閑話 誰に見られても?
「む?」
「ん?」
少し遅い時間。夜の公衆浴場の脱衣場で、二人はたまたま顔を合わせた。
「あんたは確か……」
「ハチだ。お見知りおきを。チリウ殿」
ハチはそう言ってぺこりと頭を下げる。チリウはなんとなくその生真面目な態度にやりにくそうにしていた。
「別にそこまでかしこまらなくていいぞ」
「……性分ですので」
ハチはそう言って服を脱ぎ始める。こちらの様子などお構いなしに、淡々と動作を進めていた。
チリウもそんなハチにかける言葉が見つからず、同様に着替えることにした。
「えーと……」
チリウは辺りを見渡しながら何かをうかがうかのような動きをする。そしてチラチラとハチの方を見ながら脱衣籠に服を入れた。
「……そちらではない」
「へ?」
唐突にハチが声をかける。
「そちらは臭いがつくことを嫌う獣人向けだ。我々のように外で汗をかいたものは使うべきではない」
「ははは……そうだったのか」
チリウは慌てて服を取り出し、別の籠に入れようとする。しかしどの籠に入れるべきか分からず、「えーと……」と迷っていた。
「こちら側の籠だ」
ハチが冷静に指さす。
「ああ。ありがとう」
「まったく説明書きに書いてあるだろうに」
ハチがそう言うとチリウは「ははは」と苦笑いする。そして申し訳なさそうに答えた。
「いや、わたし、実は字が読めないんだ」
「………っ」
そう言うチリウにハチは少しの間言葉がつまる。そういえば門の近くで見たときも、イエリナと共に契約書にサインしていた。
ハチは少し考えて、頬をかきながら答えた。
「……そういうことなら、もっと早く言ってくれればいいものを」
「ははは、やっぱ恥ずかしくてな」
「恥じる必要などない。学べばできることだ」
ハチが続ける。
「ほら、入り方の注意も読めないであろう。私が教えてやる」
「っ?!ああ。助かる!」
スタスタと歩いて行くハチにチリウはついていく。チリウの心の中で少しばかりハチの見方が変わっていた。
「ふ~~」
チリウは湯船に浸かりながら、その心地よい湯加減を満喫していた。
「しかしこの町は何もかもが新鮮だな。まさか町の中に湯浴みをする場所を用意しているとは。……それにこの湯に浸かるまでに、ここまで煩雑な手順があるとはな」
チリウは先程までにハチに教わった作法を思い出す。教えられた5つの手順は常に思い返していないとすぐに忘れてしまいそうであった。始めに湯をかぶり、次に石けんで……。
勿論本来ならば体を洗ってから風呂に浸かるようにという程度のルールしか定めていない。ここまで面倒な手順を踏まされたのは聞く相手に寄るところは大きかった。
「しかしあんたも結構良い奴だな。てっきり敵だったわたしに、もっと警戒しているかと思ったが」
「ハチでいい。『あんた』と呼ばれるのも性に合わない。それに私は主殿の命に従うだけだ。主殿が味方と受け容れたのであれば、自分の意見を差し込むことはない」
ハチはそう言いきり、湯船につかる。その動作は静かで水面にはわずかに揺れるばかりであった。
「それに……私も元を辿れば外部の人間だ」
「え?」
ハチの言葉にチリウが聞き返す。
「本当か?」
「ああ。元々は主殿……マツシタ・サゾーの命を狙う使命を負っていた。貴方が組んだあの小領主の元で」
「あいつの?あれは酷い男だったな。何一つ約束を守りゃしない」
チリウは呆れたように言う。明確な事実ではあるが、その男に忠義を尽くしてきた自分のことを考えると、ハチには乾いた笑いしか出てこなかった。
「それで?」
チリウが聞いてくる。
「それでとは?」
「いや、どうして今の男に仕えたのかなって。見たところあんた……いや、ハチは義理堅くはありそうだし」
「前の主には一族を人質に取られていたから従っていたまで。それも主殿によって解放された」
「解放?じゃあ今はあのサゾーという男の奴隷なのか?」
「失礼なことを言うな。主殿は文字通り『解放』したのだ。今は私の一族も、自由の身となって近くの村で暮らしている」
ハチは少しばかり睨み付けると、チリウは「悪い悪い」と謝った。
「ところでチリウ殿」
「なんだ?」
「湯船に浸かるときは布を巻かぬのが流儀だぞ」
「ああ、そうなのか……」
チリウは少しきまずそうにタオルを取り、再び湯船に浸かった。
「何か気になるのか?」
ハチが尋ねる。チリウはどこかばつが悪そうに答える。
「そりゃ傷も多いし、体も大きくて、女らしくないだろ。町の連中を見ていると、余計にそう感じる」
「そうか?」
「そうかって、そりゃハチは体格も綺麗だし、傷だって……」
そうやってハチの方を見るとチリウはその体にいくつもの傷があることに気付く。先程までは自分の事ばかりでハチの傷にまでは目がいっていなかった。
「いや、悪い……」
「何を謝ることはない。これは今まで自分が生きてきた証。恥じることなど何一つない」
「本当か?誰に見られても?」
「ああ。男だろうが女だろうが、有象無象に見られたところで何も変わらん。そこらの木や石に見られているのと同じだ」
「すごいな」
「何を言う。チリウ殿だって同じだ。貴方が戦ってきた、守ってきた証こそがその強靱な体と傷跡なのだ。恥じることはない。それで美しいのだ」
そこまで言うとハチはチリウがどこか恥ずかしそうにしていることに気付く。少し言い過ぎてしまった。ハチはわずかに頬を赤らめ、湯船に深く浸かった。
「……いずれにせよ、貴方も随分と可愛らしいところがあるのだな」
「……うるさい。いいだろ、別に」
チリウはそう答えると、どこか納得がいかない様子で別の方を向いた。
(でも、案外こいつも良い奴だな)
チリウはそんな風に感じた。
「そろそろ出よう。あまり長く入るのも、体によくない」
ハチにそう言われると、チリウもハチに続いて湯船から上がった。丁寧に体を拭き、脱衣所に戻る。
しかし幸か不幸か、同時に脱衣所の扉が開いた。
「よし、じゃあ入るか……って、あれ?」
「きゃあ!」
たまたま入ろうとした佐三が扉を開き、一糸まとわぬ二人と鉢合わせてしまった。ハチは悲鳴を上げ、佐三は「すまん」と何食わぬ顔で扉を閉めた。
長居しすぎたせいであろう。夜の遅い時間は交代制で男が入る時間となっていたのだ。
そして二人の間にしずかな時間が流れた。
「ふ~~ん」
チリウがしゃがみ込んで体を隠しているハチをみながらニヤニヤと笑っている。ハチは何事もなかったかのように立ち上がり、軽く咳払いをしながら服を着始めた。
「あんたも可愛いところあんじゃん」
「……うるさい。あとあんたと呼ぶな」
二人はやいのやいのと言い争いを始める。それはどこか騒々しく、そしてどこか楽しそうであった。
早く終わらないだろうか。外で待つ佐三は延々と終わる気配のない女性陣の会話を外で聞き続ける羽目になった。
読んでいただきありがとうございます。




