4話 契約婚の相手
変わらない箱入り生活を送り続けて、私は15才になっていた。
屋敷での長い生活は、私から家族愛を奪っていったように思える。だからあれだけ慕っていた父親も母親も、今では木石と扱いは変わらない。
とりあえず、奴らからの教育は受けるだけ受けているが、いずれどこぞの名家へ嫁がそうというあいつらの心積もりに従ってやるつもりはなかった。
そうして、私は今日も夜の街へと出歩く。さし当たって市井の人々の考え方を知るために、自分の浮世離れを解消するために。
「門を開けよ、打たれたくなければな」
私が門衛に呼びかけたが、相手は抵抗する。
「しかし、お嬢様。夜間の外出は禁じられておりますので……」
役目上、私が出歩くのを見過ごすわけには行かないだろう。だから、私は言ってやった。
「ほぉ、お嬢様か。そう持てはやす割には幼い時分、ずいぶん手荒く扱ってくれたな?」
「それは、そのっ……」
目の前で狼狽している男はかつて私を殴ったことがある男だ。今では名も実も逆転してしまっている。腹の中はどう思っているのかは知らないが。
例え反抗してきても、拳であっさり黙らせるだけ、仮に、父親、未だ健在の当主に言いつけようとも、私は意にも介さない。今さら父親面で何を説教するのか、という奴だ。
でも、私が強く出るのは幼い時に陰口や中傷した家人たちだけだ。その他の者たちに強く当たることはしない。
「お勤めご苦労」
沈黙してしまった門衛に言い残して、私は屋敷の門をくぐった。古めかしい音と共に、観音開きの木扉が開かれ、また閉じられる。
屋敷の外にて、それを見届けてから、
「あぁ、肩が凝ることだ」
肩を解しながら、私は誰にともなく口にだす。
夜空の下、往来が少ないとはいえ、いささかご令嬢らしからぬ振る舞いだけれど、見ているのは煌々と光る月だけで、咎める者はいないだろう。いるとすれば、夜間に街の巡回を行う官憲ぐらいのものだ。もし、捕まったら年齢や名前を聞かれる、補導という奴を受けるかもしれない。そう易々と捕まる気はなかったけれど。
それと一緒にするのは可哀想だが、夜は巡邏とは別に妖が現れる時間でもある。昼間は陽の気が強いため現れない。けれど夜になって陰の気が強まると妖がうごめき出す。
何度か遭遇したが大抵は人の姿をしていない、不定形だったり、動物の姿をしていたりだ。高位のものになると人の姿を取ったり、化けるようになるらしいが。そちらはお目にかかったことがない。
繁華街の方に行くとガス燈とともに人の往来が増えてきた。居酒屋や小料理屋、劇や歌などを扱う小ホールなどに、人が頻繁に出入りしている。私は以前にも入ったことがある喫茶店に入った。
モダンなドアを開けると上に備え付けられたドアベルがカランカランと鳴る。これも初めて見た時は驚いたものだ。
「こんばんは、白妙ちゃん、また夜遊び?」
店内に入った私を見て、また来たぞ、という顔をする翠という名の女性店員が苦笑いを浮かべている。
「また、だ。しばらく時間を潰させてくれ」
この白妙ちゃん、というのはあの親が流した噂から来たものだ。どれだけ他家に高く売りつけようというのか、斉木の娘は叶えの阿子であり美しく聡明でもあるという、それを表す呼び名が白妙の君だとか。
正直、どんな顔でそんな噂を流したのだと笑ってしまった。
私は席に座り、備え付けてある雑誌類の中から新聞を手に取った。そこには帝都の様々な日常が書いてある。世間ずれを直すにはうってつけの教材だ。
記事に目を通していると、翠がいつもの一品を持ってきてくれた。昨今の流行だというジュースにアイスを浮かべたものだ。
ちなみに代金は実家にツケている。私に利用価値がある間は通るだろう。
「そういえば、この前、白妙ちゃんを訪ねてお客さんが来てたのよ」
「屋敷の外に知り合いはいないはずだが……」
「格好良い男の子だったわよ、隅に置けないわねえ」
「そうか」
茶化そうとする翠を適当にあしらい、私はアイスクリームに取り掛かった。
ぐぬう、けしからん美味さ。私が無心でアイスに舌鼓を打っている間にもカランコロンとベルが鳴る。
「あ、あの子よ。前に訪ねてきてた男の子」
「そうか」
アイスを食べ終えて、ストローをくわえて残ったジュース飲みにかかる。溶けかけのアイスがジュースと絡んで、また違った味わいだ。屋敷では和風のものしか食べないから……ぐぬう。
「お前が白妙の君か?」
何か聞こえたけど、恥ずかしい呼称なので聞こえなかった振りをする。
「噂がこちらまで届いている。何でも美しく清らかでありながら聡明だと」
くうっ、だめだ、気恥ずかしくて耐えられない。尾ひれが付いた噂に耐えかねて、私は観念して声の主を見る。
「そうか、それで? いや、先に名乗ったらどうだ?」
もしかしたら赤面しているかもしれない。顔に出ないよう気恥ずかしさを押し隠して相手に問いかける。
しっかり見ると、相手はたぶん同世代の男の子だ。どこか険を感じるが顔立ちは整っている。斎木家だと人気者になるかもしれない。
「穂之木旬、穂之木家の者だ」
「そうか。どこの穂之木か知らんが何か用か? 見ての通り、私は忙しい」
グラスを翠に返しバサリと新聞を広げる。
私がすげなくしても、相手は気にした様子もなくどっかりと横の席に座った。
「話をしたい、お互いに利益があるはずだ」
利益……ね、さあて穂之木君とやらは何を持ち出すのだろうか。まあ、少しは予想がつくけれど。
人に聞かせる話でもないので、二人で移動してテーブル席で向かい合う。
「穂之木家では最近当主が、俺の父親が亡くなって、若いことを理由に俺を当主の席から押し退けようとする連中がいる。主に俺の親戚筋だが……」
確か穂之木は田畑や作物を祟ったりする妖から守る役目を担い、そこから大きくなった家だったか。
「だが叶えの阿子の力があれば、連中の声を黙らせることができるはずだ」
私は穂之木君の言うことにだまって頷いた。叶えの阿子が持つ力は継承権争いなどではとても強く働く。でも、それは、私の力が必要というのは……。
「単刀直入に言おう、斎木香耶、俺と契約婚を結ばないか?」