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異世界の愛を金で買え!  作者: 野村里志
第三章 忠犬の管理職
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忠誠と盲信






「随分、無防備ですね」


 パーティーの中、佐三だけに聞こえる低い声でハチが話す。


「私がいまから貴方を仕留めるまでに、そう時間はかかりませんよ」


 ハチの言葉に佐三はお手上げといった仕草を見せる。先程の鋭い視線は消え、まるで白旗をあげているかのように緊張感がなかった。


「別に無防備なわけじゃない」


 佐三はさらに一歩歩み寄る。それはもう手が届く距離であり、暗殺には十分すぎる距離であった。


「武力を持つことだけが、防御じゃないのさ」


 佐三は一枚の紙を取り出し、ハチに渡す。


「これは……」

「俺の部下がまとめた報告書だ。お前の雇い主さん、お前ごと抹殺するつもりだぜ」


 ハチはその紙をしばらく読んだ後、丁寧に佐三へと返した。


「離間の計の常套手段だ。同時に主様にも似たような策を講じたか?」

「なるほど。引き際の判断だけでなく頭もきれるみたいだ」

「こんな嘘か真か分からぬ資料に、ましてや敵から渡ってきた資料を信じるほど私はバカではないし、忠義を欠いてはいない」


 佐三はハチの頭脳の明晰さに舌をまく。佐三が睨んでいたとおり、いやそれ以上に彼女は優秀であった。


「さあ、覚悟をきめたか?主様が私を信用しきっていないことなんぞはじめから承知の上だ」


 ハチは佐三をまっすぐ見ながらゆっくりと腰に手を伸ばす。仕込んでいた短刀が背中に隠されていた。


「ここで貴方を始末できれば、さらなる信用を得られるだろう」


 ハチが短刀を抜こうとした瞬間、佐三はもう一枚の紙を取り出した。


「これは……」

「残念ながらこの紙を偽造できない。ギルドの印章が押されているからな」


 ハチはその契約書をみる。それは奴隷売買契約の取引証書であった。


「私の一族の名が……」

「あんたが仕えている相手はとっくのとうにあんたを捨てる気だったのさ。成功しようがしまいがね」


 それは以前ベルフ経由でドニーに手を回して、他の商人の手に回らぬように買い取っていたものであった。全員分買い取るには些か値が張ったが、命の保険になると思えば安い買い物であった。もっともハチの方は買い取り手が佐三であることには気付いていないようであったが。


「そうか……随分と間抜けな女だ」


 ハチはそう言うと、短刀を抜いて佐三の首元に突きつける。切っ先がわずかに食い込み、うっすらと血が流れていた。


「どうやらお抱えの人狼は近くにはいないみたいだな。いくら私でも今なら造作も無くやれる」

「ああ、だが君はやらない。やる理由がない」

「理由はある。最後に忠義を全うすることができる」

「死ぬつもりか?」

「おめおめ生き延びるつもりはない」

「やれやれ自暴自棄だな」

「だが誇りをもって死ねる」


 佐三はただ黙ってハチをみつめる。おそらくこれまで何度も手を汚してきたのであろう。ハチのような性分の者からすれば、それはきっと地獄のような日々であったのだ。守るもののためその場から立ち去ることもできず、誇りを喰らい生きながらえる。そしていつしか自分の心を守るために、都合の良い言葉で置き換えて仕事をするのだ。


 そういうものだと言い聞かせながら。


(働くということは必ずしも綺麗ごとばかりではないからな)


 ことこれに関してはこの世界の住人であるハチも、資本主義社会に生きるサラリーマンも大して違いは無い。サラリーマンだってリコール隠しや不正会計で多かれ少なかれ人の人生を狂わしている。商品によっては実際に人が死ぬ。そうでなくとも多くの人間が路頭に迷い自ら命を絶っていく。


(早く楽になりたい。そんな顔をしている)


 ハチの心は既に限界に近づいていた。進むことも戻ることもできない。そんな中で地獄に居座り続けることは並大抵のことではないだろう。そして自分の身内が売られている事実を知り、現実を見せつけられることで、とうとう最後の糸が切れたのだ。


 ハチの短刀に力がこもる。刃は更に食い込み、血がぽたりと床に落ちた。


「言い残すことはあるか?」


 ハチが問いかける。


(ここが勝負所だ)


 佐三はここで言葉を誤れば自分が殺されることが十二分に理解できた。ハチの目は既に半ば死んでいる。ただ楽になりたい。その一心が今の行動を支えているのだ。理屈による説得は今は意味をもたない。


「ない」


 佐三ははっきりと告げる。佐三は起死回生の一撃のためにさらに一歩近づいた。


「ならば死ね」


 ハチが力をこめ、佐三の首を切り裂こうとしたその瞬間、佐三はハチを優しく抱きしめた。


「なっ?!」


 ハチは一瞬思考がとまる。何をされたのか、何故されたのか、それがまったく分からなかった。


「大丈夫だ。大丈夫」


 慌てて離れようとするハチを優しくも力強く抱きしめ、佐三は囁く。短刀で刺されるのではないか不安ではあったがここまでくれば賭けであった。


(やはり獣人族であっても女性の筋力ではこんなものか。俊敏性はあっても、振り払うほどの力は無い。……イエリナが特別なだけだ)


 佐三はゆっくりとハチの背中をさする。さするというよりかは撫でるといった手つきであっただろうか。


(もし犬の特徴をもっているなら、多少は大人しくしてくれるといいが)


 そして同時に佐三はパーティー会場を見渡す。これが佐三の最大のチャンスであった。


(……見つけた)


 佐三は会場の少し離れた位置で数人と談笑の輪にいながら、一人まっすぐ此方を見ている男を見つける。佐三が急にハチを抱きしめたことが意外だったからであろうか。会場の端に目立たなく立っているはずの佐三にわかりやすく目を向けてしまっている。


 その男の風貌はベルフの報告とも一致していた。


(小領主であれば必然的にこの会場にいるよな。顔が割れた以上、これでイーブンだ)


 ハチが強く佐三の足を踏む。ヒールの一撃は流石に痛く、佐三がハチを放す。


「な、何をする?!急に抱きつくなど……」


 ハチが驚き、慌てている中で佐三はまっすぐ小領主の方を指さす。


「お前の雇い主を見つけた。挨拶をしなければな」

「待て、お前は今ここで……」

「視野を広くもて」

「……っ?!」


 佐三が続ける。今のハチにならば言葉は届くと踏んでいた。


「いつだって代わりはある。勤める企業も、仕える主も。生き方だって一つじゃない。それを一つに絞り込み、それしかないと視野を狭めれば、心を売り、自らを腐らせるぞ」


 遠くを見ると、小領主が会場を立ち去ろうとしている。


「来い、ハチ。確かめてみろ。あの男が仕える価値のある男かどうか。俺の命ならその後にいくらでもくれてやる」



 そう言うと佐三はハチの手をとり、逃げる小領主を追いかけた。







読んでいただきありがとうございます。

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