生き方
風が吹いている。少し遠くには村が見えた。
「そう簡単に生き方は変えられるもんじゃないし、変えたいとも思わないな」
佐三は冷めた目をしながら、ぽつりと呟いた。
「ふ~。薪を割るのがこんなに大変だとはな」
佐三がこの世界に来て何日か過ぎた。新しい環境への戸惑いや、その理由など謎は尽きなかったがそれを気にしている余裕もなかった。とにかく生きるためになんとか現地の人間とコミュニケーションをとり、助けてもらわなければいけないからである。。
(しかしここの人達が比較的親切で助かった)
佐三がいるこの農村は百人前後の小さめの集落である。もっともそれはあくまで佐三の感覚であって、この世界ではどうなのかはわからない。
佐三の言葉は全くと言って良いほど伝わらなかったが、遠くから来た人であることは格好をみて分かってくれたらしい。おそらく困っているだろうと手を貸してくれた。
若い男手が少ないこともあり、今佐三は燃料の調達を任されている。木の伐採から薪割りまで。伐採は基本的には一度に何人も集って行うらしく、今は薪割りがメインであった。
は最初の数日教えてもらった後、それからは一人で仕事をしている。冬までに燃料は多い方が良いのだろう。そういった事情も佐三が受け容れられた要因の一つではあった。
「しかし、まあこのままでいいわけでもないだろう」
佐三は薪を割りながらぼそりと呟く。佐三は資本家であり、資本主義の仕組みをよく分かっていた。
(金を稼ぐからには、まずはその仕組みを作らなくちゃな)
佐三は斧を立て、顎に手を当てながら考える。資本主義経済において労働者が資本家に追いつくことはない。それは資本家の資産を増やす割合に対して、労働者の貯蓄の割合は低いからである。佐三はそのことをよく理解していた。
(しかし稼ぐ仕組みっていったってなぁ)
佐三は農村の様子を見渡す。薪を切る場所は集落より山に近い場所に作られており、麓の集落が一望できた。集落としては普通なのかも知れないが、世界有数のグループを経営していた佐三としてはここで何かを興そうなどという気にはなれなかった。
そんなときだった。いくらかの馬に乗った男達が村に訪れていくのが見えた。その身なりからしてまともな連中でないことは佐三の目にも分かった。
村の長が出てきていくらか話した後、家畜を数頭と食料、そして若い娘を一人連れて去っていった。
「……ふん」
気分のいいものじゃない。佐三はそう思った。しかし同時に何かすぐにできるとも思わなかった。自分は『七人の侍』でも『荒野の七人』でもない。映画の主人公のように村を守る力も、その責任感も佐三にはなかった。
「サゾー!」
ふと見ると村の少年が後ろにいた。ここ数日で言葉はまるで通じなかったが、名前など簡単なことは伝えられている。
「おう、どうした?」
佐三は少年に声をかける。すると少年は走ってきて佐三の足にしがみついて泣き出した。
「おいおい、どうしたんだ。泣いてちゃわからないぞ」
「××が!××が!」
佐三はその言葉を聞いてなんとはなしに事情を察する。今の言葉はこの少年がおなじ村にいる少女を呼ぶときの呼び名だ。多分彼女の名前か、もしくは「お姉ちゃん」とでも言っているのだろう。
そしていま連れて行かれた彼女、売られたのか脅されたのかはわからないが彼女がその「お姉ちゃん」なのであろう。自分が親しくしていた、あるいは恋い焦がれていた相手が連れて行かれる。それは幼い少年にとって耐えがたい悲しみなのだろう。佐三はそう察した。
(大方既に親や村の人達にも言って、怒られるかしたんだろう。だから俺のところまで来て、泣いているのか)
佐三は適度に少年を慰めながらのんびりと空を見上げた。
この世界に限ったことではないが、世の中はけして公平でも平等でもない。佐三は自分自身それをよく分かっていた。自分のように初めから財産を持って生まれた人間とそうでない人間では稼ぐことに対する難易度がまるで違う。これは人脈や権力に置き換えてもいい。何にせよ世の中スタートラインが違うことだけは確かである。
しかし人生はその程度の不利をひっくり返すことのできる程度には長いとも佐三は思っていた。その差が残り続ける原因、それはきっと人間の性質にこそあるのだとも。
人は変わることを嫌い、その状況に甘んじようとする。だから世界を変えようとするのは難しい。世界が、そして何より臆病な自分の心が、悪魔のように囁くのだから。
この村は自ら差し出し、生き延びることを選んだ。もっとも初めから戦ったかどうかは分からない。いずれにせよ自ら選択肢を放棄していることは確かである。
だからこそ佐三はこの少年に対してさして同情などしていなかった。状況を変えたいのであれば行動をしなければならない。彼は泣いているだけでさして何かを変えるわけではない。いずれ心に折り合いをつけて、「しかたない」と自分自身を慰めるだろう。佐三はその程度にしか認識していなかった。
佐三は少年の頭を優しく撫でる。こうしておけば村での立場が少しはマシになるかもしれない。その程度の打算を込めて泣きじゃくる少年の頭を撫で続けた。
(よく考えると俺も随分とドライな考え方ができるようになったもんだ)
佐三はすこし自嘲気味にそんなことを考える。経営には合理性と決断が必要である。そしてそれは時に感情や馴れ合いを捨てることも意味している。何かを選ぶことは、同時に何かを捨てることなのだ。
いっそのことこの世界では今までの生き方をやめることもできる。友達を作り、家族を作り、地域の人達と仲良く過ごす。そんな生き方も選択肢としては考えられた。
(……考えられねえな)
佐三は再び少年に目を落とす。無力であることは時に残酷である。佐三は自身でそれを甘んじて受け容れられるとは思えなかった。
自らが代わりが聞く存在であること、必要でない存在になること、そんな状況に至ることを考えただけでも身の毛がよだつ思いであった。
「確かに……。そう簡単に生き方は変えられるもんじゃないし、変えたいとも思わないな」
佐三は冷めた目をしながら、ぽつりと呟いた。
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