遥か遠き日の剣聖と神殺しの聖女
戦いは苛烈を極めた。
魔法が野を抉り、天を裂き、山を消した。聖女の振るった棍が彼の腹を抉り、彼の剣と花血が美しい聖女の肌を切り裂き赤く染める。
聖女の持つ神秘量は凄まじく、名前がどれだけ明かされようとも大した弱体化はない。それほど自力が違うからか、彼は何度も死んでいる。不滅の身体でなければ不死をも殺す一撃で両手では足りないほど死んでいるだろう。
聖女は最高位の神を十柱以上殺して見せた大罪人。対するは、ただ不滅なだけの人間。実力差は計り知れないが、凡人の癖に勇者パーティーで活躍し魔王相手に生身で斬り合える実力のある彼は、神秘という強力な先天性の素質には恵まれなかった。しかし、剣の才能と誰よりも努力する才能だけはあった。
神秘という肉体補助は誰よりもなかったが、その分努力し、その技量のみで剣の頂である〝剣聖〟まで登り詰めた。
そして何より、彼の納める流派【流水理心流】は、鋭いカウンターを主軸とした格上殺しの剣。返せる攻撃を全て返し、返せないものは全て流れる水の如くいなす。しかし、彼は不滅となったことにより本来死んで返せないはずの技も全て返してくる様になった。そして、彼は傷付けば傷つくほどにあたりに血を撒き散らし、撒き散らされた血が刃の如き鋭さを持つ桜の花弁へと転じる。
そうして聖女地道にを追い詰めていく。
その戦いは数日もの間戦いは続いた。
「……ハハ、流石に勝てませんでしたか」
「……当たり前でしょう。あなたの本分は他者を癒す聖職者。神は殺せても、神でも殺せない私を殺すことなど元々無理な話なのですよ。とは言っても、魔力を使いきれば貴方には肉弾戦しかありませんからね。魔力切れまで耐え切れれば私にも勝機がありますから」
最後に立っていたのは彼だった。聖女クレアは更地となった神殿の石畳みの上に倒れ、息も絶え絶えに彼を見ている。
「約束通り、質問に答えていただきましょうか。……なぜ。何故あなたがここまでのことを」
彼の疑問はもっともだった。共に旅をしていて聖女のことはよく知っている。
信心深く、あのパーティーの誰よりも慈悲深く優しい少女。弱い者に手を伸ばし、悪を嫌う彼女がなぜ崇めていた神々を殺戮しているのか。何故そんなにも苦しそうに戦うのか。彼は知りたかった。
「なぜも何も、私は気づいてしまいました。知っていますか、この世界には数多くの虐げられる者がいて、数多くの虐げる者がいます」
「ああ、もちろん知っている」
「虐げられる者は神に祈るんです。『助けて欲しい』と。『道を示して欲しい』と」
人は皆が強くはない。
自分で立って歩ける者もいれば、立つこともままならない者もいる。そんな者たちは神に頼るのだ。助けて欲しいと。
「……しかし、どうですか。神は人を助けず、与えるのは試練ばかり。試練の渦中に亡くなれば、元から居ないように扱う。…………ああ、反吐が出る」
クレアが彼の前で悪態をつく。これが彼女の本音なのだろう。これが、神に近づいた彼女の至った考えなのだろう。
「あんまりじゃないですか。努力も報われず、かと言って結果も評価せず。自ら打ち捨てられた亡骸さえ見向きもしない。あんまりにも酷いじゃないですか」
「だから、神を殺したのか」
「はい」
弱者からの神への復讐。
しかし、クレアのやろうとしていたことはそんなことではなかった。
「……だから、私は思ったんです。そんなふんぞりかえるだけの無能どもから権能を奪い、皆殺しにして、〝私が神になろう〟と」
「……あなたは」
「救えないはずだった者たちを救い。多くの取りこぼされた命を汲み上げて安寧の中で眠りにつかせる。そのために、私は神々を殺しました」
ただ救いたかった。ただ救いたかっただけなのだ。彼女は自分が大罪を背負ってでも溢れ落としてしまった人々を救いたかった。
「……それに、多くの神の力を集めればあなたの呪いだって解けるかもしれない」
「……」
「あなたは頑張ったのに。もう休んでもいいのに。あなたは守りたいものを守るために戦い続けて自分を削っていく。終わりがないから終われないあなたが、私にはとてもかわいそうで。苦しそうでならなかった」
「あなたを。あなたの無くしてしまった終わりを。私が戻したかった。」その言葉に悪意はなく、ただ純粋な善意。死を取り上げられ、安らぎを享受出来なくなった者に安らぎを与えるために頑張っていただけだった。
「……聖女様「……最後ぐらい、名前で呼んでくださいよ」……クレア。あなたはよく頑張った。頑張ったんだ。…………ありがとう。私を思ってくれて。ありがとう。私のために頑張ってくれて」
「……そうですか。…………フフ、やっと。あなたに呼んでもらえました。死ぬには、良い日ですね」
神々を殺戮した悪しき聖女は彼の目の前で息を引き取った。
「…………クソ。クソッ!」
彼はクレアの前に膝から崩れ落ちて大地を殴りつけた。
「ふざけるな。ふざけるな! バカヤロー! なんで、なんで!」
彼は泣いていた。守りたいから戦う。その守りたいものはいつも手からこぼれ落ちる。それが時と共に散る定めであるのだから仕方がないのかもしれない。
しかし、彼は見送ることしか出来ない。自分は共に散ることが許されていない。
「クソがぁぁああ!」
一頻り泣き叫べば感情も落ち着いてくる。
涙はもう流れない。涙が枯れてしまうほど泣いてしまった。
「…………クレア。あなたの魂は大罪故に消滅するでしょう。……ですから、私があなたの意志を。あなたが救いたいと願った人々のために、意志を背負って行きます。……ですので、安心してください」
彼はクレアの亡骸を背負ってその場から離れるように歩く。
そうしてたどり着いたそこは海の見える小さな丘。ここから見える夕日がとても綺麗で。生前、クレアが好きで良く居たという場所だった。
彼はそこにクレアを埋葬し、クレアを斬った剣を突き立てる。
「……おやすみなさい、聖女クレア。あなたの意志は受け取りました。魂が消滅を免れて天に登ったのならば、勇者と賢者に。レンネルとディザストによろしくお願いします」
彼はそう言って丘を降りて行った。
その丘には、『抜けずの剣』と呼ばれるいつまでも錆ることなく突き立てられた剣がとある聖女の亡骸を守り続けているという。
それから百数年が過ぎた頃。
彼は運命的な出会いをすることになるが、それはまた未来の話。
彼は、〝剣聖〟の名を捨て、ただの名無しに戻った。
「ん。…………ん?」
頭が働かず朦朧とする意識を覚醒させようと頭を振り、体を伸ばす。
「おはようございます。刻詠様。起こしてしまいましたか?」
「ん、あぁ。……お早う御在ます。……その様なことはあらず。…………遠き日の過去を見て、目を覚ましてし申しただけ故」
屋敷の外、時の神木の前で彼は修練に励んでいた。彼曰く、肉体はこれ以上の成長も衰えも基本的に起これないので精神修行や技巧の研鑽意外にやることがないという。
朝から剣を構えて素振りをし、瞑想し、やることがなければ屋敷内の掃除をしたり。町の者たちが持ってきてくれる旬の野菜や魚などを調理している。
白月は彼の過去をなん度も見ている。
彼に何があったのか。何が今の彼を作るのか。彼の生まれも、生きてきた軌跡も全て彼女は知っている。
彼が隠し続ける名前すらも、白月は知っている。
久しぶりに今の彼を作る基盤となった過去を見たが、やはり気分の良いものではない、
彼の生きてきた日々は出会いと別れの連続。
関わり、守りたいと。大切にしたいと。そう願った者たちは彼が皆見送った。
彼は死ねないから。彼は見送ることしか出来なかった。
いつまでも慣れない喪失感と孤独。それでも守ると決めた者たち。大切なものたちの意志を背負い、今も前に押し進めている名を語らぬ彼。
多くと出会い、多くを守り。そして、多くから切り捨てられ、多くを失う。
それでもと足掻き続ける。それでもと手を伸ばして守ろうとする彼は、以前の世界ではまさしく英雄だったことだろう。
次第に感情を失って行こうとも。何度その心が折れようとも立ち上がり、死ねなくて諦められるはずなのに這い上がり続ける。それは、人という肉体生命とは違い、意志を主軸とした全く別の生命体の様にも感じられる。
意志によって人を越えた者。それが彼なのだろう。
「……のう」
「? なんでしょうか」
「………………汝は、幸せか?」
多くを失い。その分だけ嘆き、それでも進み続ける。
「…………今の汝は、幸せか?」
例え彼自身が笑えなくても、守った誰かが笑えるのならそれで良い。そう生きてきた彼は、今幸せなのだろうか。
白月の問いに彼は意図を理解しきれていないのか首を傾げるが、なんとなく察しがついたのか溜め息を吐いた。
「ええ。私は今まで多くを見送ってきました。多くを守りたいと願い、多くを見送ってきました。そんな日々でも、あの世界で私は幸せでしたよ」
「…………左様か」
そんなのは知っている。彼の今までを見てきたのだからそんなことは聞いていない。例え苦痛にまみれていても、彼は過去の自分が幸せであったと言うだろう。
「でも」
「……?」
「今はとても幸せですよ。刻詠様が私と共に居てくれますから」
「……ああ……」
関係は不明瞭だ。友人ほど遠くはないし、親友と呼ぶにも距離が近い。しかし、男女の仲の様なモノでもない。恋人、と呼ぶにはあまりにもお互いの気が絡み合い過ぎて不適格だろう。
ならば、彼と白月の関係とは何か。結局は両片思いの同居人に落ち着く。お互いに一方的に愛し。相手から見返りなど求めていない。ただ、側に居たい。共に在りたい。ただそれだけ。
「どうかされましたか?」
「…………大事ない。……汝が幸せであると申してくれるのであれば、妾も幸せ故」
「そうですか」
「……妾は、……汝と徒然なる時を過ごすのが。一番の幸福に存ずる」
ただ何にでもない時を過ごす。彼が守っていた者たちとの様な慌ただしい日々ではなく。共に語り、共に陽を浴び、共に寝る。ただ何もなくぼーっとするのもいい。隣にいてくれるだけで、彼女は幸せなのだから。
「……そうですか」
「故に、…………汝も、共に床で横にならぬか」
「身体を流してからでも?」
「……汝が嫌と言うのならば、妾はそれを尊重しよう」
「では、少し待っていてもらえますか」
「……あい」
彼は駆け足で体の汗を流しに井戸へと向かう。白月は彼の背を目で追っていた。




