初仕事
朝になり目が覚めた瑠璃は、寝惚け眼をこすりながら辺りを見回した。
「……そうだ……ここ家じゃないんだ」
そんな事をつぶやいてから昨日あった歓迎会の事を思い浮かべていた。食べた物や、これから一緒に働く人や、桜を見ながらお酒を飲んだ事を思いだしながら身支度を整えた。朝食は本館で食べる事になっていたので、瑠璃は本館へ向かった。別館から外に出た時に、肌を駆け巡る冷気に少し寒さを感じて、山にいる事を実感していた。本館に入り、リビングに向かうと、扉の前で乙成と出会った。手には料理を抱えていた。瑠璃は挨拶をして扉を開けて中に入ると、歓迎会にいた人が全員いるのが見えた。すぐにおはようと声をかけられたので、瑠璃も自然と挨拶を返した。乙成に促され、空いてる席に座る。
「では、みなさん揃ったので、改めまして、本日から綾乃里くんが働く事になりますので、よろしくお願いしますね」
中野がそう言うと、瑠璃もよろしくお願いしますと言った。みんなでいただきますと言って、食事に手を付け始めた。目の前にはシンプルな朝食が用意されていた。メニューはごはん、味噌汁、焼き魚、卵焼きだった。シンプルこそ素晴らしいと思いながら瑠璃は朝食をおいしく完食した。
食事後、みんなはばらばらに散っていった。中野は小百合を学校へ送りに、三ツ泉と野々宮は昨日の歓迎会で残っていた物を片付けに、瑠璃は、乙成にこれからの説明をするから一度自分の部屋に戻っていてほしいと言われたので、瑠璃は自分の部屋に戻った。
少しして、乙成が部屋にやってきた。手には、大きな袋を二つ持っていた。
「瑠璃ちゃん、お待たせしましたー。これからの事を説明しようと思うんだけど、その前に私達の制服になるメイド服に着替えましょうか」
瑠璃の目の前に出された袋には服が入っていた。中には複数枚の服があるように見える。
「まず、こっちの袋には夏用が入っているのだけど、夏も近いから先に渡しておくわね。それで、もう一つには、今から着る事になる冬用の服を入れてるわ」
「わかりました。いっぱい入ってる様に見えるのですが、こんなに必要なんです?」
「ええ、毎日変えてもらうからそれだけ入れてるのよ。1着を毎日洗濯して使ってもいいし、2枚を交互に洗濯しながら使う事もしていいし、休日にまとめて洗う事も出来るわね、どうするかは瑠璃ちゃんの好きなようにしてもらって大丈夫よ」
「それでいっぱい入っているのですね。着替えてきます」
「今回は手伝わなくて大丈夫?」
「は、はい! 予習してきたので、大丈夫です。……たぶん」
「ふふ、それじゃ待ってるわね」
瑠璃はそう言うと、寝室に入って今着ていた服を脱いだ。渡された袋から服を出し、目の前に広げてみるが、改めて自分で着るとなると少し恥ずかしさが込み上げてくる。待たせるのも悪いという気持ちが優先され、恥ずかしいと思う気持ちを振り払った。戸惑いながらも何とか着る事が出来た瑠璃は、乙成に確認してもらった。
「乙成さん、これで大丈夫ですか?」
「うん、ちゃんと着れてるわよ。えらいえらい」
そう言いながら乙成が瑠璃の頭を撫でた。
「それでは、服も着終わったので、今日の予定について話すわね。まず、午前中は本館の掃除をやります。お昼前になったら昼食の準備に行きます。そうそう、今朝の朝食はどうだったかしら? 嫌いな人も少ないようなシンプルなご飯にしてみたのだけど、瑠璃ちゃんは嫌いなものはある?」
「嫌いなものはあんまり無いですが、辛いのはちょっと苦手です……」
「分かったわ。茜ちゃんもそうだから、メニューは今のままで良さそうね。それで、午後からなんだけど、本館で掃除の続きをします。途中から瑠璃ちゃんは、お嬢様が帰ってきたら、夕食前までお嬢様と共に過ごしてもらいます。今日の予定はこんな感じね、何か聞きたい事はあるかしら?」
「はい、お嬢様と過ごすのは、何をして過ごすのでしょうか?」
「んー、そうね。男性と一緒の空間にいるという事にまずは慣れてほしいから、一緒にいるだけで大丈夫かしらね。他には、お話とかしてもらえたら良いと思うのだけど、もしお嬢様の調子が良くなさそうなら戻ってきてね。大丈夫だとは思うけど一応注意しておいてね」
「わかりました。がんばります」
「それじゃ、本館の掃除に行きましょうか」
乙成に付いて行き、本館へ向かった。小百合とどんな話をしたらいいのだろうと考えながら歩いて行った。
「まずは、ここ、玄関から掃除をしましょうか。ここが終わったら各部屋を掃除していくわね」
瑠璃は乙成に教わりながら掃除をやり始めた。隅の所まで丁寧に掃除する所に感服した気持ちを抱えながら掃除に勤しんだ。昼食前の時間になり、掃除は一旦終了し、別館に移動した。
「そうそう、昼食は別館で食べるから忘れないでね。朝と晩は本館で食べるのよ」
「お昼はここなんですね」
「ええ、お昼にはお嬢様もいないからここで食べるのよ。これからお昼の準備をするので、瑠璃ちゃんにも少し手伝ってもらうわね」
「はい、でも料理とかほとんどやった事はないのですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、簡単な事だけお願いするわね」
「乙成さん、気になったのですが、料理はいつも乙成さんが作ってるのですか?」
「そうよ。基本的には、私が作っているわね。あ、そうそう、お休みの時のご飯なんだけど、お休みの日も私が作っているから、いらない時はそこに掛けてあるボードに名前を書いておいてね。外出したり自分で用意する人はボードに名前を書くようにしているの。余分に作らないようにね。それと、私が外出する時は、自分で用意してもらわないといけないわね」
「休みの日はそうなんですね、わかりました。毎日作るのはすごいですね! でも大変じゃないですか?」
「んー、大変といえば大変なのかもしれないけど、作るのは楽しいし、誰かに作るっていう事が好きだから、苦ではないかしら」
「それなら良かったです。これからお世話になります」
瑠璃はそのまま手伝いを続けた。完成した頃合いに、みんなも集まったので昼食を食べ、お昼の休憩をして、午後の掃除に向かった。
午後の掃除の途中に、小百合が帰ってくる時間になった。乙成に部屋に行くように言われた瑠璃は、道具を片付け、身なりを確認して特に汚れは無かったので、そのまま小百合の部屋へ向かった。
部屋の前に着いた瑠璃は、一呼吸した。何を話せばいいのだろうかと悩んでいたが、答えは出なかった。しかし、このまま待たせても良くないと思った瑠璃は、意を決してノックをした。
「えっと、お嬢様、綾乃里です。ただいま参りました」
返事が聞こえ、少しして扉が開いた。小百合にどうぞ、と部屋に促され、中に入った。ソファに座るように言われたので、瑠璃が座ると、となりに小百合も座った。
しばらく静寂が続いた。瑠璃は入った時に見た小百合の表情を思い出している。今朝会った時より硬いような表情をしていた。隣を見ると、今も入った時と変わらず、表情は硬いままだった。瑠璃は何か話さないと、と考えていると
「……なんというか、ごめんなさいね……」
「い、いえ! 謝る事なんて何も無いです。えっと、初めて会った時より表情が優れないように見えるのですが、大丈夫ですか?」
「一応大丈夫よ。初めて会った時は、突然だからあんまり意識していなかったのだけど、今日は男性の人と二人きりになると改めて考えると、緊張してしまったみたいなの……」
「そうだったのですね」
緊張していただけで特に悪い状況じゃないと分かった瑠璃はホッとしていた。今まで親しくない異性と二人きりになる機会も無かっただろうし、緊張するのも分かる気がした。今はメイド服を着て、かわいいと言われる事が多い瑠璃だが、そんな瑠璃でも異性として認識されているという事に少し喜びも感じていた。しかし、このままでは良くないと考えた瑠璃は無難だと思って、いつもこの時間には何をしているか聞いてみる事にした。
「えっと、お嬢様は、いつもこの時間には何をしているのですか?」
「ん……、いつもは帰ってきたら勉強している事が多いかしら、読書する時もあるわ」
「帰ってすぐ勉強するのはえらいですね!」
「そう? 綾乃里さんは、学校から帰ってきた時は何をやってました?」
「ボクですか? えーっと、その、勉強も……やってましたよ! あとは、ゲームとか……ですかね」
瑠璃は少しだけ見栄を張った。学校から帰ってきた時は、ほとんどゲームばっかりで勉強なんて二の次で、ほとんどやってなかったからだ。遊んでばっかりだった自分の事が恥ずかしく思って少しだけ見栄を張ってみたのだった。
「ふふ、勉強とゲームをやっていたのね、ふふっ」
「はい、えっと、何かおかしかった……ですか?」
「ごめんなさいね、勉強と言っていた所の表情を見て、あまり勉強はやってなかったんじゃないかと思ってしまったの」
「え、顔に出てましたか……? その……勉強をやっていたのは嘘で、だいたいゲームばっかりしてました……」
「やっぱりそうなのね、綾乃里さんって分かりやすいのね。そんな嘘つかなくてもよかったのに」
「そんなに分かりやすかったのですか? お嬢様の話を聞いた後に、遊んでばっかりだったと言うとは恥ずかしく思ってしまいまして……」
「ふふ、人それぞれなのだから気にしなくてもいいのに。でも、かわいい表情を見れてとってもよかったわ」
小百合の笑っている姿につられて瑠璃も笑っていた。嘘がバレバレだったという事に恥ずかしさも感じていた瑠璃だったが、小百合が笑ってくれたので、結果よければすべてよし、と思って納得していた。この嘘で緊張もほぐれた小百合とたわい無い話が出来るようになって、そのまま話していると夕食の時間になった。夕食が終わり、瑠璃は部屋に戻って行った。