月明かりと美女
「はあ、はあ、はあ」
森の中を早足で歩いて行く。しかし歩けば歩くほどに彼女の息は乱れ、今にも倒れ込みそうであった。
「フィロ、大丈夫か?」
佐三が声をかける。フィロは頷くが、その息の荒れ方からかなり限界に近かった。
(山道とはいえ、この程度歩いただけでここまで疲労するとは……)
佐三はフィロの様子から彼女が地下牢でどう過ごしていたのかを察する。同時に、どの程度心労を抱えていたのかも。
佐三は風向きを確認する。かなり風下に来た。少しは余裕ができただろう。
佐三はそう考え、フィロを近くにあった大きな木にもたれさせるように座らせた。
「見つかるから火を付けることはできない。じきにベルフが迎えに来る。それまで息を潜めていよう」
佐三はそう言うと上着を脱ぎ、フィロの横に座る。そして上着を自分とフィロにかけて、身を寄せた。
「寒いだろうが少しの辛抱だ。我慢してくれ」
佐三はそう言うと、短銃をそばに置き、いつでも構えられるようにした。
風が吹いている。その大きい木を風よけ代わりに使用しているが、それでも冬の風は容易に二人の体温を奪っていく。フィロの顔は暗くてよくは見えなかったが、隣から伝わる呼吸音から万全ではないことがうかがえた。
(道理で大人しくついてくるはずだ。最早抵抗する気力すらあるのかも怪しい)
佐三はフィロの様子を観察しながら、そう考える。
「ほら水だ」
「……ありがとう」
フィロに水筒を渡し、水を飲ませる。よほど喉が渇いていたのだろう。衰弱しているにもかかわらずフィロは勢いよく水を飲んだ。
「……ゴホッ、ゴホ」
「無理するな。ゆっくり飲め」
佐三がフィロの背中をさすりながら話す。フィロは落ち着くと、今度はゆっくりと水を飲み始めた。
「………」
「………」
空になった水筒をフィロが無言で返す。全て飲んでしまった事への気恥ずかしさだろうか。どことなく気まずそうにしている。
「俺の分がないんだが?」
佐三はからかうように話しかける。フィロは何も言わずにそっぽを向いた。それから少しして、二人は同時に笑い出した。
ひとしきり笑うと、しばらくの沈黙が続く。月は満月であり、森の中にもところどころ光が差している。もっとも明かりも持たずに森の中を歩くなど基本的には自殺行為だ。佐三はベルフが来るのが追っ手よりも早いことをただ願うしかなかった。
「ねえ」
フィロが話しかけてくる。
「貴方のお母様、どんな人だったの」
「………」
佐三はちらりとフィロを見る。フィロはまっすぐ佐三の方を見つめていた。
「前にも言ったな。どうしようもない女だ。女であることを優先して、母であることを放棄した。俺と父を捨て、別の男のところへ行った女だ。もっとも親父の方もあっさりと別の女を作ったから、どうとも言えないけどな」
「……そうだったのね。でも、私の母もよく似ているわ」
フィロが話す。佐三は黙ってその話を聞いていた。
「母はそれなりの名家にうまれた女だったわ。それで別の小領主の家に嫁いだ。そこで私を産んだの。でも一つだけ問題があったわ。母は賢すぎたの。夫よりもずっと。それだけに夫のプライドを傷つけてしまった。そして追い出されたのよ」
「……そうか」
「母は何でもないかのような振りをしていたけど、きっと相当に辛かったはずよ。出戻りしてきた貴族の女が、周りにどう言われるのかは私にだってよく分かる」
佐三はだまって頷く。
「だからきっとうれしかったんでしょうね。王様に見初められた時は。きっとそれは王だからとかじゃない。ただ自分を認めてくれる、自分の能力ごと愛してくれることが、なにより代えがたかったのよ」
「……成る程な」
「正直な話、王様は別に特段優秀では無いわ。母もそれは分かっている。でも、そんなこと関係なかった。きちんと母を認めてくれていたのだもの。他の王妃同様、分け隔てなく。私はそうした環境の中で、学問をきちんと修めることができた」
「そして君も母のようになった、そういうことか?」
佐三の質問にフィロは黙って首を縦に振った。
「私は母に似た。しかし一つだけ違う部分がある。それは私が母よりずっと若いって事」
「………」
「王様が私を求めようとしたとき、きっと自分が用済みになると思ったのでしょうね。だから今も、こうして追っ手を差し向けている」
「……」
「ずっと考えていたわ。暗い牢の中で、どう復讐をするのかを。私を捨てて、自分を優先した母親にどう仕返しするのかって。でも、身体が弱っていくにつれて、そんなものはどうでもよくなっていった。そんなことよりも……ゴホッゴホ」
「無理するな。体温を逃がさないようにもっとこっちに寄れ」
佐三はそう言ってフィロを近づける。フィロはどこかほっとしように笑った。
「温かい……」
「ああ」
「ねえ?」
「何だ?」
「貴方はどうして私を助けようとするの?」
その言葉に佐三は一瞬黙り込む。そしてすこし間を置いて「なんとなくだ」とだけ返した。フィロはそれに微笑み、「そう……」と言った。
「きっと貴方のお母様も、寂しかったのかも知れないわね」
「寂しい?」
「自分が必要とされていないことがよ」
「……だからといって親の義務を放棄していいものか」
「そうね。正当な理由にはならないわ。でも女として、自分が見向きもされないことの辛さは私にも分かる」
「よく言うぜ。貴族からの縁談の申し込みが絶えないくせに」
佐三が冗談めかしてそう言うと、フィロは少し笑う。
「でも一番肝心な人から、相手にされていない」
「……」
「それにどの貴族も私の見た目だけを見ているわ。でも、若さは永遠ではない。それに賢さを認めてくれるわけでもない。嫁いだところで、母と同じ末路を辿るだけよ」
「そんなもんかね」
「結局の所、私も母同様に一人だった。唯一味方だと思っていた母親が、もうそうでなくなってしまったのだから」
「だとしても…………、いや何でもない」
佐三は何かを言いかけるが、途中で話すのをやめた。「代わりを見つければいい」そういおうとした。しかしその言葉が出てこなかった。自分に何度も言い聞かせてきたはずなのに。
自分が信条として持ってきたはずなのに。
「月が綺麗ね」
フィロが空を見上げながら話す。
月に照らされたその美女は、月明かりと相まって神秘的であった。
しかしそれでも、佐三はフィロのその表情、その微笑みが、たまらなく悲しいものであるように見えてならなかった。
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