12話 過去からの道無
私が穂之木家から戻ったとき、それはもう大層な出迎えだった。まずは使用人たちの、私を見る目だ。一時はだいぶましになっていたのだが、私が表立って弓を引いたのが明らかになったのだろう。彼、彼女らの目には敵意がありありと見て取れた。
彼らがそう思うのは分からないでもない。仕える先の娘とはいえ、お家に害をなすなら遠慮は無用というわけだ。けれど、私からすれば今さらの話である。家中の者は元々、私に敬意など持っていなかったのだから。ただ、利用価値が出てきたから扱いがぶれていただけだというのに裏切り者扱いは心外だな。
そう思いながら、以前使っていた部屋に戻った。少しの間、居なかっただけで、調度品や鏡台にホコリがかぶってしまっている。それもあってか、穂之木家に比べて何もかもが色褪せて見えた。
私の立場を考えれば詮無いことだな。
そんなことより、ひどい別れ方をしてしまった穂之木君の事のほうがよほど気にかかる。傷ついていないだろうか、彼を巻き添えにしたくなかったから、できるだけ優しく諭したつもりだけれど。
いや……未練だな。彼にそうしたのは私だというのに。
でも思うのだ。もし、仮に、この窮地を切り抜けることができたとしたら、私は穂之木君に会いに行こうと。謝らせてもくれないかもしれないけど、それでも今度はこちらから…………。
……さあ、後ろ髪を引かれるのはここまでにしよう。
私が望むのはこの結婚話を破談にすることだ。当然、私が首を横に振ったとて、聞く耳を貸す者はいない。腹案や勝算もない。強いて言うなら、私は認めていないが、婿殿の顔を一目と見ることが出来なくなるほどに叩き伏せるぐらいか。
大変な漁色家と聞いているからな。さぞや殴りがいのある魅力的な面構えをしているのだろう。自分で言っておいてなんだが博打に過ぎるな…………案の一つぐらいにはしておくか。
逃げるという手もあるがこれは愚策だ。そんなことが出来るのなら、結婚話が持ち上がる以前にそうしていた。
家の庇護から外れた叶えの阿子が他の名家連中が放っておくはずもない。彼らは落ちている宝を拾うようにして私を追いかけるだろう。もちろん捕まってしまえば、持ち主に返却されることはない。
待っているのは保護と銘打たれた上で押し込みされての…………だ。あまり口にはしたくない未来だな。
一番王道なのは、両親を心変わりさせることだが、これが一番難しいときてる。何しろ、私を苦しめるために組まれたような縁組だからな。それも斎木の利益を確保した上でという、念の入れようだ。
そんな彼らの怒り、恨みを解く事は不可能だ。何せ私が生まれる前の出来事が原因だったからな。
当時を知っている者にさりげなく調べてもらったことがある。父親、久高は血渡しの経験者だった。血渡しとは、取り決めをした家に男が子作りのためだけに通うものだ。当然、結婚という扱いではないため、基本的に親権や養育の義務は血渡しされた側が請け負う。
けれど、これは本来、屈辱的な行為なのだ。病で当主や直系が早死に、または何らかの事情で子作りが危ぶまれた家で、緊急的に血をつなぐためだけに行われてきた風習なのだから。
問題がなければ結婚して、婿なり嫁なりを迎えればいい。そうしないというのは、他所からの血を受け入れることが不都合だったということだ。たとえば、影響力を持たれるのが嫌だからなど。
言うなれば、お前はいらないけど血だけを渡せ、だろうか。
そういう手前勝手な因習から生まれてきたのが私らしかった。ところが何の因果か、改めて後継者の算段がついたのか、それとも女だったからか、私は斎木家に戻されてしまった。
久高には寝耳に水だったろう。あちらで勝手に育てられる自分には血以外、縁も所縁もない娘が戻されてきたのだから。しかも、その時には香澄、つまり今の母親と連れ添っていたらしい。相手には苦情を持ち込んだだろうが、私が斉木家にいた以上、はねつけられてしまったのだろう。
これを聞いた時には両親を哀れに思わないわけでもなかった。義務的に作った子供が戻ったことで、香澄との仲がぎくしゃくしたかもしれないし、彼女も自分や子の立場が脅かされるかもしれないと恐れた可能性もある。だからといって、私に行われた仕打ちとは別で、受けたことを許すわけではないが。
妹の美緒はそんな彼らの憎しみや恨みを一身に受けて育ったということになる。私を虐げるために両親の偏愛を受けて育った、半分だけ血のつながる妹。
ふと、初めて出会った時に私を偽物と呼んでいたのが思い出された。目をつむれば、今でもどこか私に似たところのある顔立ちが思い浮かぶ。小さかった彼女の目に、私はどのように映っていたのだろうか。突然現れた、両親の愛を掠め取ろうとする泥棒、下にいるべき存在することが罪な姉。いずれに思っていようと、もう私たちの間にできた溝が埋まることはないのだけれど。
斎木家を通しての絡め手が使えず、逃げることもできない以上花鳳院との婚姻を何とか直接破談させるしかないわけだが……。
「堂々巡りだな。考えれば考えるほど袋小路になっていることがわかるだけだ」
自分が追いやられている境遇を何度となく実感し、溜まった鬱屈を吐き出すようにつぶやく。
結婚を撤回させるにしても、相手がうなずくだけの利を提示できなければ耳を傾けるわけがないのだ。相手が納得するだけの利を……。しかし、今さらどうして皇族が叶えの阿子などに興味を持ったのだろう。突然、絶対王権に目覚めたとでもいうのか。帝室は揺るがぬ権威を、名家は支える力を、というのが広く浸透している有りようだったはずなのに。
思考が詰まり、私は気晴らししようと外に向かう。けれど、空は私の心と同じぐらいどんよりしており、じきに雨が降りそうだった。
「雨か……」
そうつぶやくと、先日の美緒とのやり取りを思い出した。確か、秩序と水はちがうものだったか。
あの時、私は斉木が横車を押したことを皮肉ったが、あの時から立場は逆転し、今ではこちらが後手に回っている。
他に打てる手がないか模索してみたが、これといった手段は思い浮かばなかった。
こうなっては花鳳院との直談判に臨み、活路を見出すしかないだろう。それがたとえ、勝ち目の薄い道であっても……。