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異世界の愛を金で買え!  作者: 野村里志
第零章 人狼の相棒
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「ねえねえ、イエリナ様。サゾー様どこ行ったか知らない?」


 昼下がりのこと、ナージャがイエリナに尋ねてくる。


「さあ。今日は久しぶりに仕事が落ち着いているからもう休むって、さっき政務室を出て行ってしまったけど。どうしたの?」

「あのね?サゾー様と狼さんにお客様が来ているの」


 イエリナはそう言われて後ろから付いてきた夫人を見る。この町ではみかけない方であった。


「王都からきて、二人に会いに来たんだって」

「これはよくいらっしゃいました。この町の長を務めています、イエリナと申します」

「あらあら、こちらこそ。ご丁寧にどうも」


 夫人はにっこりと笑って挨拶をする。人間の多くは獣人に対して忌避感を持ち、とりわけ町の外から来た人にはその傾向は強い。そんな中で丁寧に挨拶する夫人にイエリナはとても良い印象をもった。


「あの、二人とはどういった関係で?」

「ああ、それね」


 夫人が話す。


「二人が王都にいた頃、居候させていた宿主さ。王都まで噂になっているのに、一度出たっきり挨拶にも来やしない。だから押しかけてきたのさ」


 夫人はそう言って冗談めかして笑う。きっとこの夫人も二人に会いたくて仕方がなかったのだろう。この町から王都までも、そこまで近い距離じゃない。


 イエリナはわずかばかりもっていた警戒心を完全に解いた。自分が親しくしているあの二人を慕う人間だ。悪い人間であるはずもない。


「そうですか!では一緒に探しに行きましょう。先程外に出て行ってしまったので、いつも通りなら決まった場所で休んでいるはずです」


 イエリナはそう言ってにこりと笑うと、二人を先導して政務室を後にした。













「しかし、驚いたよ。まさかあの男がこんな立派な嫁さんをもらうなんて」

「ははは、褒めすぎです」


 道中、夫人はイエリナを気に入ったのか、これ以上ないほどに褒めそやしていた。イエリナはナージャや従者はともかく、外部の人間にここまで褒められたことは初めてであり、どこかうれしくも恥ずかしく感じていた。


「そうだよ、イエリナ様はね……」


 ナージャは自分が好きな人が褒められてうれしかったのだろう。とっくに夫人に懐いてしまい、ペラペラと夢中になって話している。勿論それはイエリナに限らず、ベルフやサゾーのこともであった。



「まったく、あの二人ったら一旦出て行ったきり、戻ってくることもなくて……。一応商人経由で私に手紙を送っては来たものの、それ以降碌な挨拶もよこさないんだから」

「ははは……」

「それに聞いたよ。この間のフィロ様の話。何やら処刑が追放に変わって、この町にフィロ様がいるっていう噂。あれも王都じゃよくある噂話で処理されてしまっているけど、あの男が絡んでいるんじゃあり得る話さね」

「ははは……。それはよくご存じで」

「酒場の店主を嘗めちゃいけないよ。王都中の情報が集ってくるんだから。……それにしても王都に来ておきながら挨拶にも来ないあの子達は、一度矯正しなくっちゃね」


 夫人はそう言ってイエリナに笑いかける。その明るさと、見えてくる優しさにどんどん惹かれている自分がいることをイエリナは感じていた。












「なあ、ベルフ」

「どうした、サゾー?」

「なんで狼の姿になっているんだ?」

「……なんとなくだ」


 村をでて少し歩いた所にある丘、その原っぱの上で佐三は寝そべっているベルフに寄りかかりながら空を見上げていた。東京ではなかなか見ることのできなかった澄んだ空である。佐三はのんびりと雲の動きを追いながら何を考えるわけでもなくぼーっとしていた。


「それよりサゾー、重いから寄りかかるな」

「うるせー、お前の大きい体からしたら微々たるもんだろうが。けちけちするな」


 ベルフはそれ以上言うことなく、佐三もそれ以上は言わなかった。別に絶対にどいてほしいという気持ちがベルフにあるわけでもなく、佐三もそのことは分かっていた。


 もうかれこれ二年近く経つのだろう。それだけ長い時間を四六時中共に過ごしていれば、お互いの気持ちがある程度察せられるようになる。どこまで踏み入れてよくて、どこを尊重しなければならないのかも。


「そういえば、こんな時期だったな。お前が村を訪れたのも」

「…………」

「それで、感傷に浸っているのか。ベルフ君?」

「……うるさい、黙れ」


 佐三はケラケラと笑うとまた空に視線を戻す。何を考えるわけでもないこの時間が、佐三は好きだった。


 佐三がこうやって休みを使うのは別に今に始まったことではない。不定期ではあるものの、定期的に休みを取り、その時間を使ってはこうして何もしない時間をとっている。普段であれば働き過ぎているハチを無理矢理休ませるためにもお供として連れてくるが、今日に限ってはベルフが付いてくると言ったためベルフを伴った。


「……サゾー」

「どうした?」


 佐三は目をつぶった状態で返事をする。


「いや、なんでもない」


 ベルフはそう言うと、再び口を閉ざした。


「ありがとう」などと恥ずかしくて言えたものではない。思い返してみれば、自分があの時すんなりと身を退く決断ができたのはこの男のおかげである。ベルフはそんな気がしていた。


 窮地に下した判断にこそ真価を見出してくれるこの男がいたからこそ、自分は今に折り合いが付けられている。もっとも今でも時々こうして感傷に浸ってはいるが。


 おそらくこの男は今真面目に礼を述べても、変に茶化したりもしないだろう。それを分かっていることも、分かった上で礼を言おうとしたことも、どこか恥ずかしい。そう思ってベルフは言うのを止めた。


「サゾー。今日はどうしたんだ?いつもより業務に身が入っていなかったように見えるが」


 ベルフはとりあえずに別の話題を持ち出す。


「分かるか?」

「まあな」


 ベルフはそう言って鼻を鳴らす。佐三は姿勢を変えることなく答える。


「ちょっとナージャに聞かれたことを思いだしてな」

「ナージャに?何を聞かれたんだ?」

「昔のことだ。お前と会った頃の話さ」

「……なんだ、お前も考えていたんじゃないか」


 ベルフの言葉に佐三は「ははは」と笑う。そんな佐三にベルフは「やれやれ」といった形で目を閉じた。


 色々なことがあった。この人狼を雇った矢先に、急に商売のタネを見つけたこと。王都に戻らず、西へ東へ移動したこと。住処すら安定せず野宿も多少は板に付いてしまった。この世界に来てからというものまともと言える生活をした日の方がずっと少ない。この町での生活は佐三が元いた世界と比べればずっとずっと不便ではあるが、それでもこの世界では天国のような暮らしだった。


「帰ったら……ナージャに、何はなそ……」


 佐三は暖かい春の日差しと、背中から伝わるぬくもりでゆっくりと眠りに落ちていく。それはベルフの方も同様であった。やがて二人からはかすかな寝息が聞こえてくるだけになった。














「多分、この辺に……いた!」


 イエリナは丘の上を指さし、夫人に知らせる。


「やれやれ、こんな昼間から仕事もせずに。随分出世したもんだね」

「ははは……。でも彼も普段は忙しくしてますから」

「あら、貴方思ったよりも夫には甘いのね。ああいう男は、つけあがらせちゃいけないよ」

「それは……そうかもしれませんね。注意します」


 イエリナがそう言うと、夫人は楽しそうに笑う。イエリナもつられて笑顔がこぼれた。


「イエリナ様、待ってよ~」


 ナージャが追いかけてきて、三人は笑いながら丘を登っていく。そして二人の近くまで来てその姿を見たとき、三人は顔を見合わせた。


「やれやれ、これじゃ文句も言えないね」

「そうですね」

「わー、二人とも気持ちよさそう」


 すやすやと夢心地の二人。イエリナはそのまま眺めてもいたかったが、夫人の歓待もあるため政庁に戻ることにした。


「夫人。妻として、夫のかつての恩人をもてなさせてください」

「あら、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」

「ナージャ、いつもの菓子屋で来客用のものを見繕ってもらいなさい」

「はーい!」


 ナージャは明るく返事をすると、そそくさと駆けていく。二人はゆっくりとその後を追うように丘を下りていった。


「見えない鎖ねぇ……」

「え?」


 夫人が呟いた言葉にイエリナが反応する。夫人は「何でもないよ」とだけ言ってごまかした。


(あの頃のあんたが見たら、どう思うだろうね)


 夫人はもう一度だけ振り返って、丘の上で寝ている二人を見る。二人ともどこか意地っ張りで、それでいて偏屈なところがあった。それが今や二人無防備に寄り添っている。夫人にとってはその姿が何よりの歓迎だった。


(その鎖こそ、『絆』ってもんじゃないのかね)


 夫人は小さく笑って、ゆっくりとまた歩き出した。






読んでいただきありがとうございます。

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