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異世界の愛を金で買え!  作者: 野村里志
第一章 猫の花嫁
11/155

契約と、結婚と、

 




「馬鹿者!何しに来た!」


 イエリナはふと我に返り、商人に言う。自分は九死に一生を得た状況であるが、町のことを考えれば状況は何も変わってはいなかった。


「ここで変に楯突けば、町は……」

「アホか。そんなこと分かってる」


 佐三はイエリナを横目で見ながら呆れたように言う。


「お前が考えているような状況は、こっちも既に織り込み済みだ」

「なっ……」


 佐三がそう言うと後ろで町の門が開く。イエリナは「まずい」と振り返るが、見えてきたものは想像とは全く違うものであった。


「これは……大領主様の兵?」

「そうだ。もっともたいした数じゃないがな」


 門の中から武装した兵士と軍旗が見えてくる。イエリナは兵士の紋章と旗の種類から大領主の兵であると判断した。


 しかし何故この商人がその兵を動かせるのかはまるで理解が及ばなかった。


「ななな何故、大領主様の兵がここに……」


 目の前では先程の傲慢さとはうってかわって狼狽している男がいる。佐三はそれを見てわざとらしく笑みを浮かべた。


「なあ?」

「ひっひいぃ。な、何をしている。あの男を殺せ!」


 小領主は狼狽え、兵士達に攻撃命令を出す。しかし誰一人動けず、戸惑っていた。


「そりゃそうだ。兵士だってさらに上の人間には喧嘩を売りたくはないだろう」


 佐三は「それに」と続けて、ベルフをみる。その美しい白銀の毛並みと、鎖をいとも簡単にかみ砕く牙。美しくも獰猛で、恐ろしくも気高いその猛獣に立ち向かおうとする者はいるはずもなかった。


(さて、後は仕上げといきますかね)


 佐三はベルフに目配せをして、合図を送る。ベルフはそれを見て、一歩前に出る。


「アウォオオオオオン!」

「「………っ!」」


 耳をつんざくような大きな遠吠えが響き渡る。イエリナや猫族の人間は皆あわてて耳を塞ぎ、小領主の兵達はその恐ろしさに後ずさりした。


「誰一人動くな!噛み殺すぞ!」


 佐三は高らかに小領主とその兵達を恫喝する。数百人の兵士達は歯を震わせ、戦意は完全に失われていた。


「武器を捨て、領地に帰れ!今すぐにだ!」


 佐三が叫ぶ。そして佐三の言葉に合わせる形でベルフが一歩ずつ前に進み始める。


「うわぁああああああ」


 こうなれば瓦解は必至であった。小領主の兵達は一目散で逃げ出し、小領主自身も慌てて馬車に乗り込み、自らの領地へ向け走り出した。


「ま、こんなもんだろ」


 佐三は静かにそう言うと戻ってきたベルフにまたがる。そしてイエリナに手を差し伸べた。


 イエリナは何が起きたのかよく判別がついてはいなかった。あれだけの絶望的状況が、わずかばかりの時間で消え去ったのである。


「ほら、はやく」

「あ、ああ……」


 イエリナは佐三に促されるままにその狼の背に乗る。後ろに座るその男にイエリナは得も知れない大きさを感じていた。


「うわっ」


 ベルフが少し身震いし、イエリナが体勢を崩す。しかし後ろの佐三が素早く反応して、落ちそうになるイエリナを支えた。


「揺れるから、気をつけろよ」

「……………」


 イエリナは借りてきた猫のように静かになる。緊張からの解放と、気恥ずかしさとで頭がいっぱいであった。


 ベルフが二人を乗せて、ゆっくりと町の門をくぐっていく。その時、静まりかえっていた町は堰を切ったかのように歓声を上げた。










「今頃あの小領主の領土の方は本隊に抑えられているだろう。人数はちと足りないが、帰ってくる兵士達は全員丸腰だし、すぐに投降する。ま、時間の問題だな」


 数日前にも通された応接間。佐三は与えられた温めのお茶を飲みながら、小領主が逃げていった方角を見つめる。佐三が大領主に掛け合い、借りてきた兵は足の速い騎馬隊百名程度でありその内の三十名程と持ってきた軍旗だけをこの町に連れてきていた。


「サゾー、干物食べないのか?」

「ん?ああ、やるよ」


 佐三が促すと、ベルフが素早く佐三の分の魚を食べる。あまりにもあっけらかんとした様子にイエリナとその従者は言葉が見つからなかった。


「あ、あの」


 イエリナが始めに声を掛ける。


「この度は、救援感謝する。捕虜となっていた娘達も助けてもらったと聞いた」

「ああ、別に気にするな。それにまだ捕虜は残っているだろうからそれも助けなくちゃいけない」


 佐三のその言葉に後ろで聞いている従者達が喜び、うれしそうな声を上げる。イエリナは場を引き締めるためにも一度わざとらしく咳払いをして静めた。


「しかしどうして大領主様の軍が?」


 イエリナははじめに疑問に思っていたことを質問する。


「それは交渉の守秘義務があるから言えないな。だがこの町を救いに来たことは確かだ」


 佐三は話を濁しながら答える。その言葉に一定の懸念は残ったものの、味方が来てくれたことに猫たちは安心を覚えていた。


「では何故私たちを救いに?」


 イエリナは次の質問をする。疑問は多数あったが、この謎こそがもっとも不可解に感じていた。佐三はその質問に姿勢を正す。


「なに、簡単なことです」


 佐三はにこりと笑って続ける。


「あなたが好きだから。それだけです」

「……っ!?」


 イエリナは余りにも直接的な言葉に、つい言葉を失ってしまう。後ろで控えていた従者達はそのまっすぐな告白に胸を躍らせていた。


「ふ、ふざけないでください。私たちは、つい先日会ったばかり……それなのに……」

「前にも言ったでしょう。本気だって。それとも貴方は私が好きでもない相手のために命を張ったとでも言いたいのですか?」


 佐三の言葉にイエリナは言葉を失ってしまう。佐三の言うとおりこの町を救う合理性が佐三にはないように思われた。


(策士め……)


 ベルフは少し呆れたような目で隣に座る佐三を見る。ベルフは佐三との付き合いがそこまで長いわけではないが、佐三が愛だ恋だといった感情で動かないことは重々承知していた。


(よくもまあここまで言えたものだと感心もするがな)


 ベルフ自身、佐三の思惑は聞かされるまで想像にも思いつかないようなことであった。そしてそれに至るまでの緻密な考え。どこまで計算の内に入っているのかベルフにはまるで見当がつかなかった。


「少し……二人で話しましょう」

「是非」


 イエリナは立ち上がり、二人での会話をもちかける。佐三は二つ返事で提案を受け容れた。


「こちらに」


 イエリナは佐三に付いてくるように促す。佐三はベルフに目で合図だけすると、イエリナについていった。










「ほー。これは随分と高い」


 イエリナに連れられてきた場所は町にある鐘のついた塔の最上階であった。見晴らしがよく風が強く吹いており、人に話が聞かれる心配もない。二人で話すにはもってこいの場所である。


「佐三様、私は……」

「敬語はいい。腹を割った話をしよう」


 佐三の急な態度の変化に、イエリナは少しばかり驚いた様子を見せる。しかし町の長として腹芸が必要な局面も乗り越えてきたのであろう。すぐに締まった表情に戻った。


「何が……望みです?」


 イエリナは単刀直入に質問する。


「助けてくれたことは感謝します。しかし……」

「お前の身、それだけだ」

「……っ!?」


 佐三は低くはっきりとした声で答える。


「私も……随分と買われたものですね」

「勘違いするな。あの小領主とは目的が違う」


 徐々に敵意を見せだしたイエリナに対して、佐三は至って冷静であった。


「では、何を」

「ここを商売の拠点とする。いわゆる地盤固めだ」

「この町にはたいした資源はありません。この地の住民を売るつもりで?」


 イエリナはツメを出して軽く脅してみせる。しかし佐三は意にも介さなかった。


「バカにはわからん。この地には地の利という特上の資源がある。俺はこれを利用して稼がせてもらう」

「バカですって?獣人のツメを甘く見ないでください。女といえど今なら貴方の首を取ることぐらい簡単ですよ」


 佐三はイエリナの脅しに乾いた笑いを見せる。


「だからバカって言われるのさ。交渉において脅迫はもっともシンプルで効果的な手段だが、長い目で見たら悪手だ」

「なっ」

「今手を出せば次の脅威はどうなる?近隣の小領主はこぞってお前らを狙っているぞ?それに見ろ、下を」


 塔の下では猫族の従者達が興味津々に二人を見上げている。そしてその後ろにベルフが睨み付けるように立っていた。


「その男に手を出せばどうなるか」ベルフはそれを暗示しているようであった。


「俺はあんた達に喧嘩を売りに来たわけでも、危害を加えに来たわけでもない。だが自衛の用意を怠るほど間抜けでもない」


 佐三はそう言って下にいる猫族の人間に手を振った。各々戸惑っていたが、何人かは恥ずかしがりながらも手を振り返してくれた。


「じゃあ一体……」

「この町の利権。それこそが俺の狙いだ」


(もっともそれが全てではないが)


 佐三はじっとイエリナを見つめる。


 もし仮に神が本当にいたとして、二年前に自分があった存在が神であれば、この女と結婚した段階で元の世界に帰ることができるはずである。しかしその眉唾な情報のためだけに動くわけには行かない。いつ帰れるかもわからない世界での滞在。そのための地盤固めであり、一つの可能性としてイエリナを佐三は欲していた。


 イエリナは黙ったまま下を向いている。急な出来事に頭が回っていないのであろう。緊張と安心の連続で確実に心が疲弊しているのである。


(まあ、急には無理か)


 佐三は急な返答を求めることは酷な気がしていた。状況は揺るがず、いずれにせよイエリナは佐三の提案を受けなければいけなくはなる。もし仮に話がこじれたとしても、失ったものは大領主との交渉に使った金だけであり、その金はまた犬族の企業から回収することができる。


 佐三はそんな風に考えていた。


「まあ、いきなり答えを出せとは言いません。ゆっくり考えて……」

「いえ、今答えを出します」


 塔を下りようとする佐三をイエリナが止める。その表情からは覚悟が見て取ることができた。


「一つだけ約束してくれませんか」

「なんだ?」

「私は構いません。けど、町の住人の安全だけは保証してください」


 イエリナは絞り出すように言葉を紡ぐ。佐三はしずかにイエリナの手をとる。


「約束しよう。だが守るのはお前も含めてだ」


 佐三ははっきりとそう答える。


「どうかしら?」

「契約の履行は商人の義務だ。それとも夫の言うことが信じられないか?」

「ええ。一切」


 イエリナがそう言うと佐三はイエリナを抱き寄せる。


「へっ?何を……」

「何って……キスだろそりゃ」


 慌てているイエリナを余所に、佐三はイエリナの後頭部を支えながら顔を近づける。イエリナは顔を真っ赤にしながら目をつぶった。


(え、嘘。私はじめてなのに……)


 イエリナは心臓をならしながらその時を待つ。


 しかしいつまで待てども唇が重なることはなかった。吐息がかかるほど顔は近づいたが、佐三は顔をしばらく近づけた後そのまま離れた。


 下では従者達ははしゃいでいる。興奮しきっていたイエリナはそんな下の様子も目には入らなかった。


「まあ、これでいいだろ。無理強いはしたくはないしな」


 佐三はそうとだけ言って、塔の下へと続く階段を下り始める。


「どうした?お前も色々やることがあるんだろ?」


 佐三はそう言ってイエリナに手を差し出す。頭がショートしているイエリナはただただ佐三に引かれるままに階段を下りていった。




 風が吹いている。


 新しい風がこの町に吹こうとしていた。



読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白いです。読みやすいです。完成度高いと思います。佐三とベルフの掛け合いが最高。捕らえられた猫人の女性達に部分は胸が悪くなりますが、そういう部分も小説には必要なのでしょう。
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