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異世界の愛を金で買え!  作者: 野村里志
終章 異世界の経営者
153/155

閑話 それぞれの話

 






 待って


 私を置いていかないでください






「主殿!」


 ハチが叫びながら飛び起きる。みるとそこはいつも通りの自分の部屋であり、窓から見える光が朝の知らせとなっていた。


(私は……また主殿の夢を……)


 日はまだ昇りはじめたばかりであり、始業の時間までいましばらく時間がある。ハチにとっては仕事をしていない時間が一番もどかしかった。


(ダメだな……私は……)


 自らが主と仰いだ男、松下佐三がいなくなってから既にかなりの時間が経過している。しかしハチは忘れるどころか日に日に思い出す回数が増えている気がした。


(このままでは私は、いつかどうにかなってしまいそうだな)


 ハチは自嘲気味に笑うと服を着替え始める。どうせなら外に走りにでも行ってこよう。始業まではまだ随分時間があり、このままでは心を持て余してしまう。


 ハチはそう思い外へ出る。


 涼しい外の風がどこか心地よかった。


















「いやー、しかし働けど働けど、仕事は減りませんね」


 アイファが席を立ち大きく伸びをする。そんな様子に隣にいたナージャが笑いだした。


「アイファお姉さん、なんかお婆さんみたい」

「もー、ナージャったら。そんなに歳は違わないでしょ!」


 アイファの言葉にナージャはさらに楽しそうに笑う。アイファは「もうっ」と呆れたような表情をした。しかしその山のように積み上がった書類を見れば、若かろうがそう言いたくなるものであった。


 アイファはこの数年で大分髪が伸びていた。今までは肩当たりで整えていた髪型であったが、伸びたことにより以前よりも大人の女性としての印象を与えている。事実アイファは弟妹達の世話をしていることもあり、元々年齢に比べて大人びていたのだが。


「新しい人も雇ったし、ナージャにも手伝ってもらうようになったから、随分と楽にはなったはずなんだけど」

「でもびっくりしちゃうよ。その日一日頑張っても、次の日にはまた山のように仕事が増えているんだもん」


「まるで魔法みたい」とナージャが笑って話す。アイファも「そうね」と笑いながら返した。


(本当に……いままではどうやって処理してきたんだろう)


 アイファ自身、こなさなければならない仕事の量は昔とそんなに変わっていないことは知っていた。今も昔も、それだけ大変な仕事をしていたのだ。本来であれば自分が成長したことや会計担当の人数が増えたことで、処理できる仕事は増えたはずである。


 しかしそれにもかかわらず、佐三がいた頃と比べ仕事の量は寧ろ増えたような気がしていた。


(きっと、佐三様がうまく回してくれていたのね)


 アイファは懐かしむように思い出す。もう既に何年も経っているというのに、今でもふと顔を出すのではないかと思ってしまう。それぐらいに彼の記憶は強く残っていた。


 どこか抜けているようで、そうかと思ったら時とんでもない仕事をこなす。真面目に働いているかと思ったら、子供達やベルフなどと馬鹿なことで言い争っている。


 わずか一年程度しか知らないはずなのに。いままでたくさんの職場を転々としてきたのに。今でも思い出すのは松下佐三がいたあの日々であった。


「アイファお姉さん?大丈夫?」

「あ、ごめん。なんでもないの。ちょっと考えごとしてた」


 アイファは心配してくれたナージャにそう言うと、再び仕事へととりかかる。


(きっと、皆そうなのね……)


 アイファは一瞬だけかつての佐三の席に視線を移すと、再び書類との格闘にとりかかった。















 町外れのとある空き地、そこに一際大きい女性の影があった。


「チリウさん。こんな所にいらしたのですか」

「おお、フィロか。どうしたんだ?」

「イエリナ様が探しておられました。私はたまたまこちらに用事があったのでそれを伝えに」

「そうか。それは助かる」

「何をしておられたのですか?」

「ん?まあ、ちょっとな」


 チリウは少し恥ずかしそうにしたが、いつぞやのことを思い出したのか話し始める。


「祈ってたんだ。昔の仲間達のこと」

「成る程。そうでしたか」

「……変か?」

「?いえ、そんなことは。寧ろ良いことではありませんか」

「はは。そうか」


 チリウはどこか気恥ずかしそうに続ける。


「アイツも……サゾーもそう言ってくれた」


 フィロはそれを聞き、どこか優しい表情をする。きっと彼ならそう言うだろう。どこか不思議な確信があった。


「祈ってたのは、サゾーのことも含めてなんだ。なんだが思い出しちゃって」

「そうでしたか」


 少しばかり照れくさそうにしているチリウをフィロはやさしく見つめている。彼女は豪胆でありながら、とても繊細な一面も持ち合わせている。彼女を慕い、ついてくる人達はきっとこういう部分にも惹かれているのだろう。フィロはそう思った。


「私にも祈らせてくれませんか?」

「え?」

「チリウさんのやり方で」


 フィロが尋ねる。チリウは少し驚いていたが、にっこりと笑って「ああ」と返事をした。


 町外れの小さな空き地。二つの影が、祈りを捧げていた。
















「もうかれこれ三年近く経ちますかな」


 主神教の支部、遺跡の前で月を見上げているベルフにタルウィが話しかける。


「………」

「私は彼とそんなに長い付き合いはしてきていませんが、それでも時折思い出します。一番付き合いの長い貴方ならば、その比ではないでしょう」

「どうだかな」


 ベルフは小さく吐き捨てると後ろ足で首元をかく。狼の姿でいると感覚も研ぎ澄まされ色々便利ではあるが、こうしたちょっとしたときに不便である。


「いつかひょっこり帰ってくるんじゃないか。私は時々そう思うのです」

「……どうだかな」

「主神教の教えでこうあります。『願い、信じ続けるものにその神は未来をくださる』と」

「詭弁だな。サゾーがいたら笑いそうだ」

「確かに、そうかもしれませんね」


 タルウィが笑いながら続ける。


「しかし彼の存在自体が不思議以外の何ものでもありません。別の世界という存在も、どこか信じてしまいます。いつか帰ってくるのではないのかとも」

「それは飛躍しすぎだな」

「またまた。貴方もそう思っているのではないのですか」


 そう言うベルフに、タルウィがからかうように言ってくる。


「何故そう思う?」

「彼が帰ってきてもすぐに見つけられるようにわざわざ狼の姿になっておられるのでしょう?それにここ最近この支部に顔を出すことも多い気がします」


 タルウィはどこかしたり顔でそう言ってくる。それこそ飛躍しすぎだ。


 これはそうしたいからしているに過ぎない。それにこの支部には人狼の教徒もいる。ここに来るのもそいつらに会っているに過ぎない。


 ベルフはそっぽを向いて、鼻を「フン」とだけならした。


「それよりお前はサゾーにいてほしくないと思っているんじゃないのか?」

「どうして?」


 タルウィが不思議そうに聞き返す。ベルフはお返しとばかりにしたり顔で言う。


「悪巧みがしにくくなる」


 ベルフの言葉に、タルウィは一瞬間を置いて大きく笑いだす。


「確かに。彼には色々と見抜かれてしまいますからね」

「同族だから鼻がきくんだろう」

「確かに。私もそう思います」


 タルウィが続ける。


「でもそれだけに味方にすれば頼もしいことこの上ないです」

「……ああ」

「おや、今日は随分と素直ですね」

「アイツの前では言わないだけだ。調子に乗るからな」


 ベルフはそうとだけ言うと、体を震わし遠吠えを始める。


 アウォォォォオン!


 それはどこまでも遠く、遙か彼方へと響いていった。


 『俺はここにいる』


 遠くにいる相棒へ、そう叫んでいる。タルウィは傍目でそう感じていた。








読んでいただきありがとうございます。

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