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入隊初日(中編)

 全力を出したアクセルがパイパーを抜いたときには、すでに宿舎の外壁に取り付けられた更衣室の扉が目の前にあった。掴みを捻って、扉を押す。アクセルに次いで、他の隊員たちもなだれ込むように入ってきた。


 アクセルは自分のロッカーへ真っ先に進んだ。右隣はパイパー、左隣はリックだった。アクセルは脱いだ制服をハンガーにかけて、ロッカーへ押し込む。中に仕舞ってある灰色の訓練着を取り出して、そこでふと、パイパーがいることに違和感を覚えた。


 ――パイパー・グリセンティは女性のはずだ。しかしなぜか、同じ空間で着替えをしている。ましてや、すぐ隣にいる。


 アクセルは閃いた。これは確認しなければならない。決してやましい気持ちはないが、疑問を疑問のままにしておくのは、後々恥をかきかねないのだ。彼は意を決して、右隣にいるパイパーを見やった。


 灰色の半袖からすらりと伸びる細い腕が視界に入る。すでに彼女は訓練用の服を着ており、ロッカーを閉めるところだった。


 そして視線を感じたのだろう彼女は、剣呑な目つきでこちらを睨んだ。


「なんだ」


 アクセルはあわてふためいて、


「い、いえ。女性も同じ更衣室なんだと思いまして」

「それがどうかしたか」

「どうもしません」

「ふん」パイパーは鼻を鳴らした。「勤務中に現を抜かすなんて、とんだ大物だな」

「…………」


 どうやら思惑は見抜かれていたらしい。


「ところでお前はいつまでパンツ一丁でいるつもりなんだ?」

「あ、は、すみません!」


 急に気恥ずかくなったアクセルは、股間を抑えて正面に直った。話しを終えたパイパーは更衣室を出ていく。彼女のあとに隊員が続く。結局アクセルは最後になった。


 着替えを済ませて、ふたたびアクセルは全力で走る。他の隊員との距離はずいぶんと開いており、追いつく間もなく広場へ到着した。


 腕時計を見て時間を計っていたアガサが面を上げる。


「四分四十二秒。まあいいだろう」


 かろうじて五分以内に滑り込めたようだ。アクセルは安堵すると共に、深呼吸を繰り返して荒れた呼吸を整える。


「どうしたアクセル、もうバテているのか?」


 アガサの台詞に、彼は首を振った。


「まだまだ序の口です!」


 するとアガサは小さく笑った。


「訓練はまだ始まってすらいないぞ」


 その通りだった。自分はまだ、制服を脱いだだけだ。アクセルは返す言葉がなく、押し黙った。

 アガサはさほど気にしていない様子で、アクセルから目を離すと、


「わたしは会議がある。昼過ぎには戻る予定だ。リック、それまで任せるぞ」

「りょーかい」


 リックの間延びした返事に、アガサは気も留めずに頷いて、広場から立ち去った。

 あとを引き継いだリックが号令を掛ける。


「いつも通り、まずは駐屯地十周。終わり次第走り込みな。周回遅れになった奴は一周追加だぞー」


 アクセルは耳を疑った。ざっと駐屯地を見渡して距離を計算すると、一周あたりおそよ五キロメートルはある。また、訓練の内容もそうだが、いつも通り、というリックの言葉が衝撃だった。彼らは日常的にそれをこなしているということだ。


 迷宮救助隊へ正式に配属される以前、アクセルは候補生として教育機関へ通っていた。当然、そこでも過酷なトレーニングは行われていたし、ここに居る以上は高水準の成績を残してきた証左である。


 しかし、リックは簡単に言ってのけたものの、およそ比べ物にならないほどの訓練量だ。アクセルは数字を聞いただけでめまいを覚えた。


「十周、ですか」


 そんな呟きが、アクセルから漏れ出た。


「不足か?」


 するとスキンヘッドの強面な男が、短く尋ねた。


「まさか、そんなことはありません」

「なら黙って走れ」


 言うや否や、彼は早速駆け足で去る。

 パイパーたちが続いていくのを見て、アクセルも腹を括った。彼は一瞬でも弱気になった自身を叱咤するように両の頬をはたき、気合を入れて走り出した。


 とはいえ、十周。アクセルは冷静に、距離と体力を計算した。駐屯地の周囲は初めて走るコースでもあるので、出だしの周回は様子を見たほういいだろう、と考えた。


 そのためアクセルは、一番うしろで、まずは身体を慣らすことにした。そんな彼に、わざわざ並走する人物がいる――リックだ。


「モーガンは不愛想なんだ、怒っているわけじゃあないよ」


 スキンヘッドの男のことらしい。アクセルは苦笑した。


「悪いのは自分です。先輩たちの訓練量に、つい、驚いてしまって」

「そうか。無理もない、君はまだ新米だ」

「教育学校では頑張ってきたつもりだったんですが」

「育てる課程で使い潰すような真似をしたら、いつまでも後輩ができないからな。良くも悪くも現場とは違うということさ」

「はい。それを痛感しているところです」


 リックの寄り添う姿勢に、アクセルは優しさを感じた。パイパーやモーガンといったとげとげしい先輩がいるなかにも、リックのような温かい心の持ち主がいることに、安堵する。


 ふたりは話しているうちに駐屯地を出て、金網に沿って外周をはじめた。モーガンたちの姿はもう遠い。


「君は――いや、失礼。名前で呼ぼうか。アクセル君」

「はい、なんですか」

「アクセル君は頭が良さそうだな」


 唐突なお世辞に、アクセルは戸惑う。だが褒められて悪い気はしなかった。


「いえ、そんなことはないです」


 アクセルは口角を緩めて答えた。


「自分の体力をきちんと自覚しているし、十周を乗り切るためのペース配分もきちんと考慮している。優秀だ」

「それくらい、きっと誰にだってできます。先輩たちも、そうでしょ?」

「そうかもな。だが必要ないことだ」


 不意にリックの声色が冷たくなった。温度の変化を察知したアクセルは、眉間を寄せた。


「え……?」

「おれたちは普段のこの訓練で、ペース配分なんて考えていない」

「でも、そんな走り方をしたら」

「疲れるさ。足を止めたくなるし、地面へ転がりたくなる。いつもいつも、死にそうな思いをしている。この四分の一周だけは、怪我をしないためのジョギングなんだよ」


 リックの言葉は事実だった。先行するモーガンたちが、角を曲がると同時に急速に駆け出した。遥か先の、十周目のゴールテープをすでに見据えているかのように、六人の隊員が我先にと腕を振り、脚を回す。その様子が金網越しに見て取れた。


「アクセル君は、なぜ救助隊員になったんだい」

「なぜって……」アクセルの脳裏に、今朝の夢が鮮明によみがえる。歯を食いしばりたくなるほどの後悔の念が押し寄せる。「なぜって、決まっているじゃないですか。迷宮で救助を求める人々を、助けるためです。誰も死なせないためです!」


 知らずに力が入っていたようだ。アクセルの語気は荒立っていた。

 それを聞いたリックは、まるで無表情だった。感心もなにもない様子で、ただ、冷たくこう言った。


「面白いな。君はその助けたい人たち、たとえばどこか遠い場所にいる彼らの元へ急行するとき――体力の配分なんて考えるつもりか」


 ふたりもようやく、角を曲がった。

 直後にリックが、風を切って疾走する。

 アクセルは茫然として、遠ざかるリックの背中を眺めた。

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