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4話:小野田さんの奇跡とベトナム戦争

 鈴木は、日本が、敗北した歴史や現代の状況を説明して帰国をうながしたが、小野田は、「命令がない限りここを動かない」と拒否。しかし直属の上官の命令解除があれば、任務を離れることを了承。この際、鈴木は小野田の写真を撮影。


 3月9日に、かつての上官である谷口義美・元陸軍少佐から文語文による山下奉文陸軍大将名の「尚武集団作戦命令」と、口達による「参謀部別班命令」で任務解除・帰国命令が下る。翌3月10日にかけ小野田は谷口元少佐にフィリピンの最新レーダー基地等の報告。


 小野田は、フィリピン軍基地に着くと降伏意思を示した。この時、小野田は処刑される覚悟だったと言われる。軍司令官は、小野田を「軍隊における忠誠の見本」と評した。小野田のマラカニアン宮殿で行われた投降式には、マルコス大統領も出席。


 小野田は降伏の証として白布を巻いた軍刀をマルコスに差し出したが「もう戦争は終わった」と即座に返還。その際、マルコス大統領は小野田を「立派な軍人」と評した。小野田は終戦後に住民の物資を奪い殺傷して生活したとすれば、フィリピン刑法の処罰対象になる。


 小野田は、終戦を信じられずに戦闘行為を継続していたと主張し日本の外務省の力添えもあって、フィリピン政府は刑罰対象者の小野田を恩赦した。小野田によるフィリピン民間人殺傷と略奪のほとんどは終戦以降に発生したものであるとした。


 反日世論が高まる事への懸念から日本政府は、フィリピン側に対し「見舞金」という形で3億円を拠出する方針を決定。帰国の際に「天皇陛下万歳」を叫んだ事や現地軍との銃撃戦によって多数の軍人や住民が死傷した出来事が明らかになった事。


 また本当に日本の敗戦を知らなかったのかという疑問が高まるに連れて、マスコミからは「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」といった批判も受けた。小野田に対し、日本国政府は、見舞金として100万円を贈呈するが、小野田は、これを拒否。


 拒否するも見舞金を渡され小野田は、見舞金と、方々から寄せられた義援金全額を全て靖国神社に寄付。昭和天皇との謁見も断り、新宿区の国立病院医療センターに入院後、小野田は戦闘で亡くなった島田と小塚の墓を墓参。


 小野田のフィリピンでの功労は、国際空港の傍にある「フィリピン空軍博物館」に小野田がフィリピン空軍将軍宛に書いた手紙と共に展示ケースにて展示されている。父の宮入俊英が、この話を新聞を見て、すすり泣いているのを見て、思わず、号泣した。


 父が、お前も、こんなに賢くて、義理堅い男になれよと肩をたたかれ首を縦に振った。その姿を見て、妹の圭子は、ポカンとした顔をしていた。母、富子さんも今の人は、小野田さんのバイタリティーの1%もないわねと言い放った。本当に良く生き抜いたわと言い涙が頬を伝わった。


 この小野田少尉の事件で、宮入晋平は、自分の人生を振りかえり、電話で、三輪沙織さんを呼び出して、突然、プロポーズをした。その理由は、小野田少尉の日本男子としての潔さだと言った。しかし、沙織さんは、晋平の心の中まで理解することはできなかった。


 しかし、晋平のいちずな気持ちに感動してプロポーズを受け、6月16日、結婚式をすることにした。この話を宮入家、三輪家に、それぞれ報告し了解してもらった。そして1974年6月16日、八王子の結婚式場で、総勢62人の参列で、神前結婚式と披露宴を行った。


 その後、6月17,18日、御殿場、箱根に2泊3日の新婚旅行に出かけた。そして、その年の11月4日、沙織さんの妊娠が分かり、予定日、1975年5月5日と伝えられた。この知らせを聞き、宮入家、三輪家は、大喜びした。


 しかし、沙織さんは、東京都立大学の職員として仕事を続けたいと言い、晋平も了解して、家事、子育てには全面協力すると断言した。新居のアパートは、実家から近く、実の母の宮入富子さんも全面協力を約束してくれた。


 やがて1975年となり、5月3日に、沙織さんは、産婦人科病院に入院し5日、男の子を出産し、智和と名付けた。1975年の夏は、クーラーを使って、智和の周りを涼しくし、風呂は父の晋平が入れていた。


 奥さんは、出産したばかりとして、大学の春休み、夏休みできるだけ休暇を取り、秋、冬と季節は巡り、1975年が終わり1976年を迎えた。1975年になると、ベトナム戦争で、南ベトナムの敗戦が濃厚となってきた。


 北ベトナム政府は「アメリカの再介入はない」と判断し、南ベトナムを完全に制圧し、南北ベトナムを統一すべく3月10日に南ベトナム軍に対する全面攻撃を開始。

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