夏祭り
「ねぇ、美穂さん。お願いしたい事があるのだけど」
瑠璃は別荘の窓から海が見えるリビングのソファーに深く腰を掛けてボケーっとしながらくつろいでいると、少し離れた所から小百合の話し声が耳に入ってきた。
「なぁに? 小百合ちゃん」
「あのね、私……夏祭りに行ってみたいの」
「え? 夏祭りに? んー……何か考えがあるのかな?」
「私ね、試してみたいの。今の私がどこまで大丈夫なのかを確かめたいの。それにね、ずっと前から夏祭りに行ってみたいと思ってたのもあるの」
「そう、ねぇ……。小百合ちゃんがそうしたいのなら止めないわ。でもね、絶対に無理はしないって約束はしてね」
「うん、もちろん。ありがとう!」
どうやら夜の予定は変更になるみたいだ。話を耳にした瑠璃は、夏祭りに行ける事にわくわくした気持ちを持ちながら、小百合の事も案じていた。
夏祭りに行く事になったので、浴衣に着替える事になった。日が落ちてから着替える予定だったが、少し繰り上げたのだった。
瑠璃は乙成に白い布を渡され、着替えるように言われていた。瑠璃の部屋で、白い布を着終わった事をドア越しに乙成に告げると、部屋に入ってきた。
乙成は慣れた手つきで瑠璃に浴衣の着付けを行っていた。初めての事に瑠璃は少し顔をこわばらせていた。帯をギュッと絞められた事で終わったんだと気が付いた。
「はい、これでよしっと! ふふっ、うん、やっぱり似合ってるわね」
鏡の前に通されると、そこに写っていたのはピンク色で花柄の浴衣を着た瑠璃だった。女性向けの浴衣を着せられていたことを自覚した瑠璃は達観した表情をしていた。
「ね、瑠璃ちゃん。これからね、小百合ちゃんと二人で先に行ってもらう事になってるの」
「二人で、ですか?」
「うん、小百合ちゃんの提案でもあるの。今どこまで大丈夫かを確かめるためには二人の方が良いのからしらね」
「小百合さんがそう言ってたんですね」
「瑠璃ちゃんには負担を掛けちゃうと思うけど、小百合ちゃんの事お願いね。後で花火が上がる頃には合流する予定よ」
二人で先に行く事になるとは思っていなかった瑠璃は、大丈夫かと不安に感じていた。しかし、それだけ信頼を寄せてくれているんだと考えると、嬉しい気持ちも沸いていた。
部屋を出てリビングに戻ってくると、小百合も浴衣姿で登場した。浴衣は白色で青い花がちりばめられたような柄だった。髪は後ろにまとめられていて、化粧もしている事が目にとまり、その姿に高校生とは思えない大人らしさを感じていた。
「あ、瑠璃ちゃん。やっぱり浴衣に合ってるね。かわいい!」
「あ、あはは、ありがとうございます」
瑠璃は少し乾いた笑いをしながら答えていた。今の姿を受け入れるに受け入れきれない微妙な感情に苛まれていた。
「小百合さんの浴衣姿、とても似合ってます」
「うふふ、ありがとう。嬉しいわ。それじゃ瑠璃ちゃん、行きましょうか」
瑠璃と小百合は、みんなに別れを告げ、後で会う約束を交わして玄関をあとにした。
外に出ると、夕焼けが視界に入り、夜がもうすぐ来ることを告げていた。風は生暖かい風を運んでくるので、涼しい室内から出た瑠璃はじんわりと手と足に汗をかいたことを感じていた。
「あ、そういえば下駄じゃなく草履なんですね」
瑠璃は歩きながら、履いてる物に疑問を持っていた。浴衣なら下駄だろうと思っていたからだ。
「前はね、下駄を履いてた時もあったのだけど、足が痛くなっちゃったから草履に変えたのよ」
それでか、と瑠璃は納得していた。草履の感触に意識を向けつつ、次に話す事を考えていた。
「そういえば小百合さんは、最初に買いたいものとかってあります?」
「買いたいもの? そうね、わたがしが食べたいかな。夏祭りっていったら、わたがしっていうイメージもあるの」
「いいですね、わたがし。最初に買いましょう!」
小百合と手をつなぎながら歩いていると、周囲はだんだんと夕焼け色が薄くなっていった。瑠璃は周りが暗くなっていくにつれて不安の色も濃くなってきていた。先の方に目を向けると、沢山の灯りが目に写り、もうすぐ到着するんだと実感した。
「ふぅ……見えてきたわね」
灯りが見えて小百合の手に力が入ってきたことを感じる。それを感じて瑠璃は緊張しているんだなと受け取っていた。これまで自動車は何台か通っていたが、人とはすれ違うことはなかった。灯りと共に人混みを見つめて、瑠璃は小百合の心情を思案した。
「小百合さん、このまま行けそうですか?」
「うん……ちょっと緊張してるけど、大丈夫よ。瑠璃ちゃん側に居てね」
瑠璃は小百合の思いを汲み取り人混みへ向かっていった。
大きな鳥居をくぐると、左右には出店が並んでいた。赤い提灯が吊るされていて、祭りに来たんだなという事も実感していた。
瑠璃は隣にいる小百合の顔を窺ってみると、少し表情が硬い様に見えた。下を向いていたのもあったので、大丈夫かと声を掛けようと思ったが、大丈夫と返されると思った瑠璃は、少しでも気持ちを和らげようと思い、先ほど話していたわたがしを買う事にした。
入り口近くに、わたがしを売っている店を発見した瑠璃はすぐさま購入すると、次は人混みから離れて落ち着ける場所を探すことにした。
少し歩いて座れる場所を見つけた瑠璃は、小百合の手を引きながらベンチの置いてある場所へ向かった。小百合を座らせると、隣に瑠璃も座って、持っていたわたがしを手渡した。
「小百合さん、これどうぞ」
「……あ、わたがし。うん……ありがとう」
小百合は硬い表情をしたまま、目の前のわたがしを一口頬張ると、少し表情がほころんだように見えた。
「……あまい。わたがしってこんな味なんだ……。あれ? 瑠璃ちゃんの分は?」
「えっと、とりあえず小百合さんの分だけでも買って、落ち着けそうな場所を探したいと思ってたので、一つだけ買いました」
「そうだったんだ。なんかごめんね。そうだ、一緒に食べない? はい、どうぞ」
そう言うと、小百合は持っていたわたがしを瑠璃に差し出した。
「あ、いえ、ボクは大丈夫です。せっかくなんで小百合さんが全部食べてください」
「一緒に食べたいの。瑠璃ちゃんとね、今、この気持ちを共有したいの。だからね、一口でも良いから食べない?」
小百合からの圧と、さっきまでの硬い表情がだいぶ崩れてきたのを感じた瑠璃は食べる事にした。
「わ、わかりました。それなら一口だけ……あまいですね。久しぶりに食べました」
「ふふっ、もっと食べて良いんだからね。瑠璃ちゃんが買ってくれたものなんだしね」
瑠璃は小百合の笑う顔を見てホッとしていた。安心したせいか尿意に襲われトイレに行きたくなっていた。
「あの……すみません、ちょっとお手洗いに行ってもいいですか?」
「うん、もちろんいいわよ。私はここで待ってるね」
瑠璃は小百合を置いていく事を不安に思っていたが、迫りくる尿意にせかされその場から離れた。人混みをかき分けトイレを示す案内を見つけると、一目散に向かっていった。
やっとトイレを見つけたと思ったが、瑠璃は自分の格好を思い出し、このまま入っても良いのかと一寸悩んだが、女子トイレに入る事は考えられなかったので、周りの視線を無視して男子トイレへと入って行った。
瑠璃は浴衣のままでどうやってすればいいのか分からないながらも、必死になって浴衣をまくり上げる事をして用を足すことが出来た。
なんとか浴衣を汚さずに済ませた瑠璃は、心軽やかに小百合の元へ戻って行った。
小百合が視界に入る距離まで戻ってきてみると、金髪と茶髪の二人の男性が近くに居るのが見えた。小百合の方に視線を向けると、下を向いて怯えたように見えた。瑠璃はそれを見て一瞬固まったが、すぐに足は動いていた。
何も考えずに小百合の元へ行くと、すぐに手をつかみ走り出した。二人いた男が何か言っていたような気がしていたが、その場からすぐに離れる事だけを考えていた瑠璃には何を言っていたかはわからなかった。
人混みをかき分けながら瑠璃は必死に走った。後ろは振り返らず、さっきの男二人が追いかけているかもわからずひたすらに走った。ただ一つ小百合の手を握っている事だけは分かっていた。
「――ん。――ちゃん。瑠璃ちゃん」
瑠璃は小百合に何度か名前を呼ばれている事に気が付いてようやく足を止めた。そこで後ろを確認したが追いかけられている様子もなく、周りには人がまばらにいた。
「す、すみません、突然走り出したりして……」
「ううん、いいのよ……大丈夫」
二人は息を切らせていたので、二人とも呼吸を整えていた。瑠璃は少し冷静さを取り戻し、改めて辺りを見回してみると入り口から一番遠い本殿の所まで来ていた。
「すみません、小百合さんの姿を見てその場から連れ出さないといけない気がして無我夢中で走ってました」
「いいのよ。連れ出してくれてありがとう。瑠璃ちゃんがお手洗いに行ってからちょっとしてさっきいた二人が来たの。一緒に遊ばないかって事を言われたのだけど、断ろうとしたら声が出なかったの……」
「そうだったんですね。すみません、ボクが離れてしまったせいで……」
「瑠璃ちゃんのせいじゃないわ。それに今の私がどこまで行けそうかもわかった気がするし、大丈夫よ」
「そう……ですか? でもこれからどうやって帰りましょうか」
「まだ帰らないわよ」
瑠璃は小百合の発言に驚きながら聞き返した。
「え? 帰らないんですか?」
「うん、まだ夏祭りも楽しんでないしね。さっきまで怖い気持ちもあったのは確かなのだけど、今はもう大丈夫なのよ」
「本当に大丈夫なんですか?」
「うん、本当に大丈夫。さっきまでの怖い気持ちが嘘の様になくなって、今は安心した気持ちなの。瑠璃ちゃんが来てくれて、助け出してくれてすごく安心したわ。今はね瑠璃ちゃんが側に居てくれたら何でもできそうなくらいの気持ちよ」
瑠璃は小百合の顔を覗いてみたが、その表情からは嘘を言っているような気配は感じられなかった。
「だからね、この手を離さないでいてね。まだ私一人じゃ無理そうだから……」
小百合の言葉の後にドン、という大きな音と光が夜空に舞っていた。
「あ、花火……。そろそろ乙成さん達と合流しましょうか。それと瑠璃ちゃん、さっきあった事は内緒でお願いね」
「話さないんですか?」
「心配かけたくないしね。それに……もう、大丈夫だから。瑠璃ちゃんが側に居てくれたら……また何かあったら助けてくれる?」
「あ、はい……頑張ります」
「ふふふっ、うん、お願いします」
その後、瑠璃達は、乙成達と合流して、みんなで夏祭りを満喫していた。時折瑠璃は小百合の顔色を窺っていたが、小百合の言っていた通りに大丈夫な様子を見せていたので安心しながら楽しんでいた。




