夜の名無しと刻詠の巫女
注意 今回の話は微量のエロ要素を含みます。
秋方の夜。
昼間は涼しく、夜は冷える。死なずの身とはいえ、種族はただの人。体を冷やせば風邪をひくし、腹も下す。食事は要らず、睡眠も要らず、ただ死なない以外はただの人間である彼は、珍しく体をこわばらせていた。
「暖かいか?」
「……ええ、とても」
「ふふ、ならば良い。……汝の熱も暖かい」
彼と白月は互いに抱き合いながら床についている。
白月の展開する七つの尾が彼と自分を優しく包み、顔はお互いの息が掛かるほど近づいている。
「……顔が赤く染まり申しておりますれば」
「それはあなたもでしょう……」
彼は異性と話したり、軽いスキンシップには耐性があってもここまで接近して話すのは慣れない。そして、白月に関しては子供以外ここまで近づく者がいない。そのため、当然ながら目を開ければ彼の顔が目の前にあると言うこの状況には慣れておらず、かなりの羞恥心を抱えながらそう告げる。
しかし、彼も特別異性慣れしていないわけではない。女を抱いたのは一度や二度ではないし、異性の顔を前に特別顔を赤らめたり恥ずかしがる様な素振りを普段は見せない。
だが、相手は絶世の美女。何かしら思うモノもあるのだろう。珍しく視線を泳がせている。
「……汝も、……汝も、恥ずかしく思い申すか」
「………………ええ。とても」
「…………左様か」
彼の背に回した腕を締め、彼に密着する。彼の持つ匂いに包まれてとても心地が良いが、それと同じぐらい羞恥心も増していく。
「あまり匂いを嗅がないでください。気分の良い匂いと言える物ではありませんから」
「…………否。妾は、汝の匂いを不快に思ったことなどあらず。………………好みの匂い故」
「……そうですか」
彼の持つ匂いは、元いた世界では嫌われる部類の匂いだ。甘い桜の様な匂いに混じる潮の香り。
生まれ故郷では葬儀を連想させる匂いがする人物としてかなり嫌われた。血統。彼の生まれ上、何かしらの花の匂いがするのは仕方がないことなのだが、どちらにせよ葬儀を連想させるため嫌われている匂い。
それを好きだと言われて少々困惑している様子だが、白月は気にすることなく彼の首元に顔を埋める。
「あまり密着しすぎると熱がこもって熱くなります。私は……もう、のぼせてしまいそうだ」
「…………暖かい、と言うのは良いモノ。寒いと、少しばかり寂しく思う」
「要は、人肌が恋しくて離れたくはない。と?」
「……然り。…………今宵は、汝と共に」
意地でも離れたくないのか、白月の腕は彼を抱きしめる力を強め、二人を包む様に展開されていた尾が十にまで増える。
今日、なぜここまで積極的になっているのかと問われれば単純に妬いているだけだ。
いつも表情を変えず、柔らかい表情などしない彼が子供らが相手となると微笑みを浮かべていた。
自分の前だとあまり笑わない彼が、他の誰かの前では笑う。白月にはそれが面白くなかった。嫉妬相手が子供であることに大人気なさは感じるが、この気持ちをどうすれば良いのか。そんな知識を彼女は持ち合わせていない。
「………………妾は。……嗚呼、何故妾は」
「刻詠様?」
口を開き、彼の首に噛みついた。いや、どちらかといえば歯形をつけるために、押し付けたが近いのかもしれない。
突然首を軽く噛まれた彼は困惑している様で目を白黒させている。
「……お詫び申す。されど、……妾は汝を。…………汝を、他の者に譲りたくはない」
彼を自分のモノだと主張したい。彼は自分だけのモノなんだと言いたい。
しかし、現状彼は誰のものでもない。
彼は異界より迷い込んだだけのただ異郷の民。行く宛もなく彷徨う者を、白月の屋敷に居候させている。この町に居着いてもらっているだけなのだ。
「刻詠様……」
「…………身侭である事はわかり申している。されど、…………今宵は。今宵だけは、妾と共にあってほしい」
ただ側にいるだけでいい。起きていようと、自分より先に寝ようとかまわない。ただ一緒にいたい。一緒にいて欲しい。
「――今宵は、とても冷え申している故」
「……わかりました。今夜はお供しますよ」
「有り難い」
ギュッと彼を抱きしめる白月を優しく抱き返す。今夜はとても冷えるらしいので彼女の頭を撫で、あやす様に腰あたりをトントンと軽く叩く。
「……――!」
「! 痛かったですか」
白月から小さく声が漏れ、体をビクッと震わせる。それに何かしてしまったのではないかと彼は少し慌ててる。
「んっ、はぁ。…………大事ない……故。……あまりに、心地よいモノだった故」
「…………そうですか」
痛くない。気にしなくてもいい。そう言うが、白月の様子が少しおかしい。
「本当に大丈夫ですか」
「…………んっ、む。はぁ。あい」
明らかに様子がおかしい。心なしか、彼を抱きしめる力がさらに強まっている気がする。
「…………もっと、して欲しい」
「は、はあ」
「んっ。…………あっ。………………んんっ! ……はあ、はあ」
「……本当に大丈夫ですか?」
「…………大事は、ない」
呼吸が荒く、吐いた息も湿り気が強くなった気がする。
少し大きくビクリと動くと脱力し、彼の首に再度甘噛みをした。今度は押し付けるのではなく、噛みつき、歯形を刻みつけるように甘くはあるが強めに噛む。
ゆっくりと口を離し、何かを言い淀む様にパクパクと口を動かすが、出そうとした音は声になる事はなかった。
「…………」
「………………もう、眠りに、着こう。……ん、はぁ。これ以上は、……あまりに宜しくない」
「……ええ、そうしましょう」
少しとろんとした薄藤色の眼が彼の深紅の眼と視線を交わす。
なんとなく彼は今の状態を把握しているが、流されずに耐えた。
「…………おやすみ申す」
「ええ、おやすみなさい。刻詠様」
「……あい」
彼にしがみついたまま白月は眠りに落ちた。
そんな彼女の頭を優しく撫でながら、彼は己の過ちを理解して深くため息をついた。
甘く香る異性の匂い。異常なまで彼の欲を刺激するその匂いから逃れようとするが、動くわけにもいかず。彼は諦めて耐えることにした。
しばらくすると匂いは薄まり、熱も冷めていく。
スゥスゥと寝息を立てる白月の頭を撫でながら、彼は彼女の頭に顔を近づける。
香るのは日光の様な匂いに、柑橘系の爽やかな香り。嗅いでいると少し気分が落ち着いてくる。
「……あなたを卑しいだとか、大人気ないだとか、そんなこと考えたこともありませんよ」
何やら嫉妬している事は知っていた。今日はやけに積極的だったし、何か想いがあるのはもちろん知っている。
白月が彼を想うように、彼だって白月に想うモノはある。
しかし、それを見て目でも良いモノなのかは微妙なところだ。
彼は異郷の民。何故この世界へ迷い込んだのか。ふとしたことで元の世界へ戻れるのか。全てわからない状態だ。
白月曰く、異界より迷い込んだ者は彼が初めてではない。そして、元の世界へ帰った者は一人もいないらしいのだが、彼が例外になりうる可能性は充分にある。それ故に踏み出せない。ふとした時に、元の世界の法が働きかけないなんて保証はない。現に彼が死ねないのは元いた世界の法なのだから。
大切だからこそ、彼は彼女の名を決して呼ばず。自分の名を口にしない。深くなってはいけない。そう頭では考えているが、どうしても深くなっていく。
白月の姿を目で追い。白月と共に甘味を食べる稼ぎを得るために迷宮へと入り魔物を倒す。白月が大切にしている民のために、彼は迷宮より抜け出した魔物を狩る。
関係を深めるのは良くない。そう考えて深めない様にしていても気がつけば深くなって行く。深くなる度に愛おしくなり。同時に苦しくなる。
愛しているから名を呼んで欲しいも。愛しているから名を呼ばれたいも。彼は理解できてしまうから。
「……刻詠様。お許しください。私は、まだあなたと共にいたい。あなたの側であなたを見ていたい。ですから、この不敬をお許しください」
そう言って彼は寝ている白月の額に口付けをした。
その時の彼の目はとても優しい目をしていた。




