11話:宮入晋平の奥さん、沙織さんが膵臓がんに
その後、宮入悦子が、2009年4月、30歳で、ついに筑波大学人間学の初代助教授に就任。悦子の両親は、お祝い金として100万円を渡した。この頃、宮入悦子は、東京都の福祉科の嘱託学者も兼任。
東京都の生活保護受給の高齢者数が、圧倒的に多い事から低家賃のアパート建設の方法を考えて欲しいと連絡が入った。2012年の正月、宮入悦子は、東京で福祉NPOの代表として活躍する5歳年上の木崎重光と2年前からつき合った。
2012年9月11日に結婚式をすると宮入晋平と沙織さんに告げた。木崎重光君は、東大経済出身で筑波大経済の助教授をしていた。父は、自民党の国会議員で東京都内の福祉の仕事に長年、尽力している。
上野の結婚式場で総勢72人の結婚式に宮入夫妻も出席し、多くの政治家も出席した。木崎さんも東京の福祉NPOで経済的に苦しい人達ために多くの活動をしていると説明。悦子さんもNPOで、活動をしていくようだ。
クラウドファンディング、企業からの募金などを利用して古くなった関東一円と、山梨の大きな家、アパートを建築業者と共に改修して安く部屋を貸し出す事業を始めた。やがて2012年10月1日、宮入晋平と沙織さんは、熱海温泉に2泊。
そして、ゆっくりと休養をとった。しかし、2012年10月9日体調が、悪いと、近くの内科にかかると、癌の可能性があるから築地の国立がんセンターを紹介された。そして10月15日から各種精密検査を受けるため1週間入院。
その結果、膵臓癌が判明し、かなり進行して膵臓の全摘手術しかないと告げられた。宮入晋平が、手術後の見通しについて、医者に聞くと周辺の臓器のがん変化の状況次第だと告げられた。10月16日、手術日と決まり膵臓全摘出手術は成功。
手術は、成功したが、1回に大量の食物を消化できないので、食事の回数を増やす指示を受けた。そして、数種類の薬を処方された。この頃には、宮入委晋平は、塾の仕事も辞め、毎日、奥さんに付き添い見守った。
もちろん刺激性のある食品は、禁止で、高タンパク食や脂肪の消化を助けるために消化酵素の大量投与などの方法も教えてもらった。まさか、宮入は、彼女が、癌になるとは思っていなかったので保険に入ってないために数百万円出費となった。
11月には、自宅に帰ってきて暖かくして過ごしていた。その後、2013年となり、天気の良い日は、散歩したりして穏やかに暮らした。もちろん、月に2回、八王子の東京医大病院で膵臓癌摘出手術後の経過を診てもらっていた。
その後、特に問題なく、過ごしていた。しかし、2013年の春から体調が悪化。そこで、再度、がんセンター病院に検査入院してみると肝臓に癌が、転移してることがわかり、手術しますかと聞かれた。
そこで、宮入晋平と沙織さんが先生と手術後の予後の予想、5年生存率などの予想を聞いた。それを聞いて、沙織さんは、手術をしないで、ここまま、自宅で、ゆっくりと寿命を全うしたいと言うので、電動ベッドを部屋に入れて、近くの内科医に往診を依頼することにした。
この決断を聞いた宮入晋平は、当初、茫然自失となり、隠れて泣いた。しかし、泣いても、どうしようもないと思い、気を取り直して、生きている間だけでも幸福な時間を過ごさせてあげようと思い直した。宮入晋平も奥さんと同じ様に毎回、一緒に食事し楽しく過ごした。
しばらくして、寒い冬となり部屋を常に20度以上に保ち加湿器も使った。そして年を越し2013年3月が過ぎて4月6日の暖かい日、沙織さんが、満開の桜が見たいと言うので自宅近くの滝山城跡へ行った。
そこで丘陵斜面を覆うように満開の桜が、実にきれいで、桜と沙織さんの写真を何枚も撮った。その満開の桜をじっくり見て、沙織さんが、これで、この世に、思い残すことはありません。
今後の事は、お父さんに、お任せしますので宜しくお願いしますと頭を下げた。その姿を見て、何も言えず、あふれ出る涙を拭こうともせず、宮入晋平は、号泣した。




