知ってはいますけど、知ってどうするんですか?」


 その質問をしたのは、純粋に興味があるからだった。まさか興味本位で会いに行くのかと。大した理由もなく接触するのだとしたら、彼女は少しばかり恐ろしい相手なんじゃないか。

 つばに阻まれた表情を伺うが、ミカルが顔を上げることはない。


「すぐにでも確かめに行く」


 だが放った言葉に、少しだけ感情が滲んだのはわかった。それがどういった類のものであるのかはわからないが、彼には明確な理由があるということはわかった。


「確かめに行くって、何を?」

「いいから、場所を教えて欲しい」


 追求の問いを送れば、またもや感情の消えた言葉が返ってくる。

 急かしにかかったことから察するに、ミカルは早急に居場所を知りたいらしい。そして確かめに行くということは、やはりイルネアの元へ向かうということだ。

 「すぐにでも」、そう言った彼の言葉を振り返れば、俺にとっては避けたいことだ。


「明日、コニーさんに聞いてみてください」

「コニーって、さっきのあの人?」

「はい」

「どうして君は教えてくれないわけ?」

「すみません。居場所を知ってはいるんですが、ちょっと記憶が曖昧で」


 だからそう誤魔化した。大した方便ではないが、別にそれで引き下がってくれると思った。それに俺は、とりあえず今夜だけ時間を稼げれば良かった。

 でもどうやら、ミカルの用事はそんなに軽いものではないらしい。


「嘘つくな、教えろよ」


 俺は目を開いた。威圧的な声だった。ミカルの声色に、始めて明確な感情を読み取ることができた。

 嘘ではない。そう重ねようとしても、彼は更に畳み掛ける。


「大人が子供に、蜘蛛女の場所を教えると思うか? 急がないと困るんだよ」


 再び平坦になった言葉と共に、ミカルは立ち上がる。その足が向かう先は俺だ。


「村長が蜘蛛女のことを知ったってことは、普通はそいつを気にする」


 一息で言い終えて、こちらを見下ろす。


「話を聞く限り気味の悪い奴だ、もしかしたら領主様のところに情報が行って、この村へ騎士が調査に来るかもしれない」


 伸ばされた手が俺の両肩を掴み、屈んだミカルの視線がつばの下から覗く。


「そうなったら遅いんだよ。そうなったら、きっと確かめられなくなる」

「……何を、ですか?」


 やっと、かろうじて言葉を割り込ませる。しかしそれは、先ほどしたものと同じ質問だった。おまけに声は小さく震えていた。どうやら少年の気迫に、俺はびびってしまったらしい。

 ミカルの鋭い目と顔を付き合わせて、彼の返答を待つ。ゆっくりと、口は開く。


「それを教えたら、蜘蛛女の場所を教えるのか?」


 俺は小さく頷いた。

 もうそれでいいと思った。彼がイルネアに会う前に、俺が会いに行けばいいと。距離などこちらには関係ないのだから。

 ミカルは立ち上がり、雨戸を押し上げて外の月明かりを見る。しかし直ぐにそれを閉め、帽子を差し出しこちらを見た。


「……爺ちゃんの形見なんだ」


 そして彼はゆっくりと、自身の過去を語り始めた。


 ミカルの両親は、彼がまだ小さい時に行方不明となった。どこに居るのかは、未だにわからないらしい。

 その後、悲しみに暮れた少年に愛情を注いだのは、彼の祖父だった。

 ミカルは祖父と共に、しばらくの間を平和に暮らしていた。とても幸せであったという。だが不幸なことにその祖父もまた、ミカルの前から姿を消すこととなる。

 村へ帰ってくる際の、崖からの転落事故。メラン村の村長であるダグさんは、ミカルの祖父の死をそう結論付けた。

 しかし孫であるミカルは、その死因に異論を唱える。


「爺ちゃんの死体に、蜘蛛の糸がついていたんだよ」


 語りに一息をつき、ミカルは再びベッドに腰をかけた。


「それに、この帽子」


 そしてこちらに、茶色い帽子を放る。祖父の形見をそんな扱いでいいのかとも思ったが、まあ俺が口を出すことではない。

 しっかりと受け止めて、その姿を見る。するとある一点、補修を施した縫い目を見つけた。


「それもう塞がってるけど、何か鋭いもので切られた跡だった」


 俺は帽子をミカルに返し、顎に手を当てる。

 事の全貌は理解できた。そして彼がイルネアに会いたい理由も、確かめたいことも、容易に想像がついた。


「お爺さんが蜘蛛女に殺されたのかどうか、確かめたいんですね?」

「うん」


 そう、そういうことだ。程度はわからないが、ミカルはイルネアに疑いを抱いている。


「爺ちゃんは死んだ時、飼ってる犬を連れてたんだ。そいつに真相を聞ければいいんだけど、このあいだ村で死んじゃったし、第一犬とは話せないから」


 ミカルは冗談めかしていった。あまり似合わないセリフだと思ったが、自分の過去を語り終え、暗くなった空気が嫌だったのかもしれない。

 小さく息を吐いて、そんな彼を見る。


「糸と帽子のこと、村長には?」

「伝えてないし、多分気付いてもいないよ。君も黙っていてくれると嬉しい」

「何故ですか?」

「俺一人で蜘蛛女に会いたいんだ。……犯人じゃなかったら可哀想だから。沢山の人に疑われるのって」


 俺はミカルの声を聞き届け、そして自らの口を開く。


「……村の近く、崖の上の森の中です。そこにある一際大きな木の下に蜘蛛女、イルネアさんが居ます。でも、行くのは夜が明けてからのほうがいいですよ」


 彼が忠告に従うのかどうかはわからないが、一応最後にそう加えておく。気休めにでもなればいいと。

 ミカルは僅かに目を見開くと、直ぐに立ち上がる。


「わかった、ありがとう」


 そして足早に、部屋を後にした。

 俺は大きく息を吸って、ベッドに勢い良く体重を預ける。ごわごわとした感触を背中越しに確かめながら、複雑な感情を一緒に混ぜて、長い息を吐き出す。


「まず、一回目」


 小さく呟いて目を閉じる。魔法の酷使で気絶しないよう、意識に刻み込むカウント。

 向かう先はもちろんイルネアのところだが、気は思っていたよりも重かった。きっとミカルの言葉を、疑いを聞いたからなのだろう。そして彼の祖父に起こった出来事を聞いて、少しだけ、ほんの少しだけ元の世界への思いが強くなったからなのだろう。

 俺は寝転がったまま、頭の中に景色を想像した。






 辺りの空気が変わった瞬間、まず感じたのは肌寒さだった。そして次に背中を支える感触が草の柔らかさに変わる。

 俺は目を開き、森の景色を捉えてから起き上がる。頭を押さえてみても、痛みはまだない。


「……よし」


 立ち上がり呟いた言葉は、目の前の大木へと向かう。明かりは月の光だけ。闇に飲まれ、他の木々が存在感を薄めても、この大木だけはどっしりとした構えで佇んでいる。

 俺はその根元にしゃがみ込み、地面を叩いた。


「イルネアさん、ごめんください」


 何度か拳をぶつければ、慌てたように土が盛り上がる。蓋がずれ、現れたのは家の主。

 一瞬、ミカルの言葉がよぎる。


「ノーラちゃん……? どうやってここに」

「えっと、一人で歩いてきました。夜分にすみません。イルネアさんに用があったので」


 穴から半身を乗り出したイルネアが、驚いた顔でこちらを見つめる。無理もないだろう。


「……とりあえず入って」

「おじゃまします」


 だがなんとか家には入れてくれるようだった。地面に空いた穴へと潜り込み、前を進むイルネアに続く。

 中にはまず、細長い下り廊下が続いていた。俺はおろか、彼女が立ち上がってもあまるほど天井の高い通路だ。


「これ、全部イルネアさんが?」

「うん。その質問、あの人にも聞かれた」


 歩きながら質問を投げかけてみれば、イルネアは小さく笑う。だから俺も作った苦笑いを返した。

 壁にロウソクが立ち並ぶ廊下を、そのまま無言で進む。やがて目に入るイルネアの背中の向こうに、開けた空間が見えてきた。


「……すごい」


 その部屋に足を踏み入れたとき、一瞬だけ心が晴れた。

 こじんまりとした空間の天井には板張りが施されていて、壁沿いに三点設置された木の柱がそれを支えている。そして上方から侵食した大木の根が、額縁のように部屋を縁取る。机や椅子、雑多に置かれた道具たちも魅力を放つほど、そこは素朴で幻想的な美しさを持っていた。


「何か飲む?」

「え、ああ、いえ、結構です」


 奪われた目を離して返事をすれば、ロウソクの置かれた机、その前にある椅子へと促される。

 あれ、どうしたのだろう。着席して顔を向かい合わせると、第一にそう思った。

 明かりに照らされたイルネアの額から、薄褐色の肌を縦断する一筋の血液が流れ出ている。黒い髪に隠れているものの、よく見れば僅かに腫れているのもわかる。


「大丈夫、ですか?」

「気にしないで、ちょっと転んだだけだから」


 イルネアは苦笑いを浮かべ、机の上の布で額を拭う。赤い血がこそぎ取られる。


「それで、用ってなに?」


 そして何事もなかったかのようにそう言った。

 頭から血、決して小さなことではない。俺は不信に思ったが、有無を言わさぬイルネアの態度に押され、自らの目的を口にすることにした。

 ミカルの疑念は封じ込める。あれを確かめるのは彼の仕事だ。じゃなきゃ納得もしないだろうから。


「イルネアさんが、その……そういう姿になった経緯を、詳しく教えてほしいんです」

「それって、ただの興味?」

「いえ、私にとって重要なことだから、です」

「ふーん」


 知り合いに同じような境遇の奴がいる。それ以上突っ込まれたら、そう言おうと思っていた。だがイルネアは追求をしない。

 濃褐色の斑点を持った彼女の腕が、こちらに伸ばされる。机の上で組んでいた俺の手に、ゆっくりと近付く。


「ごめんなさい」


 今までの印象とは違う、優しい声色だった。

 そしてその言葉を合図に、手が冷たく触れ合う。彼女の細長い指が、俺の白い右手小指に絡む。

 感触と言葉、その両方に俺は心を揺らした。次に続く言葉が求めているものとは思えなかったから。


「あたしは道化師に蜘蛛にされた。でもどうやって変えられたのかも、元に戻る方法もわからない」

「……そう、ですか」


 落胆の声が漏れる。

 話し合いはそこまでだった。あっさりとしたものだった。俺は重い気持ちのまま、イルネアの家を後にした。

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