十六話
「あっはー! 昨日はだいぶしごかれたみたいだねハルさん!」
「いや本当に。 死ぬかと思いました」
訓練開始二日目の朝。裏庭でヘクトールさんと向かい合っている。
全身筋肉痛でバッキバキの状態でコンディション最悪である。
一日目は基礎を鍛えると言われたが、ひたすら筋力トレーニングとエメリーさんによる特殊なマッサージで筋肉が固くならないようにしたあと、また筋力トレーニング。
昼からはランニング。
夕方には魔力操作の訓練…………かと思いきや、俺に魔力がまったく無いと判明し、また筋力トレーニング。
夜には指一本動かせなかったよ。
というかトレーニングで吐いたのは初めてだった。
エメリーさん俺に殺意を向けられないとかお世話したくなるとか言っていたのはなんだったのか。
「しっかしハルさんはアレだね。 なんというか向き合っても怖さとか無いし、そこら辺にいる子供の方がまだ強そうだねー」
「……なんか似たような事を前に言われましたね」
あれはエメリーさんだったかな。警戒心を抱かせないとかなんとか。
子供のほうがまだ強そうっていうのは何か引っかかるけど、実際リフェルみたいな明らかに歳下の女の子がBランクだったりするし、そんなもんなのかもしれない。
「それで、エメちゃんと昨日の夜話したんだけど、結論から言うと鍛えてもハルさんに戦うこと自体が無理! ってなっちゃたんだー」
「え、いまさら?」
「そう、今更。 でもハルさんさ、人はともかくとして魔物とかでもちゃんと殺せる? その手で命を奪える?」
「それは……」
……無理かもしれない。
ここに来た最初は生きるために頑張って魚を捌いたりしてたけど、実際にウサギみたいなのでも殺すのに躊躇したし。
今みたいに生きるのに必死ではない状況だと余計に無理だと思う。
魔物とやらもまだ遭遇していないけど、もし出会った時に躊躇わず殺せるかと言われれば、絶対に手は止まる。
生き物に命を狙われるなんて事態がまず有り得ないから。
想像するなら虎やワニ、サメみたいなのが明らかに殺意を持ってくるとしたら恐怖で動けなくなると思う。
「ふっふーん。 そこでハルさんに必要なものを二人で考えた結果! ハルさんには避ける技術をひたすらに磨いてもらう事にしました!」
「避ける技術?」
「そうそう。 逃げ足はひたすら走って足を鍛えれば良いけど、避けるのって意外と難しいんだよ。 今後ハルさんに一人で戦わせる機会なんてそうそう無いらしいけど、それでも離れていた時にエメちゃんとかアロスフィアさんとかがハルさんの元に辿り着くまでの間、生存し続けるための力を磨くんだよ。 相手を傷付けない、自分も傷付かない! 両者ハッピー!」
「なるほど。 それなら俺も頑張れそう、かな」
「うんうん、と言うわけで。 これからちゃーんと手加減した状態で攻撃するから、しっかりよけてねー☆」
「え? うぉぉぉ!?」
気付いたら目の前に着ぐるみの拳が迫ってきており、ギリギリで避けるも足がもつれて後ろにスッ転んでしまった。
恥ずかしいとかそんな事を考える余裕もない。
「今のを避けたのは褒めてあげるけど、いつまでも座ってるのはマイナスだよ!」
起き上がろうとした瞬間にヘクトールさんの右からの回し蹴りが飛んできた。
姿勢を整える暇もないので両腕を挙げた瞬間、まるでサンドバッグそのものを振り回して叩きつけられたような衝撃が襲ってきた。
「いっ!?」
全身がバラバラになりそうな衝撃だけど、これ手加減してるってマジかよ。
受け止めた腕、これ折れてないよな!?
感覚が無いんだけど!?
「ハルさんの弱さなら防御も悪手! 受け止めるなら受け流してちゃんと受け身も取る!」
吹っ飛ばされてなんとかすぐに起き上がった矢先。
なぜか背後に立っている着ぐるみが両手を万歳の形に振り上げた。
叩きつけるつもりか!
「どっせい!」
振り下ろされる両手。
背筋に嫌なものを感じ生存本能によるものか、身体が勝手に前に飛んで何とか避ける。
振り下ろされたヘクトールさんの両手が地面に当たるとその衝撃で半径一メートル、深さ三十センチくらい凹んでる。
…………嘘やん。人間の力ちゃうやん。
「あ、あのー、て、手加減の話はどうなったんですか!?」
「ん? だいじょぶだいじょぶ! 死ぬ一歩手前くらいまで追い詰めないとね! 人間痛みが伴わない訓練なんて時間の無駄無駄! 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!」
「死ぬ一歩手前じゃなくて死ぬだろそれ!」
叫びながら突貫してくる着ぐるみ。
やっぱりこいつサイコパスじゃないか!
だ、誰か助けて!!
マジで!!
「はっ!」
あ、あれ?
ベッドの上だ。
何か悪い夢でも見ていたような。
辺りは薄暗く、窓から見える空に星々が輝いているからどうやら夜のようだ。
「いっ!? 痛てててて!」
身体中のあちこちが痛い。腕や足を動かすだけでズキズキと痛む。
腕や足には包帯が巻いてある。
……ああ、そういや朝から昼までボッコボコにされて気絶したんだ。
あのサイコパスな着ぐるみめ。手加減って言葉は知っててもやり方を知らないなら意味ないやん。
頭にあの蹴りがクリーンヒットした時は死ぬかと思ったわ。
「うぅむ……しかし自分がこんなに動けないとは。 情けない現代っ子だ」
「あら、でも頑張っている姿は格好良かったですよ」
「ほぁっ!?」
自分しかいないと思ってたから突然声をかけられて変な声でちゃったよ。
隣で横になっているアロスフィアさん。
え、一緒に寝てたの?
なにその嬉しいイベント。でも気絶してたから隣に寝てたアロスフィアさんのアレやコレやを何一つ感じられませんでした悔しい。
「な、何してるんですか?」
「ハルさんがあまりにも気持ち良さそうに伸びていたので、隣でお顔を見ていました。 無邪気な表情で可愛かったですよ」
「……恥ずかしいので勘弁してください」
「そこは私の気分次第です」
なぜかちょっとドヤ顔のアロスフィアさん。
いや本当になんでだよ。
あとアロスフィアさんレベルの美人が隣に無防備に寝ていると心臓爆発しそうなんで、本当に勘弁して欲しい。
俺が狼になったらどうするんだ?
……余裕で返り討ちですねはい。
「訓練はどうですか? 辛くないですか?」
「あー……キツいですけど辛くはないですね。 何というか、こう生きているっていう実感と言えばいいのかな?」
日々漫然と生活していた元の世界よりも、生きるために頑張っている今の時間の方が充実しているような気がする。
勿論辛い事が無かった訳じゃないけど、それでも元の世界に帰りたいかと聞かれればそこまででもない。
元々両親も他界して親戚との付き合いもほとんど無い。
友人はいたけど、今の楽しい生活と比べたら優先するほどでもない。
「そうですか。 ハルさんが一人でも大丈夫なように訓練していますけど、だからといって無理をする必要はありませんからね? いざとなれば私が一生護ってあげますから」
にっこりと笑うアロスフィアさん。
一生護るなんてそんなプロポーズみたいな。
ちょっと胸キュンですよ。女の子が漫画でこう言うこと言われてキュンするシーンがあるけど、今なら分かる。
これトキメクわ。それもこんな美人で強い人に言われたら落ちるわ。
「……めちゃくちゃ甘い誘惑ですけど、それやると多分俺がかなり自堕落になりそうなんで、今は頑張ります」
「ふふっ、男の子なんですね」
「意地っ張りなだけですよ」
多分この人に甘えたらそれはもう可愛がってくれそうだし、エメリーさんもとことんまで甘やかしてくれそうだけど、それやるともうヒモになってそこから抜け出せなくなりそうだ。
そういう退廃的な生活も悪くはないけど、折角未知の世界に来てるのに、それを楽しまないのは損だと思う。
やはり頑張らないとな。
「じゃあ私からちょっとだけ頑張ってるハルさんにサービスです」
「サービス? ……んぉ?」
アロスフィアさんの指先がトン、と軽い感じで額に触れた瞬間。
視界がグルリと歪み、そのまま目の前が真っ暗になっていった。




