53話:佐藤が、下村家で料理屋
そうして、思い出、深かった2017年が終わりを告げ、2018年となった。4月になり、いつもの多摩センター駅近くの乞田川の桜並木を歩きながら満開の桜を見て楽しんだ。そして、2018年4月、宮入と泉堂さんと吉沢さんで辰野へ行くと連絡した。
その時、現状と今後の話をしようと告げた。佐藤君が、料理屋の方は、宅配も開始して忙しくなり繁盛して黒字だと語った。宮入が、体に気をつけてやれよと言うと、うれし泣きしているのが、わかった。
その後、5月1日、月曜、早朝、宮入の車で、泉堂さんと吉沢さんを乗せて辰野へ向かい昼前に到着。以前の下村の家へ行くと、きれいに掃除されていた。新しい家の部屋に3人の荷物を置いた。そして、その古い家に佐藤の家族が住んでいるようだった。
その晩、21時過ぎに佐藤君が、帰ってきてと奥さんと長男夫妻と孫の2人を紹介した。そして、家族を6人を紹介してくれた。佐藤君が、宮入に本当に、ありがとうと言った。その後、ちょっと佐藤君だけと話がしたいと言った。
食事と風呂が終わってからで良いと伝えると、22時頃、佐藤君が、やってきた。その時、泉堂さんと吉沢さんが、この町の住民の年齢を聞いた。すると、70歳代以上が6割、40才前が2割と言った。
焼き鳥、フライドチキン、焼き肉の料理を出しビール、酒類を提供してる告げた。もちろん料理の出前、店での販売もしてると語った。そこで、吉沢さんが格安弁当も販売したらと提案した。ケンタッキーに似た味の唐揚げは売れるわよと語った。
また、辛口チキンカツも若い人に受けるわよと言い、鶏むね肉のさっくりフライも若い女性や老人に受けると思うと言った。価格も400円、出来たら300円台で、提供できれば、必ず、人気が出ると言った。
なんで、と聞くと、昔、伊豆下田で、亡き旦那さんの店が、傾いた時、一生懸命、再起のために必死に戦ったのよと言った。しかし、そんな儲けの少ない素人料理なんて作りたくないと旦那が、やる気をなくし酒を飲んで死んだわと吉沢さんが語った。
そんな経験したとは知らなかったと、佐藤が、驚いた。それに対し、泉堂さんも、まず、何を置いても、この地区で、うける人気料理を探して作ることが一番大事な事よと言った。薄利多売でも構わない。確実に利益を積み上げれば、必ず成功するはずだと強調した。
私も、北海道札幌のすすき野の飲み屋で、お客の心を掴む、おつまみを作るのに苦心したわと昔を思い出した。リーマンショックで、もう必死な1年だったわでも、マスターが、無理して借金をして、返せなくなって店を閉めて悔しくて泣き明かしたのよと告白した。
佐藤は、信じられないと驚いて2人を見ていた。とにかく借金は、早く返す事と言うと借金はないと、佐藤が言うと、それなら必ず、着実に儲けていけば良いじゃないのと吉沢さんが安心したように語った。大丈夫、やっていけるわよと佐藤の肩をたたいた。
とりあえず、今週1週間は、辰野にいるから、新しい人気メニューを考えて作って、お客さんの評判を調べて1から人気メニュー作りをしましょうと告げた。わかったと言い、やってみると佐藤が同意した。2年前から利益が減り困ってると打ち明けた。
そのため自宅が、ぼろぼろになっても修理代が出せず、店の家賃が、払えなくて困っていたと告白した。だから、ここに住んで良いと言われて救われたと話した。今の家は、売れないのかと聞くと、古屋付きでは、買い手は、いないよと言った。
両親も亡くなり、家には、俺の一家だけだと言った。広さは、どの位と聞くと土地が120坪で、古家が2軒と言った。売れたら、売りたいかと宮入が佐藤に聞くと、もちろん売りたいと答えた。それを聞いて、宮入が、何とか協力してやるよと言った。
そんな話をしてると夜遅いからと言い佐藤は、元の下村家に帰った。その後、宮入は、1人で部屋に入り、泉堂さんと吉沢さんは、別の部屋に入って眠りについた。翌日、重森工務店の重森社長に電話して佐藤君の話をした。
すると、見てあげようかと言うのでお願いした。実際に、見てみないと、詳細まで、わからないが古家を壊して、更地にすれば、120坪なら、売れるかもしれないと言った。