二話
アロスフィア・アルルコルさんに拾われて三日目。
現在そのアロスフィアさんの屋敷に向かって森の中を移動中である。
最早ワンルームと言っても過言ではない馬車で移動しているのだけど、この馬……スレイプニルというらしいけど、このスレイプニルさんの健脚で三日も走ってもまだ屋敷につかないって事は自分の勘で歩いて町を探そうなんて思わなくて良かった。
絶対迷子になってた。
あ、ちなみに俺はスレイプニルさんの背中の上で移動中だ。身体が汚れているので馬車に入るなとエメリーさんから怒られた。
それにしてもこのスレイプニルさん。
初めて見た時はその巨体と足音から、かなり力強い走りをしていると想像していたけど、背中に乗せてもらうことになって分かったのだが揺れがとても少ない。
乗馬の経験なんて一切ない俺が乗っていても落ちないし、全然疲れない。
スレイプニルさんが気遣ってくれてるのか元々そういうものなのか、それとも両方なのか。
取りあえず初めて見たときは八本足とか怖いと思ってたけど、こうして触れあってるとなんだか可愛く見えてくる。
長い睫毛や純粋な瞳がとても綺麗だ。
よく見ると二頭とも顔に違いがあって、撫でると喜ぶところも違う。
名前はつけてないらしい。呼びにくいし勝手につけちゃおうか。
「お、景色が開けたな」
森の中の獣道とまでは言わないがちょっと荒れた道を進み続け、とうとう森を抜けた。
抜けた先に広がる景色は一面の小麦……なのかな?
今が夕方ということもあってか、少し傾いた日差しを反射した穂がまるで黄金のように輝き、一面に広がる黄金が揺れる様はまるで黄金の海が波に揺られているようで、壮観の一言だ。
「……凄い」
一面に広がる黄金の海の中をスレイプニルに乗って走る。
日本にいたら絶対に見ることの出来ない光景に、初めて風景で心が動くという体験をしている。
これは本当に凄い。
どこまで広がっているのだろうか、なんて考えていると遠くに町が見えてきた。
長かったような短かったような。
本来なら馬車の中で色々話を聞いて時間を潰す予定だったのだが、俺が汚すぎて外で過ごしたせいで長く感じたという部分も否めない。
いやまあ風呂も入ってない状態でこんな綺麗な馬車に入るのは俺も遠慮したいけどさ。
ってあれ?
スレイプニルさん達が突然方向を変えた。
町を正面に見たら、そこから町の左……左でいいのかな?
いや方向が分からないけど、とにかく町から少しコースが外れ始めた。
どこに向かってるんだろう?
「これはまた……デカイ」
黄金の海から抜けて更に三十分程揺られ、たどり着いたのは町らしきものから少し離れた位置にある深い林の中の洋館のような屋敷。
二階建ての大きなその屋敷はまるでその……お化け屋敷のような雰囲気がある。ぶっちゃけ怖い。
別に廃墟みたいに朽ち果てているとかじゃない。むしろ屋敷も手入れの行き届いた庭園も綺麗だ。それでもなお何か怖い。まるで巨大な生き物の顎を覗き込んでいるような感覚。
少し間違えれば一瞬にして命を奪われるんじゃないかという錯覚に陥る。
「ふふ、やっと着きましたね。 私の屋敷へようこそハルさん。 歓迎いたします」
「取りあえず貴方は浴場で身体と服を洗っておいてください。 汚すぎます。 新しい服も用意しておきますので」
到着するとエメリーさんのエスコートで馬車から降りてきたアロスフィアさん。
本当この二人は絵になるな。
まるで絵画から抜け出してきたように存在感が桁違いだ。
たぶんこの二人を見ているだけで一日過ごせるわ俺。
「わ、わかりました。 ありがとうございます」
……それにしてもエメリーさんに冷たくあしらわれるとなんだかときめくものがあるな。
そんなドMな属性は持っていないはずなんだけど。
「では私はこの汚いのを浴場へ案内してきます」
「ええ、お願いねエメリー。 私は疲れたので少し休憩するわ。 ハルさんの準備が整ったら教えて」
「承知しました」
そう言うとアロスフィアさんは小さく手を振って姿を消した。汚いの、の部分をちょっと否定してほしいなーと思ったけど……口には出さんでおこう。
しかし、瞬間移動って本当にあるんだ。いや瞬間移動なのかどうか分からないけども。
「浴場に行く前に確認しておきたいのですが、貴方の荷物はどうしましょう? 捨てますか?」
「あー……出来れば取っておいてほしいです」
普通のジュースやお茶なんかは飲んでしまったけど、お酒がいくつか残っているしバーベキューセットは便利だし。
ショッピングカートも買い物でとても有用だしね。
出来れば捨てないでほしい。
「わかりました。 では浴場に案内したあとに、貴方の部屋へ運んでおきます」
「ありがとうございます。 あ、お前たちもありがとう。 すごく快適だったよ」
スレイプニルの二匹、特に俺を乗せて運んでくれた子をしっかりと撫でてあげる。
ちょっと嬉しそうに見える。ほんと可愛いな。
昔は馬を愛でる人達の気持ちが分からなかったけど、なんというかこれは癖になる可愛さだな。
「早くしてください」
「あ、はい。 じゃあまたな」
若干名残惜しいが仕方ない。
ここに住むなら今後も関わるだろうし、のんびりいくとしよう。
「ふぁー……サッパリした」
浴場とやらに案内され中世の豪華絢爛なお風呂を想像していたけど、使用人用のただのお風呂だった。
いや身体をがっつり洗えるだけでも全然いいんだけどね?
実際洗ったらそれはもうめちゃくちゃ汚れが出てきたから、そんな豪華な浴場を汚さなくてすんで寧ろ安心。
用意されていた服は普通の白いシャツと紺色のズボンで、動きやすい。不思議な触感だけどちょっと気に入ったかも。
「汚れのせいで見るに耐えませんでしたけど、汚れを落とせば中々男前ですね」
「それ褒めてます? あ、お風呂ありがとうございました」
「褒めてますよ。 どういたしまして」
浴場から出ると入り口でエメリーさんが待っていた。
なんだか最初より幾分が棘が無くなったような気がする。
自分で言うのもなんだけど、まだ警戒を解くには早いんじゃなかろうか?
「ではこちらへどうぞ。 夕食も準備してスフィア様がお待ちです」
エメリーさんの案内でそのまま屋敷の二階に上がり、奥まで行くと一際大きな扉に案内された。
いくら大きな屋敷だからといってこの豪華な扉はなんなのか。金持ち……見た目からしてどう見てもお貴族様っぽいし金持ちなんだろうけど、扉にまで金をかけるのか。
見栄っ張りなのかな?
「スフィア様、お連れしました」
「はい、どうぞ。 ハルさんもエメリーも入って」
聴く者の心を擽るような声。耳に心地良い声に理性を奪われてしまいそうだ。
両開きの扉をエメリーさんが開くと、出会った時よりも更に扇情的な格好をしたアロスフィアさんがソファに座っていた。
ネグリジエに近いものなんだろうけど、美人のそういう姿は怖くて見れない。
せめてガウンみたいなのでも羽織ってくれないかな。
「どうぞ、おかけになって」
「えっと……はい」
エメリーさんは主人のあの格好をなんの疑問にも思わないのか?俺一応男で、客みたいなもんよ?この世界の普通なの?だとしたら俺ずっと心臓バクバクで死ぬよ?心不全起こすよ?
「さて、ハルさん。 聞きたいことは私もあるのですが、多分貴方の方が状況に困惑していると思います。 ですので、まずは貴方から聞きたいことを尋ねてください」
ん?今の言い方だと俺の状況を多少知っていることがあるのかな?
でないとそういう言い方にはならないよな。
……まあでも分からないことばかりだし、聞くしかないか。
「じゃあまず最初に。 日本という国はご存知ですか?」
「いいえ、知りません。 この世界にそんな名前の国はありません」
日本は知らないのに日本語は通じている。
これはどういう事なんだろうか?
あとでちょっと文字を拝見させてもらおう。
日本はそこそこ大国……だと思う。ここまで豪奢な屋敷に住む人物がそんな国は無いという。
アロスフィアさんが相当な世間知らずでもない限り、この世界は完全に別の世界と考えた方がいい。まあ天体があそこまで違えば嫌でもそういう考えには至るだろうけど。
「……俺を拾った理由はなんですか?」
世界が違うならあれこれ考えても分からない。
ならここで自分の出来ることを考え、生活を安定させる必要がある。
拾ってくれた事に理由があるならそれにすがり付いて雇って欲しいというのが正直なところだ。
「そうですよね、気になりますよね。 一番の理由は面白そうだから、かしら」
「面白そう?」
「そう。 貴方は空……異界から落ちてきたお星さま。 百年単位で時折色んなものが落ちてくるのですけど、人が落ちてきたのは初めてなんです。 一体どんな人なのかとても興味深いでしょう? だから貴方を拾ったんです」
おっと、何か気になる発言というかなんというか。
空が異界とはどういう意味だろう。
あれだけハッキリと天体が違うと同じ銀河内という可能性は低そうだけど……いやまあ銀河とか言ったけど詳しい訳じゃないからちょっと適当言っちゃった。
異界という表現ということは別の世界ということだと思うけど……百年単位で星のように地表に落ちてくるということは元の世界と繋がる何らかの方法があるという事なのか?
他にどんなものが星として落ちてきてるのか、気になるな。もし同じ世界の物だったとしたら、元の世界に繋がる可能性がある。
けど、もし全く未知の物が出てきたら嫌な可能性も考えないといけなくなるな。
ひとつの世界と繋がっている訳ではなく、複数の世界と時折繋がる……なんて可能性だ。
正直どうやってこの世界に来たのかとかは分からないけど、もし百年単位でしか繋がれないのなら俺はここで骨を埋めないといけなくなる。
「俺を拾ってくれたのは素直にありがたいんですけど……その、俺がもとの世界に帰る事って出来ますか? 色々とやり残したこともあるんですけど」
「そうですねぇ……多分無理だと思います」
あっさり希望を打ち砕いてきたアロスフィアさん。
いや、多分だからまだ希望はあるはず。
難しそうだけど。
ここはしばらく生活を安定させるのが、第一になるかな。
「私が知らないだけで頑張れば方法は見つかるかもしれないですけど、多分貴方が生きている間に見つけるのはほぼ不可能だと思います」
なんでそんな楽しそうに言うんでしょうかアロスフィアさん?
喜んでるようにしか見えないよ?
「分かりました。 取りあえずそこに関しては後回しにします。 ここで働かせてもらえるということでしたけど、俺は具体的に何をすればいいんでしょうか?」
「そうですねぇ……ちなみにハルさんは私を見てどう思いますか?」
どう?普通に超絶美人さんにしか見えないけど……なぜに?え、実は俺の見ている姿は幻とかそんな夢を打ち砕くようなことはないよな?ないよね!?
「正直、アロスフィアさんもエメリーさんも信じられないほどの美人さんで、直視するのはちょっと難しいです」
「あらあらあら、うふふふふふ。 嬉しいわねエメリー。 こんなこと言っていただけるのは初めてです」
「……まあ口ではなんとでも言えるでしょう」
なに言ってんだこの二人。自分達がどれだけの絶世の美女なのか理解していないのか?
テレビに出れば一晩でアイドルのトップに立てそうな美人なのに、褒められるのが初めてとか冗談だろ。
もしかしてこの世界では女性の容姿に対する価値観が違うとか?
「貴方は別世界から来た人だから気付かないのかもしれないのですけど、この世界の住人からみたら私は恐怖の権化なんですよ」
にっこりと笑うアロスフィアさん。
彼女が恐怖の権化?
一体どういうことだろうなどと考えていると、アロスフィアさんの背後が陽炎のように揺らぎ始めた。
陽炎と表現はしたけど、空間の歪み方は陽炎の比じゃない。
なぜかエメリーさんがちょっとだけ辛そうな表情を見せはじめた。
「え、エメリーさん? だ、大丈夫ですか?」
「貴方は……何も感じないのですか? 本当に?」
「え? 何が?」
辛そうな表情をしながらそう尋ねてくるエメリーさん。
多分アロスフィアさんの周囲の空間が歪んでいるように見えるのが原因なんだろうけど……なに?
やがてクスリとアロスフィアさんが笑うと、歪みが消えてエメリーさんに安堵したような表情が戻った。
あれかな?なんか殺気的なものを出して実力を見ていたんだろうか?それなら俺に気づける筈がないよ。殺気とか気配とかそんなもん分からんもの。
「うん、よろしい。 屋敷にも拒まれなかったし、ハルさんには庭師になってもらいましょう」
「庭師? 木の剪定とか出来ないですよ?」
「うふふふふ、そこは大丈夫。 貴方に頼むのは別のお仕事ですから。 じゃあこれからよろしくお願いしますね、ハルさん」
めちゃくちゃ意味深な笑顔のアロスフィアさんとなんと言えない微妙な……強いていうなら可哀想なものを見る目のエメリーさん。
………………ここで働くの早まったかもしれない。




