21話:吉沢さんの話と泉堂さんと下村の再会
「下村に、吉沢さんが、貯えがあるから東京に住みたいと言った」
「月10万円位でマンションかアパート借りられないと聞いた」
「八王子周辺ならあるかもしれないが23区では105万円以上と伝えた」
「八王子から新宿までどの位かかるのと聞かれ、JR快速特急で40分、東京駅まで50分、横浜駅までも約1時間と教えた」。
「そんなに便利なら八王子に住もうかなと言った」
「そして、たまに会ってくれると言うと会ってもよいが、お互いに、若くないのだから、深入りしないで大人の付き合いならOKと答えた」
「辰野の実家は、古くて改修したが、冬は寒くてたまらない」
「暖かい東京が快適だと言い、州と東京の二重生活したいと語った」
「宮入は、でも、くれぐれも僕の事をあてにしないでくれと語った」
「自分の生活する分は、ちゃんと持ってるから安心してと話した」
「吉沢さんが八王子と辰野で2重生活をしようが構わないと告げた」
「吉沢さんが、含み笑いをして宮入君、中学時代、私が、下村君に言い寄られた知ってると聞くので、まさかと笑うと、ほんとの話よと笑った」
「中学1年の頃から一緒に帰ろうと言い、多くの話を聞かせてくれ勉強も教えてくれ仲良くなった」
「でも下村君の人を見下した様な話し方がどうしても好きになれなかった」
「その点、宮入君は、誰にでも、分け隔てなく、気軽に話してくれ、好きになったのと続けた」
「でも中学3年の時、お父さんの仕事の関係で東京へ行った時、悲しくて泣いたと打ち明けた」
下村が、2014年8月8日、宮入の泊まっている離れに来て、ちょっと話してよいかと言い、何の話と聞くと泉堂さんの話だと言った。2013年3月、札幌に住む信州大学時代の友人の高松俊彦の葬儀に出かけた。
葬儀を終えた晩、ホテルの近くのすすき野のバーで1人静かに飲んでいた。
「突然、下村さんじゃないとグラマーな美人に声をかけられた」
「辰野中学時代つき合っていた泉堂さんじゃないか、下村も驚いた」
「開口一番、元気だったと泉堂に聞いた」
「すると、いろいろあったわと言い、一瞬、宙を仰いだ」
「泉堂が、22時で終わるから、場所を変えて飲もうと言った」
「タクシーで下村の泊まるホテルの最上階のラウンジバーへ向かった」
「1975年、今は、亡き旦那さんが、すすき野の外れの小さなバーを買い経営し始めた」
「ちょうどバブルになり稼ぎまくって、それを元手に、このクラブを買った」
「1990年になるとバブル崩壊で接待族が急減したため店は赤字が続いた」
「その後、赤字補填のため金を借りて支払えなくなり協議離婚」
「資産の一部をもらい離婚後、泉堂が店をやめマスターが店を売却」
「その金で借金を精算したが、借金の全額を払い切れず,彼は、自殺」
「それからマスターの変わり、この店で働き続けてると話した」
「でも、この町を出て、暖かい大都会、東京へ行きたいと告白した」
「女一人、食べていける資産は、あると、さびそうに笑った」
「でもね、店を終えて、マンションに帰り、冷たいベッドで、1人寝るのは、寂しいと言うと涙ぐんだ」
下村君、辰野に帰るのを1日延ばせないと言われ帰りを遅らせた。そして、明日10時に下村の泊まってるホテルで待ち合わせることにした。
翌日、札幌から海辺の列車で小樽へ行き水族館、天狗山、小樽運河を散歩した。その晩、小樽、朝里川温泉の宿に2人で泊まり離れていた時を埋めるように愛し合った。翌朝、9時の列車の乗り、泉堂さんと札幌駅で別れた。
その時、泉堂は、流れる涙をふきながら、下村の方を見て手を振った。その後、下村は、千歳から羽田行きの飛行に乗り、中央線で、夕方19時、辰野へ帰った。そして2014年2月、泉堂さんは、暖かくてにぎやかな東京に引っ越した。
今、東京の多摩ニュータウンの1LDKのマンションに住んでいると話した。何で、もっと早く教えてくれないのかと、宮入が、下村に聞くと、プライベートな事、他人に簡単に話せるかと語った。