目は口ほどに、視線は口以上に
軽やかなステップが会場を魅了する。文明は日々進化し、洗練されていく。それはやはり踊りに対しても言えることなのであろう。現代社会で踊りを身につけた松下佐三の動きはこの世界の人間にとっても美しく、華麗に見えた。
(すごい……)
イエリナは佐三の横顔を見つめながら感心する。佐三はおそらくこの地域の人間ではない。それ故にこの地域のダンスなぞ知るはずがないのだ。にもかかわらず踊り出してからすぐに場の動きに馴染みだし、徐々に変化を加えて他の参加者との違いを生み出していった。
耳の良いイエリナは音楽の中でも会場の声が聞こえる。今まで思い思いに話していた貴人達が今この時は自分たち二人に注目していることがよく分かった。
「だいぶ慣れてきたな、もう少し視線を集めてみるか」
佐三はそう呟くと唐突に動きに変化をいれていく。イエリナはどうするのが正解なのかは分からなかったが佐三の促すままにステップを刻んでいく。
「そうだ、イエリナ。上手いじゃないか」
「これは……上手いのでしょうか?」
もはやイエリナの知る踊りではなくなり始めていた。今まで見てきて、教育として教えられた堅苦しい動きはすでに無く、音楽に合わせながら身体を思うがままに動かしている。そんな気がした。
本来ならばこうした常識を外れた踊りはするべきではないだろう。それも自分のような者が。しかし今目の前にいるこの男とならばどこまでもついて行ける。イエリナはそう感じた。
(でも、やはり周りは驚き半分、戸惑い半分ってところね)
イエリナは注目されていることをより意識する。周りの目は明らかに自分たちに向いており、はじめは驚きがほとんどを占めていたものの、途中からプライド交じりの皮肉や批判の言葉が出始めていることがわかった。
「サゾー様、あまり目立ちすぎては……」
「反感を買うってか?いいんだよ」
佐三はあっけらかんと言う。
「前にも言ったろ?戦略は大きく考えなきゃいけないって。宣伝に良いも悪いもない。大切なのは目立つことさ」
「しかし悪目立ちでは……」
「まあ確かに悪いことをしては批判を買うが、別に悪いことをしているわけではないからな。そもそもこの程度を批判する連中とは手は組めん。丁度良いふるい落としになるんじゃないか」
佐三はケラケラと笑いながら更に踊りに強弱をつけていく。イエリナは獣人特有の運動能力でなんとかそれについていった。
それは他とは違い、どこか異質であったかもしれない。しかし佐三によって絶妙にコントロールされた動きは場違いとのボーダーラインを越えないギリギリのところで差異を生み出している。これ以上動きに変化を加えれば場違いと一蹴され、ただただ批判される、そのライン際で佐三達は踊っていた。
「すごい……すごい!」
人混みをかき分け、観衆の最前列で見ていたナージャはうれしそうにはしゃいでいる。本来であればこういった大人の場で少女らしくはしゃぐべきではない。しかし観衆は全員イエリナ達の踊りに目を奪われており、ナージャのちょっとしたマナー違反なぞ目に入る余地も無かった。
(後で注意しておかなくちゃ)
イエリナはそんな風に思いながらも、楽しそうにしているナージャにどこか安堵していた。
音楽の終わりと共にフィニッシュを決める。少しの静寂の後、拍手が鳴り響いた。そして徐々に収まり静かになっていく。
静けさが増していく中で、イエリナの鼓動の高鳴りだけは一向に静まらなかった。
「イエリナ、ちょっと待っててくれ。席を外す」
イエリナを席までエスコートした後、佐三はおもむろにその場を離れていった。イエリナは「あっ」と名残惜しそうに手を伸ばしかけたが、それに気付き静かに手を下ろした。
「イエリナ様!」
ナージャがうれしそうに近づいてくる。
「もう、ナージャ。はしたないわよ」
「イエリナ様、すっごく綺麗だった。お姫様みたい!」
イエリナの言葉も興奮気味のナージャには届かない。イエリナは「しょうがないか」と半ば諦めぎみにナージャの頭を撫でた。
「まあ、はしたない。所詮は獣人、教養なんてあったものじゃないですわ」
先程の貴人達がイエリナに近づいてくる。
「すいません。少しはしゃいでしまいました。ほら、ナージャも謝って」
「ごめんなさい」
イエリナとナージャは共に頭を下げる。しかし彼女たちの怒りの原因が他にあることはイエリナにも分かっていた。
「それに、あのはしたない踊り。見ていられませんわ。これだから獣は」
「そうよ。あの場所で踊っていた人々に失礼ですわ」
「謝罪すべきよ」
婦人達はそれぞれにイエリナを批判する。ナージャは一転してこわばった表情をして心配そうにイエリナをみつめている。
しかし当のイエリナにはもう迷いはなかった。
「それはできません」
「なっ……?!」
イエリナはきっぱりと断る。急に変わった態度に婦人達も言葉を失う。
「私に対しての批判は受け容れます。私は片田舎の町の長です。至らぬ所も多いでしょう」
イエリナは続ける。
「しかし、私の夫に対する批判はさせません。彼は私とは違います。そしてここにいる誰よりも」
イエリナの挑戦的な言葉にも婦人達は言葉が返せない。イエリナのまっすぐ堂々とした視線がそれを制しているのである。
「それでは、失礼します。ナージャ、挨拶して」
「失礼します」
二人はそう言ってその場を離れる。あのままあの場所にいても事態がこじれるだけだ。イエリナはそう思った。
後ろからは彼女たちの恨み節が聞こえてきたが、自然と耳に入らなくなっていった。
「この辺ならいいでしょ」
イエリナはナージャを連れて会場の端の方に来ていた。
「イエリナ様。喉渇いてない?私もらってくるよ」
「ありがとう、ナージャ。お願いするわ」
イエリナがそう言うとナージャはうれしそうに歩いて行く。そしてイエリナは一息付けると大きく息を吐いた。
「あの……」
すると不意に声をかけられる。イエリナは慌てて姿勢を正して挨拶をした。
「ああ、すいません。気が抜けていました」
「いえいえ、いいんです」
イエリナは声をかけてきた女性を見る。イエリナも会場の人間全てをしっているわけではない。挨拶回りにいかければならない重鎮達だけである。度々顔ぶれの変わる他の人達をすべて把握することは難しかった。
「それで、御用件は?」
イエリナは恐る恐る聞いてみる。せっかく待避してきたのに再び文句を言われてしまうのでは此方の身が持たない。
「あの……その……」
「?」
言い淀む女性をイエリナは不思議そうな顔で見つめる。
「先程の踊り……素敵でした。よければお話をきかせてください」
恐る恐る聞いてくる女性にイエリナは肩の力が抜ける気がした。そしてそれは安堵にかわり、最後は喜びに変わった。
「いいですよ。一緒にお話ししましょう」
イエリナがそう言うと女性の顔が急に明るくなる。やはり獣人族が物珍しく、恐かったのだろう。だがそれ以上に興味が勝って、声をかけてきたのだ。
二人が楽しそうにしていると他の女性達も集まってくる。そして輪は徐々に大きくなり、パーティー会場の隅に、もっとも大きい人だかりができていた。
今確かに、イエリナの居場所がそこにあった。
「お嬢さん、少しお話ししませんか」
佐三は青いドレスをきた美しい女性に声をかける。女性は振り返り、佐三を見る。佐三はそれに対して営業スマイルで返した。
「それならば少し外に出ませんか?少し暑さでまいってしまいまして」
女性はニコッと笑いそう答える。その笑顔は妖艶で、見る者を虜にしてしまいそうであった。
そして女性はゆっくりと自分の腰に手を当てた。
「その刃物は抜かない方が良い」
「………っ?!」
佐三の言葉に女性は動きを止める。
「無論外で話すこともだ。銃兵が狙っている。俺と、そして君を」
佐三が再び、笑顔を見せる。しかしそれは先程のものとはうってかわって目が何一つ笑っていなかった。
「さあ、話をしよう。ハチさん。君にも君なりの事情があるだろ?」
何もかも見通しているようなその鋭い視線に、自分との格の違いを見せつけられている。ハチは本能的にそう感じた。
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