七,九
# 特別エピローグ:記号の反逆
あの豪雨の夜から半年後、渋谷の街は変わらず喧噪に満ちていた。そして、思いがけない形で田代悠の名前が世界に知られ始めていた。
***
「これが本当に彼女の作品なの?」琴音はスマホの画面を他の四人に見せた。
ニューヨーク・タイムズのアート欄の記事。「TOKYO'S MYSTERIOUS SYMBOL ARTIST: The Next Banksy?」というタイトルが躍っている。記事には渋谷の壁に描かれた奇妙な記号の写真が並び、その芸術性と政治性について熱く語られていた。
五人は渋谷のカフェで定例の集まりをしていた。陽介は写真展の準備に忙しく、健太は新しいバンドで注目を集め始め、真央は編集者として最初の記事を出版したところで、翔太のアプリは小さなコミュニティで使われ始めていた。それぞれの道を進みながらも、彼らは定期的に集まり続けていた。
「写真、俺が撮ったやつだ」陽介は言った。「でも、どうして海外メディアが...」
実は数週間前、陽介は彼の写真展「渋谷の影で」で、悠の描いた記号の写真をいくつか展示していた。その写真がSNSで拡散され、あるアートキュレーターの目に留まったのだ。
「バンクシーと比較されてる」翔太は記事を読み込みながら言った。「ストリートアートとしての政治性や社会批判...でも、これって悠さんの意図とは違うよね」
「全然違う」健太は断言した。「あいつは社会に何か言いたくて描いてたわけじゃない。あれは...メッセージだった。でも、社会へのじゃなくて、俺たちみたいな人間への」
「でも今や、悠さんの記号がTシャツになったり、NFTで売買されたりしてる」真央がため息をついた。「皮肉だよね。彼女が最も遠ざかりたかったであろう商業主義に回収されてるなんて」
「どこにいるんだろう、悠さん」琴音は窓の外を見た。
五人は黙り込んだ。彼らは何度か悠を探したが、見つけることはできなかった。渋谷の精神科クリニックにも当たってみたが、個人情報保護の壁に阻まれた。悠は彼らの前から完全に姿を消したように思えた。
***
それから一週間後のこと。
渋谷のある壁に、新しい絵が描かれた。バンクシー風のステンシルアート。少女が風船を持つ有名な絵のパロディだが、風船の代わりに悠の記号が描かれている。その絵の横には英語で「Collaboration with Tokyo's Symbol Artist」と書かれていた。
ニュースは瞬く間に世界中に広がった。バンクシーが日本の謎のアーティストとコラボレーションした—その憶測が芸術界を駆け巡った。
五人はそのニュースを聞いて、現場に駆けつけた。
「これ、バンクシーじゃない」陽介は絵を見て即座に言った。「模倣だよ。構図は似てるけど、スプレーの使い方が違う」
「誰かが便乗したってこと?」真央が尋ねた。
「商業的な価値を作り出すための仕掛けかもね」翔太は分析した。「悠さんの記号×バンクシーというコンビネーションで注目を集めて、市場価値を上げる」
彼らがその壁の前で話し合っていると、夜になって人通りが減ってきた。そして—
「偽物」
声がして振り返ると、フードを被った痩せた女性が立っていた。田代悠だった。
「悠!」健太は思わず叫んだ。
悠は五人を見て、かすかに微笑んだ。彼女は半年前と変わらない姿だったが、目の輝きはより落ち着いていた。
「薬、飲んでる?」翔太が尋ねた。
悠は小さく頷いた。「時々」彼女は言った。「声がうるさすぎる時だけ」
五人は安堵のため息をついた。彼女が治療を完全に拒否しているわけではないと知って安心したのだ。
「これ、見に来たの?」琴音は壁の絵を指差した。
「偽物」悠は再び言った。「私のじゃない。バンクシーのでもない」
「知ってた」陽介は頷いた。
悠は懐からスプレー缶を取り出した。五人は緊張した。彼女は何をするつもりだろう?
「あの、それは...」真央が心配そうに言った。「逮捕されちゃうよ」
「大丈夫」悠は静かに言った。「これで終わりにする」
彼女はスプレー缶を手に、偽バンクシーの絵に近づいた。そして、絵の上から赤いペイントで大きく「X」印を描いた。さらに、その横に自分の記号—円と三角と線が組み合わさった複雑なパターン—を描き加えた。
「商品じゃない」彼女は描きながら言った。「記号は意味を持つ。売り物じゃない」
五人は黙って見守った。悠の行為は単なる破壊行為ではなく、「否定」の意思表示だとわかったからだ。彼女にとって、記号は交換可能な商品でも、政治的メッセージでもない。それは純粋な「繋がり」のためのものだった。
描き終えると、悠は五人の方を向いた。
「みんな、変わった」彼女は言った。「点が線になった。線が面になった」
「うん」健太は頷いた。「あんたのおかげだよ」
「違う」悠は首を振った。「自分たちでつないだ。私は...見えるようにしただけ」
彼女の言葉は混乱していたが、五人には理解できた。悠は彼らに「繋がりの可能性」を示しただけで、実際に繋がったのは彼ら自身の意志だった。
「私の記号は...私だけのもの」悠は続けた。「バンクシーじゃない。誰のものでもない。商品じゃない」
「伝えよう」陽介は言った。「君の本当の考えを。僕の写真で」
「手伝うよ」真央も言った。「記事にして」
悠は少し考え、それから頷いた。
「私の記号は...繋がりのため」彼女は言った。「売るためじゃない。見るためでもない。繋がるため」
その夜、六人は渋谷の街を歩いた。悠は時折立ち止まり、壁や電柱に彼女だけが理解する記号を描いていった。しかし今回は、五人も少しだけその意味を理解できるような気がした。
それは「否定」の記号だった。商業主義への、有名アーティストとの比較への、そして何より「正常」と「異常」を区別する社会への否定。彼女は自分の記号が、バンクシーのような政治的ステートメントや市場価値のあるアートとして解釈されることを完全に拒絶していた。
その数日後、アート系のウェブメディアに一つの声明が掲載された。「田代悠からの声明:私はバンクシーではない」というタイトルの記事だった。その中で悠は、自分の記号は商業的価値や政治的メッセージではなく、純粋に人と人との繋がりのためのものだと述べていた。その記事には、陽介が撮影した彼女の記号の写真と、真央が書いた彼女の言葉の解説が添えられていた。
奇妙なことに、その声明はアート界でさらなる議論を巻き起こした。商業主義への否定そのものが、より強い政治的メッセージとして受け止められたのだ。皮肉なことに、彼女の作品への関心は一層高まった。
しかし悠自身は、そんな騒動にはもう関わらなかった。彼女は再び姿を消し、五人の前にも現れなくなった。それでも時々、渋谷の路地裏や電柱に、新しい記号が描かれているのを彼らは見つけることがある。
それは悠からのメッセージだった。彼女は今も、自分なりのやり方で世界と繋がっている。商業主義にも、芸術界のレッテルにも回収されない、純粋な表現として。
陽介のカメラがとらえた悠の記号は、今でも彼のポートフォリオの一部だ。しかし彼はそれを売ったり、展示したりすることはなくなった。それは彼と悠、そして五人の仲間たちだけの「繋がりの証」として、静かに保存されている。
田代悠の記号は、けっして「次のバンクシー」ではなかった。それはずっと彩り豊かで、混沌として、そして純粋なものだった。社会の枠組みからはみ出し、既存のアートの概念をも拒絶する、本物の「アウトサイダー」の表現。
そして五人の若者たちは、その真意を理解している数少ない人々として、悠の記号を心に留め続けていた。