妻と夫と
フィロの処刑が10日後に行われるという情報を手に入れたのは、それから数日してからのことだった。ゴシップというものはいつも風のように世界を回っていく。それはどの世界でも共通の事実であった。
「彼女は……王族に縁のある者であったのか」
ハチが小さく呟く。
確かに彼女は町にとって危険な存在ではあった。実際に佐三に危害を加えようともした。しかし一方で実質的な被害は出ずに済んでいる。そういう意味では政務室の面々もどこか思うところがあるようではあった。
「王を誑かした罪……ねえ。こりゃまたずいぶんな理由だ」
「体の良い口封じ……落としどころってことですか」
ベルフの言葉にアイファが反応する。血がつながっていないとはいえ、実の娘に手を出そうとしたのだ。こうした理由でもなければ体裁は保てない。もっとも既に保ててはいないともいえるのだが。
町はもう既に普段通り動いている。何が変わるわけでもなく、先日の突入作戦も日常の中で埋もれ始めている。
「さあ、仕事にもどろう。いつまでも余所の事情にかまけているほど暇はない」
佐三がそう言うとそれぞれ再び仕事に戻っていく。よくある話だ。いずれ人々の意識からも忘れ去られるだろう。佐三はそんな風に考えていた。
しかしそんな中、ただイエリナだけが黙って佐三の方を見つめていた。
コンコン
その晩のことだった。佐三は部屋のベッドで横になっているとドアがノックされる。
「どうぞ」
そう言って扉を開けるとそこにはイエリナがいた。
「どうした?こんな夜に」
「あの、えっと……」
イエリナが言い淀む。それは言いにくいことがあるというよりは何を言うかも考えずに来てしまったと言う方がしっくりくる様子だった。
(やれやれ)
佐三はそんな風に感じながらイエリナを部屋に招き入れる。そしてベッドで横に座るように促した。
「ほら、イエリナ。早く来いよ」
「……うん」
佐三に促されるままにイエリナは隣に座る。しかし何を話すわけでもなくただ静かに時間だけがすぎていった。
「あのお方……気になりますか?」
先に話し始めたのはイエリナだった。
「気にならない……と言えば嘘になるな」
佐三が正直に答える。
「やっぱり……そんな気がしたんです」
「とはいえしょうがないことだ。気にしているだけ時間の無駄だ」
佐三はそう言うとベッドに背をあずける。彼女の力であれば、抜け出すことなど訳ないだろう。心配することですらないのだ。
佐三はそんな風に考えようとするも、納得していない自分がいることにも気付いていた。最後に見た彼女の顔が頭をよぎる。「彼女は死ぬ気だ」。佐三は直感的に理解していた。
佐三がぼんやりと天井を見上げる。するとイエリナが上からのぞき込んできた。
「……何だよ」
イエリナは何も言わない。ただ此方をじっと見つめていた。
佐三も黙ってイエリナの顔を見続ける。しばらくしてイエリナが話し始めた。
「あの方……フィロさんについて、どう思いますか?」
「………」
「どうということはない」、そうもう一度言おうとした。
そういった問題は、きっとどの時代、どの世界にも共通してあるのだ。親と子、父と母、夫と妻。それぞれの間で問題が起きない家庭なんて思ったほど多くはない。実際、松下佐三もその一人なのだから。
そう思えば思うほどに、彼女のこと……フィロのことは無視できなかった。どこか境遇が自分と近いからだろうか。きっと彼女は親に失望したことだろう。かつて佐三がそうだったように。
しかし本当の理由を佐三も自身では分かっていた。彼女の存在がどうしても頭に引っかかる理由、別れ際の顔がどうしてもこびりつく理由が。
彼女は似ているのだ。他でもない。自分の母に。
自分を生み、そして捨てたあの母親に。
初めて町で会ったあの朝から、その顔は自分の脳内に焼き付いていた。
無論佐三がそんなことを話せるはずがない。話すはずもない。自分のセンチな感情を簡単に吐露できるほど佐三は素直でも、子供でもなかった。
イエリナがただ黙って佐三を見つめている。佐三は焦点が合わないまま、ただ天井をぼんやりと眺めていた。
「あー」
イエリナがわざとらしい声を出す。
「そういえば私、結婚したのに指輪ももらってないなーと思って」
「……なんだ急に?欲しいなら職人に注文しておくよ」
佐三は怪訝そうな顔をして答える。
「ダメよ。そんなんじゃ嫌。一生に一度のことだもの」
「あのなぁ。意外とそうじゃなかったりするぞ。人生は長いんだ」
「……あなた私を捨てるつもりなの?」
「そうは言わないが……それにお前だって……」
「王都のものが良い」
イエリナはそう言いきる。佐三はぽかんとイエリナを見つめていた。
イエリナがわざとらしく小さく微笑んだ。佐三は次第に彼女の意図を理解し、大きく息を吐いた。
「それと最近は町でも法律の調整が大変だわ。今までは馴染みの人しかいなかったから慣習でやってこれたけど。たくさんの人が来る以上きちんとルールを整理しないと。読み書きに通じていて、法律なんかにも詳しい人材も欲しいわね。王都で探してきてくれないかしら」
「はいはい。もうみなまで言うな」
佐三は呆れたように笑う。イエリナも楽しそうに笑っていた。
「お前、分かっているのか?そんなことすれば、どうなるのか……下手すると王家に……」
「さあ?どうせあなたがうまくやるでしょう?それに私は何も言ってないわよ。ただ指輪と人手が欲しいって言っただけだもの」
「……よく言うぜ」
イエリナは「それにね」と言って続ける。
「どうなるとしても、私は貴方についていくわ。契約だからとか、妻だからとか関係なく、私がそうしたいから」
「…………」
「貴方はそうしたいのでしょう?なら私はついていくわ」
佐三は無言で頭をかきながらイエリナの方をうかがう。よくもまあこんな恥ずかしいことを言えたもんだ。彼女は人前でこそ長として振る舞うが、二人の時は案外少女じみている。
(やれやれ……)
佐三はゆっくりと起き上がる。見るとイエリナは燭台に灯をともし、机の上に紙とペンを用意していた。
「準備が良いことで」
「ふふふ」
イエリナはどこかうれしそうに笑う。佐三もつられて笑みを浮かべた。
「それじゃあ、おやすみなさい」
イエリナはそう言うと佐三の部屋を出て行く。とことこと小走りに去っていく足音が聞こえてきた。
「……そっちは寝室じゃないだろうに」
きっと政務室に行ったのだろう。おそらくいくらかの仕事を寝る前に片付けようと考えているのだ。人手が減り、忙しくなる今後に備えて。
「……馬鹿なやつだ」
佐三が呟く。しかし今からやろうとすることを考えれば、自身も大して変わらない。佐三はそんな風に感じた。
佐三はゆっくりと椅子に腰掛け、羽ペンを握る。考えをまとめるのに、書くことに勝る方法はない。
そのペンの動きに合わせて、佐三は思考を加速させた。
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