10話 デート
穂之木家に戻ってから、私はこれからどうするかを考えあぐねていた。私一人に苦難が舞い込むのであれば、まだ我慢することができる。
けれど、自分だけではなく周囲にも迷惑が掛かってしまうとあっては意地を押し通すのも気が引けるところである。それでも、私は相手の思惑を受け入れるつもりはなかったが。
それなら……
「香耶、入るぞ」
少し、間があって部屋に穂之木君が入ってくる。顔を見てみれば、しかめっ面で今の状況が良くないことがいやがうえにも再認識させられてしまう。
「斎木が用意した相手は?」
「花鳳院」
「皇族か、厄介な相手だな。御上に連なる家柄は総じて顔が広く、大企業や名家にすら圧力をかけて黙らせられる」
その通りだ。
以前、都市の開発計画が持ち上がった際に彼らの所有する土地に引っかかったとかで関係者が総出で謝罪行脚した記事を読んだことがある。
「どうする? 香耶。何か良い考えがあるか?」
私はたっぷりと考えてから言った。
「そうだな……穂之木君、今からデートしないか?」
数十分後に私と穂之木君は街中にいた。
「こんな時にいったい何を考えているんだ」
彼は私が持ちかけた時も今に至っても面倒事を忘れられないでいる。あまり気負うと、良い考えも浮かばなくなると思うのだが。
「少し気晴らししたほうがいいと思ったのだよ。穂之木君のことだ。どうせどうしたらいいかで頭がいっぱいだろう?」
私がそう言うと、彼はムッとしたような表情を浮かべる。
「香耶はいっぱいではないのか? 俺だけの話じゃない。お前も自分が意に染まぬ相手と結婚するかどうかの瀬戸際なんだぞ」
「もちろん、いっぱいになりかけたさ。数十も年の離れた相手と結婚とはね。でも諦めたわけではないよ」
まあ、私と穂之木君では立場が圧倒的に違うからな。さぞや気苦労も多いことだろう。
なんにせよ、今日は私にとっては初めてのデートだ。色々と我慢して付き合ってもらうことにしよう。
時刻はすでにお昼を過ぎていたので百貨店まで足を伸ばし、そこで遅い食事をとることになった。
外国から様々な流行が入ってくる中、帝都ではまだまだ古風な気質が主流で、男女が隣り合って手を繋ぐ様は珍しくもはしたない。物語の中では珍しくないのだけれど。
でも、私は思うところがあって、後ろに下がるのでなく、かといって前に進むのでもなく、隣にいる穂之木君へ白昼堂々と手を差し出した。
当の穂之木君はといえば、私の手を見て、かなり葛藤している。しかし、男女が向かい合って黙っている様子は注目を集めるものだ。なので、覚悟を決めて手に取ってほしいところ。
穂之木君は観念したようにため息を吐いて私の手を握り返す。体温が伝わる。私よりも温かい。鼓動は伝わらない。なるほど、物語に書かれているのとは違うな。
そう考えていると、穂之木君は私の顔をまじまじと見つめて言った。
「顔が赤くなっている」
「日差しが暑いからな」
顔色以外は澄まして言うと、私たちは目的地へと向かった。
最初に向かったのは、衣類を取り扱う店だ。百貨店の入り口で、どこに行くのか迷っていたら
穂之木君が勧めてくれたのだ。
着物や身近な衣類を取り扱う店があれば、少ないながらも洋裁を取り扱う店が隣り合っていた。
「どちらが好きなんだ?」
「洋装は着たことが無くてね」
私の着てきた服といえば、子供時代は見事にボロをまとっていたが成長してからは着物ばかり、それも最低限、人前で恥をかかない程度のものだったとか。外聞を気にしすぎる斎木らしいな。
「気に入ったものを買えばいい、店員に聞けば流行りも分かるだろう」
穂之木君が女性の店員に見繕うよう頼んだ。
「最近ですとモダンスタイルが~」
ほほう。
「ですが、こちらのスカート丈の短い文明開化式も~」
なるほど。
「逆にそれらを組み合わせた和洋折衷型も流行で~」
むむっ。
「大胆に、コートの上から毛皮の襟巻きを~」
おおっ……。
「いかがでございましょう!!?」
ううっ……。
いわゆる太いと見られたのか、複数の女性店員たちが思い思いに推し勧めて来る。
困った。どれがいいのか。勢いに押された私は助けを求めて、穂之木君に視線を向ける。
「難しいな。全部買うか?」
あ、だめだこれは。
「買わない。どうやって持ち帰るんだ」
正直、これと思ったものは無かった。今まで選んだ経験がなく、与えられたものだけで生きてきたからだけれど、これだけ勧めてくれたのに、手ぶらで店を出て行くのは悪い気がする。
何かないかと店内を見回していると目に付くものがあってそちらに向かった。私が手に取ったのは帽子だ。
帽子といってもいろんな形をしたものが十種類ぐらいは並んでいる。
ベレー帽、ニット帽、ハンチング帽、麦わら帽子……。
私は白髪だから、白い帽子はだめだな。
じゃあ、この黒いのやベージュ、赤いの……ワインレッドとかはどうだろう?
色々と迷った末に、私は女性物の黒い帽子を手に取った。それなりに大きくゆったりとして頭がすっぽり入る。キャスケットなるものらしい。
私はかぶった帽子の両端をつまみ、穂之木君に尋ねた。
「……似合っているか?」
似合っているのか自信がなかった。
「心配するな、門外漢だが似合っていると思うぞ」
たぶんあまり興味が無いだろう穂之木君の、心からの言葉。そう信じて、
「じゃあ、これにしよう」
私は生まれて初めて自分のものを買ったのだ。
百貨店で買い物や食事を済ませたあとは私の提案で、いきつけの私たちが出会った喫茶店に向かうことにした。
久しぶりに見た翠さんは私たちを見て、何があったか知りたそうな好奇心が半分、冷やかしたそうな顔が半分といった表情だ。
私たちは彼女に構わずテーブル席で向かい合った。
「それでデートをした甲斐はあったか?」
「ああ、疲れた心を休めることができたぞ」
「それは……何よりだ……」
ため息をついて、穂之木君は思案顔で額に手を当てた。
「争って負ければ、歯向かった見せしめとして、穂之木は解体とまではいかずとも、力を削がれるだろう」
そうなった場合、見せしめとして傘下の企業を差し出すないし、格安で売り払うことになるかもしれない。そうなれば働く社員とその家族にまで影響が及んでくる。
仮に、社員の入れ替えや相手の息がかかったものを送り込まれた場合、当然、いまそこで働いているものたちが割を食う。危機を招いた結果として、彼も当主候補からも追われることになるのは想像するだに難くない。
彼は今、当主となる者の責務か私人としての感情のどちらかを選ぶことを迫られているのだ。
辛いだろうな、不安だろうな。彼のその気持ちが分かる。だから私が彼に告げるのだ。
彼の手を取って、私の両の手で包み込む。
「もし、公私のどちらかで悩むなら、私は迷わず公を選ぶべきだと思うよ」
穂之木君が目を見張って言った。
「自分が何を言ったのかを理解しているのか? 俺は契約を違えるつもりはないぞ」
「では共倒れになるか? 替わる良案があるのか? あるならそれに乗るよ」
私の言葉に穂之木君は悔しそうに顔を歪ませた。
「……今日のデートはこれを切り出すためだったのか? 想いを残さないよう。それでは俺は良いとしても香耶はどうなる?」
穂之木君の顔がうな垂れ、振り絞るように言った。無念でしかないだろうな。でも私が君に塁が及ばないようにする方法はこれしか思いつかなかった。
彼の抱えている問題は振り出しに戻るわけだけれど、私と心中するよりはましなはずだ。
そうして、私は一人、相手との対面の場に臨むことになるはずだ。勝てば道は開かれ、負ければ閉ざされる。
程なくして穂之木君と別れたが、私は離れがたく、そのまま店に居座っていた。
「これ奢りね。白妙ちゃん、あまり無理しないほうがいいわよ」
無理か、無理していると思われているのか。
「だって貴方さっきから泣いてるじゃない」
「そうか」
私はただ悲しいだけだ。涙なんて流し慣れているのだから。
不評のようなのでこの先の展開、見直し、改善のため
少し更新を休みたいと思います。