41話:ガンと脳、心臓ドック検診と友情
その後、状況を下村が、有明病院に電話すると、10月24~25日、1泊入院で精密検査をすると連絡が入った。今回は、不安だから、一緒に来てくれないかと言われ了解した。10月24日の10時に有明病院に来るように書いてあった。
ラッシュの最中の時間帯なので有明病院の近くに泊まることを奨めた。そこで、ヒルトンお台場を予約した。前日10月23日、ツインの部屋を予約した。23日10時半に橋本で会い京王線で新宿で埼京線快速に乗り換え国際展示場で降りてタクシーで5分でホテル到着。
できたばかりのヒルトンお台場に着くと、ちょうど昼、チェックインしレストランで昼食を食べると、そこから東京湾の景色が一望でき本当に素晴らしいと感激していた。こんな所へ泉堂さんと2人きりで泊まれたら最高だなと言うと下村が、うなづいた。
昼食を食べて、部屋に戻り、下村が、俺一人で本でも読んでるから、宮入君は、近くを散策して来いよと言うと了解と言い、ちょっと行って来ると言い、部屋を出た。その後、国際展示場を見て海辺の散歩道を歩いて、そこにあるベンチに座った。
しばらくして14時過ぎ寒い風が吹き出し、部屋に戻った。部屋に戻ると、下村が、知らないうちに昼寝していたと笑いながら語った。外は、広いだろと聞くので、本当に広く、東京という感じではなかったと話した。
未来都市みたいな感じさえすると答えた。何しろ、ここらは、東京湾を埋め立てた広大な土地だからなと話した。その後18時半頃、夕食を取りに行き、また、展望レストランに行くと、明かりのともった、幻想的な景色に変わっていた。
まるで未来都市のような湾岸の景色と、東京湾を行く大型タンカーが、見えた。食事を終え、下村が、今年になって、何回も手伝ってくれてありがとうと述べた。何だ、急にと言うと、おかげで、清々しい「すがすがしい」気分になったと答えた。
「人事を尽くして、天命を待つ」の気分だねと語った。今回の結果が、どうであろうと、受け入れられる気分になり、覚悟を決めたと、つぶやいた。それを聞くと、宮入は、下村が、急にいじらしくなり、涙がこみ上げてきた。
我慢したが、涙が、勝手に流れ、ハンカチでぬぐった。本当の友は、ありがたいものだ。神に感謝だなと言うと、下村も顔をしゃぐしゃにして涙を流した。そんなに泣くと、2人で、ここから飛び降り自殺しそうに見られるからやめてくれよと笑った。
そうだな、往生際が、悪すぎるよなと、下村が言った。その後、部屋に帰って、下村は、テレビを小さくして聞いていたが切った。すると、その脇で、宮入の無邪気な寝顔をみて、お前も、老けたが、昔とちっとも変わってないぞと、ここの中で、つぶやいた。
すると自然に涙がこみ上げ、声を殺して泣いた。やがて泣き疲れ、いつの間にか夢の中へ。翌朝8時には、起きて、9時に、ホテルをチェックアウトして、タクシーで有明病院へ向かい、9時半前に到着し、特別ガン検診の受付を済ました。
10時前に、下村が呼ばれると、じゃーなと宮入と握手した。明日、16時過ぎ、また迎えに来るからなと言った。そして、その後、急に、横浜に行きたくなった。そこで、国際展示場駅から、りんかい線で、大崎に行き、湘南新宿線に乗り換え横浜へ向かった。
横浜中華街駅に11時過ぎに到着した。その後、中華街の駅から近い、北京飯店でランチを食べた。その後、山下公園をぶらついた。海沿いのベンチで腰掛け、女房の死から辰野のホタル祭りに行った時の光景が、思い出された。
諏訪湖、八ヶ岳、諏訪温泉の風景、松本城などが、走馬燈のように頭の中を駆け巡った。しばらく物思いにふけり、やがて、みなとの見える丘公園に向かって歩き始めた。約20分後、到着し、秋のバラを眺め、臭いをかいで30分以上、散策した。
その時、外人墓地が、急に見たくなり歩いて外人墓地に入った。中に入ると緑の芝と十字架の墓標が目に入った。そして、俺たちも、やがて、こうやって、葬られるのかと思うと、最後は、人生をきりっと締めて死にたいという気持ちがこみあげた。




