5話 呼び捨て
「契約婚?」
聞き慣れない言葉に、私がどういったものか尋ねると、彼は、穂之木 旬は言い辛そうにゆっくりと話し出す。
「俺はお前のことを愛せるか分からない。ましてや初対面で断言できるはずもない、お前もそうだろう?」
「そうだな」
できる、できないで言えば、時間があれば愛せるようになるかもしれない。だけど相手が言うように私たちは見知ったばかり。どこかで我慢しきれず仲違いして破綻してしまうこともあるだろう。
「だから、俺の我がままに付き合ってもらう代わりにそちらへ謝礼を用意させてもらう」
「聞こうか、女の夢は高いぞ?」
私は幼いころから結婚というものを意識させられてきた。だから結婚そのもに対して嫌悪はないけれど、あの家の、父親や本妻のような相手や関係になってしまうことは受け入れられない。彼と契約を結ぶことで、他に相手を吟味する時間が得られるというのなら、損はないはずだ。
「……答える前に聞きたいことがある。叶えの阿子が誘拐などの危険性を顧みず
夜中に出歩いている。これはお前が不遇の身だからか?」
「そうだよ、両親からの愛を一身に受けていてね」
「だろうな。そうでなければむざむざ放任などはすまい。
俺と契約するなら、いや、契約が終わった後も穂之木家が後ろ盾になろう」
穂之木家は代々、農政に携わる高官を家職としていて、斎木家と同じく名家に分類される。虫除け、難を避けるという意味では一定の効果があるはずだ。けれど、それは嫁がされる先も名家だろうという点は変わらない。
どこであろうと、あの父親が斎木家の益にならないような家を選ぶわけがないのだから。
「他には?」
私は内心で若干の失望を覚えながら続きを促す。
「金だ」
あ、それ良い。すごく心が動く奴! 何せ、今の私は無一文だ。利用価値があるからそれなりの待遇で家にいられるだけ。もし、私がいう事を聞かず、親の選んだ相手をふいにしようものなら、即日追い出されるか軟禁でもされかねない。
所詮、叶えの阿子と威張ったところで、実家では私より親の方が優位に立っているのだ。
「別れることが前提とはいえ、数年の間はこちらに逗留してもらうことになる、その間の謝礼として一億出そう」
「金額については了承した」
表面上はすまし顔で金額に不足がないことを伝える。
「それから……最後になるが…………お前に妻の役割を求めることはしない」
「妻の役割?」
すごく言い辛そうだった、なんだ? 穂之木の家では妻が何らかの役割を担うとかがあるのか? 確かに名家の中で、表と裏とで特別な役目を負うという話も聞くが。
「そのだな、子供を作ったりなどだ」
あっ……、一億の金額に浮かれていた。それは言い辛いはずだ、私だって言い辛い。その、子供を、作る作らない話なんていうのは。
穂之木君が顔を伏し目がちに横を向いている。きっと私も赤面しているかも。
二人の間でしばし沈黙が続く。気まずい雰囲気を察したかのように翠がお茶を持ってきてくれたので一息入れる。
「それで……条件に不足はあるか?」
正直、契約婚という形は意外ではあった。だけど話を聞けばもっともだと思う。
契約が緩いのは私を利用することへの負い目があるからだろう。その点一つとっても私に有利な条件である、と好意的に取れる。
ただ、この契約婚に懸念がないわけではない。穂之木君はあの三人を見知って、契約を考えたわけではないのだから。この後、あの親たちが結婚を認めずに対抗策を取ったら……。
「条件については不足はないよ、ただいくつか聞いておきたい事がある」
「ああ、言ってくれ」
「私はこの後すぐに君の屋敷に滞在すればいいのかな?」
「すぐに調えさせるが少し時間がかかる。何しろこちらでは話が通っていないのだ。
それに斎木家に話を持ち込む必要がある」
私に断られる可能性もあったわけだからな。では斎木家に話が届くのは明日、明後日か。
「結婚式もできるだけ早く挙げたほうがいいと思うけれど、そちらは?」
「そんなに急ぐ必要が? それではお前が縛られてしまうように思えるが」
私を縛りたくないという気持ちは嬉しいがこの際不要だ。それよりお互いの考え方にズレがある方が心配になる。
「逆だ。早く結婚式を挙げないと婚姻が無効とされかねない。それに外部の人間を招かねば牽制にもなりはしない」
身内だけの結婚式では、恥や体面の傷は最小限にしかならない。斎木家が喧嘩を選ぶ気持ちにならないよう足枷は多いほうがいいな。
「わかった。できるだけ早く手配する、数日の内に斎木家へ話を持ち込ませてもらう」
「お願いする、ただ忘れないでいて欲しい。こちらの親が結婚をすんなり認めるか不明だということを」
「わかった、こちらも破談になってはたまらない。警戒しておこう」
私が穂之木君の育った環境や親の考え方を知らないように、穂之木君も私が育った境遇を知らない。油断をつかれなければいいのだけれど。
……今はおいておこう、もう一つしないといけない話があるからだ。
「それから別の話をするけど、私たちは書類上夫婦になるな」
「ああ、そういう話をしているからな、それがどうかしたのか?」
「結婚相手をお前だなんて、実に他人行儀だと思わないか? それこそ二人の仲を疑われるかもしれない」
私の指摘に穂之木君が黙り込んだまま眉間にシワを寄せた。それからややあって……
「香耶……こう呼べばいいか?」
「十分だとも、では私は穂之木君と呼ばせてもらおうか」
「おいっ、それはずるくないか……?」
「いやいや、契約上とはいえ未来の旦那様に対しての可愛いいたずらさ」
今度は向こうからの指摘に、私は袖口を手に当てて笑った。
建前とはいえ、夫婦という関係である以上、お前と呼び捨てさせるのはよろしくないことのように思えた。周りが聞いてどう思うかも気になるし。
あの本妻は父親を『あなた』と言っていたな。私も穂之木君をそう呼んでみるか? いや、恥ずかしいからやめておこう。
私は少し口ごもってしまった彼を見て思った。
この出会いが良き出会いとなり、私たちの謀が実を結ばんことを。




