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第1話 冷血騎士だって、モフりたい!(1)

 木々が生い茂る森の中を影が走る。


「ハンナ、獲物は近いぞ」


 ジェイクは木から木へと飛び移りながら、横を並走するハンナにちらっと目配せした。


「はい。絶対に逃がしませんよ」


 頷き返してから、ハンナは前方に目を向ける。

 ジェイクとハンナの視線の先で、黒い影がさっと身を隠すように茂みの中へ逃げ込んだ。

 思っていたより捕獲に時間が掛かっている。ジェイクは奥歯を噛みしめ、傍らに携えている剣の柄に触れる。ハンナはそれを見逃さず、ジェイクに向かって声を張り上げた。


「先輩、剣はダメですよ! 傷つけずに捕獲が依頼者との約束です!」

「……わかってる」


 つい、いつもの癖が出てしまった。苦い気持ちを噛みしめながら、ジェイクは柄から手を離した。


「予定通り、B地点に追い込むぞ」

「了解です!」


 短いやり取りを交わし、ジェイクとハンナは二手に分かれる。獲物を回り込むようにして追い込むつもりだ。ジェイクは木の枝を足場に、軽々と次から次へと飛び移っていく。ハンナは鉄棒のように枝に掴まると、体を翻して地面に着地した。

 人間の身のこなしとは思えないふたりを、後方にいた同僚らしき男性2人が信じられないという面持ちで眺めている。


「うわぁ、本当に人間ですか。あの黒髪の男の人って、最近配属されたばかりなんで

すよね。どこの部署にいた人なんですか?」


 新人らしき若い男がジェイクの背中を見つめながら、隣の年配の男に話しかける。


「ジェイク=デンバーだ。知らないのか?」


 年配の男がやや怪訝そうに聞き返すと、若い男は首を捻る。


「ジェイク=デンバー?」

「そうか。お前はまだこの国に来たばかりだったな。だが、この異名は聞いたことがあるんじゃないか。『氷血の獅子』の名は……」

「『氷血の獅子』って、あの……!」

「ああ。かつて、戦場でどんな任務も顔色ひとつ変えずに遂行したことから、その異名がついたあの騎士だ」

「……でも、そんな方がどうして……動物安全課に?」


 ジェイクの瞳が、獲物を捕らえる。ハンナが獲物の逃げ道を塞ぐように回り込んだのを確認して、今なら確実に捕らえられると、ジェイクは地面を強く蹴り上げた。

 ジェイクが剣を抜き、一息にロープを断ち切った。すると、仕掛けてあった罠が発動し、ロープで吊っていた籠が上から落ちてくる。籠の真下には、ニンジンに鼻をこすりつけている巨大なウサギがいた。ニンジンに気を取られていたウサギは、罠に気づくのが遅れ、すっぽりと籠の中に収まった。


「やりました、無事確保です!」


 ハンナが嬉しそうに声を上げる。

 ジェイクは表情をぴくりとも動かさず、剣を鞘に納めた。


「さあ、ご主人のところに一緒に帰りましょ~」


 ハンナは怯えるウサギに優しく声をかけながら、抱きかかえる。



 西の森から街へと戻る道をしばらく歩いていると、ようやく首都に続く門が見えてきた。

 周囲を森に囲まれている首都は、ぐるりと円形状の城壁で囲まれており、東西南北に4つの門がある。

 ふとジェイクは隣を歩くハンナが抱えているウサギに目をやった。ウサギの足には、応急処置らしき包帯が巻いてある。


「そのウサギ、ケガをしているのか? まさか、トラップのせいで……」


 思わず声をかけると、ハンナが答える。


「いえ、このケガはイタチソウの葉っぱで切ったものですよ、トラップのせいじゃありません」

「そうか……」

「トラップのせいじゃないか心配するなんて、優しいんですね。先輩、噂とは違う人で安心しました。もっと怖い人だとばかり思ってましたから」


 ハンナがどんな噂を耳にしているのかは、ジェイクにも大体の予想はついた。

 戦場に駆り出されいた間に、自分に『氷血の獅子』という異名がついたことはジェイク自身も知っている。

 ジェイクからしてみれば、任務遂行のためただ無心で戦い続けただけだった。あの頃は、たったひとりの家族である妹のために、絶対に生きて帰らなければならないと、それだけを目標に生き抜いた。

 終戦と共に兵士としての役割を終え、王都に戻ってきたジェイクに言い渡されたのは動物安全課への配属だった。

 戦場であらゆる感情を排除してきたジェイクは、その命令にも無感情で頷いた。

 命令ならば、それに従うまで。

 ただ与えられた任務をこなすだけで、どこにいってもやることは変わらないのだろうと。

 そのつもりだった。

 しかし、動物安全課で働き始めたジェイクは、ある感情に揺れ動かされつつあった。

 ジェイクは、ハンナの腕の中にいる巨大なウサギを見つめる。

 ――触れたい。

 ウサギの体はふわふわとした毛で覆われていて、どこもかしこも触れたら心地よさそうだ。

 柔らかそうなお腹、愛らしい前足、垂れている耳。

 もしあの体を撫でたら、どんな感触がするのだろう。

 想像しただけで、ジェイクは喉がこくりと鳴る。

 そのとき、先に見える城門を見つめながらハンナが息を吐いた。


「ふう、街までまだかかりそうですね」


 抱えていたウサギがずり落ちてきたのか、持ち上げるようにして抱き直している。巨大なウサギはそれなりの体重があるようで、身体能力が高いハンナであっても、運ぶのは大変そうだ。


「それなら……」


 代わりにウサギを持とうかと口にしかけて、ジェイクは思い留まる。

 ――今ここでそんなことを言えば、まるで触りたいみたいじゃないか? このモフモフに!

 ジェイクが葛藤していると、ハンナが先に口を開いた。


「すみません、先輩。おんぶの態勢に変えたいので、ちょっとだけこの子を預かってもらえませんか?」

「……ああ」


 頼まれたのなら、断るまでもない。

 ウサギは、瞳をウルウルとさせてジェイクを見つめている。

 鼓動が速くなるのを感じながら、ジェイクが手を伸ばしたそのとき。


「あ、僕が代わりに抱っこしますよ!」


 ジェイクとウサギの間に割って入るように、後ろを歩いていた若手の男が駆けつけた。


「この子、重そうですし。ここからは僕に任せてください!」


 新人の若い男は、ハンナからウサギを預かる。

 その途端に、新人の男は背後から殺気を感じた。

 後ろをちらっと振り返れば、ジェイクが無言でこちらを見つめている。その瞳はひどく冷めていて、一瞬にして背筋が凍りついた。


「ひっ……!」


 若い男はびくりと肩を振るわせてから、ジェイクの視線から逃れるように後ろに回ってとぼとぼと歩く。気遣いのつもりだったのだが、自分が気づかないところでジェイクの逆鱗に触れたのだろうかと考える。

 一方のジェイクは、人知れず落胆していた。

 あともう少しで、あのふわふわの毛並みの感触を確かめられるところだったのに。

 ジェイクの瞳が沈んでいく理由は、誰も知らないままだった。



 日が沈む前には、ジェイクたちは依頼主である街の外れの動物園にたどり着いた。

 森で保護したのは、この園のウサギだ。清掃中に目を離した隙に脱走してしまい、動物安全課に依頼が届いたのだった。

 あとは届けるだけだからと、ジェイクとハンナは他の隊員には先に署へ戻ってもらうように伝え、門に入ったところで別れた。ウサギも今は、ハンナの腕の中に戻っている。

 ジェイクたちが動物園の前までやって来ると、そこには飼育員の女性が待っていた。その姿を見つけた途端、ウサギはハンナの腕の中から飛び出した。


「ピョンタ! よかったぁ、ごめんね。私が目を離したいせで!」


 飼育員の女性は、駆け寄って来たウサギを受け止めると、泣きそうになりながら抱きしめる。ウサギも安心したように飼育員の女性に顔を摺り寄せた。

 それから、飼育員の女性はハッとしてジェイクとハンナに向き直った。


「見つけていただいて、ありがとうございました!」

「いえいえ。イタチソウの葉っぱで足を少し切ってしまったようなので、手当してあげてください」


 それだけ言い残して、ジェイクとハンナは園を後にする。ハンナが安心したようにウサギに手を振る横で、ジェイクは静かにその様子を見守っていた。



 翌日の動物安全課は、午後を過ぎても穏やかな時間が流れていた。

 動物安全課は、カトレニア警察の舎の中に事務所がある。その中でもいくつかの小部隊に分かれており、ジェイクとハンナが所属する第13部隊には、今ふたりしかいない。昨日のウサギ脱走事件のように他の部隊と合同で任務にあたることもあるが、部隊ごとに動くのが基本だ。

 ひとたび事件が起きれば人手がほしくなるが、今日のように時間を持て余すこともある。何しろ動物という生きているものが相手の仕事だし、どこの部署でもそうかもしれないが、事件はそうこちらの都合よく起きるものではない。

 ジェイクとハンナは待機部屋で向かい合うようにして座り、それぞれに時間を過ごしていた。残っていた事務仕事も、午前中に終わらせてしまっている。


「平和ですね~」


 紅茶を飲んでいたハンナが、まるで休日のひとコマのように穏やかに息をつく。


「そうだな」


 ジェイクは読んでいた本から目も上げずに答えた。


「暇ですね~」

「……そうだな」

「先輩は、この仕事楽しいですか?」

「仕事に楽しいかどうかという基準は設けていない」


 どうやらハンナは同僚との雑談を求めているらしく、それを察したジェイクは仕方なく本から目を上げた。

 ハンナはジェイクより動物安全課での勤務が少し長い。勤続期間だけで言うなら、本来はハンナの方がジェイクより先輩だ。それでも、ジェイクがこの課にやって来た当初からなぜか“先輩”と呼んでいる。


「君はオリブ公国からこの国に来たらしいな。どうして、この国に?」


 ジェイクが話題を振ると、ハンナは表情を明るくして答える。


「それは、もちろん動物が大好きだからです! この国には、他の国にはいない動物がたくさんいますし。モフモフに特化した動物がここまでいるのは、近隣諸国の中でも稀ですから。日々、大好きな動物と触れ合いながら街の役に立てる、こんな最高の仕事他にありませんよ!」

「そうか。君はこの仕事が楽しいんだな」

 ハンナの顔を見ていると、それがひしひしと伝わってきた。

「先輩は……」


 そのとき、ハンナの言葉を遮るように、事務所の扉が勢いよく開いた。

 ノックもなしに力強く開け放たれた扉から入ってきたのは、動物安全課の隊長であるルーカスだ。


「お~い、お前ら喜べ。仕事だ」


 部屋に入るなり、ルーカスが言い放つ。


「ちょっと隊長、扉はもっと優しく開けてくださいよ」

「ん? ああ、すまん」


 ハンナが咎めるように言うが、ルーカスが扉を閉める気配はない。おそらく仕事だけ振って、また出て行くつもりなのだろう。


「それで、任務というのは?」


 ジェイクが尋ねると、ルーカスがわずかに眉を寄せる。


「ああ。ちょっと大変なことになっていてな。すぐに南の森に向かってくれ」



 数十分後、急いで南の森の現場に駆け付けたジェイクとハンナは頭上を見上げていた。

 空は快晴で木々の隙間からは青空が覗いているのに、ジェイクたちには影が落ちている。

 ふたりの目の前には、超巨大な鳥がどっしりと佇んでいた。大きな台形の体つきで道をふさいでいて、まるで巨大なプリンが道に置かれているようだった。

 ジェイクとハンナの後ろには、動物安全課に助けを求めた行商人たちが立っている。


「ここを通らないと物資が届けられなくて……」


 行商人のうちひとりが代表してジェイクとハンナに事情を説明する。


「この辺りは底なし沼が点在しているので、舗装された道以外を通るのはあまりに危険ですし。かと言って、この鳥に近づけばものすごい形相で怒られて、襲われそうになるんです……」

「ピヨッ!」


 鳥が警戒するように鳴き声を上げるので、行商人たちは一歩後ずさる。


「なるほど。どうにかして穏便に道を開けてもうらしかない、ということか……」


 ジェイクはそう呟きながら、鳥の巨体をまじまじと観察した。

 目に飛び込んでくるモフモフとした我儘ボディに、ついあの体の上で寝転ぶことを想像してしまう。

 ジェイクがその雑念を慌てて振り払っていると、隣でハンナが口を開いた。


「これは、フクラ科のフクドリですね。普段は、もっと高地で暮らしているはずなんですが」

「何か理由があって、ここまで下りてきたわけか」

「そうだと思うんですけど、何が原因で退いてくれないのかまでは……基本的に穏やかな性格なので、こんな攻撃的になることも珍しいはずです」


 フクドリは、ここから一歩も動いてなるものかと固い決意があるかのように佇んでいる。

 その姿を眺めるうちに、ジェイクの頭に戦場にいた頃の記憶が過った。


「……そういえば、昔いたな。戦場で味方を守るために自身が盾となって銃弾を受け、立ち尽くしたまま命を散らした兵士が……」


 ジェイクの話に、後方に控えていた行商人たちが震えあがる。


「先輩、例え話が怖いです」


 ハンナは突っ込みつつ、鞄から取り出した双眼鏡を覗き込む。それから、何かに気づいたように息をのんだ。


「でも、何かを守るためっていう発想は合っているようです」


 ハンナは双眼鏡で、フクドリの頭上を眺めていた。


「あそこの木の上に、フクドリの巣があります。子供を守っているんでしょうね」


 巣には、いくつかの卵が入っている。


「それで、ここまで敵意をむき出しにしているのか。鳥だけでなく巣までもがこの低地にあるのは妙だな」


 ジェイクが首を捻る横で、双眼鏡を覗きこんだままハンナが嬉々とした声を上げる。


「それにしても、すごいです! フクドリの卵をこの目で見られるなんて。国宝級の貴重品ですからね」


 その言葉を聞いたジェイクは、ある存在のことを思い出した。


「……そういえば近頃、動物を違法に売買している連中がいたな」


 ジェイクの推察に、ハンナも双眼鏡から目を離して振り返る。


「“黒鷹”のやつらですね……!」


 “黒鷹”は違法に野生動物を捕まえ、高値で取引している集団だ。貴重な品種の動物を狙って他国へ売り払ったり、国が指定している絶滅危惧種にも手を出したりしており、動物安全課も目を光らせている。しかし、一部の組員を逮捕することはあっても、なかなかその集団の根幹にはたどり着けず、対応に困っているのが現状だ。


「フクドリの卵は、貴重なものなんだろう? もし黒鷹に狙われて、巣と卵を守るために高地から逃げ出してきたのなら……」


 ジェイクが見解を述べると、同意するようにハンナも続ける。


「なるほど。温厚なフクドリがここまで警戒しているのも納得ですね」

「保護はするとしても……とりあえず、退いてもらうにはどうしたらいい」

「それは、信頼してもらうしかないですよ」

「信頼……こいつにか?」


 信頼とは、言葉が通じる相手とであっても築くのが難しいものだ。

 そんな曖昧で不確かな関係をこの巨大な鳥と築けというのか。


「どうすればいい」

「簡単ですよ。心からの言葉をかけてあげてればいいんです」


 ハンナは当たり前のように言い切る。


「心からの言葉か……」

「はい」


 戦場では、いつだって心を切り離すことが求められてきた。それが生き延びる術だった。今になって心を求められるとは。

 ジェイクは神妙な面持ちで顔を上げて呟いた。


「……力ずくでいくか」

「んなっ!? なんでそうなるんですか!?」


 目を丸くするハンナを無視して、ジェイクは剣を抜くとフクドリに向かって駆け出す。


「うええええっ!? 先輩~~~っ!?」

「ピヨォォォ!!!」


 フクドリも威嚇するように、鳴き声を上げる。

 けれど、ジェイクが進んで行く先は、フクドリではなくその背後の木陰だ。その木陰から黒い人影が飛び出してきた。その影とジェイクの剣がぶつかり合い、鈍い金属音を立ててから、両者は跳ね返るように着地する。


「あれは……」


(つづく)

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