少年の日の思い出
懐かしい夢を見た。子供の頃の夢だ。
幼い頃、毎日が夢のように楽しかった。母がいて父がいて、皆が笑っていた。いつまでもこんな日常が続くのだと思い込んでいた。
それが虚構であるとも気付かずに。
ある朝目覚めると母親はいなくなっていた。別の男のところへ行ったのである。
俺は泣きながら父親に聞いた。「ねえ、お母さんは!ねえ、お母さんは!」と。何度も何度も。しつこく聞いた。
父ははじめは「いなくなったんだ」としか言わなかった。しかしあまりにもしつこい俺に徐々に腹を立てたのだろう。俺を殴りつけ、「母さんはもういないんだ!二度とその話をするな!」と怒鳴った。俺の記憶ではそれが人生で唯一父親に殴られた思い出だ。
父はやがて別の女と結婚した。割とすぐの出来事であった。結婚式もやっただろうか。小さかったからか余り良く覚えていない。
新しい母親は別に俺のことなど愛してはいなかった。父の前では俺に優しくはするが、いないところではいつも素っ気ない態度をとっていた。俺になど興味がなかったのだ。ひょっとすると父にも。興味があったのは父が持っていたものなのかもしれない。俺が高校生になって家を出た後に離婚したと聞いた。
母さんの記憶を辿ろう。母さんが出て行ってから、彼女と会ったことは一度としてない。ただし会ったことは、だ。彼女を見に行ったことなら一度だけあった。
小学校に上がってからのことだっただろうか。何がきっかけであったかは忘れてしまった。授業参観だったか、運動会だったか。とにかく無性に母に会いたくなった。もしかしたら今でも俺のことを思っていてくれているんじゃないかって。そう思って。
住所はなんとか調べた。母との公の書類の行き交いはしていたのだろう。それが養育費の関係なのか離婚書類の関係なのか。中身はなんだか覚えていない。いずれにせよそれを見つけて母の住所を知ることができた。
あとは子供ながらにインターネットを使いその場所を調べた。その年代の子供にしては非常に賢かったと思う。いずれにせよその場所を特定して、そこまで電車を乗りついでやってきた。そこには我が家同様の大きいマンションがあった。
しかしオートロック付きのマンションには勿論入ることはできない。当時の俺はただ呆然と立ち尽くした。しかししばらくして少し外の公園で待っていることにした。外で待っていればもしかしたら母親に会えるかもしれない。そう思って。
だが結局会うことはできなかった。繰り返しになるが見つからなかったのではない。会いに行けなかったのだ。
母は別の男と、その子供らしき少女と手を繋いで帰ってきた。満面の笑みで、それはかつて自分に向けられていた笑顔だった。
自分の居場所は既にない。俺はそこで気付いた。
「そうか、そうか。きっとそうだったんだ」
その後のことはよく覚えていない。どこかの交番で警察官に保護され、住所を説明して返してもらった気がした。
義理の母が対応してくれたが、この一件について親父には言ってなかったように見える。母は営業スマイルで警察官から俺を引き取ると、特に何を言うでもなく家に連れ帰った。寒い夜の道、手がかじかんでしかたなかった。
俺はおもむろに少し手を上げる。一瞬だけ彼女の手に当たった。
「……?何?」
「……なんでもない」
どうしても左を歩く女性の手を、とることはできなかった。
俺の手は今もかじかんだまま、寒さで赤くなっている。
「また昔の夢か」
佐三はベッドから起き上がり、大きく伸びをする。ここ数日似たような夢ばかり見ていた。
(両親……ね。かつてこの世界に来るとき、神とやらが言っていた両親っていうのは、一体誰のことだろうな)
佐三は乾いたように鼻で笑うと、頭を切り替え昨夜のことを思い返した。
昨日の夜、娼館にいた怪しげな女を確保した。もっとも危害は加えられていないし、俺を襲おうとした男達も昨夜のことは覚えていなかった。
彼女が気を失った途端、操られていたような男達やイエリナ達も意識を取り戻した。全員なにやら夢をみていたようであり同様に話している。もっとも見た中身は同じではないようだが。
(非現実的でスピリチュアルな推察はしたくないが……。だがしかしそもそもこの世界に飛んだことが非現実的だからな)
佐三は頭をかきながら考える。科学的な常識を抜きにしてしまえば、彼女が精神的な洗脳のようなものを行っていることは明白であった。それも人を夢遊病のような状態にして。しかしそんな魔法のような方法に、どうしても佐三は納得できなかった。
「サゾー!」
ベルフが部屋に飛び込んでくる。その様子からトラブルであることが佐三には読み取れた。
「脱走か?」
「ああ、昨日の夜のうちに。迂闊だった」
「反省は後だ。他の連中は」
「皆寝入っている。さっきハチをたたき起こした。他の皆を起こしに行っているはずだ」
「わかった。すぐに従者達に連絡。包囲網を張れ。まだこの町の中にいるはずだ」
佐三はそう手配しつつも、それが有効打であるとは思わなかった。もし仮に人の意識を操れる、もしくは多少なりとも干渉できるのであれば、警備など無意味だ。それどころかこの町にどんな被害をもたらすかも分からない。一刻も早い決着が必要だった。
(あの女……復讐とか言っていたか?この町に?何の恨みがあって)
佐三は部屋を出て行こうとしたその時、ふと気になってベルフに聞いてみた。
「なあ、ベルフ」
「何だサゾー。急がなくて良いのか」
「いや、急ぐ必要はあるがその前に確認しておきたい」
佐三が質問する。
「お前、今朝方なんの夢をみた?」
ベルフはその質問に少し黙る。そしてゆっくりと口をひらいた。
「……昔の夢だ」
「昔?」
「村で生きていた頃の。……彼女の夢を見ていた」
「そうか……。済まないことを聞いた」
「いや、いい。……そんなことより早く動こう。俺も今回は厄介な問題になる気がする」
ベルフはそう言うと駆け足で部屋をでていく。佐三も軽く上着を羽織ってそのまま後に続いた。
(ふいー。まだ朝は寒いな)
佐三は両手を擦り摩擦熱を生み出す。しかしそれでもぬくもりはすぐに消え、また手の先が冷えてくる。
よく見ると左手に切り傷がある。昨夜自分で切りつけた傷だ。佐三は今になってその存在を思い出した。
佐三はなんとなしに「は~」と息を吹きかける。白い息が手をかすかに温めてくれた。しかしすぐに寒さでかじかんできてしまった。
「ははっ。こりゃさっさと終わらせて火にあたらないとな」
佐三は拳を強く握りしめ、政庁の廊下を足早に進んでいった。
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