84.恐ろしい力
魔王ヤツェクの汚屋敷を掃除し終わるまで、一週間くらいかかった。
部屋はやたらと多いし、埃まみれだし、ときどき信じられないほど大きな蜘蛛や羽虫が飛び出してくるのでうんざりしたけれど、私とオスカーでどうにかしなければこの屋敷はずっと汚いままだ。
(ゾーイとミミィがいたら、もうちょっとは楽なのにな……)
時々、ゾーイやミミィを思い出してホームシックになったものの、カウカシアに戻ったら確実に私はローラハム公に殺されてしまう。
とにかく、最初は全て地道にコツコツと箒や雑巾を使って掃除をしていたものの、一生かかっても終わりそうもないので、三日も経たないうちに嫌になってしまった。
「オスカー、もう掃除するの、嫌になってきたかも……」
「奇遇だな。俺もだ」
オスカーもうんざりした顔で答える。
最終的に、私たちはいかに魔法を使って効率的に部屋を綺麗にすることばかり考えるようになった。魔力が空気中に満ちている夜の国は、カウカシアでは絶対使うことができないような複雑で大量の魔力が必要な魔法も、かなり簡単に使うことができる。
まず、人手が欲しかった私は魔法を使って泥人形もどきを作ってみた。最初のうちは、泥人形は壁にぶつかって止まったり、階段から落ちてしまったりと、色々トラブルがあったものの、多少命令のコツを掴めば従順で便利な下僕になった。
それから、39個あるらしいお風呂を始め、この屋敷にはとにかく部屋が多かったため、部屋を断捨離した。不必要な部屋はとりあえず片っ端から消していき、最終的に屋敷の大きさはもとの三分の一程度に落ち着いた。
当の汚屋敷の主人といえば、相変わらず一日の大半を「見回り」に費やしている。それなりに忙しそうだったものの、夜までには必ず屋敷に帰ってくる。
さて、今日も今日とて、私とオスカーが掃除に精を出していたところ、前触れもなくヤツェクが例の見回りから帰ってきた。
昼間の明るいうちに帰ってくるのは珍しく、私は首を傾げた。
「あれ、おかえりなさいませ」
「うん、ただいま、かわいいエリナ。変わりはないかい? 家帰ると君に会えるのはすごく嬉しいなぁ」
ヤツェクは私の頬をムニムニと撫でる。私はそっとヤツェクの手から逃げながら、首を傾げた。
「今日はお帰りがずいぶん早いですね」
「ちょっと調べたいことがあってね。それより、今日も掃除かい? この屋敷もすっかり見違えた」
えらいね、と言いながら、ヤツェクは私の頭を撫でる。私は大人しく頭を撫でられながら頷いた。
「魔法を効率的に使えるようになりましたから」
「そうか。だいぶ魔法の腕もあがったようだね。なにかご褒美が必要かな? なんでも用意しよう」
「必要なものは適宜いただいているので大丈夫です。でも、一つ約束をしてください。これからは、部屋を手軽に増やしたりしないでくださいね。寝室が21部屋あって、大変だったんですから!」
「うん、わかった。可愛い娘がいうことは、大人しく従うとしよう。それにしても怒ってるエリナも可愛いなぁ。毎日可愛い。最高だ」
そう言いながら、ヤツェクは流れるようなしぐさでくいっと指を振る。二階の部屋からドタバタと音がして、書類をばらまきながら本棚が飛んできた。
そばを通りかかったオスカーがひらひらと舞う書類を手早く集めながら、端正な顔をしかめる。
「ヤツェク! 本棚を魔法で移動させるな! 片付けるのは誰だと思っている!」
「ああ、ごめんよ。そうか、こういうのがいけないんだね。だから部屋が散らかるんだ」
ヤツェクは苦笑して、あちこちに散らばった書類を魔法で拾い集めて本棚にもどした。
そして、飛んできた本棚から一冊ぶ厚い本を取り出すと、猫足のソファに優雅な仕草で腰を下ろして熱心に先ほどの本を読み始めた。長い足を組んで物憂げに本を読む姿は、妙に様になる。
「うーん、やっぱりそうだ。二人とも、ちょっといいかい?」
「なんですか?」
「困ったことがあってね。最近のカウカシアからの夜の国への侵入者が増えているせいで、対応に追われている。まあ、簡単に言うと、しばらくこの屋敷に帰ってこれそうもない」
「それって……」
私はドキリとした。
(ローラハム公はもう、私が夜の国にいるって気づいた!? 今度こそ私を殺そうと、刺客を夜の国に送ったのかも――……)
私が不安そうな顔をしたのを見たヤツェクは、ゆっくりと首を振る。
「エリナ、そんなに不安そうな顔をしなくてもいい。ローラハム公は、まだ君が夜の国にいると気づいていないはずだ。それに、何があっても、彼からは絶対私が君を守る。安心してほしい」
「では、先ほどの夜の国の侵入者というのは、第一騎士団ですか?」
私は首を傾げた。
私の婚約者のシルヴァが属する第一騎士団は、春になるとオルスティン山に派遣されるのだ。そういえば、シルヴァは婚約パーティーの前日にヤツェクに会っているはずだ。
もし第一騎士団と夜の国の魔王とが何らかの問題で衝突するのであれば、それはできるだけ避けたかった。第一騎士団の人とは少し話したことがある程度だけれど、みな気のいい人たちだと知っている。そんな人たちが傷つくのは本意ではない
「彼らは話せばきっとわかってくれます。もし何かトラブルがあれば、私も同行させてください。婚約者がいますから、きっとスムーズに話が……」
「ふふふ、第一騎士団の存在に、私が気付いていないとでも?」
先ほど私に見せていた甘い表情とは打って変わって、その美貌にぞっとするような底知れぬ笑みを浮かべ、ヤツェクは低く言う。
「彼らは今のところ人畜無害だ。少なくとも、狡猾で野心家のローラハム公よりはよっぽどマシだろう。問題は、ローラハム公だ」
「ローラハム公?」
「ここのところ東の国境付近で、炎妖精が乱獲されている。裏で糸を引いているのが、ローラハム・アイゼンテールだ」
そういうと、ヤツェクは苛々した様子で持っている本を長い人差し指でトントンと叩いた。
「東にあった炎妖精の巣が、記録にあった場所にないんだ。あのあたり一帯の炎妖精は、全滅したのかもしれない。ローラハム公め。どれほどの狩り人を雇っているんだ。追い払っても追い払ってもキリがない」
「ローラハム公が、炎妖精の乱獲を指示していると? いったい何のために?」
「おや、エリナは知らないのか? カウカシアでは夜の国の民たちは、高値で取引されているらしい。理由はわからないけどね」
「ああ、『王宮のシャンデリアは全て炎妖精を閉じ込めた結晶でできている』って聞いたことが……」
私の言葉に、ヤツェクは一瞬黙る。その場の空気が一気に冷えこんだ。それから、ヤツェクはおさえた低い声でまるで獣のように唸った。
「……なに? 我が民である炎妖精が、シャンデリアの明かりとして使われている……?」
ヤツェクの翡翠色の瞳に、強い怒気が閃いた。その瞬間、あたり一帯に強い風が吹き荒れる。
「……なんの目的で我が民を捕まえているだと思っていたが、シャンデリアの明かり、だと。 ……ふざけるな! 炎妖精たちは、そんなもののためにいたずらに捕獲されているのか……! 我が国の民の命を、カウカシアの奴らは何だと思っている!」
ヤツェクの怒声で、空気がビリビリと震えた。長い髪が、蛇のようにうねりながら揺らめく。ピシ、と音がして、次々に屋敷のガラスが割れていった。私は圧倒されてただ口をつぐむことしかできず、オスカーが怯えた顔をして私の隣で小さくなる。
「古のカウカシアは、夜の国の民をやれ魔物だ、危険だ、と迫害し、我々をこの地に追いやった。我々は故郷を失い、必死でこの薄暗い土地で生きてきたのだ。土は乾ききって作物も育たず、水の代わりにヘドロが湧き出る。そんな場所しか生きる場所はなかった!」
「…………」
「そして何百年の時を経て、次は無辜の民をこの国から引きずり出し、モノのように扱うというのか! 許せぬ、許せぬ!!」
今やヤツェクの身から、凄まじい魔力が渦巻いている。足元の床が、さらさらと音をたてて細かい砂にかわっていく。
禍々しい空気を纏った夜の国の魔王は、号哭した。
「……滅ぼしてやる!! あの国など一瞬で砂塵に変えてやる!」
「えっ、滅ぼ……!?」
「ああそうだ、全ての民を皆殺しにしてやる! そうでなければ私の気が済むものか!!」
魔王の怒りに呼応するように、風が強くなっていく。怯えたオスカーがボフン、と音をたてて仔犬の姿に変わり、私の背中に隠れた。
(えっ、魔王様めっちゃキャラ変ってない!?)
私は慌てて立ち上がって右往左往する。
私の脳裏に、エタ☆ラブのカウカシア王国が魔王によって滅ぼされるシーンが浮かんだ。美しいカウカシア王国は、魔王の手で、一瞬にして砂になってしまうのだ。
そうこうしている間にも、ヤツェクは低い声で呪いの呪詛のような魔法の呪文を唱え始めていた。強い魔力があたりを包み込む。空気がパリパリに乾燥し、だんだん息をするのも苦しくなってきた。
(このままだと、カウカシアが滅――……ッ)
私はとっさにヤツェクに力いっぱい体当たりをした。
「お、お父さま! 止めてください!」
ボフ、という、くぐもった音がした。――が、それだけだ。当たり前だけれど10歳の女の子が力いっぱい体当たりしようと、ヤツェクはびくともしない。はた目から見れば、ただ私が思いっきり抱きついたように見えるだろう。
(お、終わった……)
私は頭の中が真っ白になった。背中に嫌な汗が流れる。
しかし、しばらく経っても思ったような衝撃はやってこなかった。あたりを渦巻いていた強力な魔力も気づけば消えている。
「あ、あれ……?」
私は恐る恐る目を上げると、先ほどまで怒り狂っていたはずのヤツェクが、ボサボサの頭のまま、感極まった顔でこちらを見ていた。
「……あの、どうしました――……」
「エリナが、私のことをお父さまと……」
「えっ?」
「エリナが私のことをお父さまと呼んでくれたぞ!」
ヤツェクが屋敷中に響き渡る声で叫んだ。
私は硬直する。そういえば、体当たりをした時に、とっさに「お父さま」と言った気がする。
当のヤツェクは、先ほどまで怒っていたとは思えないほど穏やかな顔で、満足そうにうっとりと微笑んだ。
「そのたまらなく愛らしく、可愛い声で『お父さま』と呼んでもらうだけで、どうしてここまで心が穏やかになるんだろう。ああ、私の荒れ狂う怒りを収めるのに十分だった。ありがとう、僕の世界一可愛い娘」
「お父さま……」
「二回も呼んでくれた! 今日はお父さま記念日だな! どこかにメモをしておかないと」
嬉しそうに「ヤッホー」と歓声をあげたヤツェクは、一度強く私を抱きしめると、浮足立った足取りでどこかに消える。おおかた二階の書斎かもしれない
めちゃくちゃになった玄関ホールで、私とオスカーが目を合わせた。
「ねえ、よくわからないけど、とにかく、一件落着したわよね?」
私は小さな声でオスカーに訊ねた。仔犬の姿になったオスカーが小さくため息をつく。
「ヤツェク、エリナ溺愛してるから、なんとかなった。でも、ヤツェク、怒ると怖い」
「怖いってもんじゃないわよ、あれ……」
「ヤツェク、地雷あるから気をつけろ」
「それは早く言って……」
私はそっとため息をつく。
先ほどまでヤツェクが立っていた場所は、完全に床がなくなって、そこだけ砂漠ができていた。私が止めなければ、カウカシア全土がこの砂漠のようになるところだった。
私のうかつな一言のせいで、かなりフランクにカウカシア王国が滅亡しかけた。いまさらながら、だんだん恐ろしくなってきて、両足が情けなく震える私を、オスカーがさりげなく隣に立って支えてくれた。





