それは一人の長として
祭りも近くなり、町の往来は更に人で賑やかになっている。往来する商人の数は増え、誰も皆忙しそうに動いている。
そしてそれに合わせるように政務室の面々も忙しく働いていた。
「イエリナ、ここ間違ってるぞ」
佐三がイエリナの書類に誤りがあることを見つけ、指摘する。
「すいません、今直します」
「今日は少し、疲れが見える。無理をせず休んだらどうだ」
佐三がイエリナに配慮する。既にもう何回かミスが続いている。疲れが見える以前に、今日のイエリナは集中力が欠けていた。
「大丈夫です。しっかりやります」
イエリナはそう言って再び机に戻る。同室にいたアイファはどこか居心地悪い気がしていた。
「サゾー、戻ったぞ」
町の様子を見に行っていたベルフが戻ってくる。アイファはどこかほっとしたような様子でベルフに挨拶した。
「おかえりなさい、ベルフさん!」
「お、おう。ただいま」
ベルフはアイファの様子に普段とは違う何かを察しながら、佐三に報告をする。
「サゾー、今のところ特に問題はない。町は今までにないぐらい平和だ。犯罪も起きてない」
「わかった。引き続き頼む」
「それと、サゾー」
ベルフが佐三の元に近寄り、耳打ちする。
(お前に頼まれていたように、ドニー達をあの領地に送り込んだ。依頼書も渡してある)
(わかった。ありがとう)
(しかし、何のために送り出すんだ?諜報活動なら人間にやらせた方が……)
(今回はちょっと別の目的だ。時が来たらお前にも話す)
ベルフはそれだけ聞くとまた元通りに離れ、話を続ける。後ろでは興味ありげにするアイファと、耳をピンと立てているイエリナがいた。
「それはそうとしてサゾーは今何をしているんだ?」
「ああ、これは事業の進捗を確認しているんだ。これから直に出向いて見てくるが、お前も来るか?」
佐三がそう聞くとベルフは黙って頷く。それを見て佐三はかけていた上着を羽織った。
「イエリナ、アイファ。これからちょっと出かけてくる。場所はそこの地図に書いてあるから何かあったら教えてくれ」
「わかりました」「はい」
佐三は二人の返事を背にベルフを連れて、部屋を後にした。
部屋には二人だけが残る。
「何か……あったんですか?イエリナ様?」
アイファがつい気になりイエリナに質問する。
「え?……別に何もないわよ」
イエリナは少しぎこちないように笑いながら答える。
「本当ですか?」
アイファが心配そうに聞いてくる。イエリナ自分の気持ちを話そうかと考えるも、すぐに思い直した。
(何を考えてるの。私は……町の長なのよ?)
イエリナは自分の頭を巡る子供じみた感傷をなるべく捨てようと心がけた。先程の二人の会話、アイファには聞こえていないようだがイエリナにはしっかりと聞こえていた。刺客の脅威は去ったわけではなく、今も佐三は狙われているのだ。そしてその原因は、この町を救ったことにも関係している。
「うん。でもちょっと疲れてるのかもしれないわ」
イエリナはアイファに笑ってそう答える。アイファはその様子に少し安心したようであった。
「さ、はやく仕事を終わらせましょう。祭りの日にまで仕事を残したくないしね」
「はい!」
二人は再びペンを動かし始めた。
「どうです?」
「これは……見事なもんだ」
佐三はスーツを手に取りながら、職人に感謝の言葉を述べる。無論かつて着ていた一張羅とは品質に大きく差があるが、見栄えとしては十分なものができていた。
「サゾー、何だその服は?」
「ああ、俺の故郷の正装だ。かっこいいだろ」
佐三はスーツをベルフに渡し、今度はタキシードを見る。こちらも佐三の想定よりはかなりよくできていた。
「他にも女性向けのドレスをいくつか用意させていただきました。佐三様の設計は今あるものとはかなり異なりましたので少し手間取りましたが、こちらもお気に入りいただけるかと」
「ああ、凄くよくできている」
佐三は褒めながら試作品のドレスを見ていった。かつて佐三が当たり前に目にしてきた物がかなり再現されていた。
「ベルフのも作ってやろうか?支給品として経費で出せるぞ?体格も人間の時は俺とそんなに変わらんし」
佐三はうれしそうにベルフに提案する。しかしベルフはそういったカチッとした正装は余り好むところではなかった。
「いや、遠慮しよう」
「なんだよ、つれないな。一枚ぐらい余分にあってもいいんじゃないか?」
「……脱ぐときに面倒だ」
「………あーね」
佐三はそこで理解してそれ以上は何も言わない。狼になる度に服を脱がなくてはならないのだ。いざという時にも、すぐに脱げる服を着ていたい気持ちは分からなくもなかった。
(そもそも文化が違うからな)
佐三がそう納得しているとベルフは質問してくる。
「この服を売るのがその事業か?」
「いや、まだこの先がある」
佐三が続ける。
「この服はあくまで特別だ。目的は日常用の服を大量生産できる様にすることだ」
「大量?それをどこに売るのだ?」
佐三はピンと窓の外を指さす。
「はじめは西だ。大領主の所や首都の方に回す。そしてゆくゆくは東の港から外へ運ぶつもりだ」
佐三は声高々にそう言う。
(この男はいつも自信と行動力にだけは溢れているな)
ベルフはそんな風に思った。
「ところで、ベルフ」
佐三が質問する。
「何か聞きたいことがあるんじゃなかったのか?」
ベルフはその言葉に胸にあった疑問を思い出す。
「ああ、狙われていることについてだ」
「わかってる。放置してはおけない問題だ」
「どうするつもりだ?」
ベルフの質問に佐三が答える。
「まずはあの犬族の刺客、彼女を手中に収めたい」
「捕縛か?暗殺であればこちらからでも」
「おいおい物騒な意見を出すな。俺は商人だ。人は殺さないよ。基本的にな」
佐三は話を続ける。
「捕縛は……できるに越したことはないが、それも難しいだろう。いつ来るか分からないからな」
「だが手中に収めるって」
「ああ、そうだ。だが捕まえるって意味じゃない」
「じゃあ……」
「ああ、こっち側に移ってもらう。ヘッドハンティングだな」
佐三の意見にベルフは少し難しい表情をする。
「しかし、犬族は異常な程真面目だ。忠義にも厚い。裏切らせるのも一苦労だが」
「まあそうだな。戦国時代のように離間の計やら、人質やらで裏切らせるのもまあやぶさかではないが……。あくまで俺は商人だ。取引と契約でなんとかするとしよう。まあ見てなさいって」
ベルフは佐三の言葉にただ頷くしかなかった。これまで武力的な脅威は数多くベルフがはらってきた。しかしそれ以上に佐三によっても助けられているのである。このどこか気の抜けた男は抜群に頭がきれる男なのだ。
「まあその辺のことは任せる。案があるならお前を信じるまでだ」
「今日は妙に物わかりがいいな」
佐三がからかうように言う。ベルフは特に否定することもなく、ただ並べられている服を見ていた。
ベルフはさほどそういった物に興味はない。服や祭り、ましてやパーティーなぞ眼中になかった。
しかし他の人間がそうでないことをきちんと理解するだけの分別はついていた。ナージャが楽しそうに話している気持ちも、汲み取れないわけではない。
(だとするならば、あの女はどうなのだろうか?)
ベルフはイエリナのことについて少し考える。彼女の様子から見て、何かを悩んでいることには間違いなかった。
(あー、もう。やめだ、やめだ。俺が考えることでもねえ)
ベルフはそう考え、思考を放棄する。これ以上この夫婦に口を出す必要も、出すべきでもないと感じていた。
「いずれにせよ、視察はこの辺にしよう。邪魔したな。引き続き頼む」
そう言って佐三は店を後にする。ベルフも遅れないように佐三の後ろをついて歩いて行った。
その日の夜のことであった。静かな、そして少し肌寒い夜であった。
中庭に二人の影が並んで話している。両者とも寝付けず、外へ出ていたのだ。
その会話はどこか夫婦らしからぬ様子で、どこかぎこちなくもあった。
「あの、サゾー様」
「なんだ?」
「やはり……パーティーの夜、私と……」
「私と踊っていただけませんか?」
しばらくの沈黙の後、ただ静かに「それはできない」という返事だけが返ってきた。
「そうですよね。忘れてください」という言葉と共に、影が一つ減る。
取り残された影はただ静かに、じっとしていた。
静かな夜のことであった。
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