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予兆(後編)

 報告会が締まったので、軍人としての勤務も終了だ。救急要請がない限り、基本的には自由時間となる。駐屯地で暇を潰すも良し、外へ出て色街へ消えていく隊員もいる。


 簡単にシャワーで汗を落として、アクセルは自室で私服に着替えた。普段なら食堂へ向かっているが、今夜は外で待ち合わせがあった。


 駐屯地の門番に礼をして、都市の中央を貫く大通りに出る。コルト亭という、居酒屋を目指してアクセルは歩いた。いくつかの脇道を過ぎていき、目印となる紫色の看板が掲げられているところで右に曲がった。ヨナバルに聞いた案内が正しければ、もう到着するころだ。


 果たして、白文字で「コルト亭」と書かれた、木製の小さな看板を発見する。店の様子を外から窺ってみると、剣や弓を持った迷宮探索者風の大勢で明るく賑わっているようだった。注意深く観察して、待ち合わせの人物たちを見つける。ふたりの相手もこちらがわかり、手を振ってくれる。アクセルは店に入って、彼らと落ち合った。


 アクセルはその場のふたりと目を合わせて、口元を緩める。赤色のトサカ頭が特徴的なリンカーン。矢筒を背負う狩人のエイブラハム。懐かしい顔ぶれだ。


 この面々は、アクセルが迷宮救助隊となる以前に、探索者として活動していたときの仲間だった。軍隊の候補生時代は規律が厳しく、ふたりと交流を深めるゆとりはなかったので、数年ぶりの再会なのである。


 ふたりは現役の迷宮探索者だ。アクセルだけが道を分かち、救助隊となった。しかし今回、彼らが拠点を第三番迷宮へ移したということで、再会の機会を得た。こうして顔を合わせると、皆と共に迷宮へ潜った日々の記憶が思い起こされ、郷愁のような気持ちが溢れてくる。


 何から言い出せば良いのか迷い、アクセルは言葉に詰まった。そのうちに、リンカーンがアクセルの肩をたたき、口を開いた。


「久しぶり、元気だったかよ」


 なんて陳腐な挨拶だろう。アクセルはそう思ったが、リンカーンなりの下手な気遣いなのだとわかり、笑いがこぼれた。


「見ればわかるだろ、まったく」


 するとエイブラハムが、のぞき込むように尋ねてくる。


「なんだか前よりも、逞しくなった?」

「お、わかるか」

「たしかに、がっちりしたな」とリンカーン。

「やっぱり軍てきついんだねえ」エイブラハムが神妙に頷く。

「そのへんは食べながらな。お互い積もる話があるだろ?」


 アクセルはまず座った。

 三人が囲んでいるのは、円形の卓だった。用意された椅子は四つ。アクセルは空席に視点を置いて、静かに呟いた。


「あいつも、来てるか?」

 リンカーンがそれに答えた。

「当然だ」

 彼はそう言って、懐から小さな革袋を取り出した。


 アクセルが受け取り、口元の紐をほどく。中には華美な飾りも何もない、シルバーの腕輪が入っていた。アクセルはその存在感に安心する。これはアクセルたちにとって、ただの装飾品ではない。かつての仲間が好んで身に付けていた、遺品だった。


 そっと割れ物を扱うのごとく、丁寧にすくい出して、テーブルに置く。

 ごとり。

 その音は、もうこの世にいない仲間が、いまだけは酒の席に着いた知らせのようだった。


「おまえと会うのも、随分と懐かしいよ」

 店内の照明を反射して輝く腕輪を眺めて、アクセルは微笑んだ。

「じゃあ、久しぶりの再会に乾杯しようか」


 エイブラハムの仕切りのあと、丁度良く配給係が四つの麦酒を運んできた。リンカーンたちが先に頼んでおいてくれたらしい。


 冷えたジョッキを構えて、アクセルは乾杯の音頭を待つ。しかし、ふたりの視線がこちらに送られていた。


「え、おれ?」

 戸惑うアクセルに、リンカーンが言う。

「主役はおまえだぞ。出世祝いってところだな」

「そうそう」エイブラハムが楽しげに乗っかる。「いやあ、ごちそうさまです」

「まてまて、ずるいぞふたりとも!」

「早くしろ。せっかくの麦酒がぬるくなっちまう」

「祝いだったら、そっちの奢りじゃ――」

「はい、かんぱーい」


 エイブラハムの強引な合図で、アクセルの糾弾が遮られた。アクセルは不満顔になりながらも、乾杯に水を差す真似はせず、三人でジョッキをぶつけ合った。


 それからは迷宮探索者時代の思い出話に花を咲かせたり、お互いの近況を報告したり、三人は絶え間なくしゃべり続けた。 


 リンカーンとエイブラハムが迷宮に潜っている話題となったとき、アクセルは夕方に聞いたアガサの報告を、念のため、ふたりに共有した。


「まあ、探索者ならもう情報が回っているだろうけど、一応な。気をつけろよ」

 アクセルの忠告に、何度目かの麦酒を飲み干したリンカーンが答える。

「心配要らねえって。迷宮管理組合の働きかけで、普段は深層にいるベテラン勢がモンスターの掃討に名乗りを上げてくれた。俺たち木っ端の収入は激減するが、命には代えられねえ」

「そうだったのか。なら、安心だな」

「もし万が一のことがあれば、アクセルが助けてくれるんだろ?」

「縁起でもないこと言うな、バカ! ったくエイブラハム、こいつが暴走しないようにしっかり見張ってくれよ?」


 だがエイブラハムはテーブルに突っ伏して眠っており、アクセルの声は届いていなかった。酒が回ったのだろう。彼は昔も、酔うとすぐに寝入ってしまうのだ。そして一度寝たら、強情なくらいに朝まで起きない。


「……じゃあ、こいつも潰れたわけだし、そろそろお開きにすっか」とリンカーン。

「ああ。お互い朝が早いしな」


 細身のエイブラハムをリンカーンが背負い、店を出る。再会の約束をして、アクセルたちは解散した。


 夜が深まり更なる活気で満ちたメインストリートを抜け、駐屯地に戻る。宿舎に入ろうとして、アクセルは足を止めた。松明で薄く照らされる野外訓練場の広場に、人影を見つけたのだ。


 どうやらひとりで腕立て伏せをしている。小柄な体躯、ざっくばらんなショートヘア。暗がりだが、それが誰であるかは考えずとも察せられた。


 こんな時間に、とアクセルは思った。いつもであれば、訓練後の食事をまともに摂れない自分が、夜食に手を出す頃合いだった。そのとき決まって、パイパーの姿もあった。彼女が一日四食も食べる理由は半月ものあいだ謎に包まれていたが、やっと判明した。夜の訓練のあとにもお腹が空くのだろう。


 アクセル自身も、努力はしているつもりだった。ただパイパーは、それ以上の努力を積んでいたのだ。


 ――まいったな。追いかけるべき背中が、休むことなく走り続けている。これでは差が広がるばかりじゃないか。


 アクセルはひとつ嘆息して、髪をかきあげた。今すぐにでもパイパーの横へ並んでトレーニングをしたい気分だったが、今日は諦めることにする。アルコールの入った状態では危険だろう。


 だが、明日からは、パイパーと同じ、いやそれ以上の練習を。

 アクセルはそう、心に決めた。

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