入隊初日(中編2)
憎いほどに照りつけてくる太陽が、すでに中天を越えている。ただがむしゃらに走り続けて、時刻はもう昼を過ぎた。
「はっ、はっ、はあ」
アクセルは息も絶え絶えだった。モーガンたちの勇姿に、そしてリックの言葉に感化され、やる気に火が付いた彼は、皆と同じように後先考えずに突っ走った。早々に限界を迎えて泣きそうになりながら、それでもどうにか重たい身体を引きずって十周と追加の一周を終わらせてみせた。
終わったかと思えば、休む間もなく走り込みである。リックやモーガンらが険しい顔をしつつもきちんと走るのに対して、アクセルのそれはもはや徒歩と変わらなかった。いつまでも終わらなそうな雰囲気に、他の隊員は昼食を摂りに宿舎へ戻った。
ひとり残ったアクセルはいよいよ半べそになり、地面に膝をつけて、拳を握った。
「くそ、くそ。……ちくしょう」
実力の差は歴然だ。アクセルはパイパーに、二周も遅れた。彼女は化け物だった。決して脚が速いわけではない。しかし彼女は無尽蔵の体力をもって、アクセルを抜き去った。リックやモーガンもだ。
これだけの訓練をこなしてなお、パイパーたちにはどこか余裕があるようだった。アクセルには、食べ物を胃に入れる気すら湧いてこない。
「はあ……。すっげえなあ」
アクセルはバディであるパイパーの姿を思い浮かべた。彼女にだって、今の自分みたく、入隊初日には地獄を見ただろう。きっと情けなさも感じたはずだ。地べたに這いつくばり、涙したかもしれない。
そこまで想像して、アクセルはおかしくなって噴き出した。そんなパイパーがまるで頭のなかで描けなかったからだ。ともすれば、彼女は最初から群を抜いていた可能性すらある。
だが、パイパーだけでなく、他の隊員もこの洗礼を受けて、今日まで救助隊員として活動していることは動かぬ事実だ。
自分は彼らに並ばなければいけない。同じ迷宮救助隊なのだ。
「最後……!」
アクセルは震える膝を抑えて、立ち上がった。走り込み一本、百メートル。
――全力を振り絞ろう。
倒れ込むほどの勢いで、アクセルは真っ直ぐに推進した。
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夜になると、救助隊の面々は一日の汗と疲れを流すために、シャワーを浴びる。アクセルはそのあまりの気持ち良さに、身体を洗うことも忘れて、目をつぶって全身で温水を受け止めていた。
「いやあ疲れましたね。アクセルさんもお疲れ様です」
仕切り板を挟んだ隣から、優しい声色が聞こえた。忘我していたアクセルは目を覚まし、首を捻る。襟足を刈り上げ、耳元で切り揃えられた金髪を持つ、柔和な印象の青年がいた。彼は救助隊のメンバーだ。
「ええと」
アクセルが名前を思い出すよりも早く、青年が名乗る。
「ヨナバル・ザウエルですよ。よろしくお願いします」
「え、ああ。よろしくお願いします」
蛇口を回してシャワーを浴び始めるヨナバル。
アクセルはようやく、石鹸を手に取った。
「ぼくもはじめは、ここの訓練に付いていけませんでしたよ。一日の終わりには、今のアクセル君みたいに、いつも抜け殻のようだった」
「ヨナバルさんも」
「さん付けは止して欲しいな。ぼくのほうが年下なんだから」
「年下。いやいや、冗談でしょ?」
「アクセル君は二十二ですっけ」
「ああ、そうだけど」
「ぼくは今年で二十歳なんです。パイパーもそうですよ」
「はああ?」
アクセルは頓狂な声で叫んだ。天地がひっくり返るほどの驚きだった。ヨナバルが年下なのはまだ理解できる。しかしパイパーもだったとは。たしかに若いだろうと思ってはいたが、彼女には貫禄があり過ぎた。
「うるせえぞ!」
モーガンが怒鳴ったので、アクセルは声を潜めて話を続けた。
「じゃあ、ふたりは、救助隊に入って何年目なんだ?」
「三年目ですよ」
「まじかよ……」
アクセルは絶句した。リックやモーガンは、もう救助隊になって随分長いはずだ。相応の経験が見て取れるし、訓練の様子でもやはり目を見張るものがある。そのベテランに比肩するパイパーは一体何者だというのか。
「まあ彼女は、血が薄いとはいえ獣人ですからね」
「おいおい、とんでもない情報が次々と出てくるな」
獣人とは、獣の特性を持つ人間のことを指す。獣の耳が生えていたり、毛深かったり、あるいは驚異的な身体能力を受け継いでいる人種だ。ヨナバルの言う血が薄いは、つまり先祖に獣人を持っているということだろう。
「でも待てよ。パイパーには獣人の特徴がないだろう」
「ありますって。ロッカーで見てないんですか?」
「なにを」
「しっぽ」
「見逃した……」
アクセルは天を仰いだ。今朝の醜態と恥がよみがえってきて、複雑な気持ちになった。話題を切り替える必要がありそうだ。
「しかしなあ、それでもあの貫禄は……」
「貫禄、ですか。パイパーに?」
「ああ。バディになったから変に意識しているだけかもしれないけど、なんか雲の上の存在つーか」
「いやいや、アクセル君、それは違いますって」ヨナバルがにやかに言う。「あれはただ処女をこじらせているだけですよ」
「ん?」
「あーいう人ほど、女の悦びを知ったらしっぽ振って媚びてきますよ、どうせ」
アクセルは返答に窮した。なんとも突っ込み辛い内容だった。
「じゃ、ぼくは先に上がりますね。おやすみなさい」
笑顔を崩さないままヨナバルはシャワーを止めて出ていく。
「お、おう。おやすみ」
挨拶を返すだけでアクセルには精一杯だった。突如豹変したヨナバルが見えなくなるまで、なぜか気を抜くをことができなかった。