55話
「ミリアには感謝しかない。レオンハルト公爵様にもなんとお礼を申し上げればよいのやら……」
「良い対談だったのですね」
「それはもう……」
お父様が満面の笑みを浮かべていた。
なんとなく想像はつくが、大人の事情というものもあるだろうし、深くは聞かないでおこう。
「ひとまず、荒れ果てた草はすべて除去しておきました。庭は家の顔とも言いますから、定期的に手入れをすることをお勧めします」
「わかった。この機会に使用人と庭師を雇ってジェールリカ村の領主として恥じないようにするよ。ところで、やはり明日には帰ってしまうのかい?」
「はい……。名残惜しいですが、公爵邸でみんなが待っていますので」
「そうか……。ミリアの顔をひと目見れて嬉しかったよ」
お父様は涙目になっていた。もう会える機会などないと思っていただけに、私も気持ちは一緒である。
「ミリアよ。また近々来れば良いではないか」
「へ⁉︎ 良いのですか?」
「今後は来る機会も増えると思う。時期にその理由はわかるだろう」
「そうですな。今後が楽しみです」
お父様とレオンハルト様が二人だけでニヤニヤとしていた。
おそらく対談でなにかが決まったのだと思う。自然がいっぱいで居心地の良いジェールリカ村にまた来れると思うと、今から楽しみだった。
「今回はミリアには使用人のようなことばかりさせてすまなかった」
「いえ、むしろ楽しかったので。使用人は天職ですから」
「次来るときは、しっかりともてなすことができるようにしよう」
「はい。楽しみにしていますね」
翌日、お父様としばしの別れを告げてジェールリカ村から出る。
王都へ向かってライトちゃんを走らせた。
♢
ジェールリカ村を出発してから、一度目の夕暮れがやってきた。
「今日はここまでだな」
「はい……」
行きのときと違うことがひとつだけある。今になって後悔しているような気もした。
「それはどうしたのだ?」
「お父様からお借りしました」
行きは緊急だったために一緒に寝させてもらったが、帰りはあるべき姿での宿泊になる。
散々迷ったが、帰りも二人っきりで密室空間で一緒に寝ていたら、今度こそ色々な意味で羽目を外してしまいそうな気がした。
レオンハルト様の頬に手をあてたり、顔を近づけてみたり……。結婚前にそんなことをしては決してダメだとはわかっていても、もう感情が抑えられないほど好きになってしまっている。
しっかりしないとと言い聞かせるように、野営用のテントを借りてきた。借りたとき、『来るときはどうしたのだ?』と聞かれたが、なにもなかったとハッキリと言ってある。
「そうか……」
レオンハルト様の顔には出ていなかったが、明らかにガッカリしている感じが漂ってきた。
「ミリア……」
「はい?」
「借り物のテントは使わなくとも良い。私のテントを使ってもらいたい」
「えぇと……、どういうことでしょうか?」
レオンハルト様が顔を赤らめながら後頭部を掻いていた。
「せめて王都に帰るまでは、一緒が良い」
そのひとことが、抑えていた感情を見事に壊してくれた。ダメだと分かっていても、抑えられなかった。
レオンハルト様の胸元に飛び込んでギュッとしてしまう。
「一緒に寝て良いのですか?」
「むしろ一緒にいてほしい。ログルス子爵には申しわけないと思うが、部屋が別々だったため寂しかった」
「私もです……」
ジェールリカ村へ向かっていたときは、まだ恋人という関係だったため、一線を抑えることはできた。
だが、今度は違う。婚約も正式に決まっているし、もうダメかもしれない。
覚悟のうえだ。
レオンハルト様のテントだけ組み立てて、再び一緒に横になる。
どうしよう。行きのときよりもドキドキが止まらない。なにかされるのではないかという緊張と期待と恐さがいっぺんにのしかかってきているような気分だった。
私が目を閉じると、横からレオンハルト様の声がしてきた。
「目を瞑ったままで良い。私はミリアにひとつ、謝らなければならないことがある」
「なにか?」
「初日のテント生活のとき、ミリアの寝顔を見ていたら、眠れなくてな。どうしても我慢できなかった……」
「え……」
たしか、初日は私が疲れていてすぐにグッスリと寝てしまった。
無防備だしなにをされていても文句は言えない。むしろこれだけずっと一緒に密室空間で一晩を過ごしていたのに全くなにもないということにも、いささか不満があった。
だからと言って、今になって手を出されたと言われても複雑な気分になる。
なんと言ってくるのか、緊張しながら返答を待つ。
「ミリアの頬に……、故意に手を触れた」
「ふ……ふふ……。あはははははっ……」
思わず目を開いて笑ってしまった。
嬉しさと安心感に包まれたような気分だ。さらに、レオンハルト様が紳士で誠実なお方だと改めて思ったからだ。
「なぜ笑う? 私は勝手にひどいことをしてしまったのに」
「全然。ひどくなんてありませんよ。むしろ、安心しました」
「なぜだ?」
「それは……」
使用人たちのマッサージフルコースや、ガイムさんの整体のおかげで、私の身体も美容も進化している。
だが、レオンハルト様は見た目もカッコよく、世の女性が放っておくわけがない。
レオンハルト様から大事にされているのは重々分かっている。それでも女として見られているのかどうか心配していた。そんなこと、とても言えなかった。
「もう一度、触れても良いか?」
「その前に……」
私はむくりと起き上がり、レオンハルト様の胸元に頭を乗せ、さらに彼の顔に手を添えた。
「仕返しです」
「嬉しい仕返しだな」
こんなことをしたら、歯止めが効かなくなることくらいわかっていた。レオンハルト様は私のことをギュッと抱きしめてくれた。
嬉しい。幸せ。ドキドキする。
だが、この先の展開のことを考えると心の準備がまだだったため、恐い。自分から仕掛けたのだし、なにも言える立場ではないが、後悔はない。
しばらく抱きしめられ、そのままレオンハルト様は私の耳元でそっと呟いた。
「おやすみ」
「え……は、はい。良いのですか?」
「ミリアのことを大事にしたい。続きは正式に妻になってからでどうだろう」
「はい!」
レオンハルト様は、どこまでも紳士で優しかった。
男性の本能だったら、ここまで展開が進めば決して抑えることなどできないはずだということくらいは私も理解している。
それでも一線を越えずに止めてくれた。嬉しくて、もう一度レオンハルト様の身体にギュッと抱きついてから目を閉じた。




