1000日目
「最後って、どういう事ですか。」
「私・・・。私ね、明日が1001日目なんだ。」
理解が追いつかなかった。今夜で、終わりだなんて。
「嘘、ですよね?」
沈黙。
「何で・・・」
拳に爪が食い込み、痛みを感じるが、そんなものどうでも良かった。
「何で、言ってくれなかったんですか!師匠があのまま山奥の家にこもっていたら今ごろこんな事になってなかった!何で僕を案内なんて・・・」
細い指が、差し込む月明かりよりも尚白く華奢な手が僕の口を塞いだ。僕の顔を覗き込む彼女の顔もまた、幽霊みたいに白かった。
「最期に一緒に居るのが、君で良かった。」
何も、言えなかった。
師匠も、何も言わなかった。
しばらくして、師匠が起き上がり、僕は師匠の向かいに座った。
「お弟子君、誰かに看取られて死ぬ人はね、実は死んでないんだって私は思うんだ。最期の思い出を共有した人の中で、いつまでも生きてられる気がするの。」
急に何を言うんだろう。
「誰かが死にゆく瞬間に一緒に居てくれたら、後は何も要らないんだ。」
「師匠・・・。」
「だからね、綴さん。最後に私の我儘を押し付けさせて下さい!」
返事をする前に、僕の唇が塞がった。それも一瞬で、次の瞬間には僕は正面から彼女を受け止めていた。
「ししょ・・・」
「黙っててよ、本当に野暮な人。あの頃から、ずっと・・・。」
右耳の耳朶を囁くような声がくすぐる。涙混じりの声に、黙って頷く。
誰に向かって言ってるつもりなんだろう。誰が見えてるんだろう。そんな疑問を飲み込んで、僕は彼女を抱き返した。
肩に落ちる涙も、気づかない振りをした。だんだんと、部屋の中に入る明かりが赤くなっていく。夜明けが近いのだ。
「カーテン、閉めますか?」
一応聞いてみる。
「君、空気読めないね。」
師匠の声が、涙混じりに笑う。
「最後に笑ってくれてよかったです。」
「ついでに、遺言でも残そうか?」
笑えない冗談だったが、好きにして下さいと返事してみた。
僕の左手を撫でながら、師匠はそっと言った。
「ごめんね、お姉ちゃん。」
「急に何ですか最後だってのに?」
「ふっふっふっ。お弟子君、これで君は一生モヤモヤを抱えて生きていくんだ!」
最後までガキみたいな彼女が可笑しくて、吹き出してしまう。
相変わらず抱き合ったままで目を合わせてくれないが、彼女も笑い出す。
部屋の中が、少しずつ、明るくなっていく。
どちらからともなく、笑いは止んだ。
「バイバイ、お弟子くん。」
一条の朝日が差し込む。
僕の手のひらが癒えていくのと同時に、腕の中の重みが少しずつ無くなっていく。
永遠のような数秒の後、金色の灰が虚空に溶けて消えていくのを、僕は呆然と眺めていた。
師匠が、居なくなってしまった。
きっと、この訳のわからない世界で、僕は彼女を心の支えにして居たんだ。
宿の部屋は一人用だった。でも、一人分の空間が余ってしまって、どうしても埋められないような気がした。
しばらく呆けて居ると、ふと宿を出ないといけないと思い立って、師匠の荷物を抱えて部屋を出た。
宿屋の女将さんに出ていく旨を伝えると、女将さんが言った。
「一週間あの部屋はあんたの為に予約済みだよ。好きに泊まんな。」
「あの、でも僕路銀とかないですよ。」
「そんなもん関係ないね。先代の紫の色素魔導師の付き人だった女の最期の頼みだ。路銀なんて要らんから泊まっておきなよ。あ、でもトレーニングは欠かすんじゃないよ?あの女のことだから、どうせきつーいルーティンがあるんだろう?」
先代の元付き人というだけで、この扱い。
「やっぱり、色素魔導師というのはそんなに凄いんですか。」
女将さんは呆れた顔で話し始める。
「あんた、新入りみたいだから教えてやるがね、色素魔導師ってのは名実ともにこの世界最高峰の力を持つ6人の事を言うんだよ。付き人にも相応の実力が求められる。特にあの女は姉の紫の色素魔導師と姉妹揃って歴代屈指の強さを誇っていたもんさ。何で第一線を退いたのかは分からないし、最期にかつての同僚の私を頼ってきた理由も分かんないけどね。」
いつのまにか、女将さんの顔には懐かしさや悔しさが浮かんでいた。
「あの女の弟子だ、あんたは絶対普通のところじゃ終わらない。というより、天国のあいつが終わらせてくれないだろうさ。」
言葉の端々に涙を滲ませながら、女将さんは言う。
「だからさ、あんたは強く生きな。あのプライドの高い女があんなに対等に接してたんだ。きっとあんたは、当代の色素魔導師の付き人にもなれるんじゃないのかい。」
心強い言葉だった。
師匠に連れて来てもらって得たこの学園でのチャンスを棒には振れない。そう誓った時、女将さんが思い出したように言った。
「そういえばあんた、属性は?」
「ありません・・・。」
「・・・入学したら、死に物狂いで魔導書を読みな。そしてクラスの昇格戦で勝ち抜いて、最上位のクラスで禁書庫への入室権を何としても手に入れるんだ。さもなきゃ、あんたの師匠は無駄死にさね。」
悔しいが、女将さんの言う通りだった。
顔を上げて、告げた。
「僕、強くなります。師匠を小指一本で倒せるくらいに!」
「はっ!その意気だ!分かったらさっさと体でも動かしな!」
完全に気分が晴れた訳ではなかったが、それでも僕は外に出て、朝日を浴びたのだった。
途中昼ご飯を貰いに宿屋に戻ったが、一日中体を動かしていた。そうでもしないと、やっぱり塞ぎ込みかねないと、自分でも思った。
裏道を歩きながら、志願者情報が記された紙を右のポケットから出して確認した後再びしまう。
後一週間でまた新しい生活。そして、その後も、この世界で僕の生活はどんどん変わっていくはずだ。それでも、僕は師匠のことを忘れられそうにない。
「相変わらず、しみったれた面してんな。」
「うるせぇ。」
リーフとのやり取りもこの一日で慣れた。お互いに周囲を確認しながら軽口を投げ合う。
「ところで・・・」
リーフが何か喋ろうとしたのを右手で制止する。
少女が2人、向こうから歩いてくる。
(堂々としてろ、堂々と。)
(さっさと念話を切れボロが出たらどうする。)
(ちぇっ。)
改めてその少女達に視線を向け、思わず息を呑んだ。
片方は天使と見紛うほど真っ白な少女。聖域の中に居るかのような、そして穢れを知らぬ様な愛らしい顔立ち。
(綺麗だ。)
純白を材料に神が拵え上げた人形と言われても違和感を覚えぬような、それでいて触れたら音もなく崩れてしまいそうな程儚げな、そんな少女だった。
(もう片方は・・・。)
何処となく勝ち気な少女だ、と思ったら、目が合った。丸眼鏡越しに覗く眼光がより鋭くなる。
慌てて目を逸らす。しかし、勝ち気な少女の方が赤毛のパーマを揺らしながら近づいて来る。
「初めまして。何故、こっちを見ていたの?」
丁寧な話し方に少し拍子抜けした。思ったより物腰の柔らかい人だった。
「あ、いや裏通りを歩くなんて珍しいな、と思って。僕も同じ事をしてるから何とも言えないけど。」
少し困った顔をする少女。そこに、白い少女が駆け寄ってくる。
すると、いきなりホワイトボードが空中に現れた。
〈エレナちゃんは耳聞こえないの〉
そして、もう一枚ボードが現れる。
〈裏通りを歩いてるから心配してくれたんだって〉
そう書かれたボードがエレナの方に向けられる。
「そうだったのか。突っかかる様な事をして悪かった。どうやらこの子・・・瑚白があなたに興味を持ったみたいで。それであなたを眺めていたら、目が合ったから。」
「別に、気にしてないよ。」
「良かった。」
その一言と共に快活な笑顔を浮かべるエレナ。
〈私も混ぜてよ〉
不意に、ボードの角で脇腹をくすぐられる。
〈私は白石瑚白。瑚白って呼んで〉
瑚白さん、あなた悪戯好きだろ多分。
「僕は、スペル。」
「スペルか。よろしく。」
〈よろしくねーV(>_<)V〉
便利だなそのボード。
でも思いっきり顔に出てるから絵文字があまり意味ない。一転してあどけなさが目立ち、ころころと表情を変える瑚白に、エレナが話し掛ける。
「そういえば、何かスペルに用があったんじゃなかったか?」
〈ごめん忘れてた〉
スッとこちらに手を翳す瑚白。
白→→白昼夢→→→『予知夢』
数秒、沈黙が続く。
ボードの文字が変わる。
〈やっぱりね。スペル君、このままだと死んじゃうよ〉
「ええっ!?」
〈エレナが驚いてどうするのさ〉
「ごめん、でも、いきなり死なんて・・・」
正直こっちもびっくりだ。初対面でいきなり死を宣告されても困る。
〈だから、これをあげる〉
瑚白が渡してきたのは、5枚の真っ白な紙。
「これは?」
〈白紙に戻す為の使い捨てアイテム。私の自作〉
ドヤ顔の瑚白。
「これがあれば大丈夫なのか?」
〈多分ね。でも、使い所を間違っちゃダメだよ。一応多めに渡してるけど〉
「それで・・・」
まだ聞きたい事がある。だが。
「瑚白ちゃん。時間だよ。」
瑚白のブローチから声が聞こえた。
〈ごめんね、時間切れみたい〉
「時間切れ?」
〈今は教えてあげられない。でも、君とはまた会える気がする。だから、またね!〉
青い渦が足元から発生し、2人の姿は消える。
「「何だったんだ・・・。」」
リーフと僕の声が重なった。
「死ぬって宣告されたが、お前まさかあの師匠とやらの後追うつもりじゃないだろうな?」
リーフの問いに僕は答える。
「そんなつもりはないよ。僕はこの世界から出て、現実世界の彼女を絶対に探し出して弔う。間違っても自殺なんてしないよ。」
「そうか。」
そしてやはり、師匠に似た声でリーフは言った。
「強く生きなよ、お弟子君!」
揶揄われたのかもしれないが、励まそうとしてるんだと思っておく。
「はいはい、分かってますよ。」
そして、しばらくはこうして師匠の影に縋り続けるのだろう。
いつか前を向けるその時まで、このままで居たら笑われてしまうだろうか。
「それでも。」
この世界の太陽を見る度に、僕は前を向くのだろう。いつか、僕が妄想から抜け出すその日まで。




