27話:下村の東京の家探しと泉堂さんとの再会
今、橋本にいると伝えた。それなら京王線で、京王永山駅北口改札口で待ってますと言った。了解と言い電話を切って、橋本駅から京王線に乗ると13分ほどで、京王永山駅に到着した。改札の向こうに、泉堂峰子さんが待っていた。
会うなり何て懐かしいのかしらと泉堂が、宮入を見つめた。下村が、俺、橋本駅近くのマンションを借りて2015年4月1日、引っ越してくると泉堂に告げた。そうなのと言い、今度は、3人で、また頻繁に会いたいわ。
そして、下村さんに東京や横浜など、繁華街と高尾山、丹沢、三浦半島、湘南も案内して欲しいわと語った。予定が立ちしだい道案内してあげると言った。昨年11月、辰野の同級生の女の子3人を東京、横浜の素敵なところを詳しく案内して下さった様ねと言った。
頼もしいわと笑顔で言った。下村が、泉堂に、どこに住んでるのと聞くと、ここから徒歩10分ほどの4階建てのマンション2階の2LDKの部屋と言った。築27年で古いけどと言い、でも家賃が75000円と比較的安いと語った。
多摩ニュータンは、緑が多いというか、以前、山だった所を開発して作った街だから辰野に住んでるような懐かしい気もしたのよと話した。ただ、坂道が多いのが難点ねと話した。でも新宿まで33分ちょいで行ける。
さらに、横浜も63分で行ける便利さが素晴らしく、この点が気に入ったと答えた。喫茶店で、話しませんかと言われ入った。ところで、吉沢恵子さんも冬暖かい大都会東京に来たいいってるらしいけど、ほんとなのと泉堂さんが聞いた。
すると下村が、もう既に、引っ越したみたいと言った。それを聞いて宮入さん知ってると質問されて、八王子の駅近くに引っ越したと教えると驚いていた。やっぱり夏の信州は、良いが、冬は、寒くて年を取ると辛いものねと納得した。
それなら、今後、4人で、楽しい老後を過ごしましょうよと、うれしそうに話した。すると、宮入が、でも基本的には、あまり人に頼らず自立して生きていくべきだと主張した。それに対して、下村が、反論した。
宮入に、君は、真面目な男で、正義感が強いから、そう言うのかもしれないが、田舎か出てきた我々にとっては、信頼できる情報だけでも欲しいと言うのが、人情だと語った。もちろん、それは、わかるし、できる限り協力していくつもりだ。
以前からも、そうしている。しかし1人前の大人として踏み込んで欲しくない所や倫理的に問題あるような関係になりたくないと思ってると伝えた。これを聞いて泉堂が、宮入君は、中学の時と、ちっとも変わってなくて安心したわと言った。
また、年に数回、会いたいねと泉堂さんが話した。そうだね、車の運転が好きだから、4人でドライブに行くのは、大賛成だと告げた。四季折々、良い場所を選んでドライブして,残りの人生を充実したものにしたいというと、そう言って下さると心強い。
うれしいわと言い目を潤ませた。札幌で過ごした20年間は、人生の浮き沈み、つきあった男の人情と裏切りと人生の崩壊、破産も見てきた。その後、気候の暖かさと人の温かさが恋しくなった。言い換えると年を取ってきたという事ねと、つぶやいた。
これを聞いて、宮入が、詩人みたいな事を言うねと笑顔で、話を聞いた。その話、本当に、俺の心にも突き刺さると、宮入が言い、自分が、大手銀行で社内のライバルと全身全霊をかけて戦い、体を壊して、若くして退職を余儀なくされ、数年、廃人の様な生活した。
それを優しく見守ってくれた愛妻が、突然、がんという恐ろしい病に襲われ、あっという間になくなった。その時、人生のむなしさを嫌と言うほど味わった。それでも神様は、俺たちに味方してくれて投資で成功し財産を作れた。
そのために今でも食うに困らず生活できてると話し続けた。それをじっと聞いていた泉堂さんが、あふれる涙をふきながら、わかるわーと小さな声でささやいた。下村は、そうか、そんな苦労があったのと、ため息をついた。
その点、俺は、恵まれてると言った。もちろん県内一の銀行に入社でき、景気の良い時代、金を貯めて投資情報もいち早く手に入れて投資。着実に資産を増やし県内の銀行を係長、課長、部長、支店長と出世した。