そうだ、頭の中まで筋肉にしよう
その日、ルルは使用人に与えられた狭い部屋で泣いていた。
「誰もかれも、皆、忘れちゃったのかな」
ルルの部屋は半地下で暗ぼったくジメジメしている。低い天井の近くに開いた小さな明り取り用の窓からは本宅の賑わいが聞こえてくる。
美味しそうな料理の匂いや賑やかな音楽や人々の賑やかなさざめきが。
今日は本宅の「お嬢様」の婚約が決まったお祝いなのだ。
本来、ルルもその支度に駆り出されるはずなのだが。
今頃使用人達にも御馳走の一部が下げられて振舞われているはずだ。
なのにルルはここに閉じ込められ、普段の粗末な夕飯すら振舞われる事もなかった。
まるで皆に忘れられてしまったようだ。
「おなかすいた」
昨日、訳がわからないまま、ルルは普段使っている部屋に閉じ込められた。
表から鍵をかけられるというご丁寧な処置までされて。
ルルは孤児である。このお屋敷に勤めていた女中が生んだ子だと言う。
しかしルルには母親の記憶がない。あまりにも小さい頃に死に別れてしまったからだろう。
父親は誰なのかわからない。お屋敷に勤めている人たちの中にはいないそうだ。
今までにも意地悪で食事を抜かれた事が何度もあった。
何故ルルだけがそんな目にあわされるのかわからなかったが、そのせいでルルはひどく痩せていた。
でも、そんな時でも年かさのメイドや男の使用人がルルにこっそりご飯を分けてくれる事もあった。
でも、ここ2~3日は、誰もがルルをいない者のように扱って、いつもは食べものを分けてくれる気のいい馬番のおじいさんも食べ物を分けてはくれなかった。
きっとお屋敷のご主人様達に「役立たずには食べさせるものはない」と硬く言いつけられているのだろう。
ルルはそう思って、草の実を集めて口にしたが、水と草の実では腹は膨れず、目も回ってフラフラする。
こんな時、ルルはこの世の中で自分はひとりぼっちなのだと強く実感する。
悲しく、絶望的でやるせない。
そんな状態なのに部屋に閉じ込められた。これでは水すら飲みにいけない。
「もっと大きくて身体も強かったら、役にたてるのに」
そうしたら仕事もいっぱい出来るし、ご褒美に椀いっぱいに食べさせてもらえるのだろうか。
ご主人様達はいつだって食べ物を残すのに、それをルルに渡してくれた事はない。
「う~たを忘れたカナリアは…」
こんな悲しい時には、ルルはいつも歌ってキモチをごまかしていた。
亡くなった母親は、たいそう美しい声をしていたそうだ。
歌を唄っていると母親と一緒にいるかのような感覚になる。
もちろん歌っているのはルルだけなのだが。
ルルは歌いながら妄想する。
あの硬く閉じられた扉が開き、暖かいスープとパンをもった母親が優しい笑みを浮かべて入ってくるさまを。
二人で笑いながら食事をとり、眠くなったルルがベッド入ると想像の母は髪を撫で、「さぁ寝ましょうね」と額に口づけをし、子守歌を唄い出す。
「いえいえ…それはかわい…そう」
かわいそうなのはルルだった。自分で自分の髪をやさしく母が撫でてくれる様を想像して撫でる。
ルルが自分でルルを可哀そうだと思って慰めなければ、誰もルルを慰めてくれない。
「大丈夫、明日はきっと出してもらえる。カイザーの散歩もいかなくちゃいけないし。」
お嬢様が誕生日に贈られて1年で飽きてしまった犬の面倒もルルの仕事だった。
カイザーは子犬の頃はかわいがってもらっていたが、ルル同様もう本宅のご主人様達からは顧みられていなかった。
ルルはひそかにカイザーに同情をしていた。自分の方がよほど酷い扱いをされているのに。
想像の母の顔は影になっていてわからない。ルルが顔を覚えていないせいだ。
でも、それでもルルには恋しい母親だった。
「かあさま。明日はいい日でありますように。見守っていてください」
空腹すぎてぐるぐると回る視界が気持ち悪すぎてルルは無理矢理眠ってしまう事にした。
「おやすみな…」
だんだんと意識が落ちていく。
闇の中に意識が埋もれてしまう、その前に。
その日はなぜだか、ルルの頭の中に声がした。
『いやいやいやいや、寝たらそのまま死んじゃうでしょ。だいたいいつもだってご飯が足りてないんだから』
ルルは目をあけた。明らかに自分の頭の中で自分の声がする。
『かー。なんだってこんな理不尽が通るのよ…。なんだってそれを当然の事のごとく受け入れているのよ』
ルルは混乱した。頭の中の声はルルのもののような気がするけれど、ルルとは違う。
『このまま死にたい?あんな奴等に虐げられたまま悔しくない?』
「あんな奴等って本宅のご主人様達のこと…だよね」
『本当は気がついてるんじゃないの?馬鹿なフリしすぎて本当にお馬鹿さんになっちゃった?』
「…」
ルルは深く息を吸って、吐いた。
本当はルルだって気がついていた。でも気がつかないフリをしないと生きていけないから気が付かないフリをしていたんだって。
「そうだよ。歌を唄っていたのはルルだよ」
さる貴族が、あるお屋敷から聞こえてくる歌声を偶然耳にした。
その歌声に感動し、屋敷を訪ねれば、その歌はその家の娘が歌っていたのだという。
『声フェチなのかしらね?でもお相手の方もよく知らない人間を歌声だけで妻に迎えようだなんて常識を疑うわね』
「風邪をひいたから唄えないってごまかしてたけど。いつまで通用するのかなぁ…。」
『ルルの歌声を自分の歌声だって偽って。そのとっかかりから、その貴族から自分の妻に迎えたいって思わせた手腕には目を見張るわね』
「お嬢様は演技がうまいからね」
外の人間や利害のある人間には媚びを売り、ルルのような使用人の子どもには辛くあたる。あまり褒められた性格をしていない。前世では友達にはしたくないタイプだ。
そこでルルは気がついた。
「そっかぁ。君は前世のルルなんだね?」
『あまりにも、あなたが物分かりよすぎて主張せずこのままだと死んじゃいそうだから出てきちゃったわ』
「そっかぁこのままだと…そうなっちゃうかぁ」
『そうよ。いつまで燻っているつもり?もっとちゃんと出来るでしょ?ルル。あなたはわたしなんだから』
「うん。そうだね。飼いならされすぎて、自分を見失っていたよ」
ルルは、寝台に起き上がった。
「だいたいさ。婿養子のくせに女中に手をつけて生ませたのは父親であるご当主様なのに、いくら身分の低い母親の子どもだからって育児放棄とは感心しないよね」
本当は気が付いていた。ご当主様によく似た面差し、髪色、目の色。
ヒソヒソする仕事仲間のうわさ話。
奥様の冷たい視線。その奥様の気持ちを汲んでなのか嫌がらせが激しい腹違いの姉。
気の毒そうな視線をくれる古参の侍女達や馬番の男達。
気がついていないフリをずっとしていた。
「こんな建付けの悪い扉なんかいくら鍵をつけたって、こうすれば外れちゃうんだしね」
『そうね。それに思い出した?』
「うん。少しずつね。アプリゲームの『薔薇園で永遠に眠れ』だね?」
前世でルルだった彼女が暇つぶしにしていたゲームの世界とこの世界はよく似ている。
「もし、いやたぶんその世界でいいはずだよね。だって声フェチ貴族ってあの人じゃん」
『そうそう、攻略対象の中で最年長のあの人』
「お嬢様、あの人がホモだって知っていないよね?」
『そうそうルルのパパンは娘の相手があの貴族様で喜んでいたけど、ぶっちゃけ女なんて目に入れたくもないあの人が世間体のために声だけはいい体裁上の家柄のよい妻を欲してただなんて思っていないでしょうね』
「僕ってあのキャラクター?」
『認めたくないでしょうけど。その髪色とその瞳の色、それに不幸な幼少期でビンゴでしょ?』
「あー」
ルルは項垂れた。
「よし鍛えよう。頭の中まで筋肉になるくらい鍛えよう」
『頑張って。あのゲームのあのキャラクターなら特に』
「ゲームならまだしも、実際にあんな目にあうだなんてごめんだからね。」
あのゲームではルルはミステリアスな、さる高位貴族として主人公の前に現れる。
不幸な生い立ちから心身が不安定で、主人公を翻弄する役回りだ。
よく誘拐にあってピーッな事やあーっな事をされたりする。
「しかし僕のボーイソプラノをお嬢様の歌声だと聞かされて信じちゃうだなんて、ちょっと
BLの攻略対象としてはどうなんだろうね?あの歌声がお嬢様のものじゃないって気が付いたのなら、僕もあんな事件に巻き込まれる事もなかったかもしれないけどね。まぁ僕は偶然の救済なんて当てにしないでショートカットしちゃうけど」
部屋の戸をはずして抜け出したルルは、わざとよろよろと本宅に向かって歩いていく。
「まぁ。あなたは???」
そこには、婿養子である僕の生物学上の父親の両親がいて僕の姿を見て驚愕している。
だって自分の息子の小さいころに僕がそっくりだからね。
髪の色だって一族の色を受け継いでいるしね。
実際のところ、声フェチ貴族が僕が歌声の主だとわかっていれば、防げたかもしれない事件があり、そのせいでボロボロになった僕が町をさ迷っている時におばあさまの関係者に拾われ、あんな事こんな事な出来事のすえに僕は父の兄の家に養子に迎えられるんだけど。
あんな事、そんな事がちょっと受け入れられないのでショートカットしてみました。
BLはさぁ、見るもんだよね?実際自分が経験したいとは思わない。
6年後、僕はルルーリオ・オルネットとして主人公達が通う学園に入学していた。
いやーホモー率高いこと高い事。
BLゲームと同じ世界なだけに。
ゲームでは僕は線の細い美少年として登場するが、今の僕はゴリゴリのマッチョである。
よくその顔でその肉体は…と言われるが、自分で自分は守らないと!
ゲームの中の僕はその儚げな容姿とナヨナヨっちぃ身体からそういう趣向の輩によく拉致監禁されてあーっな目にあってたし。
「やぁ!おはよう!主人公君!」
僕は朗らかに同じクラスの主人公君に挨拶をすると、さっさと自分の席に座る。
筋肉はいい。筋肉は裏切らない。
頭の中まで筋肉化したおかげか、僕にはポジティブシンキングしか浮かばない。
ゲームの中ではついほっとけない空気を醸していた僕だが、今では暑苦しさしかないだろうね。
「お、おう。おはよう」
空き教室に連れ込まれ、半裸で泣いている僕との邂逅が主人公君とのファーストコンタクトが本来の出会いのはずなんだけど、このガタイで連れ込もうなどと考える不届きものいないので、普通に同じクラスになった時が最初の出会いだ。
とはいえ、薬を使われたりと卑怯な輩もいるので常に気を張っている。
クルミを使って握力トレーニングをはじめると周囲のクラスメートもドン引きだ。
「ルルーリオ君は将来、何になりたいの?」
「普通に家を継ぐ予定」
ゲームではよわっちい癖に騎士団に入ろうとしてそこでさらにあーっな目にあってたからそっち方面はパスで。堅実にいきますよ堅実に。養父もそうしてくれていいって言ってるし。
「なぁルルーリオ。あいつとあいつ、変な空気じゃないか?」
主人公君は教室に尋ねてきた生徒会のY先輩と話している。まぁその距離がね。
「青春だなぁ」
「え?そういう仲なの?」
あれは攻略対象の生徒会役員インテリ眼鏡だな。これから主人公君をめぐってのめくるめく、トライアングルな世界が広がっていくはずだ。
「それよりも今日の鍛錬だ」
ニカッと笑って話しかけてきた前の席の奴に言えば呆れた風に返された。
「お前は悩みなんてなさそうでうらやましいよ」
ほー。前の席の奴も主人公君に気があるのか…。かわいそうにモブ扱いっぽいけれども。
「おー鍛えているからな。筋肉は裏切らない」
天使のようだと言われた僕のボーイソプラノは今や落ち着いた声になっている。
あの時に思い出せてよかった。そして鍛えておいてよかった。
リビドーの発散にもなるのだよ?モブ君。