頂の孤独
「松下!」
東京駅正面にたつビルの中、佐三はその荒々しい声に振り返る。
「山内に小倉か。どうした?」
「お前、製造部の売却を決めたというのは本当か?」
二人は鬼のような形相で睨み付ける。製造部というのはこれまで彼等がコアの事業として展開していた部門である。企業の中の花形部署であり、これまで多くの稼ぎを生み出してきた。
しかしそれが驕りともなっていたのだが。
佐三はひょうひょうとした顔で答えていく。
「勿論全て売るわけではない。あくまで一部だ。重要な部分は残す」
「だが主力ではなくなる」
「まあ、その通りだな」
二人の怒りのこもった受け答えに対して、佐三は至って冷静であった。ここ数日、ろくに寝ていない。考えに考え、悩みに悩んだ末の答えであった。彼等のように感じた憤りなど、既に過去のものであった。
「……リストラは何人出るんだ?」
「おいおい、売却するんだからリストラは……」
「何人この会社から出て行くのか聞いている!」
佐三はやれやれといった態度で答える。
「千人、いや二千人程度か」
「それはあくまで工場労働者の数字だろ?」
「それだけじゃない。本当のことを言え、松下!」
「そうかっかするな。お前達も役員の自覚を持て。経営者がそんなことで苛立ってどうする」
佐三はさらに呆れた様子で話を続ける。二人は佐三を非難するという結論ありきで、まるで話せる状態ではなかった。
「……少なくとも三千人は切るだろうな」
「「……っ!?」」
「ああ、勿論クビになんてしない。辞めてもらうようにするだけだ。……これからはさらにデジタルの時代が来る。DXだ何だと言っているが、必要なのはそれを運用するだけの人材だ。今の日本にそれはない」
「だから辞めろというのか!」
「バカが……。違うと言っているだろう」
「何だと!」
「落ち着け、山内」
小倉が殴りかかろうとする山内をおさえる。佐三は特に気にする様子もなく話を続けた。
「海外に進出する。勿論アメリカやヨーロッパではない。中国とインドだ」
「っ!?」
「中国やインド……その他発展途上国を見下し、技術を教えてあげるとほざいていた時代は終わったんだよ。これからは此方が頭を垂れて、技術を身につけていかなければならない。そして次世代の優秀な人材として、彼等を確保しに動かなくちゃならない」
「しかし、それなら人材のカットは……」
「だからバカだと言っているんだ」
佐三が続ける。
「俺たちの会社にいる温室育ちが、中国やインドでどの程度やっていけるというのか。勿論他の企業のように俺は派遣員にVIP待遇を施したりしない。現地で生き、現地の在り方に従ってもらう。……もって半年。ほとんどが一年で辞めるだろうな」
「なっ……」
「貴様ぁ……」
「生き残れば御の字。そこで耐え抜けば技術力と逞しさを手に入れた新しい人材が生まれる。まあほとんどは自ら辞めるんだろうが、まあそれはそれでいい。この日本ではクビにするのも一苦労……」
佐三は言葉を言い終わる前に殴られ、よろめく。目の前には息を切らしながらこちらを睨み付ける親友がいた。もっとも親友だった男だが。
「何をそんなに息を荒げている。キツい職場に追いやり、自ら辞めるように追い込むなど日本企業の得意技だろうが」
「お前、本気で言っているのか?これまで尽くしてくれた人達に、そんな……」
わかっていない。佐三はそう思った。
彼等は今自分たちの状況をまるで理解していない。この企業の財務状況、マーケットの動き。近い将来この企業が立ち行かなくなることを。
現代においてのマーケットの変化は恐ろしく速い。きっと数世紀前に100年後を予測するのよりも、現代において10年後を予測する方が難しいだろう。佐三は企業のトップとしてそのことを肌感覚で理解していた。
(この会社は、良くも悪くも日本的だ。皆仲が良く、協力的で、真面目で。そして誰も当事者意識をもっていない。100年前から変わらない無責任体制だ)
「どんな考えがあろうとも、手を出したら負けだよ」
佐三はそう言い放つと、その場を後にする。この時は心のどこかで思っていた。あいつらもいつかは分かってくれる。自分の気持ちに、このやりきれない思いに共感してくれると。そして自分を支えてくれると。これまで事業を育て、共に戦ったあいつらならきっと……。
しかしそんな日は終ぞこなかった。
彼等が団結し、佐三に反旗を翻すのはそれからそう遠くないことであった。
佐三は株主をはじめ多くの支持を集め、権力闘争に勝利。覚悟の出血の後、企業を生き返らせた。
しかし佐三に残ったのは成功の喜びでも賞賛に対する満足でもなく、言いようのない空しさであった。
「まあ正直中国やインド、それどころか戦争していない国だったらどこだって、ここよりかマシだろう」
佐三はそう呟きながら書類にサインをする。この世界はまだまだ未発達だ。国家に権力は集中していないし、賊が当たり前のようにでる程度の治安レベル。利便性だけで言えばかつての世界とは比べものにもならない。
それにそもそも発展途上国の環境が悪いというのも昔の話だ。それに先進国の驕りでもある。日本人の感覚に合うかどうかは別として、かつての発展途上国は近年異常な程に発展している。数十年後には移住したい人がたくさん出ている可能性だってあるのだ。
佐三は少し伸びをして辺りを見渡す。政務室では各々が忙しそうに書類と格闘していた。
はじめはイエリナと佐三しか使っていなかったこの政務室も、今では手狭になっている。アイファやハチ、チリウにフィロ。彼女たちは今日も一生懸命に働いている。
(しかしこういうトップ層っていうのは基本男だらけになるもんなんだがな。まさかこっちの世界で女性の社会進出を見ることになるとは。分からないもんだな)
佐三はそんなことを考えながらペンを置く。そしてゆっくりと彼女たちを観察した。
(チリウなんかはもう読み書きをマスターしている。責任感がそうさせるのか。きっとイエリナやアイファも、家族だったり町の住民だったりと守るものがあるからこうも熱意があるのだろう。ハチだってそうだ。彼女は信念を貫くために働いている。皆それぞれの思いを胸に、責任感をもっている)
この世界は過酷だ。明日の見通しすらわからない。だからこそ彼女たちはこうも一生懸命に働くのだろう。辛い思いをし、守るものがある人々は強い。そして何より、責任を全うできる。だからこそ佐三は彼女達に敬意を払っていた。
しかしそれ以上に信頼しようとはしなかった。何のことはない。佐三のかつての経験がそうさせるのである。ありとあらゆるものに代わりはある。だからこそ人は裏切りもする。裏切りというと感じが悪いが、結局のところ別の選択肢を選んだだけである。それは代替性という弱みを作った自身がいけないのだ。他に移る先があるから、裏切られるのである。
佐三は再びペンを取り仕事を再開する。余計なことを考えてしまった。そういったことを頭から排除するのにも、忙しさは必要だ。
今日も政務室の面々は忙しそうに仕事をしていた。
読んでいただきありがとうございます。




