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レッサーパンダは威嚇したい!(1)

 広場での爆弾騒ぎがあってから数日が経ったある日。

 ジェイクは、ハンナと一緒に街のパトロールに出ていた。

 空はよく晴れていて、心地のよい風が頬を撫でる。穏やかな昼下がりの街を歩いていると、ふと人の往来がいつもより多いことにジェイクは気づいた。この辺りは市場や商店などもあって、住民たちにとって生活の要となっている場所だ。それだけに普段から活気があるが、今日は一段と賑わっているようだった。


「なんだか賑やかだな」


 ジェイクが周りを見回しながら呟くと、隣を歩いていたハンナが答える。


「あっ、もうすぐ収穫祭だからじゃないですか?」


 ハンナに言われてようやく、ジェイクは確かにこの時期にそんな祭りがあったと思い出す。収穫祭では街のあちこちに出店が並び、大人たちは昼間から音楽を聴いて酒を飲み、子どもたちは仮装をして楽しむのだ。


「私もカトレニアの収穫祭、すっごく楽しみにしてるんです!」

「そうか。君はこの国の収穫祭は初めてだったな。隣国とは言え違いもあるからきっと新鮮なはずだ」


 そう言いいつつ、ジェイク自身も祭りの記憶を思い出そうとすると、かなり時間を遡らなければならない。戦時中はもちろん開催しなかったし、今年の収穫祭が終戦から初めて行うものになるからだ。


「そろそろ準備が始まったんでしょうか。ほら、飾り付けがしてあります」


 ハンナが指さす先には、店の軒先にかけられた色とりどりのガーランドがあった。他の店でも飾りつけの準備をしている姿が見受けられ、誰もが活き活きとしている。


「久しぶりの開催だから、張り切っているんだろうな」

「ふふ、みんな楽しそうですよね」


 そんな話をしていると、先日の爆弾騒ぎがあった広場に辿り着いた。もしここで爆発が起きていたら、今年の祭りも開催はなくなっていたはずだ。今ある平和な光景は、ホーリーが守ったものだと言える。ハンナから聞いたところによると、ホーリーには賞状と山積みのジャーキーが贈られたそうだ。

 広場の一角では、大人に混ざって子どもたちも飾りつけの手伝いをしていた。子どもたちがその年齢にふさわしく、無邪気にはしゃいでいる。そんな景色の中にいると、本当に戦争は終わり、着実に平穏な暮らしが戻っているのだと感じられた。

 思わずしみじみと眺めていると、ジェイクの視線に気づいたのか、子どもたちがハッとして振り返った。ジェイクの顔を見た子どもたちは、なぜか青ざめて俯いてしまう。

 一瞬だけ疑問に思ったものの、ジェイクはすぐに自分が原因だと気づく。


「恐がらせてしまったみたいだな」


 ジェイクが視線を逸らしながら言うと、ハンナが励ますように返す。


「先輩、本当は優しい人なんですけどね。子どもたちには、ちょっとわかりづらいのかもしれません」


 ジェイクは、どちらかというと昔から表情が豊かなほうではなかった。しかし、無情件に子どもから恐がられるようなこともなかったはずだ。

 いつからこうなってしまったのだろうか。そう考えれば、やはり戦時中の経験の積み重ねなのだろうと思う。戦場で敵兵と向き合えば、剣を振るう前にまず目で威圧する。最初こそ、自分の身を守るための盾として身に着けたものだったが、そのうち相手を脅かす武器になっていった。

 街に平和が戻りつつある今でも、長い戦いの中で体に染みついた痕跡は消えていないのだろう。

 ジェイクがそっと息を吐くのと同時に、隣でハンナが何かに気づいたように「あっ」と声を上げた。


「せ、先輩。見てください……」


 その声はどこか弾んでいて、視線はジェイクの背後に向いていた。


「どうした?」


 ハンナの視線を辿って振り返ったジェイクも思わず声を零しそうになった。

 数歩先の距離を開けた先にいるのは、レッサーパンダだった。

 ジェイクの記憶では四足歩行だったが、目の前にいるレッサーパンダは二本の後ろ足できちんと立っている。ふわふわの毛並みに覆われた胴体をまっすぐにぴんと伸ばし、愛くるしい顔をこちらに向けていた。しましま模様の太い尻尾はモフモフとしていて、見るからに触り心地がよさそうだ。


「この子、先輩のこと見つめてますよ。なんだか憧れの眼差しって感じです」

「いや、そんなはずないだろう」


 口では否定しつつも、ハンナの言う通りだった。

 レッサーパンダは、ジェイクから目を離そうとしない。そして理由はわからないが、キラキラと輝く瞳には確かに羨望が滲んでいた。

 呆然と見入っていたレッサーパンダだが、ふと我に返り鳴き声を上げた。


「キュウ!」


 ジェイクに必死に何かを訴えかけているようだ。

 すると、遠くから慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる女性の姿が目に入った。


「すみません~! その子、うちの子で!」


 駆けつけた女性は、レッサーパンダの体をひょいと持ち上げる。

 レッサーパンダは「キュキュゥ」と鳴きながら、女性にしがみついた。


「ノエル、勝手にどっか行ったらダメだって言ったでしょう? 今日はクランプスの下見に来たんだからね」

「クランプス……」 


 ジェイクはその言葉を繰り返すように呟きながら、収穫祭のある行事について思い出した。


「もしかして、バケンズ家の?」


 ジェイクが尋ねると、女性が会釈する。


「はい。私、クレア=バケンズといいます。それで、こっちが今年の収穫祭から参加するノエルです」

「なら、今年もあの行事をやるんだな」


 ジェイクとクレアのやり取りを聞いていたハンナが首を傾げる。


「あの行事?」


 なんとなく祭りの内容を知っているハンナも、どうやら詳しいことまでは知らいないようだ。

 ジェイクは頭の中にある知識と記憶を探りながら話し始める。


「収穫祭では、バケンズ家の人間とレッサーパンダが子どもを訪ねて回るのが慣例になっているんだ。それが、クランプスという名前で……」


 厄災をはらい、怠け心を戒め、家族の絆を深めるのを目的とした伝統行事だが、どう言えばうまく伝わるだろうか。

 ジェイクが説明に困っていると、クレアがその後を引き継ぐ。


「悪い子はいないかな~?って私が呼びかけて、うちのレッサーパンダがシャー!って威嚇するんです。中には恐くて泣いちゃう子もいるんですけど。子どもたちがいい子にするって約束してくれたら、お菓子を渡すんです」


 ハンナもそこまで聞くと、ある程度は理解できたようだ。


「へえ、そんな行事があるんですか! 私も当日、楽しみにしてますね!」

「あ、ありがとうございます……うまくいくといいんですけど……」


 目を輝かせるハンナとは対照的に、クレアの表情はどこか浮かない。


「何か困りごとですか?」


 ハンナが問いかけると、クレアは躊躇いがちに事情を語る。


「それが……前回の収穫祭までは、この子の父親が担当だったんですが、代替わりをして今年がノエルにとって初めての収穫祭なんです。だけど、まだノエルは上手に威嚇ができなくて……」

「なるほど。それは困りましたね……」


 神妙な面持ちで話を聞いていたハンナだったが、突然何か閃いたようにジェイクとノエルを見比べた。


「あっ……だからノエルくん、先輩のことを羨望の眼差しで?」


 ハンナは確信めいた顔をしているが、ジェイクは疑問符を浮かべる。


「どういうことだ?」

「きっとノエルくんはさっきの先輩の姿を見て、威嚇の達人だと思ったんですよ。ノエルくん、先輩に弟子入りしたいんじゃないでしょうか?」


 確かについ先ほど、何もしていないのに子どもに恐がられたところだが、そんな突拍子もない話があるだろうか。

 ジェイクにはどうにも信じがたかったが、ノエルは肯定するように「キュウ!」と相槌を打っている。その通りだと賛同しているように見えた。


「先輩、ここはひとつ、ノエルくんに上手な威嚇の仕方を伝授してあげるのはどうでしょうか?」

「伝授って……そんな大層な技ではないんだが」


 と言うより、技と呼ぶものですらない気がする。もちろん誰かに教えたこともないし、教えられるのかもわからない。どうしたものかと頭を悩ませていると、クレアまで頭を下げ始めた。


「私からもお願いします! ずっと家で続けてきた大切な行事なので、成功させたいんです」


 そう真剣に頼み込まれると、無下にもできない。

 ルーカスに話を通せば、動物安全課の仕事として受けられかもしれない。どうせ今日は事務所に戻っても、多少の事務仕事がある程度だ。

 何より、懇願するような眼差しを向けるノエルのまっすぐな瞳に、申し出を撥ねのける気持ちは消し飛ばされた。


「……やれることは、やってみるか」



 パトロールを一通り終えた後で、ジェイクとハンナはカトレニア警察の舎に戻ってきた。

 事務所には戻らず、そのままノエルやクレアと一緒に裏手にある庭へと足を運ぶ。そこで、ジェイクはノエルと向き合うようにして立ち、威嚇の特訓を始めた。


「いいか。威嚇で重要なのは、相手より自分が強者であると態度で示すことだ。実際に相手より優位であるとか、腕が立つとかは関係ない。たとえ相手より自分の力が劣ると感じたとしても、それを悟らせてはならない。『敵わない』と相手に思い込ませるんだ」


 ジェイクの言葉にしっかり耳を傾けてから、ノエルはこくりと頷く。


「実際に俺がやってみるから、それを真似るところから始めよう」


 ジェイクは細く息を吐き出しながら、神経を研ぎ澄ます。それから目の前にいるノエルに、過去に対峙した敵兵の姿を重ねた。

 その瞬間、ジェイクの目の色が変わった。その瞳は凪いだ海のように静かなのに、確固たる強さが溢れ出ていて、一瞬で相手を震え上がせる獰猛さがあった。


「キュゥゥゥ……」


 それを目の当たりにしたノエルは逃げるように体を翻し、近くにいたハンナに駆け寄って足にしがみつく。


「恐がらなくて大丈夫だよ。こう見えて、先輩はすごく優しい人だから」

「キュイ?」


 ハンナが優しく声をかけるが、ノエルは離れようとしない。小さな手で必死にハンナに抱きつき、甘えるように体を寄せている。

 途端にジェイクは、妙に胸がざわつくのを感じた。

 馴染のない感覚に最初は戸惑ったものの、俯瞰的にその正体を見極め、やがてその感情の正体を認めた。

 ――うらやましい。

 あのモフモフにしがみつかれるのは、どんな感覚なのか。

 自分の足にしがみつく姿を上から見たら、どんな景色が広がっているのだろう。

 ジェイクが自分の中の衝動と格闘していると、クレアの叱咤の声が飛ぶ。


「ノエル、威嚇できるように頑張るんでしょ。ノエルも練習しないと!」


 その言葉にノエルも気を取り直したようで、再びジェイクと向き合う。

 今度は、ノエルが威嚇を披露する番だ。


「じゃあ、次はお前がやってみろ」


 ジェイクが促すと、ノエルは後ろ足で立ち上がる。そして、両手を目いっぱい上に掲げ、敵意を示すような鳴き声を上げた。


「シャー!」 


 真正面からそれを受けたジェイクは、危うく口元が緩むところだった。


「ノエルの威嚇、どうでしょう?」


 クレアに真剣に評価を求めれるが、返答に困ってしまう。


「これは、なんというか……」


 言い淀んだジェイクに代わって、ハンナが直球で評価を下す。


「かなり可愛いですね」


 ジェイクも思わず頷きかけた。

 ノエル本人は全力で威嚇をしているつもりなのだろうが、率直に言って恐さの欠片もない。むしろ、恐がらせようと頑張っている姿が微笑ましく、心が和む感覚すらある。

 思った以上にノエルに威嚇を教えるのは難しそうだ。

 そんな思いを察してか、クレアが必死でフォローに入る。


「これでも練習してかなりよくなったんです! だからコツを掴めばもっと上達するはずなので!」

「まあ、最初からうまくいくはずはないからな。とにかく練習だ」


 ジェイクも気持ちを切り替えて、練習を再開する。

 しかし、何度やってみても、なかなかノエルの威嚇はうまくいかない。ノエルも気持ちが萎んでしまったようで、威嚇がどんどん小さくなっていく。

 何か策を講じなければと、ジェイクは考えを巡らした。


「ハンナ、ちょっと……」


 ハンナを呼び、ノエルに聞こえないよう小声で作戦を話し合う。


「次の威嚇は君が相手になってやってほしい」

「え、私がですか?」

「ああ。君が思いっきり恐がってみせて、自信をつけさせよう」


 騙すようで少し心苦しいが、自信がないと何事もうまくいかないものだ。

 ジェイクの意図を理解したハンナは、やる気を滲ませて胸に手を当てた。


「なるほど。それなら任せてください。私がどーんと一芝居うって、ノエルくんが胸を張って威嚇できるくらいに自信をつけてもらいます!」


 作戦会議を終えると、ハンナがノエルの相手をするために前に立つ。


「ノエルくん、思いっきりやっていいからね! 渾身のシャーッをください!」


 ハンナが気合いを入れて告げると、ノエルも意気込んで両手を上に掲げて威嚇を繰り出す。


「シャーーッ!」


 確かに、さっきよりは勢いがある。

 しかし、肝心のハンナの表情はどんどん緩んでいった。


「かっ……かわいい~~~!」


 ハンナは恐がるどころか、両頬を手で包んで体をくねくねしながら悶絶している。

 これでは作戦とまるで違う。


「おい、ハンナ」


 ジェイクが小声で諫めると、ようやくハンナは本来の目的を思い出したようだった。


「な、なかなか恐かったよ……」


 慌てて取り繕うように言うが、時すでに遅し。ノエルはすっかり落ち込んでしまっている。しょんぼりと肩を落とすノエルの姿に、ハンナが焦った様子でジェイクに駆け寄る。


「どうしましょう、先輩」

「もう一度やるぞ。次はちゃんと恐がれるな?」


 しかし、ハンナはさっきの勢いが嘘だったかのように、すっかり弱気になって首を横に振る。


「無理です……あのかわいさを前に、演技なんてできません」


 ハンナを説得しかけて、ジェイクは口を閉ざした。ジェイクですら、あの威嚇の前では表情が緩みそうになるのだ。ハンナに恐がる演技をしろというのは、無理がある気がしてきた。

 ジェイクは作戦を諦め、ノエルに向き合った。


「収穫祭までにはまだ日がある。焦らず地道に練習しよう」

「キュイ!」


 落ち込んでいたノエルも、ジェイクの言葉に再びやる気を取り戻したようだ。

 その後も、日が暮れるまでジェイクとノエルの特訓は続いた。


(つづく)

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