入隊初日(後編)
ヨナバルと入れ替わりで、脱衣所のほうからリックがやってきた。苦笑を浮かべている。先の会話が聞こえていたらしい。
仕切り板を挟んで、リックが隣へ来た。
「困ったもんだねえ」
リックはシャワーを受け止めつつ、肩をすくめる。
「どうしたんですか、あいつ。急に人が変わったんですけど」
「ヨナバルとパイパーは犬猿の仲なんだ。と言っても、大抵はヨナバルが勝手に意識しているだけなんだがね」
「ああ……ふたりは同期だから」
「そういうこと。つまりアクセル君は、ヨナバルの逆鱗に触れたわけだ」
なんとも気の滅入る話だった。知る由もないとはいえ、ヨナバルの反感を買ってしまっただろうか。
「気にするな」とリック。「ヨナバルが攻撃的なのはパイパーに対してだけだ。機嫌を損ねても、明日になれば元通りだよ」
「そうであることを願います」
アクセルはシャワー止めた。
「じゃあ、お先に」
「しっかり寝ろよ」
「はい」
アクセルはシャワー室を出た。身体を拭いて寝間着になり、宿舎の廊下を歩く。二階の部屋へ足を向けたところで、アクセルはふと空腹を自覚した。夕食もろくに食べられなかったからだ。
午後の訓練も、想像通りいえばそうだが、想像を絶するともいえるほどに、やはりハードなものだった。もちろん休む暇は与えられず、ぶっ倒れるまで続く。今日だけで何度気絶し、何度水を浴びせられたことか。それが明日も来週も来月も、延々と続く。考えるだけでアクセルは気が遠のく思いだった。
今になって腹が空くのは、身体がようやく与えられた休息に勘付いたからに違いない。その本能に従って、アクセルは踵を返し、食堂へ出向いた。
昼夜問わず働く軍人が多く駐在する場所なのだ、夕食時を過ぎても食堂は開いており、人もまばらに着席している。しかしそのほとんどは食事を目的というよりも、賭けトランプや会話に興じている様子だった。
ひとりだけ、隅のテーブルで皿を鳴らしている人物がいた。赤さび色のショートヘア、小柄な女性――パイパーだ。
アクセルは座る席を決めたので、食堂のカウンターで退屈そうにしているおばさんにカレーライスを注文する。すぐに野菜と水と一緒に用意され、お盆を持ってパイパーの対面に座った。
突如現れたアクセルの存在に、カレーライスを食べていたパイパーが手を止めて、面を上げる。一瞬だけ目が合い、すぐに彼女は食事を再開した。
そっけない対応をされるのは、アクセルにとって想定の範囲内だった。端から彼女はこちらを相手にしていない。ならば多少なりとも強引に歩み寄るしか方法はないのだ。
ゆえに、アクセルは手を差し伸べた。彼女に視界にはっきりと映るよう、真っ直ぐに。
パイパーは食事に夢中で、アクセルを見向きもしなかったが、しばらくして彼女は鬱陶しいと言わんばかりの表情と鋭い視線を寄こしてきた。
「なんの真似だ」とパイパー。
「握手です」アクセルは言った。パイパーの顔により一層、しわが増す。
「だって俺たち、バディじゃないですか」
「だから?」
「まだきちんと、挨拶もできていないと思いまして」
「必要ない」
「どうしてですか。バディはお互いを信頼し、助け合う存在でしょ。お互いを知らないままじゃあ、いざというときに困るかもしれない」
パイパーはため息を吐いた。呆れを多分に含んだ、深い吐息だった。それから彼女は手を動かしてカレーライスを食べ切り、口に水を流し込む。席を立って、こう言い残した。
「おまえに助けられることはないよ」
ごちそうさま、とお盆を店主に返して、パイパーは食堂を去っていく。
アクセルの腕が行き場を失くして宙をさまよい、テーブルに落ちた。あまりの悔しさに、彼は拳を白くなるほど固く握った。
たしかにパイパーとの実力は隔絶している。いまの関係性で迷宮へ行けば、自分が助けれることのほうがずっと多いだろう。だが、救助の現場では予想外のことが起こり得る。万が一に備えることが、救助隊としての務めではないのか。
……だが、そんな正論を並べるよりも、こけにされたことがアクセルはただひらすらに悔しかったし、腹が立った。
アクセルは怒りを食欲に昇華させて、目の前の食事をあっという間に平らげた。真っ直ぐに私室へ戻り、布団に入る。
明日もまた、過酷な訓練が待っているのだ。十分な睡眠で身体を休ませ、十二分の力を発揮する。そうして少しずつでも、パイパーに追いつかなければならない。
――いつかパイパーが助けを必要としたとき、今日、彼女自身が言ったことを思い出させてやるために。