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異世界の愛を金で買え!  作者: 野村里志
第三章 忠犬の管理職
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マーケティング戦略





 昼の政務室。他の人間はたまたま出払っており、部屋にいたのは佐三とイエリナの二人であった。


「イエリナ、ちょっと来てくれ」


 佐三はイエリナに声をかけ一枚の計画書を見せる。


「これは?」

「新しい事業の計画書だ。町の事情に詳しいイエリナの意見が欲しい」


 イエリナはその言葉を聞き、耳を少し立て、佐三の方に向ける。佐三から計画書をもらうとその概要に目を通した。


「これは……衣服の事業ですか?」

「そうだ」

「んー……どうでしょう」


 イエリナは少し疑問を持った様子で計画書を眺めている。


「何か、気になることが?」

「あ、いえ。良いとは思うのですが……」


 イエリナは少しばつが悪そうに続ける。


「この町の住人は、あまり衣服に関心がないので……」

「なるほど、それはまたどうして?」

「やはり、高価なものですので。勿論最低限の安物の服を売る店はありますし買う者もいますが、この計画書にあるように大量に作るほどの意味は……」

「ありがとう、良い意見だ」


 イエリナは佐三が考えた意見を潰してしまったように感じて、すこし申し訳なさそうにする。しかし佐三はイエリナの思いとは逆に、十分なやる気をもっていた。


「だがそれでもやる価値はあるな」

「それは何故です?」


 イエリナが質問する。


「マーケティング戦略としてさ」

「マー……何です?」


 イエリナは聞き慣れない言葉に戸惑い、つい聞き返す。


「まあ早い話、戦略論さ。少し難しい話だが、聞くか?」


 イエリナは更に耳をピンと立て、黙って頷いた。







「モノを売るときに考えなきゃいけないことって何があると思う?」


 佐三がイエリナに問いかける。イエリナは少し考えていくつか要素を出していく。


「買う人の懐事情でしょうか。あと材料費も」

「そうだ。どんな層が買うのか、そのためにいくらで売るのか、どうやって製品を広めるのか……考えることはたくさんある」


 イエリナは佐三の言葉に頷きながら、話を聞いている。


「だが、もっと根本的な話をするとだ。戦略を考えるには三つ大事なことがある」

「三つ?」

「ああ。一に大きく考えること。二に未来を考えること。三に論理的に考えることだ」

「はあ」


 イエリナはどこか難しそうな顔をしながら、首をかしげ、考えている。佐三はよりわかりやすくなるように説明を加える。


「一つ目の大きく考えるっていうのはだ、例えばイエリナはこの町の住人を顧客と考えた。しかしこの衣服は別に大領主が住んでいる都市で売っても、西の首都の近くで売ってもかまわないわけだ」

「あっ」


 イエリナは自分の見落としに気付いて、つい小さく声をあげる。そしてつい声が漏れてしまったことが恥ずかしかったのか、少し顔を赤くして小さくうつむき、話を聞く。


「そんで未来を考えるっていうのは、将来を予測してしかけるということだ。まあ、これに関しちゃ少し博打じみた所はあるが、リスクを背負わない商売はないからな」

「だから、衣服を作っていくと?」

「そうだ。勿論何も出たとこ勝負でやるのではない。勝算があってのことだ」

「……というのは?」

「この町は既にこの何月かでかなり発展した。そうだろ?」

「はい。サゾー様が来て、色々してくださったおかげで」

「まあこれに関して言えばイエリナが俺の提案を飲んで税率を下げたり、公共投資に金をまわしてくれたおかげではあるんだが……、それは一旦おいておこう。大事なのはこの町が発展しているということだ」


 イエリナ褒められたことがうれしかったのか、顔を上げ頷く。


「となると、だ。この町の住人は次第に経済的に余裕が出てくる。町の劇場が流行りだしたのなんかも良い例だ」

「そう言われてみれば……」

「だろ?そうなってくると今度は綺麗な服を着たいっていう住人が出てもおかしくはない」

「たしかに……」

「で、近々祭りなんかもある。これは丁度良い機会じゃないか?ここでいくらかの試作品を赤字覚悟で安く卸せば、そこで服を見た人が買いたいって言い出しても不思議じゃない」


 イエリナはただただ黙って佐三の顔を見つめた。今目の前にしている人間はついこの間まで祭りの存在すら知らなかった男である。アイデアを思いつくまでの速さが尋常ではなかった。


(凄い……この人。やはり、何かが違う)


 もっともこうした考えができるのは偏に佐三が教育を受けていること、ビジネスの現場での経験がこの世界の住人とは桁が違うほどあるということに由来している。つまりそれだけ過去の世界での知識は強みとなっているのである。


「まあ、実際これは自分の目で見てみないと分かりづらい所はあるんだが……。どんな市場も必ず山があるんだ。初めのうちはあんまり儲からないけど、徐々に市場が大きくなって、そして最後には必ず衰退する」

「はあ……」


 イエリナは首をかしげながら答える。佐三はイエリナがいまいちピンと来ていないことを悟り、それ以上の説明を控える。


(まあ製品のライフサイクルなんて話をしても、大量消費社会に生きていないと分からんだろうしな)


 佐三はそんなことを考えながらイエリナを観察する。イエリナは首をかしげながらも忍耐強く考えている。おそらく他の猫族の従者であればすぐ匙を投げていたであろう。そんな気分屋揃いのこの町においてイエリナは長にふさわしい、頭脳と素質をもっていた。


(勿論教育を受けたってのは大きいだろうな。それに長としての責任感があることも)


 イエリナがなんとなく話を咀嚼できたのを確認して佐三は話を再開する。


「三つ目の論理的に考えるっていうのは……まあ、今みたいに順序立てて考えるってことだ。町が豊かになったら服を買う余裕ができる、みたいな感じだな」

「あ、それは私にもわかります。サゾー様は順番に話してくれたので」


 イエリナはすぐに分かったことが良かったのか、少しうれしそうに話す。本来イエリナはもっと感情豊かなのだろう。業務のために感情を律しすぎているところがあったため佐三もその様子に少し安堵した。


(まあ、本来は論理って話はもっと緻密でややこしいんだが……。まあいいだろ)



 佐三はイエリナの表情が豊かになったことにある程度満足する。かつてこうしたマーケティング戦略の基礎をおろそかにする経営陣をバッサバッサと解雇していったことが懐かしく思えてくる。奴らの代わりはいくらでもいるし、そもそもさほど必要性もない、そう当時は思っていた。


(あのバカな連中も、教えれば磨かれたのだろうか……)


 おそらく無理な話であろう。きっとプライドが邪魔をして、若い佐三の言葉など耳に入りなどしない。たとえ佐三のほうが立場が上でもである。


(そういう意味では三つの要素よりもなによりも大切なのは“謙虚さ”だったりするのかもしれない)


 佐三はそんなことを考えイエリナを見つめる。机に座ったままイエリナを呼びつけているので既に謙虚もへったくれも無いが、せめてと思って姿勢を正す。


 一方イエリナはまっすぐ見てくる佐三と、不意に目が合って、恥ずかしそうに目をそらす。佐三はそれを見て、軽く笑い、また姿勢をもどした。




 イエリナが佐三に学ぶように、佐三はイエリナから学んでいた。





読んでいただきありがとうございます。

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