第五十六話 不思議だね
あとがきにイラストがあります。
莉念が怒りマークで出迎えた。荒く息を整えている俺に向かって、五分の遅刻に不満を表している。妹がリビングから顔をだして、ニヘラと笑っていた。
「莉念姉は五分以上前から待ってたから当然だよね」
「私、待ってた。連絡、大事」
「悪かった。みんな、食べる時間遅れかねないもんな。ごめん」
俺はそう行って、彼女の頭を撫でた。莉念はそんな事では許さないと言いつつ、大人しくリビングに俺を連れ立って向かった。
「あれ、母さんは?」
「お兄、今日はお母さんはお父さんとお出かけだよ」
「ああ、会社の懇親会か」
「そそ、お父さんの付き添い~」
「じゃあ、今日のご飯は」
「私、全部、用意した。自信有り。だから、遅刻、許さない」
「本当にごめん。許して」
「早く、食べよ?」
莉念がわざとらしく出していた怒った表情を消して、俺に無表情とそう変わらないぐらいの角度で口元を笑みにしてそう促した。俺は莉念と妹とリビングの椅子に座る。
ダイニングテーブルには、妹が並べるのは手伝ったと自慢した夕食が並べられている。
莉念がご飯をよそって俺の前に置いた。炊きたての白米はとてもおいしそうだ。
声はにこやかに並べられている料理に関して彼女が珍しく説明した。
「細切りにした茄子と珍しく冷蔵庫にあった桜えび使ってみて、ごま油で味付けしたナムルなんだけど作ってみた。あと、なるべく脂質を少なくするために、鶏むね肉の竜田揚げ、作った」
莉念がゆったり喋らず饒舌にかつサクッと説明をする。いつもの唐揚げとは違うが、竜田揚げは歯ごたえたがありそうでカラッときつね色に揚げられている。
「えへへ、カロリーと脂質の摂りすぎは乙女の天敵だもんね!」
「うん、そう。だから、カロリー管理大事」
「莉念姉は全然細いけどなぁ」
「ほらぷにぷに」
「うわー!やめて!」
「女の子、油断、大敵」
「わかった! わかったからー!」
莉念が無表情で自分の二の腕ではなく、妹の二の腕をぷにぷにしていた。妹が慌てて莉念の魔の手から逃れる。俺は微笑ましい姉妹のような光景を見ながら、莉念の作ってくれた竜田揚げを早速頬張った。
衣はかなりサクッとしている。胸肉だから淡白な味わいかと思えば、おろし生姜が加えられた味付けのタレのおかげか、男子高校生の俺でも満足度の高いしっかりとした味が舌の上に広がった。
「美味しい」
「ふふ、ありがとう」
俺が自然と漏れ出した素直な感想に、花のほころぶような優しげな笑顔で莉念が答えて、自分もご飯の箸を進める。俺は突然見せる莉念のそんな笑顔に見惚れてしまう。
妹がその隙を見て、運動部なのだからと俺よりガッツリ竜田揚げを持っていこうとしたので、莉念が止めた。
「個数、守る」
「目ざとい! はぁ~い」
細切りにされなれた茄子にごま油と桜えびの味も熱を軽く通すことでしっかり染み込んでいる。粗挽きの胡椒も聞いており、かなりご飯の進む代物だ。いつもならこんな料理が出ないので莉念に尋ねる。
「今日は珍しい料理じゃなかった?」
「レシピ、挑戦、してみた。折川のご飯に、新しく追加。新規、開拓」
「莉念姉はお母さんが居ないから、今日はお兄のためにレシピ色々探してきたんだよ!」
「もう、あんまり、言わなくて、良い」
妹が口を開く度に、言い過ぎだよと閉じさせようとする姿が年相応な可愛さがあった。俺がニコニコ笑うと、その表情に気づいたようで、莉念が頬をふくらませる。
お嬢様らしくない仕草だが、折川の家にいる時、家族でいる時の莉念はどこか子供らしい態度を本当に時々見せることもある。表情を隠している時も凛として綺麗だが、こういう素直に感情を発露してくれるのも可愛い。
俺は家族の中で過ごすそんな姿も好ましくて自然と笑顔になりながら、彼女たちの会話に時折混ざりつつ夕食を楽しんだ。
食事後にいつもはすぐに部屋に行くが、莉念が今日は皿洗いをするため、ダイニングテーブルに食後のコーヒーが置かれた。
皿洗いが終わるまで居ろ、ということだなと理解した俺は、素直に置かれたコーヒーのカップを手に取る。妹はお片付けは姉にお任せ~、といった具合にトタトタ自分の部屋へあっさり向かった。
「ご飯、美味しかった?」
「うん、食べてる時も言ったけど、美味しかったよ。ありがとう」
「良かった」
……家族の普通の会話だ。カチャカチャと食器と洗い物をする音がキッチンから届くが、莉念はそれ以上の会話をしてこずに、ただ心地の良い時間が流れていく。
名家のお嬢様が皿洗いをする。莉念の家の立場を知らない外部の人間から見たら、あり得ない行動だろう。きっと見られたら非難轟々になる。だけど、俺の保存している思い出の写真はそんな家庭的な莉念がたくさんいた。
少なめに入れられたコーヒーをちょうど飲み終わった時に、莉念がそのコーヒーカップも回収してさっと洗い物を終える。
「部屋、行こう?」
「今日は夕食ゆっくりしすぎたな。もうそろそろ帰る時間じゃないか?」
「……むぅ、そう、だけど」
「送ってくよ」
「……土日、バイト、大変?」
「最近は比較的慣れてきたかな? そういえばさ」
「うん?」
「店員してると、案外お客さんの顔ってなんとなーく覚えるもんだなって感じてて」
「うん」
「で、今のバイト先って、写真部の部長のお店なんだけど」
「……うん、昔は、良く、行った、ね?」
「部長は俺のこと覚えてないみたいだから不思議だなって」
「そうなんだ、不思議だね」
莉念もよく分からないというように首をかしげていた。俺もたしかに莉念以外に興味なんて全然持って居ないとは思うけれど、部長の見た目を考えれば目立つので印象に残っていないのは不思議だった。
不思議だなと言えば、彼女もそうなんだ? と可愛らしく首をかしげるだけだ。
それ以上、彼女も特に会話になりそうもないのでこの話題を打ち切る。莉念も特段興味もなく覚えてないのなら、偶然かぶらなかったんだろう。
リビングに妹も居ない。二人きりの時間。
俺は素直にお礼も含めて、彼女の頭をゆっくりやさしく撫でた。
「いつもありがとう」
「尚順、美味しい、言ってくれる、嬉しい」
「……俺も、莉念がキッチンに立ってるのが、嬉しい」
「良かった。キス、して?」
スッと優しく抱きしめる。柔らかな少女の唇にチュッと何度か触れ合ってから、ゆっくりと離れて見つめ合う。
紫色の瞳が俺をまっすぐ見つめる。この家族同然の幼馴染が、俺のことを好きで居てくれたら良いのに。何度そう思っても、彼女は家族同然の幼馴染だから、キスをするのは当然で、そこに「好きが」、「愛が」あるのか教えてはくれない。
「キス、して?」
二度目の言葉に情熱的に舌を絡めるキスをすることで応える。彼女の舌は艶めかしく俺の舌と絡み合う。どんどんと俺は高ぶり彼女の細身な身体を強く強く抱きしめていく。目を閉じて舌の感触を楽しんだり、お互いに見つめ合って熱っぽく舌だけでなく息が絡みう。
思ったよりも長くキスをしてしまった。わずかに頬を上気させた莉念が、穏やかに笑う。
三度目はなく、莉念を彼女が住む隣の屋敷へ送り届けて、俺は自室へと戻った。妹が顔を出す。
「あれ、莉念姉、もう帰ちゃった?」
「うん、もう遅いからね」
「ふ~ん、私、気を使ったのになぁ」
「あはは、ありがと。お互い勉強もしなきゃダメだからね」
「あー、あの高校偏差値高いもんね。なーんだ」




