笑顔の絶えない職場です
「ねーちゃーん。ご飯まだ?」
「はいはい。今作るから待って」
弟が夕飯を催促して自分の服を引っ張っている。今年で8つになる少年は今日も元気で、食欲も旺盛だ。
「おねーちゃん、あのね、あのね」
一番上の妹が話を聞いて欲しそうに近寄ってくる。六人兄弟の三番目、アイファの次に年長の女の子は今年で12になったところであろうか。
アイファは話を聞きながらスープをかき混ぜ味を確かめる。どうやら生意気にも好きな男の子がいるらしい。妹はいつもその子の話ばかりしている。
「アイファねーちゃん、おにーちゃんがぶったー」
「ぶってねーだろ!嘘つくな」
「またぶったー」
向こうでは6歳になったばかりの双子がけんかしている。アイファは「はいはい、けんかしないの」とだけ言って料理を続ける。全員にかまっている余裕はない。ほどよく力を配分しなくては。
弟妹達はいつも騒がしく、家の中が静かになることは希だった。
「さあごはんできたよ。支度して」
「「はーい」」
アイファが用意した料理を弟妹達がテーブルへともっていく。今別の村で鍛冶の修行をしている弟は元気だろうか。アイファはそんなことを考えながら椅子に座る。
「さあ、いただきますしよ……」
すると不意に視界が揺らいでくる。そういえば今日は一日どうも調子がよくなかった。
(あれ、もしかして私。体調があんまり……)
アイファはおもむろに立って、ベッドの方へ向う。弟妹達は「どうしたの?」と聞いていたがアイファは答えるのも面倒になっていた。
「ご飯、たべてて。おねーちゃん、ちょっとつかれちゃったから……」
そう言うとアイファは倒れ込むようにベッドに横になる。そしてそのまま意識を手放した。
「まったく、使えない子だね」
「でも、そんなこと私言われて……それに私の仕事じゃ……」
「言い訳するんじゃないよ!だれが雇ってあげてると思ってるの」
夫人はそう言ってそそくさと去っていく。アイファは別の従業員が失敗した後始末をたんたんとこなしていった。
どの職場でもそうだ。かならず、多かれ少なかれ独自のルールがある。そしてそれに伴い序列がある。長くいる者は優遇され、新入りはこき使われる。貧乏くじを引き続けていく中でルールを学び、身の振り方を知る。そうやってさらに新しい新人が入ってくるのを待つ。
初めのうち、いくつかの職場ではアイファより後に来た新人に優しく教えていた。しかしあるとき裏切られ、失敗の責任をなすりつけられてからは、それもしなくなった。人を蹴落として序列を上げていく。それが社会のあり方なのだと学んだ。
毎日息を潜めて耐える。とにかく耐える。その繰り返し。
楽しいことなんて久しくない。最後に思いっきり笑ったのは、いつのことだろうか。
「ほんと、私の日常って……」
「つまんないな」
「そうでもないぞ。人生はすてたもんじゃない」
そのとき誰かに否定された気がした。
アイファが勢いよく起き上がると既に朝日が昇っていた。
(いけない、今何時だろう。弟妹達のご飯を支度して、早く仕事に行かないと……)
ベッドを出ようとすると、鈍い痛みが頭に走る。頭に触れるとどうも熱があるようであった。
「お、起きたか?」
「ねえ、おじさん!俺とも腕相撲やって!」
「すごーい、このふんわりしたやつ、甘くて美味しい!」
「お姉ちゃんだけずるい!私にも食べさして」
聞き覚えのある声に視線を向けると佐三が弟妹達と戯れていた。
「あの、佐三様?どうしてここに?」
「ああ、昨日の夜君の妹が政庁に来てな。お姉ちゃんが苦しそうだから見てくれって。だから医者を連れて昨日来て、一応今日も誰かいたほうが良いからって俺が来たんだ。ただの風邪だろうから薬だけ出してもらったけど、二日三日休みをやるから早く治してくるんだぞ」
佐三はそう言いながら弟と腕相撲を始める。佐三は手加減することなく、弟を一瞬にして倒してしまっていた。
「あの、佐三様、私医者にかかるほどお金は……」
「ん?ああ、経費で落とすからアイファは出す必要はないよ」
「でも、佐三様がここにいては、お仕事が……」
「ああ。まあ今日は俺以外は忙しくしてるけど、俺はそんなにやることないからな」
佐三は「にしし」と笑いながら言う。その間にも弟が再び、佐三に挑み、あっという間に負けていた。
「ずるいぞ、おじさん!卑怯だ!」
「何がずるだ。負けを認めろ、少年」
「バーカ!バーカ!」
「おっと今のはライン越えたぞ」
佐三が「わっ」と脅すと弟がうれしそうにかけていく。
「こら、家で走るんじゃありません!」
「うるさい!ねーちゃんもバーカ!」
弟がそう言うと容赦ないげんこつを佐三に喰らう。思いがけない一撃に弟は涙目になっていた。
「何するんだよ!」
「それが日々お金を稼いでくれている姉に言う言葉か」
「うるさい!関係ないだろ」
「関係ありますぅ、従業員の環境は経営者の問題ですぅ」
「姉ちゃん、こいつはやめた方がいいぜ。人として問題がある!」
「関係ありませんー。稼ぐ力があれば資本主義では許されるんですー」
もはやどっちが子供かもわからない様子にアイファは呆れて、つい笑みがこぼれてしまう。普段仕事をしているときはいたって真面目で、恐いぐらいだが、こうしてみるとただの子供である。
「ああ、アイファ。そこに昨日のスープの残りがあるから、起きれるようならそれを食べな。火をいれるぐらいなら俺がやるぞ」
「ねーちゃん!サゾー様、ねーちゃんのスープほとんど食べちゃったんだよ!」
「ほとんどじゃありませんー。少しですぅ」
佐三の子供じみた言動に、小さい子達はケラケラと笑い、弟はムキになっている。すると一番上の妹がお菓子をもってきてくれた。
「佐三様がもってきてくれたの。町で売っているやつ!」
「これ……けっこう高いものじゃ……」
「うん。でも“ヒツヨウケイヒ“だって」
アイファは渡された小さいケーキを一つ口に入れる。甘い香りが口の中に広がり、これまでになく美味しく感じた。
「美味しいでしょ?」
妹がうれしそうに笑う。アイファもつられて笑みがこぼれた。
ふと見ると佐三が此方の方を見ていた。佐三は姉妹が笑っている様子を見てどこか和んだのか、アイファの視線に気付くと笑顔を作った。それはなんだか子供扱いされているみたいでアイファにはどこか気恥ずかしく、少し掛け布団を深くかけた。
「さてアイファも大丈夫そうだし、そろそろ行くわ」
佐三はそう言って立ち上がり、自分の荷物をまとめて引き上げていく。その時はじめてアイファは佐三がいくらかの書類を持ってきていたことに気付いた。
(まったく、うそばっかり……)
アイファはベッドから出ると、食事の準備をする。こうなればたくさん食べて、早く治さなければ。仕事が山のようにたまっている。みんなのためにも、今は体調回復に全力を努めなければならない。
「お姉ちゃん、なんだか楽しそう」
一番上の妹が話してくる。
「そうね……」
アイファは続ける。
「楽しいかもね」
アイファはそう言うとニコッと笑った。
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